第1話「断罪前夜、すべては仕込み済み」
――やっと、ここまで来た。
胸の奥で、小さく笑う。
(間違いない。この世界は“あのゲーム”だ)
名前も、設定も、イベントも。
全部知っている。
だって私は、これを何度もプレイした。
乙女ゲーム『フローレンスの誓い』。
そして私は――ヒロイン、エリナ・フォルティス。
(……来る)
明日。
すべてが動く。
悪役令嬢、レティシア・アルヴェインの断罪イベント。
王太子が彼女との婚約を破棄し、私を選ぶ。
この世界で一番大事な分岐点。
(大丈夫。ここまでは、完璧)
私は鏡の中の自分に微笑んだ。
可憐で、守ってあげたくなるような少女。
――そう、“そういう顔”を作るのも慣れている。
この世界は単純だ。
優しくしていれば好感度は上がる。
困っていれば誰かが助けてくれる。
そして、悪役令嬢は必ず破滅する。
(レティシアは、明日で終わり)
思い出すのは、あの女の冷たい視線。
完璧で、隙がなくて、誰も逆らえない。
だからこそ――嫌われる。
だからこそ――断罪される。
すべては“決まっている”。
――そのはずだった。
「……ねえ、エリナ様」
侍女の声に、私は振り返る。
「明日のパーティーですが……本当によろしいのですか?」
「え?」
「その……最近、少し妙でして」
「妙?」
首を傾げる。
そんなイベント、あったっけ?
「何が?」
「レティシア様です」
その名前に、一瞬だけ胸がざわつく。
「最近……あまりにも、静かすぎるのです」
「静か?」
「はい。以前はもっと……こう、目立つ方でしたのに」
思わず、笑ってしまう。
「それはそうでしょ」
だって明日、終わるんだから。
嵐の前の静けさ、ってやつだ。
「むしろ都合がいいよ。変に動かれる方が困るし」
そう言って、軽く手を振る。
――問題ない。
全部、知っている展開だ。
証拠も揃えた。
証人も用意した。
王太子の好感度だって、もう十分。
(完璧)
そう、完璧なはず。
なのに。
「……エリナ様」
侍女が、小さく呟いた。
「まるで、“何かを待っているみたい”で……」
その言葉に。
ほんの一瞬だけ、嫌な予感がした。
でも。
すぐに打ち消す。
(ありえない)
だって私は、“全部知っている”。
知らないことなんて、あるはずがない。
「気にしすぎだよ」
笑って、言い切る。
「明日になればわかる」
そう。
明日になれば、すべて終わる。
レティシアは断罪されて。
私は選ばれて。
物語は、正しい形に戻る。
(……そのはず)
夜。
窓の外には、静かな月。
私はベッドに横たわりながら、明日の流れを何度もなぞる。
王太子の言葉。
貴族たちのざわめき。
レティシアの崩れる表情。
――全部、知ってる。
完璧に、再現できる。
だから。
(絶対に、間違えない)
そう思って、目を閉じた。
――その頃。
同じ夜。
別の部屋で。
「……予定より、少し早いですが」
静かな声が響く。
「問題ありませんわ」
レティシア・アルヴェインは、微笑んだ。
その目は、月明かりよりも冷たく、澄んでいる。
「すべて、想定内ですもの」
テーブルの上には、いくつもの書類。
名前、証言、記録。
そして――
「“よくここまで動いてくださいましたわね、ヒロイン様”」
誰に聞かせるでもなく、呟く。
その声音に、感情はない。
ただ、確信だけがあった。
「殿下」
控えていた男が、静かに頭を下げる。
「すべて配置は完了しております」
「ご苦労様」
レティシアは、ゆっくりと立ち上がる。
ドレスの裾が、わずかに揺れる。
「では――明日」
その瞳に、わずかな愉悦が宿る。
「“物語”を終わらせましょうか」
月は、ただ静かに見下ろしていた。
誰が、舞台の上で踊らされているのか。
まだ誰も、知らないまま。
「――明日、“物語”が壊れるのは、どちらでしょうね」




