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公爵家の財務長官  作者: 多上 厚志
第六章
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 アバーテ伯爵と話をして数日。

 ダニエルゼは兄のベルマンに呼び出された。


 まだ職務の最中だったため、仕事が終わってから行くつもりだったのだが、呼び出しの相手がベルマンであることが分かると、室長に追い出された。


 次期公爵かも知れない人物の呼び出しを、職務を理由にして後回しにされては、たまらないというところだろう。


 ダニエルゼとしても、この呼び出しは渡りに船だ。


 爵位継承順位が2位の人間の人となりを知っておくのは良いことだ。もしルークが戻らなければ1位ということにもなるのだから。


 ソーラス城に住み始めてわかったことは、公務のほとんどはベルマンがこなしているということだ。実質的な判断は、クリスト公爵がしているにしても、あまり前面には出てきていないのだ。

 ルークは未だにどこにいるのかわからない。このままだと、ベルマンが公爵になるというのが既定路線になる。


 ダニエルゼはベルマンのことはほとんど知らない。というよりも、意識して避けてきた。長兄のルークと違って、ベルマンは自分の地位に酔っていた。ただ偶然、公爵家に生まれたということにどうしてここまで自慢げに振る舞えるのか、ダニエルゼには不思議なくらいだった。

 だから、前に公都に住んでいたときは、なるべく無視して、会わないようにしていた。

 それは相手もそうだったようだ。

 そうなると、顔を合わせる機会など、まるでなかった。公都もソーラス城も広い。


 そのベルマンが、何の用なのか。


 雑談をして、それじゃっ、という訳ではないだろう。


 たとえば、朝に何を食べたか、とかそんな話をしておしまいにしてほしい。


(んなわけないか)


 一瞬、朝の料理を思い出しそうになって、ダニエルゼは頭を振った。

 ベルマンの部屋の前でダニエルゼは立ち止まる。


 黒光りをして、光沢を放つ高級感のある木の扉。細部にまで意匠を凝らした扉だ。

 ノッカーを叩く。


 すぐに内側から、外に向かって開かれた。

 女の従者がダニエルゼに向かって頭を下げた。


 ダニエルゼは椅子に座って中を見回す。

 剣や盾、鎧。そういった武具が飾られており、空いたスペースには花束を描いた絵画が飾られていた。本の類いは一切ない。らしいといえば、らしい。

 従者が隣の部屋に入ると、入れ違いでベルマンが現れた。


「来たな」


 来たな、もないもんだ。

 呼んだのは、そっちだろ。


「お前、最近帳簿をつけているらしいな」


 お前、という呼びかけにカチンときたが、こらえる。


「はい」


 自然と声が尖ってしまう。


「ノイマールの帳簿をつけているということだが、どうだ」


 ベルマンは、ダニエルゼから離れた大きな机に座る。

 そして、ダニエルゼとは目を合わせないまま、一振りの剣を手にした。そして鯉口を小さく鳴らした。


「どうだ、とは」


 ダニエルゼはベルマンの手元に視線を向ける。


「あそこは、いまソル家の直轄領だ。不健全な財務では困るということだ」

「そういう意味であれば、悪いですね」

「具体的には、どこが悪い」

「具体的に答えられるほど、まだ分かっていません」

「話していることに矛盾があるぞ」

「数字だけは、報告されてきています、それが本当の数字かどうかも分かりません。つまり帳簿をつける体制が悪い、ということです」


 ベルマンは、小さくため息をついた。 


「部下の仕事を信じなくて、どうする。ノイマールに毎日見に行く訳にもいくまい。疑い出せばキリがないぞ」

「それは存じておりますが、会計は信憑性が第一です。たった一人の人間が、作っている帳簿を鵜呑みしていては、真実は見えません」


 ハルキがノイマールの帳簿を見たときに話したことを、ダニエルゼはなぞった。

 筆跡からすると、ノイマールの帳簿をつけているのは一人のようなのだ。恐らくは、領都フィノイにいて、他地域から数字を吸い上げて、帳簿をつけて公都に報告をしているのだろう、というのがハルキの推測だった。


「チェック機構が必要です。作成する帳簿を複数人がチェックをして、サインを残す。その数字に間違いが見つかった場合は、サインをした全員が責任を負う形にするべきです」

「全員が口裏を合わせれば、同じだろう」

「そのときは、そのときです」


 ベルマンは、剣をためつすがめつ眺める。


「なるほど、お前の考えは分かった。それで、その考えは誰の入れ知恵だ。あのハルキという黒髪の男か」

「ハルキをご存知で」

「ニホン語が達者だという程度しか知らんがな」


 ここら辺りまでが、時候の挨拶というところだろうか。

 ダニエルゼは頭を切り換えた。


「それで、本日の御用向きはなんでしょうか」

「ああ」


 ベルマンは、そうだったな、と良いながら、ダニエルゼに向き直った。

 この部屋に入ってから、ダニエルゼと初めて目があった。


「ダニエルゼ。お前に、ノイマール領の視察を命ずる」

「視察……ですか」


 ダニエルゼは、ベルマンの真意を読み取ろうと目を細めた。


「これは父である公爵からの指示だ。お前が熱心に帳簿をつけているらしいから、現地に行って勉強してこいとのことだ」

「父上からですか」


(ほんまやろか)


 とは思ったが、いま公爵家を回しているのはベルマンだ。ダニエルゼには拒否するという選択肢はない。

 せいぜい従順であるところを見せることにした。


「分かりました。出立は早いほうが良いですね。必要なものはご用意いただけますか」

「何が必要か」

「ノイマールまでの馬車を」


 ベルマンが呆れた。


「当然だろう。そこまで用意しろ、とは言わん」

「護衛もつけていただきたい」

「当然だ。先日のアグネリアのようなことがあっては、ソル家の威厳にかかわる」


 ベルマンは立ち上がると、剣をぶらぶらさせながらダニエルゼに近づいてきた。

 そしてダニエルゼの顔を覗きこんだ。


「父上の顔をつぶさないように、せいぜいがんばるんだな」


 ベルマンはそう言うと、思い出したように言葉を継いだ。


「そういえば、あのハルキという男。姓はなんというのだ」


 まるで今思いついたかのような物言いだ。

 だがダニエルゼは、さきほどの話よりも、こちらがベルマンが呼び出した理由だと直感した。

 ノイマール行きなど、書面で言い渡せば済むことだ。

 わざわざ部屋まで呼んで、伝える必要はない。お互いが、顔を見たくないもの同士なのだ。

 だとしたら、この問いにどういった意図があるのか。


 姓、名字、氏。これらは出自を表している。とういうことは、ハルキの姓を確認して、どこの地域の生まれかを調べようというのだろうか。

 そもそもニホン語を使っているのは、ロドメリア大公国だけだ。ロドメリアの地域内であれば姓を聞けば推論が働くのかも知れない。ただ、ハルキという名前は、この周辺の地域が出身ではないことは、ダニエルゼにも分かる。


(狙いがわからん)


 ダニエルゼは、胸の中で自問する。

 だが、これについては、ダニエルゼはひとつしか答えを持っていない。

 なにしろダニエルゼは、ハルキと出会って1年以上経つが、ハルキが姓を名乗るところを一度も聞いたことがない……はずだ。

 つまり、ハルキは姓を持っていない。


 でっちあげた姓を伝えてもいいが、すぐにばれるだろう。


「ハルキに姓はないです」

「……そうか」


 ベルマンは、探りを入れるような視線をダニエルゼに向けたが、それ以上追及はしてこなかった。


 ダニエルゼは、部屋を出てから耳の裏を掻いた。


(……そういえば、光の聖霊(ソーラ)の神域で言っていた……ような)


 だが、踵を返して部屋に戻る気にもならず、ダニエルゼはそのまま部屋を辞した。



 ☆



 どんよりとした疲労が体の芯にあるのが、自分でもわかった。

 馬車に乗っているだけとはいえ、長時間の移動はやはり疲れる。


 ダニエルゼは、窓から顔を出して空気を吸い込んだ。

 風を感じた。吹いている風ではなく、馬車の移動で起きる風だが、それはこの際どちらでも良かった。


 山々の連なりが左手に見える。馬車が走っているのは、下生えのある平野で、緑よりも土壌が見えている部分がやや多いくらいだ。


 公都から、ノイマールの領都フィノイまでは、馬車で十日程度だ。真冬や真夏であれば、もう少し日数が掛かるがぎりぎり今の季節であれば、十日でいけるらしい。


 ノイマールは、ソル領内では南東に位置する地域だ。


 体感として、やや気温が高いような気がした。また、空気が少し乾燥している。ただ木々の植生はあまり違いを感じない。ちらほらと見たことのない植物もある、という程度だ。

 南方の国々に行けば、葉の生い茂る、歩くのも困難な密林があるらしいのだが、少し馬車で南下したところで変わるはずもない。


 そもそもビエントの街も公都からかなり南下した場所にあるのだ。山間にあるビエントと、平地にあるフィノイを簡単に比較することはできないとはいえ、それほど暑いこともない。


 すでに公都ソールを出て、八日が過ぎた。

 護衛として、四十人が付いてくれている。少々、大仰な気がしたが、これでも公爵家の人間としては最低限のようだ。


 ノイマールに向かうのは、ダニエルゼとハルキの二人だ。


 帳簿をつけているものに会うのが、今回の視察の目的だ。会計に絡んだ話となると、ハルキの知識が必要になってくる。ニコとシータは、騎士学校に通っているため付いてこなかった。シータはかなり渋っていたが、ハルキがどうにか説得していた。


 ハルキが付いてきてくれたのは、ダニエルゼとしてはありがたい。

 周りの人間が見たことのない者ばかりになってしまうのが不安なのだ。以前、馬車の移動のときに襲われたこともあるし、アグネリアのこともある。


 ただ今のところは、襲撃を受けることもなく、旅は順調だった。

 そろそろ一つ目の目的地が見えるはずだ。


「あれがヘルネの街か」


 ハルキが声を上げた。

 街道のさきに、明るい淡黄色のレンガの街並みが見えてきた。


 今回は、視察が目的のため、街を順番に回る予定になっている。まずは公都に一番近いヘルネの街に寄り、次に領都フィノイ、それからランゲラの街だ。それぞれの帳簿を確認しながら、直轄領の様子を見て回る。帳簿だけではなく、街の状況をしっかり見て、報告書を提出することになっている。また、ハルキは市場の調査をする、と張り切っている。商売を始める前に、それぞれの街で売られている商品の相場をメモするらしい


 馬車はヘルネの街並みへと入っていく。


 道を叩く車輪の音が、高くなる。

 ヘルネの街は、交通の要所にあたる。公都から、フィノイに向かう場合も必ず通るし、南のイグニス公爵領に向かうにも便利な位置にある。

 そのため人通りは、多い。単純に公都と比べても、人の数は多いように見えた。


「発展してるな」


 ハルキが感嘆の声を上げた。


「けど、財政状態は酷いもんだ」

「お金は貯めるのは難しいけど、使うのは簡単ですからね」


 よそ行きの言葉使いで、ダニエルゼが答えたところで、馬車が大きな屋敷の馬車止めに着いた。


 街の長官がいる屋敷だ。


 ダニエルゼ、ハルキの順で馬車から降りると、タイミングよく屋敷の扉が細く開けられた。そして杖をついた老婆が現れた。

 歩き方は、やや頼りないが、目にはしっかりと理知の輝きがあった。そして、いくつもの時代を見届けたものだけに許された深い笑みが、顔には浮かんでいた。


「ようこそ、ヘルネの街へ。ダニエルゼ殿下」


 老婆は杖を横に置くと、綺麗な合掌をして頭を下げた。


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[一言] 続き読みたいなぁ
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