13・園芸室[プラントルーム]
チャイムが鳴った。
にもかかわらず、俺たちはひたすら教室と逆方向に歩いている。
抜き足、差し足、忍び足。
「まあったくもう〜、ユイちゃんに、エネルギー補給させてあげなかったのー!?」
「朝、ほんのすこしは……でもバタバタしててさ」
「くうぅ……! 叱りたいんだけど、ボクも場を乱した自覚があるからあんまり言えないんだよねぇ……」
「では僕が。ユイさんはまだ食欲を自己管理できない幼児だと忘れないこと、2人とも反省」
「「了解!」」
お腹がすいていても遊びを優先したい時もあるし、状況に関わらず、食べたくなったら食べたいのだ、ユイは。
おそるべし。
幼児。
そう、幼児なんだよなぁ……
俺が気絶している間に、ユイの心は、凄まじく成長していた。
<ハジメ おなか すいた>
「はいはいっ! 今エネルギー補給できるとこに向かってるから、待ってて下さいねイったぁ!?」
<ううー>
ユイに、首をガブリとやられた。
「そんなにひもじいの!? 痛いんですけど!?」
横で噴き出す音。
「ふっは……!」
「笑うなヒフミ」
「ひもじいって……ひもじいってその語彙、変すぎる、最っ高。はー……ところで目的地の扉のロックは解除しておいた」
「さすが」
モモが唇を尖らせて、眉根を寄せている。
「ああ……隣で堂々と違反行為が行われているのに、それをスルーするなんて、ボクってば罪な生徒だよ本当に」
ため息。そして……
モモが助走をつけて、ダッシュ!
ドオオオン! と尋常ならざる異音がする。
扉をみごとに蹴り破った。
そっち反対方向行きの扉だよな??
なんで壊した?? えっ??
「さ、こっちに教師が集中している間に、先を急ごう」
「「モモ…………」」
「ユイちゃんのためだもの。目くらましだよ。なにがあろうと10日間はユイちゃんを最優先って覚悟キメたでしょ?」
モモがユイの喉を撫でると、ユイは気持ち良さそうに目をとろけさせた。
反応は、まだまだ犬だ。
ガブリ、と俺の首が噛まれるのは納得がいかないんだけど……いった!?
校舎の影に忍ぶように、細道を通って、目的地にやってきた。
園芸室。
丸い屋根はガラス製、太陽の日差しがさんさんと差し込んでいる。
背の高い植物が天井近くまで伸びていることを、ガラス屋根から覗く緑色で知る。
「中に人は?」
「いない」
ヒフミが入り口端末に干渉して、ここを通った者の経歴を調べてくれる。
園芸に携わっている生徒は、一限目の授業後に、みんな退出したそうだ。
俺は、新しい電子ペンシルを取り出して、入り口端末をチョチョイと操作する。
──扉が開いた。
「さすが問題児」
「手慣れたものね」
「って言われるけどさ、これ、いつの間にか身についてたスキルだからな?」
「「かわいそうに」」
俺を眺めるモモとヒフミの視線が、それはもう生あたたかい。
さっき気絶して、意識を取り戻した後から、ずっとこんな感じだ。
なんだよ……なんなんだよ〜……。
さっさと中に入ろう。
ムワッと湿度の高い空気が、俺たちをつつむ。
制服を湿らせる感覚がすこし苦手だ。
ガラス天井から拡散される日差しは虹色をともなって、室内にまんべんなく降りそそいでいる。
土のにおい。
緑の枝葉がのびのびと広がって、それぞれの区域で植物が生きている。
園芸室では、リアルな植物開発を行っている。
ここで生まれた未来植物は、土壌からわずかな水を吸い上げただけで、種が膨張してすばやく巨木になる。
樹皮には伸縮性があってよく伸び、ひび割れず、風にも耐えて、倒れにくい。
葉が空気をきれいにする働きは、従来よりも五割伸びたという。
いつか「外部の」自然環境にも耐えられるようにと、工夫が凝らされているんだ。
その辺りのことは、科学技術学科の園芸担当生徒がやっている。
頭の中に浮かんだ説明文が更新されていたので、ちょっと新鮮に思って意識をそらしたら、ユイが腕の中から飛び降りてしまった。
体の力をカクンと抜ききって、俺が動揺した瞬間に、バネ人形のように力強く動き出したんだ。
なにその技能!?
幼児の知能!!!
1メートルくらいの木にぺたんぺたん触り、幹に手形をつけて、きゃっきゃとはしゃいでいるユイ。
「コラーーーー!?」
「まあ騒ぐに決まっているよな。幼児だし」
「手を離したハジメくんがダメ。幼児なんだから」
「その通りでございます、ハイ!」
きびしい!
文句を受けいれて反省、そして大急ぎで、ユイの手首を両方捕らえた。
ジタバタ暴れるユイは、もうちょっとおとなしくなってください!
「ユイ、聞いて下さい。大事な話です。できる?」
イヤイヤ。まったくもう……
「ご・は・ん」
──ピタッと動きが止まった。
モモのサポートだ。
モモは、動物的本能にどう語りかけたらいいか? 本当によく知っている。
それでいいのか幼児教育、と思わなくもないけど。
今は、植物に勝手に触らないことの方が、大事。
「ユイの皮膚は特殊です。植物に触ったら、手が、かぶれてしまうことがある。かぶれるって症状わかりますか? 皮膚が炎症を起こし、爛れて、痒くイタくなることです」
<イタイ!?>
ユイが、ぴゃっと手を引っ込めた。
白衣の袖と袖を合わせて、まるで中国領域の古い挨拶のしぐさみたいになっている。
ちょっと面白いんだけど、ここで笑ってしまったら教育にならないから、真剣な表情を崩さない。
「イタくないように、しましょうね?」
<はい……>
しょんぼりとユイがうなだれた。
犬耳カチューシャまでうなだれて見えるほど。
かわいそうにって、心が抉られるんだけど……うわモモとヒフミも心臓のとこ押さえてる。謎の一体感だよ。
ユイに、なんて声をかけたらいい?
「ユイが笑顔になれるようなとっておきがありますよ……?」
<♪♪>
心がころころ変わってくれるのは、幼児ならではで、ありがたい。
期待に輝きはじめたユイの表情を、裏切ることのないようにって、俺たちは慎重に植物を吟味していく。
観葉植物エリアは除外。離れる。
ユイが触りやすいおかしな形の葉っぱが多いし、成分によっては手がかぶれるから。
花エリアも除外。離れる。
ユイが食べてしまったら困るし、蜂の小型ロボットが巡回して花粉を運んでいるから。
果物エリア、ここだ。近づく。
「この果物エリアの中から、ごはんを選んで。アメリカンチェリー、スモモ、ブルーベリー、イチゴ……」
指差していくと、ユイの目が釘付けになり、そわそわと足踏みまでしている。
手を繋いでいないと、走り出しそうだ。
品種改良された果物……デザインフルーツには、エネルギーがぎゅっと凝縮されている。
人型ロボットの潤滑液に溶けて、調子を整えて、満腹感という感覚も与えてくれるだろう。
<あれ>
「チェリーね」
手を引っ張られて、木の前に連れていかれるがまま。
3センチ×2センチの葉が茂る隙間に、ピンクとオレンジの中間のような色味の丸い果実が、2つ寄り添っている。
ユイは顔を近づけて、匂いを嗅ぐと、枝にくっついているチェリーをそのまま食べようとしたので、いったん止めて、俺がプチンと実をもいだ。
「どうぞ、ユイ。中に種があるから、それは吐くこと。できそうですか?」
ユイは頷いた。
チェリーの真ん中に種、種は歯に固くて、喉に詰まる大きさであること、味覚を苦く刺激する……などの知識が、ユイには備わっている。
知能・幼児の好奇心が悪さをしなければ、安全に食べられるはずだ。
3人が緊張しながら見守る中、ユイが、ちょんと手を合わせた。
<いただきます>
「「「えらい!!」」」
みんなで感動してしまった……!
ユイは丸い果実を一つつまむと、唇に触れさせて、きゅっと中に押し込んだ。
頬がモゴモゴと動いている。
おそらく……表面のハリが歯でもてあそばれて、傷ができ、ぷしゅっと果汁が溢れたんだろう。目を白黒させている。
口の端から、たらりとひとしずく淡く色づいた水分を、指で拭ってあげる。
(こんなはずじゃなかった)っていうように頬が膨れているユイの表情、面白い。
笑ってしまった。
こんなにあたりまえに失敗をする存在って、俺以外いないから、とても親しみを感じた。
ブルーベリー、イチゴをユイは食べていく。
こんなに暑いのに、ユイが白衣を脱ぐことはなくて、袖が、果汁で汚れてしまって、嫌なカラフルさだ。
その後抱きつかれると、フワンと甘い香りが漂った。
うーん、ロマンチックというより、あとで漂白洗濯しなきゃなって業務感覚だなこれ……
「俺の体温、熱くないですか? ユイ……」
<♪♪>
蒸し暑い温室で、40度の人体に、平気で抱きついてくるユイ。
暑くても、今、なつくことの方が、幼児にとっては大切らしい。
こんな風になついてくれると、可愛がるしかないなぁ、って思いました。
可愛いです。
脳がパチパチ音を立てて焼き切れそうなくらい。
語彙は死んだ。
「こんな風になついてくれると、可愛がるしかないなぁ」
それは奇しくも、【ロボット育成日記】に女性博士が書いていた感想と、まったく同じなのだった。
ユイが吠えた。
「わんっ!」<♡♡♡>
[レポート]
美少女型ロボット 唯 2/10
・知識 博士級
・知能 幼児
・装備 セーラー服・白衣・スニーカー・犬耳カチューシャ
・なつき度 MAX
※エネルギー残量:まんぷく