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8

 竜王は何も言わない。ただ、表情を強張らせてシェリーの話を真剣に聞く。



「わたくしは……人間ほど恐ろしい者はいないと思っています。どの人間も恐ろしいと思っています。中には本当に良い人間もいるという者もいますが……しかし、本当にそうでしょうか?」


「……」



 その問いに竜王は険しい顔のまま何も答えない。シェリーは薄く笑った。



「お母様はわたくしにとって良い母でした。でも……他の方は違うとらえ方をしていました。だって、侯爵夫人は言ってましたもの『夫を誑かしたバチが当たったんだ』って。とある伯爵夫人は言ってましたわ『その美貌で息子を破滅させたお前にはいい気味だ』と。とある政治家は言いましたわ『これで君という存在から解放される』と」



 シェリー自身、過ぎた美貌は時として人を狂わせる毒にも刃物にもなると知っている。だから……その時、シェリーは知ってしまったのだ。彼らにとって美しく眩しすぎる母は『良い人間』ではなく『悪い人間』だったのだと。



「母は美しさだけではなく優しさも、知性も兼ね備えた人でした。だからでしょうか?彼女は時として人の意思も尊厳も愛も全て狂わせることがあったのです。そしてその犠牲となった人間は確かに存在していて、その方たちにとって、母は女神でも天使でもなく悪魔だったのですわ」



 例えそれが意図することなく、無自覚だったとしても。


 彼らにとって、悪魔のような母は消えて喜ぶべき人間だったのだと。



「どんな人間でも必ず悪意を向けられることはありますし、悪意が潜んでいます。無自覚だろうが意図的であろうが人は時として他人の悪魔にもなるのですわ。そんな特性を持つ人間という存在がわたくしは何よりも怖いのです」



 そう言ってシェリーは嫣然と微笑んだ。



「それに比べたら蛇だって、害虫だって、竜人だって怖くありません。だって、貴方達はわたくしにとっては『優しくて』『素直で』『善意的で』『無力』な存在ですもの。わたくしを脅かす悪魔ではありませんもの」



 微笑んだまま竜王を見つめる。


 竜王は暫く黙り込んでいたが、不意に目を鋭くさせてシェリーを睨むように見つめた。



「……それは君の主観であり想像だ。竜人も人間と似たような事をすることがある」


「そうですわね。ですが、貴方達がわたくしにとって良い存在なのは間違いありませんわ。だって、貴方達を恐ろしく感じたことなど一度だってありませんもの」


「だが、今後は分からない。君はいつ私たちを恐れるか……」



 シェリーは苦笑した。なんだか、彼は勘違いしている気がする。



「恐れたら……なんだというのです?」


「……」


「恐れたところで、わたくしは貴方を好きになりますわよ」



 その言葉に竜王はスッと目を細め、形の良い口を開いた。



「矛盾しているな」


「何がですの?」


「恐ろしい存在を君は何故、好きになろうとするんだ?」



 その真剣な表情は今まで見たことのない色が混じっているように見えて、シェリーは顔を綻ばせた。そんな彼女の顔に竜王はますます表情を険しくさせる。



「あら、それは当然ですわ。だって……悪意とは正反対の善意や愛情を皆が持っていることをわたくしは知っていますもの」



 竜王は何故かその答えに不満を持っているらしく、不快げな顔をした。



「納得出来ませんか?ですが、それが事実なのですわ。全てのものは悪意だけで成り立つわけではありませんのよ?必ず、その中には愛や優しさ、信頼があるのです」



 青い瞳にキラキラとした光を宿し、シェリーは自分を見つめる竜王を見据えた。



「それを教えてくれたのは……エマでしたわ」



 記憶の糸を手繰るようにシェリーは目を閉じ、小さく笑う。思い出すのは懐かしい彼女との思い出だ。



「当時のわたくしは元気がなく……毎日部屋に閉じこもってましたの。そんなある日、エマがわたくしを無理矢理外に連れ出したのですわ」





 それはとても暖かな春の夜だった。


 自室のベッドで静かに眠っていたシェリーを叩き起こし、エマはシェリーが寝間着なのも気にせず庭にある薔薇園へと連れ出したのだ。


 そこは母がとても愛した場所だった。母はそこで毎日歌を歌い、お茶を飲み、笑っていた。


 けれど母はもうどこにもいない。この薔薇園で母の姿を見ることは永遠にないのだ。


 シェリーか悲しくなり泣きたくなった。こんな所に来たら嫌でも理解してしまう。母ががシェリーを置いていってしまったことに。


 この世界にシェリーの一番の見方だった母がいない世界。その世界でシェリーはこれから生きていかなくてはいけないのだ。


 愕然とした表情になるシェリー。そんな悲しみと恐怖でガタガタと震える彼女の手を優しくそっと優しく握ったのはエマだった。


 エマはもともと優しげな顔をさらに優しく見えるように笑いシェリー告げた。



「大丈夫です。お母様が亡くなってもシェリー様には私がいます。だから安心して下さい」



 柔らかな声色で語るエマをシェリーは驚き呆然と見つめた。


 理解出来なかったのだ。何故ならエマもまた、今回の事件で母と兄を一度に亡くしているのだから。


 なのに……なぜ、そんなふうに笑える?



「当時のわたくしは理解できませんでしたが、今なら彼女が笑っていた理由を理解することができます」



 シェリーは胸に手を当て、まるで宝物を見せびらかすようなうっとりとした表情をする。



「エマはわたくしが泣いていたから笑っていたのですわ。本当は自分だって悲しいはずなのに。怖いはずなのに。わたくしの為に笑っていたのです」







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