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公爵家の財務長官  作者: 多上 厚志
第三章
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 10人程度の大人が並んでも楽々と渡れるような立派な橋が、川に掛かっていた。

 橋の手前にある鳥居の前で、ゲオルグとアバーテ伯爵は立ち止まると、深く一礼をして鳥居をくぐった。


 二人とも、日本人とはかけ離れた容姿をしているが、礼拝をする姿が堂に入っているため違和感がない。

 春樹達も並んで、鳥居の前に立って礼をして鳥居をくぐった。


 鳥居をくぐると、意識だけではなく空気が明らかに変わった。

 さきほどまでは、頬を切る空気が、髪をなぶる風が、地面からにじみ出る冷気が、すべてが凍えるような冷たさだった。

 それなのに、鳥居をくぐると、周囲の空気が、温かなどこか体を包み込むような柔らかいものに変容したのだ。

 初めての体験に、春樹は戸惑いとともに感動を覚えた。


(これが神域というものなのだろうか)


 橋を渡る際に、中央を歩くものは一人もいない。日本人と同じように、そこが神様が歩く場所だと考えているからなのか、その理由は分からない。

 ただ、いまここで、ゲオルグ達にそのことを話題に振るのは躊躇われた。


 それだけ神威が満ちた空間だった。


 橋を渡り終え、もう一つの鳥居をくぐると、神殿の入り口が間近に迫った。


 シャン。


 澄んだ鈴の音が、聞こえた。

 右手からの足音に向き直って、春樹は息を呑んだ。


 それは巫女による行幸だった。

 中央にいるのは、イエナだった。

 身につけているのは、白衣と目にまぶしい緋袴。額には、陽の光を凝縮したような金色の前天冠(まえてんがん)をつけ、挿頭(かざし)には桜の花、冠の左右には日陰の蔓が長く垂れている。


 シャン。


 背筋が伸びるような鈴の音。

 イエナに続くのは、五人の巫女だ。二人がお月見の団子を並べる三宝を胸の前に掲げて、ゆっくりと進む。その後ろには、葡萄のように鈴が並んだ神楽鈴を、三人が左手で鳴らしながら歩いて行く。

 巫女達の視線は、前に向けられている。


 草履が石を踏みしめる音までも、どこか神秘的に感じられる。その眼差しには曇りがなく、この世界のすべてのものを居抜きそうな、純真さと鋭さがあった。

 朝曇りの空気の中を、しずしずと巫女達は歩く。


 シャン。


 幻想的な気配をまとって、巫女が目の前を横切っていく。


 瞬間、イエナと目が合った。

 イエナはかすかに嬉しそうに目を細めたが、すぐに表情を消した。そのまま背筋を伸ばして、春樹達の前を通り過ぎていった。


 しばらくは誰も口を開かなかった。

 きつねの嫁入りを見たらこんな気分になるのかも知れない。おとぎ話に出てくる場面を、バーチャルに体験したような、そんな感覚だった。

 まるで夢を見ていたかのような光景。


 耳に残る鈴の音が、まだ頭の中でこだまをしている。

 そして体の中には、清涼な空気が吹いていた。


「入らしてもらおう」


 敷地の手前で、立ち尽くしていた五人を見回して、ゲオルグは境内へと足を踏み入れる。

 いつものように力強いゲオルグの足取りに春樹達は続いた。


 白い丸石を足の裏に感じながら、左手の社務所に向かう。 


 そういえば、と、春樹は周囲を見回した。何か足りない、と思っていたのだが、手水舎がないことに今更気がついた。

 手水舎というのは、鳥居をくぐったところにある建物だ。作りとしては、壁はなく雨を防ぐ屋根だけがあるものが多い。その屋根の下には、水盤があり、その上には柄杓が並んでいる。

 日本の神社であれば、かなり小さいところでもあるはずのものだ。

 日本と対比することが正しいのか分からないが、あるべきものがないとどうもしっくりこない。そもそもこの光の聖霊(ソーラ)の教会が、神社そっくりということ自体が、違和感の源で、あとでここの建築様式については、ゲオルグに聞いてみたいところだ。


 社務所の作りは、一般的な日本の神社と似ていた。

 その左側は、お札を授与する窓口となっており、その右側には建物への入り口があった。そこに入ると、イエナが待っていた。


「おはよう」


 春樹がいつもの調子で話しかけると、イエナは静かに頭を下げた。


「おはようございます」


 今朝は、しとやかイエナだ。


「おはようございますイエナ様」


 アバーテ伯爵の言葉に、イエナが頭を下げる。


「皆様、おはようございます。どうぞ、こちらへ」


 イエナが先に立って、先導を始めた。イエナが履いている木靴は、底の厚さが五センチはありそうな高下駄だ。

 その木靴を鳴らしながら、慣れた様子でイエナは歩く。

 神社は、複数の神殿によって構成されていた。

 社務所の裏手から出ると、どっしりとしたたたずまいの神殿が二つ見える。奥にあるのが、恐らくはご神体のある本殿で、その隣にあるのが拝殿だろう。どちらの建物も木造で太く立派な柱が並んでいる。日本の神社では、見たことのないような太さだ。

 イエナが向かっているのは、そのどちらでもなく、拝殿の横にある建物だった。

 拝殿よりも、大きく、本殿よりは小さい。本殿や拝殿が、シンプルで装飾がない作りなのに対して、入り口の上にレリーフが施されてどこか雅な雰囲気のある建物だ。


「こちらは神楽殿です」


 神楽殿は、お神楽を舞い神様に奉納する御殿だ。神楽殿があるような神社は、伊勢神宮や出雲大社ぐらいしか春樹は知らなかった。

 

 その神楽殿へ入り口のところで、イエナは木靴を脱いだ。そして、春樹達にも靴を脱ぐように促した。


「靴を脱ぐのですか」


 ニコが驚いて聞き返している。

 寝るとき以外に靴を脱ぐ習慣がないこの国では、驚くのは無理がない。ゲオルグや伯爵はすでに知っているようで、自然と靴を脱いで下駄箱に入れている。春樹達もそれに習った。


(ますます日本だな)


 通されたのは神楽舞台の脇にある部屋だった。襖を開いて入った先は、装飾の全くのない板張りの殺風景な部屋だ。

 座布団を、イエナが人数分敷いた。


「こちらでお待ち下さい」


 イエナが座布団を示す。

 春樹はあぐらをかいて座ろうとして、やっぱり、と考え直して、正座をすることとした。神社内で、あぐらをかくことに若干の抵抗があったのだ。


 正座をしたハルキに、イエナがびっくりした顔を向けていた。


『ハルキ……』


 呆然としたイエナの言葉に、春樹は内心慌てた。何か重大な不作法をしてしまった、と思ったのだ。



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