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#64:1019年12月 名乗り(地図有)

前話から今話終わりまでの行程です。

挿絵(By みてみん)

 千葉寺は小さいながらも回廊が寺域を囲み、奥に屋根瓦の金堂が大きく鎮座した寺だった。三重塔がこの回廊のすぐ東側に聳え、反対側に僧房が並んでいた。

 回廊も屋根瓦で、寺の山門は二階建ての立派なものだった。回廊は外側だけに漆喰塗りの壁があり、もしかすると、ちょっとした砦として使う事も考慮されていたのかも知れない。

 この回廊の中に法事の参列者たちはてんでばらばらに立っていた。


「何者ぞ」


 誰かの声が上がった。


「吾は信田の小太郎、平将門は我が祖父である」


 渡り廊下の信田小太郎は名乗りをあげた。


「忠常やその類族が吾が祖父の名跡継ぐなど、ありえぬ話。

 そもそも吾が祖父を裏切り、敵に売ったのが忠常が祖父、平の良文なるぞ」


 その言葉が一同の理解に及ぶまで、一瞬の時間があった。


「下らぬ事言うな!」


 平の忠常が怒鳴った。弓を持った郎党が現れ信田小太郎を狙う。


「下衆が何ぞ戯言を言う」


「戯言にあらず」


 信田小太郎は続けて言う。


「考えても見よ。吾が祖父の(そば)であった筈の良文が、何の勅勘(ちょっかん)も沙汰も無きは何故か。


 勿論、売ったからよ。


 吾が祖父将門を騙し兵を農に帰し、下野の藤太(藤原秀郷)に隠れ告げて、それで勅勘を逃れたのだ」


「何ぞ証あろうか。たわごとぞ」


「ほざけ。

 これらは我が父将国が、多田新発意(源満仲)に直に聞きし事ぞ」


「この馬の糞が、空言をほざくな!」


 平の忠常は信田小太郎を指さす。が、そこで、鈍い音がした。

 弓を構え、今にも射ようとしていた郎党が倒れる。そこにもう一つ何かが飛ぶのが見えた。

 石だ。見事別の郎党の腕らしきところに当たる。


「賊を生かすな!」


 平忠常の、法要の席とは思えない指示が飛ぶ。寺の山門が閉じられ、裏口にも郎党が走る。

 金堂の奥から出てきた郎党が弓を構えて庇の下に並び、刀を抜いた武者たちが法事の参加者たちの間を縫って走る。


「追え!」


 気が付くと信田小太郎の姿は無かった。

 うまく逃げたか。


   ・


 その後、アキラや頼季様のような法要の参加者はしばらく寺の回廊内に留められていたが、流石に国司を含む賓客を何時までも留めておくことはできない。

 まずは国司と国司代理が解放され、しばらく経って残りも解放された。

 既に夕方であったが、流石にもう宴席は無いだろう。


 一夜宿を取って、明日にも帰ろうという事になった。


「信田小太郎は如何(いかが)するのですか」


 アキラが訊くと頼季様は、小太郎は好きに動く、とだけ答えた。

 昨日の宿に帰ると、昨日案内をした郎党がやってきて一行の構成と身元を訊いた。一人減っていることを咎められたが、頼季様は、あれは供養の品持った荷持ちぞと言って、それで追及は終わった。

 アキラもいろいろ聞かれたが、委細は葛飾の郡司に聞けと言って押し切った。それで問題無い筈だ。


 郷の中は夜中まで馬のいななきが聞こえ、松明の明かりがちらほらしていた。


 夜も更けた頃、来客があった。葛飾の郡司だ。


「アキラ殿、是非とも来られよ」


 郡司の持つ松明の後ろを歩いてゆく。


「何ぞ用とは」


 それに答えず歩いていく。と、郷内の辻、暗闇に騎馬の姿がぬっと浮かび上がった。

 馬上の姿は平忠常だ。昼の灰色の直衣ではなく、狩衣姿だった。


「連れ参りました」


 そういうことか。


「足利の目代よ、応えよ。吾子はあの男を知っておろう」


 馬上から平忠常は問う。

 どう答えたものか。


「……いかにも」


 隠しても仕方なかろう。


「いかな者ぞ」


「……その名の通り、信太の者らしきと聞く。夏頃に芳賀にて平惟幹を討ちしは信田小太郎なり」


「まことか」

「噂には聞いておったが、確からしき」


 騎馬の脇に控えていた郎党が口を出す。

 となると、この話はあまり伝わってはいなかったのか。


「郎党は多きか」


「郎党の数は知らぬが、同心する者は多き」


 そこで平忠常が口を開いた。


「足利は知ってあの者を匿ったか」


「知らぬ。しかし将門公の末孫と聞けば、下総殿も匿うのではなきや」


 そろそろアキラはしっかり反論したくなっていた。


「そもそもあの男、弓射る訳でも御霊(みたま)穢した訳でも無く、ただ言いしだけでは無きか。

 あの男の言通りなら、父祖の敵への言はつらくなろう。それをよく言うのみに留めたと思うべき。

 そもそも、あの男に何の咎ありしや」


「吾が父を悪訴しおった」


 いや、平良文と平忠常の事しか言っていない。


「覚えし限りでは、言いておらぬ筈。法会を穢す男では無き」


 しばらく、誰も言わなかった。

 やがて、


「吾子の名は」


 平忠常はアキラの名を訊いた。


「内匠大允、藤永のアキラにて」


 少し間をおいて、問われる。


「藤永のアキラよ、下野は何が変わったか」


 ちょっと抽象的に過ぎて、答えようがない。


「下野は今や陸奥の如き豊かにある。だが、それは田の収ではなく、しかし何かが変わりおる。

 藤永のアキラよ、吾子が成しておるの何ぞ」


 答えようとすれば答えられただろう。

 新しい木工と土木の道具、測量や陶芸、建築や馬車、道路や新しい舟。木炭に代わる粉炭の流通、安価な塩、交通と教育。更には貨幣経済の復活と大規模開墾、肥料と水車灌漑……

 きりがない。


「何故、郎党無き者が軍勢に勝てるか。何が勝たせたのか。神仏か。鬼か。

 陰陽の法師が、吾子を鬼と呼びよる。これはまことか」


 アキラが黙っていると、答えるつもりが無いと判断したのか、


「よい。返せ」


 平忠常は馬を返して、郎党を連れて帰って行った。


    ・


 ぼうと突っ立った葛飾の郡司の手から松明をアキラはもぎ取った。


「勝手帰るゆえ、仕事励まれよ」


 頭を下げる葛飾の郡司に手を振って、歩き出す。



 妙な具合の問答だった。


 この時代、平忠常は、アキラに一番近い視点を持っている男かもしれない。


 アキラの知っている者で、一郡一国を超える視点を持つものは稀だ。

 頼季様は足利郡と下野国までは思惑が巡られるが、その外はまだいささか心許ない。

 信田小太郎はなかなか広い視点を持っていると感じるが、どちらにせよ視点が多少近い遠いで人物を論じるのは無意味だ、とアキラは気付いた。

 何しろアキラの視点は離れすぎている。千年を一望するアキラの視点に比べれば、他の者の視点視野の大小は誤差に過ぎない。


 まぁ、そんな視点なぞ、最初の半年は全く何の役にも立たなかったのだが。


 そんなことを考えながら暗い夜道を歩いていたので、


「目代よ」


 そんな小さな声が聞こえてきたときにはびっくりしてしまった。


 声の主は直ぐ傍の藪の中だった。

 雑色の姿で、怪我をして蹲っていた。良く知っている男だ。


「多聞か」


 なるほど、千葉寺の騒ぎに一枚噛んでいたか。平忠常の郎党に斬られたのだとすると、結構な立ち回りをしたのだろう。

 松明を道に抛り、藪に歩み寄る。


「信田小太郎は」


「小太郎様は良く逃げおおせた」


「で、吾子は」


「さほど良からぬ事よ」


 アキラは、立てるかと聞き、多聞がうなづくのを見た。


「後ろから付いて参れ。(うまや)に隠れよ。……腹は減っていないか?」


「水が欲しい」


 アキラはうなづくと道に戻り松明を取って、ゆっくりと歩き出した。


   ・


 厩で多聞の服を脱がせ、水で傷を拭くと、麻布で大きく巻いていく。包帯という概念はこの時代には無い。

 傷は大きいが浅く、血さえ止まれば問題ないだろう。傷に触るな、布を動かすなと多聞には言い含めるが、多聞は水を飲むと気絶したかのように寝てしまった。


「小太郎の仲間が傷を負っていたので助け、今は厩においております」


 小声で頼季様に報告する。

 朝早く馬に乗せ隠して連れ出したいと言うと、何処へ行くと聞かれた。

 思い切って意外な方向へ向かうべきだろう。


「舟で鎌倉へ」


   ・


 朝早くアキラは起きると、家人を手伝って朝餉の準備をしながら馬の準備もする。昼飯に握り飯を用意する。浜辺らしく塩がふんだんに使えるのは良い。

 馬に素早く多聞を乗せ、鞍の上にうつぶせに寝かせると薦を上から掛け、縄を上から巻いて荷物らしくした。残り荷物もすっかり乗せてしまう。

 そのままアキラは馬を曳いて出発した。


 冬のまだ暗いうちで、風は無いが雲行きは悪い。雪が降らなければ良いが。

 郷の出口と、川を渡るところ、そして千葉寺の前で郎党の誰何を受けたが、特に問題無く咎め立てされることもなかった。

 郎党たちはそれよりもアキラの着ていた革服に興味があるようだった。郎党たちもこの冬の早朝の捜索は辛いだろう。


 人里を離れたところで、馬の上の多聞が呻いた気がした。立木の後ろに馬をまわして薦を取り、多聞の様子を見る。

 これは熱が出ているのか。馬から降ろしてアキラの革服を着せて、少し水を飲ませる。上から薦をかけて、少し休む。


「ここは何処ぞ」


 多聞の声で、うつらうつらしていたアキラは目が覚めた。


「千葉の外れ、南に向かいおる。舟で鎌倉ぞ向かう」


「馬は舟乗るか」


 おっと、考えていなかった。

 馬は松戸で借りたものだから、松戸に返さなければならない。


 多聞を馬に乗せ、出発する。薦はそのまま身体に巻いていてもらう。少しでも暖かくしておいたほうが良い。アキラはというとその分とにかく寒い。

 雪が散らつき始めた。


 茫漠とした枯れ野原の向こうに、波が白く砕けている。

 浜に松原は無いのか。海岸から結構遠い筈だが、海が見えている。


 国境の松の木の下で昼食にした。

 多聞には食欲があるようだ。ならばもう酷いことにはならないだろう。


「信田小太郎は何故あのような事をした」


「知らぬ。そもそも吾らは違う旨にて調べに来たのよ。

 それが何故か、小太郎様は勘言され、これは危なきと」


 そう思ったら、石を投げていたという。


「元々は、平常忠に付きし智慧者探す手筈であった。あの中に居た筈であった」


 他にもお前たちの仲間はいたのか。


「あと二人、馬備えておる。今の頃は小太郎様も一緒であろう」



 海岸線はゆるやかに東に湾曲していた。


 アキラが期待していたのは、上総の国府に近い辺りで舟を見つける事だった。

 入り江や浜を聞いて歩いた末、いつの間にか、ここは木更津あたりまで来たのではないだろうか。そこでようやく、渡してくれるという漁師に出会えた。

 馬は漁師に預け、鎌倉そばの六浦まで二人乗せて布一反。頼季様より借りた布はこれで使い果たした。あとは鎌倉で用立てるしかない。

 そして用事が終わったら、馬を取りに帰って来ねばならない。面倒な話だ。


 雪も風も止み、水面も凪いだ頃合いを見計らって舟は出た。


 沖に出ると多聞は打って変わって元気になった。


「こちらの海は波あるな」


 アキラとしてはようやく一息ついたところだ。沖に出てしまえば追手はもうかからない。


「風あるゆえ、帆あれば良かろう」


 多聞は船尾で漕いでいる船子に、帆は使わぬかと聞いたが、返事の内容はかつて多聞本人から聞いたような内容だ。順風の時以外は全く役にたたないし、順風の時などほとんどないのだ、と。

 

 冬の陽は落ちるのが早い。

 六浦の浜は暗く沈んで見えた。浜で動くものがある。


「あれは何ぞ」


 風車だ。

 上陸するとアキラは風車を確認した。海水を塩田に汲み上げるための風車が六列並んでいる。今はクランクは外され、風車は空回りしていた。

 そもそも、確か以前はここに塩田は無かった筈だ。

#64 将門の子孫の物語について


 幸若舞「信田小太郎(しだのこたろう)」は14世紀の作品と思われています。

 平将門の遺児平将国の子、信田小太郎は若くして父と死別し、母は老臣浮島太夫の諫言にかかわらず、小太郎の姉の夫である小山太郎行重に所領の信田庄の半分を与え、小太郎の後見を依頼します。しかし小山太郎はすべての所領を横領し、母と小太郎を追放します。

 小山太郎の調伏を受けた母は死に郎党も四散し、浮島太夫を頼ることとなります。

 浮島太郎の一族は小太郎を迎えて小山太郎の軍勢と戦うものの皆討ち死にし、小太郎は捕らえられるものの、小山太郎の家臣のうち良心ある者の手によって所領の地券、権利書と共に逃がされます。

 しかし小太郎は人買いに騙され、諸国を売られ、乞食となり、陸奥で塩焼きとなったところで陸奥国司に素姓を明かし、陸奥国司の目代となります。

 一方小太郎の姉は、小太郎を逃がした下手人と目されて小山太郎から追放され、小太郎を逃がした家臣の妻と行き会う事で小太郎の生きていることを知ります。小太郎の姉は尼となり弟を探しますが、それはようやく陸奥で果たされます。

 小太郎は軍勢を率いて小山太郎を追い、逃げた小山太郎は陸奥国司に掴まり小太郎に引き渡されて、そして小太郎は復讐を遂げます。

 そうして小太郎は坂東八国を賜り、恩人に報い、悪人を罰して、幸せに暮らしたという話です。

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