#65:1019年12月 鬼譚
鎌倉の屋敷に着いたのは夜もとっぷりと暮れた頃だった。
突然の訪問にも関わらず歓迎は暖かなものだった。
湯でうるかした強飯がすぐ出てきて、アキラたち二人は冷え切った身体に暖かいものを入れることが出来た。これは嬉しい。
廊下の隅だったが、すぐに寝かせてくれたのも嬉しい。朝起きるとそばに長火鉢が置いてあって、あまり冷えないようにとの心づかいが嬉しかった。
鎌倉は今は平貞道殿が仕切っているという。平直方殿の新居だった西の離れを訪れ、平貞道殿に挨拶する。
「久しいな」
ご無沙汰である。
アキラは、ここに多聞をしばらく、傷が癒えるまで置いてくれないかと話した。
「多聞は舟作ります」
早速、貞道殿は飛びついた。
「是非とも長く居給へ」
板船つくりは鎌倉の輸送能力を格段に強化するだろう。
それだけではなく、貞道殿は軍事的な応用も考えているようだ。海の道を抑えるのだ。まだ内海としか呼ばれていない東京湾の入り口を支配するだけではない。相模と上総安房間の水上交通そのものを取り仕切る事に繋がる。
「して、何の傷か」
多聞の傷の原因をどこまで説明するか。
「刀傷にて。千葉にて平忠常の郎党に傷負わされ、隠れておったのを助け連れて参りました」
「信田小太郎に同心せし者か」
隠せない。
「アキラよ、信田小太郎については、吾もよく知りおるゆえ」
貞道殿はそう言って、昔話をすこしだけしてくれた。
「吾の武者務めの初めは、多田の新発意の家人としてであった。
一条の帝の頃、平の将門の子が新発意の父である六孫王(源)経基に討たれしことを恨み、誅殺せんと忍んで来たことがあった。吾はそこに居合わせたのよ。
我らは多田の屋敷でこれを取り押さえた。
さて問題はこの処遇だ。
新発意はもうこの頃には出家を考えてあられ、平の将門の子良門にも慈悲を以て接せられたが、流石に天下の大逆に繋がる話である。
つまるところ、首討たれる定めであった。
しかしここに良門の弟、平将国がやってくる。
将国は謀反起こさぬ証として、我が子信田小太郎を新発意に預けられた。これで助命を、という話よ。
良門は新発意と共に出家することとなり、小太郎は更に頼信殿に預けられることとなった。
小太郎が名乗り上げる歳となれば旧領に戻すという約ではあったが、旧領信太は将国の死せし後は平惟幹と平忠常が奪い合うこととなり、約は果たされることは無かった。
頼信殿の常陸受領任の四年のうちに果たすことが出来なかったのは、まことに残念な事であった。頼信殿は信太を巡り戦で平忠常を打ち負かそうとされたが、平忠常は不利を察すると素早く頼信殿に降り、結果信太に小太郎を迎える事出来なかったのだ。
しかし約は約、頼信殿は様々に小太郎を助けようと心配られておる」
なるほど、信田小太郎の活動を何故足利荘がサポートするのか、不思議に思っていたが、そういう理由だったのか。
「新発意が平将国に語りし話が、平良文の裏切りの事であったというのは、吾らは知らぬ事よ。しかし、聞けばありそうな事にも思える」
どれもこれも、元はと言えば70年前の話だ。随分と遠い昔の話を根に持ってやがる。
しかし、70年前の争いの恨みの根強いのは、考えてみればこれは、21世紀の70年前の大戦の恨みと同じような物なのかも知れない。恨みのなんと強いことか。
・
六浦の風車は、新たに塩田を開いた者たちが色々試しているのだという。
粉炭を燃料とするなら、粉炭を積んだ舟が三浦半島を回り込む必要の無い六浦は便利だったし、都合の良い干潟も広がっていた。
去年のアキラの風車を解体して分析し、更に簡単にしたのが六浦の風車だという。
「鎌倉の浜では、再び藻焼きに変わりおる」
海藻灰の需要は、様々なところで海藻採りを盛んにしていた。
浜辺に打ち寄せられた海藻を拾うだけの仕事だ。簡単だが、このまま海藻灰の需要が増え続ければ、簡単に枯渇してしまうだろう。
アキラは、沖に古い網を張って海藻を着け増やしてはどうか、と提案した。
「新しき使うては何ぞあるのか」
「藻だらけになります」
ふむ、と貞道殿は顎鬚をさすった。
「魚も何ぞ引っかかれば良かろうに」
そうか、定置網ってこの時代、無いのか。
「新しき網、張るのも良きかも知れませぬ。
貞道殿、川につくる簗は知りおるか」
「無論よ。しかし海と川は違おう」
「魚取るのは同じでありましょう。網で簗つくり、魚集まるところを作れば、後で舟でそれを取りおればよかろうかと」
「ふむ、網で色々こさえるとして、出来そうではあるな。何故今まで無きかわからぬ」
恐らくは、沖まで舟を出すのを恐れる現状のせいだろう。
海底に竿の届かない沖合いは、潮の流れによっては致命的なところまで流されるかも知れない。舟そのものが貴重なのだから、そんなリスクは侵せない。
しかし、舟が安く作れるようになれば、話は変わってくる。
風上に帆走できるようになれば、状況は全く変わってくる。
「ところで、春の除目で新しき国司決まりおったら、目代に推して良きか」
は?
目代に推すって、えーっと鎌倉は相模か。神奈川県辺りだな。
下野から月三日はきついが、下野もさほど忙しくないときはサボり放題だった訳で、忙しい時だけに絞ればなんとか……
いや、忙しい時はどこでも同じだ!
「有り難き話なれど、難しきかと」
自分の権限を増やせる機会だが、流石に鎌倉、いや相模の国府は遠い。これから海上交通とか藻の養殖とか道路整備とか、色々口出ししたいけど、流石にオーバーワークだろう。
いや、部下を養成して派遣してはどうだろうか。ちゃんと教育すればそれで良いのではないだろうか。具体的には子供たち。
えーと、報酬の上前をはねる形になるのか。いや、単純な記録が出来るところまでは子供たちを教育できるだろうけど、集計はどうだろうか。アキラと子供たちで役割分担みたいな形式か。
あ、ちょっと惜しくなってきた。
「国府に誰か人が欲しきゆえ。相模の在庁は優れた人おらず、まこと宜しくない」
相模は武者同士の抗争が激しいのだそうだ。
「どこの坂でも、夜盗も女郎もよろしくない者が集まりおる」
坂とは、要するに峠のことだ。相模では足柄峠が特にそれに当たる。
「吾の家は、古くは碓氷の坂におった馬借の長であったのよ」
貞道殿は運ばれてきた酒を素焼きの杯に注ぐと、アキラに渡した。
「まこと昔の話だが、それゆえ坂の者には詳しき」
相模では、足柄峠を争いの発信源として、幾つもの小さな騒乱があるのだという。峠を押さえることは利権に繋がる。人は必ず宿を求め、馬借に荷を預ける。これを一手に管理するものが相模の武者の長であったのだという。
それに対して、鎌倉は相模の東の中心として、今や無視できない勢力だ。
「国府から坂の者たちを排し、我が方を入れねばならぬ。しかし、わざわざ推すほどの才ある者が他におらぬ」
難しきは承知、名義だけでも良い、年に二度でも良い、と言われてアキラは承諾した。まぁ年二回なら、鎌倉に出向いたついでに、どうにかなるのではないだろうか。
・
冬の陽が落ちるのは早い。
灯明が点され、夕餉が運ばれてくる。
「鬼と言えば、吾は見た事あるぞ」
その晩の酒席で、平の貞道殿は言った。
「もう二十年ほども前、これも一条の帝の頃か、丹波の国司橘経国より任地の件、賊ありという話だったか。
丹波丹後の境に大江山と呼ばれる所ありて賊あつまりし、と聞いてな」
・
吾が頼光様の郎党であったことは知っておろう。
頼光様は源氏の武者の長者であられたが、実のところいくさ働きはされたことが無く、つまり我ら郎党もそのいくさ働きと言えば、どこぞの賊を追い回すがせいぜいといったところであったのよ。
それでも我らは荒武者ぞと、そのうち変な話ば吹き言うようになった。卜部太郎は産女に会ったとか会わなかったやら、渡辺の源次は一条戻橋で鬼を切ったやら、ありもせぬ化け物ども相手に勇を振るう虚言ばかり。
そういう風であったゆえか、丹波の賊も何やら化け物めいた話、それゆれ頼光様のもとに頼みごとされたのか。我らとしては本物などもってのほか、遠慮いたしたく、などとも言えず、丹波まで行くことになった。
尤も、吾らとしてはまことの化け物に出会うとは思ってはおらぬ。陰陽金神を何もかも信じ込んだ者共とは違い、吾らは武者、風が吹き草が動くに化け物を見たりはいたさぬ。
厄介であったのは、賊どもが山中に篭り逃げ回っておる事よ。
奴等丹波で悪事すれば山を越えて丹後に逃げ、丹後で悪事いたせばまた丹波に戻りくる。山中深山の便に通じ、軍勢で攻めることもできず、丹波の国司は任国からの訴えに困り果ててしまったのだ。
行きて地の者に話を聞かば、その賊とやらは更におかしな話であった。
特に田地を焼いた訳でも人を攫った訳でも、財物を奪った訳でもない。郡司の屋敷を焼いておったが、その手際はまったく計り知れぬもので、化け物の仕業と言うのも、これ無理なき話しに思えた程ぞ。
山中の木を伐って杣人と相論になったのが事の始めで、杣人の訴えで郡司が郎党を山中に送って、これで事が大きくなったらしい。送った郎党は皆殺されると郡司は在庁にこれを訴え、丹波の介が軍勢を送ったところこれが全くいいように打ち負かされ、郡司の屋敷が仕返しに焼かれた始末。
頼光様はまず賊の本性を確かめよと仰られた。正体わからぬものと戦っても勝てぬのがいくさ、まずはよくみてやろうというのが思し召しであった。
郎党のうちで特に山野に詳しく鬼神を恐れぬものを選び、山中に入らせた。
やがてこの者たちは賊どもの村を見つけて帰って参った。その数せいぜい十、と聞いて頼光様は我らを選び、予め用意したものを整えた。
我らは長櫃を担ぎて頼光様に付き従い賊どもの村へと向かった。
長櫃のなかは獣魚肴に酒などが詰まっておった。
山の中で一度休み、村へ付いたのは日の落ちる前となった。
村には大路があり、左右に樫か何かが列をなして植えられていた。その外側に大寺とも屋敷とも判らぬ大きな建物があった
吾らはうちの一軒に足を踏み入れたが、すぐにそこが屋敷ではないことが判った。金気臭く暗く、だがそこに男が現れて、別の建物へと吾らを案内した。
男は背丈七尺ほどもあったろうか、奇妙な筒袖の小袖を着ておった。
案内されたのは大路の奥の屋敷だった。
屋敷におったのは男7名、女3名、いずれもうるわしき容色であったが皆背が六尺を超えておるようだった。女が冠被りおるのが奇妙に感じられたが、その美しさに比ぶれば何のこともなかった。
我らは伏して、大江の長者への貢物であると長櫃の中の物を揃えて進呈し、報告のために経緯聞きたしと言い添えたのだが、賊らは初めから我らを頼光様の郎党と知っておったようだった。
すぐに酒宴が用意された。我らは太刀を渡して車座についた。
驚くほど美味い澄み酒が甘き醤垂らした肉と共に振舞われた。季節外れの橘と頭が痛くなるほど甘き餅も出たが、あれほど美味きものは後にも先にも初めてであった。天上の味とも思いし心地したものよ。
奴等が言うに、ある者は越後の出で、貴人の子であるが年少より算に優れ寺に出されると、やがて思い出したのだと言う。
何かと聞けば、前世だそうな。
別のものは加賀の出で、これもまた前世を思い出したのだそうな。
つまるところ、前世の因果が、何ぞ罪業が賊どもをここに結び付けたという話よ。
して、どのような前世かと聞いたが、要領の得ぬ話であった。確か、古備尼であったとか、古武院であったとか、唐天竺の話のように思われた。
そもそも千年の後から、時を逆に戻りて来たと言うのだからおかしな話よ。
この地で何をやっておるかと聞かば、銅を掘っておると言う。銅掘りの為であるなら木を伐りて杣人と相論あるのもわかるというもの。
ではそのうち銅仏の寄進あれと言わば、是非とも寄進いたしたく、頼光様にはその際は宜しくお願いたくと言う。
だから、賊といえど決して仏心を失うた訳では無かったのだ。
座が進み、我らの進呈せし酒肴もやがて座に並んだ。
見かけは餅のごとき何やらふわふらした生地に、進呈した肴の一部、毒茸が入りしを見た我らは、座のものに食べるよう薦めながら我らを箸をつけたのよ。
毒茸と言うのは金峰山の別当の言うには、平茸に似るが食えば痺れ倒れる毒を持つが、前々より僅かづつ含めば毒に身体が慣れてしまうそうでな。
我ら、化け物と噂されるものにも何の手立てもなく向かう訳では無く、前々より法力確かな仏僧に頼みて術を立てておったのよ。
我ら、毒茸の欠片口に含みて毒に耐えること七夜にして、身体は毒茸に慣らせしめた。しかし、賊どもは違う。
我らは酒と共に、毒茸盛りし皿をひたすらに薦めた。
やがて時来たりて、賊ども全て打ち倒れて口から泡吹きおるに、我らは立ち上がりて太刀を探すと、賊どもの首を片端から刎ねたのだ。
しかし、ある賊の首を刎ねようとして、その頭の烏帽子が落ちたとき、吾は見たのよ。
短き牛の角が、その頭に生えおるのを。
・
「全員に、角があったのですか」
「うむ。女にも、牛のごとき角が生えておった。
全く驚いた話であった。人と思いて殺さば、化け物であったとは」
賊の首を持ち帰る話は、流石に薄気味悪くなって無しとなった。遺体はそこに全て埋めて、そのまま翌朝山を降りて帰ったという。
「都に帰ってからだったな、小舎人友延なる者が尋ね来て消息を聞いてきてな」
その小舎人は賊どもと付き合いのあったらしい。魂失せるほど悲しむ様子に経緯聞かば、この者の言うに賊は化け物にあらずという。
牛頭の者と呼び、陰陽の土金の気満ちた者共と言う。丹後のほうではよく用いて至便あったという話よ。
「しかし皆殺しては最早後の事も無きゆえ、大江山の賊は角持つ鬼神であったと、そう決めたのよ。
角有るは幾らか知るもの有ったようで、しかしそれで鬼神であるという話が立てば、あとは咎め立てするものは現れなかった」
平の貞道殿は、そこで杯の残りの酒を呷った。
#64 続・将門の子孫の物語について
浄瑠璃「関八州繋馬」は享保9年、1724年に初演された、近松門左衛門晩年の作品です。
宮中に現れた怪異を源頼光が射ると、怪異は消えその矢は平将門の繋馬、旗指物に刺さっていました。その頃平将門の遺児、平良門(将軍太郎)は父の敵を討つべくまず源頼光の屋敷に妹胡蝶を送り込みますが、胡蝶は頼光の弟頼信に心惹かれるようになります。
胡蝶は頼信の更に弟である源頼平と頼信の恋人との仲を取り持ち、頼信の心を得ようとします。頼平と頼信の恋人は駆け落ちをし、頼信は院宣により別の女性と結婚することとなり、胡蝶は平良門と通じていることが知れて殺されますが、怨霊となります。
頼平は脅され頼信を襲うものの失敗、捕縛死刑と決まりますが、頼平に恩を感じた者の報恩により許され、また平良門も捕まりますが、源頼光は縄を解き旗指物を渡して、再戦を約束します。
こうして葛城山にて、源頼光と四天王対、平良門と土蜘蛛と化した胡蝶の最終決戦となります。
胡蝶は能楽「土蜘蛛」から導入されたものです。葛城山の土蜘蛛退治の話で、この冒頭に源頼光に仕える胡蝶という女性が出てくるのです。この能楽は更に源平盛衰記にある、源頼光と四天王による土蜘蛛退治にその源を見ることが出来ます。
読本「善知鳥安方忠義伝」は文化3年、1806年に刊行された、山東京伝による作品です。
善知鳥安方の父は平将門に諫言して家族ごと辺境へと追いやられ、善知鳥安方は漁師として貧しい生活を送ります。平将門の遺児、平良門(平太郎)の元へはせ参じた善知鳥安方は、父の仇を討とうとする平良門を諌めたが容れられず、善知鳥安方は諫死します。
平良門は筑波山で蝦蟇の術を会得し、姉滝夜叉姫と共に相馬の内裏、平将門がかつて造営した宮殿にて妖怪変化と共に、源頼信の郎党と戦うことになるのですが……本作は未完です。がしゃどくろが出てくる事で知られている物語ですね。




