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公爵家の財務長官  作者: 多上 厚志
第二章
38/103

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 ゲオルグが得意そうに損益計算書を掲げているのを、赤面する思いで見ていた。

 というのも、春樹が作った損益計算書があまりにも簡単なものだったからだ。一年間出納帳の数字を仕訳に変換して、集計するのは大変だったものの、貸方にあるのは、「売上」だけで、借方は「仕入」と「給与」「利益」しかない。そんなシンプルな書面を、ハルキが作ったものと振り回されると、春樹としては恥ずかしくて絶叫しながら走り出したくなる。


『私は、この書面の意味を本当に理解するのに、5時間程度必要だった。だか理解できれば、この書面は革命的な意味がある。そして、順序だって勉強すれば、誰でもその有用性は分かる。私はこの書面の作成方法をすべての街の経理をしている担当官に教えるべきだと思う。どのような理由で、お金が増加して、どのような原因で、お金が減少したのか、それが分かるのだから、まさに魔法の書面だ』


 興奮した様子で、ゲオルグは熱の籠もった言葉を連ねていく。ニコは怪訝そうにしていて、デニスは一歩引いた面持ちで聞いている。

 カルロは冷めた目で、ゲオルグを見ている。イエナはというと、いつものように好奇心に満ちた口元のまま、体を揺らしている。


『それで、結局その書面で何がわかるのですか』


 そのように問いかけたのは、カルロだった。ゲオルグはその言葉を待っていたように、損益計算書を机の上に置くと、さらに書類の束から同じようにもう一枚の損益計算書を取り出して並べた。


 前年

 仕入(エプタム)  60,232   売上(ベンタム)  113,252

 給料(セディス)  31,250

 利益(ルクラム)  21,770



当年

 仕入  60,526   売上  108,956

 給料  31,615

 利益  16,815


 簡単な共用語が並んだ損益計算書。そこにホールに集まった人達の視線が飛んだ。

 単位はすべて、キルクだ。

 「売上」「仕入」「給料」「利益」、四つの勘定科目だけでデニスの食堂の商売を表現している。

 よく使う名詞だから、文字が分からないレヴァン達にも読むことは出来るだろう。だが、この帳簿の意味するところが理解できるかは、また別だ。しかし、売上というものがお金の動きから切り離されたものだ、ということさえ理解できれば、非常にシンプルな損益計算書だから、説明することはすぐにできる。

 ただ、春樹の共用語の能力がこの場合には、障害となる。


 その春樹の懸念をくみ取って、ゲオルグが損益計算書の読み方を教え始めた。

 仕入の概念、給料とはなにか、そして利益とは。

 丁寧ではあるが、やや不満がある。ゲオルグの説明が勘定科目の内容に終始しているからだ。本来、会計は仕訳から学ばないといけない。仕訳を知らない会計知識は、ちまたでありがたがられている財務諸表分析と同じで、上っ面の知識でしかない。

 しかしながら、ここでそのことをあげつらう気は春樹にもない。この場では、なんとなく損益計算書が指していることを分かってもらえればいいのだ。


『つまり、仕入というのが、材料の買い付けということですね。そして給料がレヴァンさんたちのように、手当を受け取っている人達の給金ですね』


 ニコが確認するように、数字を指さしていく。その言葉にゲオルグが頷く。だが、この短い間では、利益の考え方まではニコ達は分からなかったようだった。それは仕方のないこととして、先に進めなければいけない。

 ただし、イエナはゲオルグから事前に説明を受けていたようで、ゲオルグの話に逐一頭を振っていた。イエナは知っていたのに、デニスは説明を初めて聞いたようだった。


『ここに集計した金額は、昨年も今年も、1月から6月までの半年間の集計だ。その上で聞いてくれ。……注目すべきは、仕入だ』


 ゲオルグは、仕入の数字に人差し指を当てる。この国ではかなり特殊な状況だが、いまこの場所にいる者は、数字を読んで大小を理解するだけなら、全員ができる。


『仕入の金額は、昨年と今年、ほとんど変わらないのが、わかるだろう。つまり昨年と今年では、調達した材料がほぼ同じだということだ』

『昨年と今年は天候も安定しておりましたし、山も湖にも特に天候が荒れたということや、不作などということはございませんでしたから、同じ程度でしょうな。来ていただく客も同じ面々ですから、そう代わり映えはいたしません』


 デニスの補足に、ゲオルグは満足そうに頷く。


『で、あろうな。さて……では、聴こう』


 ゲオルグが指をずらした。


『なぜ、売上が減っているのだ』


 ここがひとつの勝負だ。損益計算書の意味がある程度理解できていないと、そもそも何を指摘されているのかすら分からないからだ。

 ニコは最初、不審そうに目を細めたが、やがて言葉が一回転して腑に落ちたようで、おお、と声を上げた。カルロはおもしろくなさそうに鼻を鳴らした。

 デニスは感心したように、頷いていた。レヴァンはどこか不安げな表情だ。

 やっぱりイエナは楽しそうにみんなを見回している。

 ゲオルグが指摘しているのは、こういうことだ。


 同じように仕入れをして、同じように客を迎えたのに、どうして売上げが減っているのか、と。


『ゲオルグ様は、これがお金を盗んでいた証拠になるとお考えなのですか』


 カルロの声音は、どこまでも冷静だった。

 慌てることのないカルロの態度を見て、まずいなぁ、と春樹は思った。カルロの隣にいるレヴァンを見ると、青い顔をしている。

 春樹が揺さぶりたいのは、カルロなのだがどうも別の人間が動揺しているようだ。

 ただ、カルロの言葉は、悪い方向に話が行きだしたことを示唆しているが、これは想定の範囲内だ。

 ゲオルグは春樹と目を合わせてから話し出した。


『もちろんだ。』


 カルロは納得したように、何度か首を縦に振ってから、なるほどなるほど、と呟いてから顔を上げた。


『確かに仕入れた材料は同じ程度だったかも知れませんが、今年は、材料の廃棄が多かったように思いますね』

『っ、そのようなこと、報告してこなかったではないか』


 カルロの言葉に、デニスが怒りを滲ませて反論した。


『申し訳ございません。何度か仕入れが過剰なときがありまして、担当は俺です。なかなかそのこと言い出すことができなくて……』

『材料の仕入れをしているのは、カルロなのか』

『はい』


 ゲオルグの横やりに、しぶしぶデニスが答えた。


『カルロが、一人でしているのか』

『はい。カルロがすべて取り仕切っています』


 確かに、カルロならそつなくやりそうだ。


 それにしても、カルロの弁解はうまい。

 廃棄が多いかどうかは、もう調べようがない。しかも、担当しているのが、カルロ一人では、他のものに聞いても何も出てこない。

 言い訳としては、昨年と同じように対応しているので、なぜ差額が発生するのか分かりません、というのもひとつの方法である。ただ、材料の廃棄が多かった、というほうが洗練されている。次につながらない、弁解なのだ。もし、昨年と同じなどという弁解であれば、では仕入は同じなのに、なぜ売上げが落ちているのか、というように話が振り出しにもどるだけのことだ。

 材料の廃棄が増えたという弁解は、そこで売上ダウンの原因が判明して、それ以上の追及ができない。


『その書類なんですが』


 気まずい沈黙を破って、ニコが損益計算書を眺めながら呟いた。


『1月から6月集計が前提となっているのは、なぜなんですかね。今は、もう8月も終わりなので、7月まで集計してもいいんじゃないかと思いますが』


 それは、もちろん意図したものだ。

 ゲオルグに代わるようにして、春樹は一歩前に出た。


「では、この書類を作成した私が説明しましょう」



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