第二章 ― 混乱する想い
暗く。
果てしなく広がっていた。
その漆黒の海の中に、
組織の巨大な宇宙船が静かに浮かんでいた。
それは、一つの宇宙都市だった。
およそ五千人のエージェントがそこで暮らしている。
戦争から救われた者たち。
滅びた惑星の生存者たち。
すべてを失った人々。
今では、
宇宙を悪の支配から守るために、
彼らは訓練し、
働き、
そして戦っていた。
昼間の通路には活気があった。
子どもたちが走り回り、
整備士たちは機械を修理し、
兵士たちは訓練を行い、
研究者たちは古代の遺物を調査していた。
まるで本当の家族のような場所だった。
だが――
その夜だけは違った。
何かが、
彼ら全員を見つめていた。
誰にも見ることのできない、
「何か」が。
レオンの混乱
訓練室。
リーはレオンを見つめていた。
二人は高速で打ち合う。
炎の火花が壁を照らす。
だが、
レオンは外した。
また外した。
そして、
また外した。
リーはさらに一撃をかわす。
「違う。」
レオンは深く息を吸う。
もう一度。
しかし、
外した。
リーは小さくため息をつく。
「どうした?」
「何でもない。」
「嘘だ。」
沈黙。
レオンは視線を逸らした。
その瞬間――
訓練室の窓の向こうで、
レオンはララとダリアンの姿を見た。
二人は楽しそうに話していた。
胸が締めつけられる。
集中が途切れる。
雷の力が、
自分の手の中で暴走した。
BOOOM!!
レオンは後ろへ吹き飛ばされる。
リーは黙ってその様子を見ていた。
何も言わなかった。
もう理解していたからだ。
ララの逃避
その頃――
ララはダリアンを避けるために、
できる限りのことをしていた。
通路を変え、
エレベーターを変え、
担当エリアを変え、
食事の時間まで変えていた。
それなのに、
ダリアンはどこにでも現れる。
「ここで会うなんて偶然だね。」
「図書館で会うなんて偶然だね。」
「研究所でも偶然だね。」
ララは次第に苛立ち始めていた。
そんな時、
リーを見つける。
「助けて。」
リーは思わず笑いそうになる。
「また彼に追いかけられてるのか。」
「正直に話せばいい。」
「そんなのできない。」
「いつかは話さなきゃいけない。」
ララは腕を組む。
「言うのは簡単だよ。」
リーは微笑んだ。
「お前は軍のシステムを三つもハッキングした。」
「宇宙海賊から情報を盗み出した。」
「将軍たちまで騙した。」
「それなのに、一人の男と話すのが怖いのか?」
ララの顔が真っ赤になる。
「もう黙って!」
始まり
夜になった。
宇宙船の照明が落とされる。
通路は静まり返り、
家族は眠りにつき、
エージェントたちも勤務を終えた。
宇宙ステーションは、
完全な静寂に包まれた。
レオンの部屋。
少年は眠っていた。
しかし、
その体は小刻みに震えていた。
荒い呼吸。
強く握られた拳。
何かが、
皮膚の下で蠢いているようだった。
両腕には黒い血管が浮かび上がる。
そして――
音がした。
コン……
コン……
コン……
まるで、
誰かが金属を叩いているような音。
遠くで。
とても遠くで。
最初の悪夢
一人の女性エージェントが、
悲鳴を上げるように目を覚ました。
目を開ける。
部屋は真っ暗だった。
時計を見る。
03:11
再び音が響く。
コン……
コン……
コン……
廊下からだった。
彼女はゆっくりとベッドに腰を下ろす。
混乱していた。
音は止まらない。
コン……
コン……
コン……
さっきより近い。
さっきより大きい。
そして、
ゆっくり近づいてくる。
まるで、
巨大な足音のように。
彼女はドアを開けた。
廊下には誰もいない。
静まり返っている。
それでも音は続いていた。
コン……
コン……
コン……
今度は、
彼女の背後から。
彼女は勢いよく振り返る。
何もない。
本当に、
何もなかった。
だが、
空気だけが異様に冷たかった。
冷たすぎるほどに。
彼女は慌てて部屋へ駆け戻り、
ドアを勢いよく閉めた。
その瞬間――
聞こえた。
ガリィィィィ……
ガリィィィィ……
ガリィィィィ……
まるで鋭い爪が壁を引き裂くような音だった。
女性エージェントは両耳を塞ぐ。
それでも、
音は止まらない。
広がる恐怖
彼女だけではなかった。
宇宙船中で、
何百人もの人々が目を覚ましていた。
怯え、
混乱し、
恐怖に震えながら。
一人の子どもが泣き始める。
「ママ……壁の中に誰かいる……。」
母親は壁を見た。
何もない。
しかし、
その瞬間――
コン……
コン……
コン……
音は天井から聞こえてきた。
彼女は凍りつく。
別のエージェントは、
誰かの囁きを耳にする。
「見えているぞ……」
「見えているぞ……」
「見えているぞ……」
その声は、
あらゆる場所から響いていた。
ダクトの中。
壁の中。
床の下。
天井の向こう。
彼は懐中電灯を点けた。
何もない。
だが、
灯りを消した瞬間――
暗闇の中に、
二つの黄色い瞳が現れた。
そして、
一瞬で消えた。
恐怖はさらに深まる
監視カメラ室。
オペレーターたちは、
奇妙な現象に気付き始めていた。
誰もいないはずの通路。
それなのに、
影だけが横切っていく。
あまりにも速く。
速すぎる。
一つの影には翼があった。
もう一つは狼のようだった。
そして、
もう一つは――
この世の何ものにも似ていなかった。
技術者たちは映像を拡大する。
しかし、
何も映らない。
焦点を合わせようとするたびに、
影は消えてしまうのだった。
ララが目を覚ます
ララは驚いて目を覚ました。
全身が汗で濡れている。
心臓は激しく鼓動していた。
彼女は夢を見ていた。
終わりのない、
暗い廊下。
どこまでも続く闇。
その果てには――
黄色い瞳だけがあった。
ただ、
見つめている。
待ち続けている。
ララはゆっくりと起き上がる。
水を飲み、
気持ちを落ち着かせようとした。
その時だった。
CLANG...
金属音が響く。
廊下からだった。
続けて、
もう一度。
CLANG...
CLANG...
CLANG...
まるで鎖が床を引きずられているような音だった。
ララはドアへ歩み寄る。
ゆっくりと開ける。
廊下には誰もいない。
だが、
遠くの角を、
巨大な影が曲がっていくのが見えた。
彼女は思わず瞬きをする。
次の瞬間には、
影は消えていた。
リーの違和感
リーは眠っていなかった。
窓際に座り、
イエスとの夢について考えていた。
その時、
感じた。
重い圧力。
古く、
邪悪な気配。
本能が警鐘を鳴らす。
何かがおかしい。
あまりにもおかしい。
彼は部屋を飛び出した。
すると、
すでに何十人ものエージェントが目を覚ましていた。
誰もが怯え、
同じことを話している。
同じ音。
同じ悪夢。
同じ影。
同じ怪物。
リーの表情は険しくなっていった。
集団悪夢
その夜、
初めて――
五千人全員が、
まったく同じ夢を見た。
崩壊した都市。
霧に覆われた世界。
崩れ落ちた建物。
血。
静寂。
そして、
空には一体の巨大な存在。
翼を持つ狼。
黄色い瞳。
黒い翼。
微動だにせず、
すべてを見下ろしていた。
まるで神のように。
まるで逃れられない宣告のように。
そして、
その存在は、
たった一言だけ口にした。
「私は戻る。」
その瞬間、
五千人全員が、
同時に悲鳴を上げて目を覚ました。
翌朝
食堂は満員だった。
だが、
誰も仕事の話をしていない。
任務の話でもない。
訓練の話でもない。
話題は一つだけだった。
悪夢。
「君も足音を聞いたのか?」
「聞いた。」
「私は鎖の音を聞いた。」
「黄色い目を見た。」
「翼を見た。」
「誰かに名前を呼ばれた。」
「自分がおかしくなったのかと思った。」
「私もだ。」
食堂には重苦しい空気が漂っていた。
居心地の悪い静けさ。
まるで、
何かが宇宙船の中へ入り込み、
今もなお、
そこにいるかのようだった。
誰にも気づかれず、
じっと見つめながら、
その時を待っているように。
終わり
その夜――
レオンは再び眠りについた。
何も知らないまま。
何も疑わないまま。
何も気づかないまま。
だが、
彼の心の奥深く。
本来なら存在するはずのない場所で。
一体の存在が、
ゆっくりと目を開いた。
黄色い瞳。
太古より存在する眼差し。
飢えたような視線。
カイロスは、
静かに見つめていた。
やがて、
その口元に笑みが浮かぶ。
そして、
何世紀もの沈黙を破り、
初めて言葉を発した。
「……面白い。」
その周囲で、
闇が応えた。
そして、
無数の鎖が虚無の中で鳴り響く。
CLANG...
CLANG...
CLANG...
画面はゆっくりと暗転する。
第二章・終わり
つづく…。




