永遠の一瞬
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大天使ミカエルの剣の如き光の柱が、女王を地上へと叩き伏せる。
『ソーラ・リンクス』――宇宙空間での発電を名目に製造された人工衛星群が、集束させた太陽光を一点に放ったのだ。地上の昼を何千倍にも濃縮した、神罰の如き閃光。
これこそが、聖戦士たちの切り札。
無残に散った騎士と司祭たちは、この最終兵器が照準を定めるまでの時間稼ぎに過ぎなかったのだ。
超絶のエネルギーに大気は電焔と化し、石畳は熱湯のように沸騰する。
夜の女王もなす術なく光の柱に釘付けにされ、その不滅の体を守る暗黒の加護と魔力を、一枚、また一枚と剥がされていく。
最後に残った一人の騎士が、その鎧を恒星のように白熱させて輝いた。
もはや原型すら留めていないはずの肉体を、物理の限界を超えた信仰と精神力が突き動かす。
彼は手に握られた最後の武器を、高々と振りかざした。
神の子を十字架に縫い止めたという伝説の釘を、鍛え直した短剣。
騎士はその刃を、女王の心臓へと振り下ろし――。
――今だ。
と、彼は思った。
ナンナの百世紀の生涯に、幕を下ろすときが来た。
この瞬間、『逝け』と命じれば、彼女の魂はついに死の扉をくぐり抜け、生の世界に別れを告げるだろう。
だが、彼は躊躇した。
それでは、分からなくなる。
なぜ、彼女がこの地を、このときを、自分の終着点に選んだのかが……。
彼が生者の顔を、二度と見つめ直すことは少ない。
ナンナは、彼の唯一の「顔なじみ」と呼べる存在だった。
だから、知りたかった。分かりたかった。
彼の存在が始まって以来、初めて感じる感情が、思ってもいない言葉を口にさせた。
【――留まれ】
そして、すべてがその言葉に従った。
まず、時間がその歩みを止めた。
焔も、闘いも、戦士も、光すらも、空間ごと凍りついた。
彼は翼を広げて、戦場の真っ只中、光の柱の根元に舞い降りた。
【――鎮まれ】
時間が巻き戻り、光柱が天へと退いていく。
圧倒的な破壊が降り注いだその跡には、真っ黒に焦げた人型の炭が横たわっていた。
彼が指先で触れると、炭の顔に当たる部分がひび割れた。
真っ赤な瞳が現れ、戸惑ったように彼を見上げた。
「ああっ!」と彼女は感嘆した。「あなたなのですね」
【ああ……】と彼は頷いた。【そうだ。私だ】
彼もまた、彼女と同じく、数多くの名前を持っていた。
ヤーマ、ハーデス、ネルガル――。
この地で、最もよく知られた名は、『死神』であった。
【何故だ?】彼は優しく問いかける。【何故、諦めた。お前ならば、この囲いを逃げることも、破ることも容易かっただろう】
「……なぜ……?」
ナンナの言葉は幼く、その目は夢を見ているようであった。
「……やさしかったから、あたたかったから、なつかしかったから……」
彼女は、真っ黒に焼けた指で、その懐に抱え続けたものを取り出した。
「……ともだちだった、だから……」
彼は目を見開いた。
この宇宙に命の花が咲いてから、初めて「驚き」という感情を知った。
小さな生き物が、濡れた大きな目で彼を見上げ、甘えた声で鳴いた。
――彼は悟った。
神と呼ばれても、悪魔と恐れられても、彼女の本質は何一つ変わっていなかった。
家族を失い、友を探して原始の闇の中へと飛び出した、あの日の迷子のままだったのだ。
そして一万年を経て、彼女はついに、愛するものと、帰るべき場所を見つけ出した。
「……どうか、どうか、どうか……」
彼女は崩壊し続ける手で、小さな命を彼に差し出した。
「……たすけて……」
彼は、慈悲とも憎悪とも無縁だった。
生と死を司る、宇宙の歯車の手入れをするためだけに在る、この世で最も公平な存在――のはずだった。
今夜、この時までは――。
気がつけば、無意識のうちに彼は、彼女の遺産を受け取っていた。
ナンナは、満足そうに目を閉じた。
――時間が再び、動き出した。
光の柱が大地を貫き、聖なる刃が彼女の心臓を穿つ。
長きにわたって蓄えられた闇の魔力が暴走し、攻性の結界を内側から完全に爆砕した。
はらわたを揺るがす轟音のあとに、深い静寂が訪れる。
彼はそっと手を挙げ、宣言した。
【逝け】
彼女を含め、その夜に亡くなったすべての者が命の軛から解き放たれ、逝くべき場所へと旅立っていった。
生き残った僅かな人間たちは抱き合い、涙を流しながら勝利を祝っている。
彼らが、この戦いの本当の勝因を知ることは決してないだろう。
彼もまた、人間たちの喜びに水を差すつもりはなかった。
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日本。朝。長崎市。
古い民家の玄関先に、彼は音もなく降り立った。
彼はこの街を、街路樹の一本に至るまで知り尽くしている。
かつて、豊臣秀吉の命により二十六人のカトリック教徒が処刑されたとき、彼はその場にいた。
この地に原子爆弾が落とされたときの、無数の断末魔は、今も彼の耳にこだましている。
若妻に別れを告げて戦地に向かい、二度と戻らなかった兵士の姿も覚えている。
そして今日、あの激動の時代を生き残った妻の、ひ孫にあたる少女もまた、無残な別れを経験していた。
生まれたその日からずっと連れ添ってきた相棒が、ついに息を引き取ったのだ。
ナンナが逝ったあとも、世界は何一つ変わらず、ただ動き続けている。
もうすぐ、南米でギャングたちの銃撃戦が始まる。大西洋では豪華客船が沈む予定だ。それが終われば、銀河の果てで惑星を喰らう巨大生物の最期を看取らねばならない。
そして――あと十秒もすれば、愛犬を失った少女が泣きながら家を飛び出し、なぜか玄関に置かれている子犬を見つけるだろう。
だが、それまでは。
永遠を切り取ったような、この穏やかで優しい一瞬だけは。
彼はこれから訪れるすべての予定を忘れ、腕の中にある、柔らかく温かい子犬の感触を静かに楽しんだ。




