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公爵家の財務長官  作者: 多上 厚志
第六章
102/103

102



 ありえない。


 伯爵の申し出を聞いたダニエルゼの正直な思いだ。


 嫌な予感というものは不思議と当たる。当たってほしくないときほど、当たるのだ。

 このときのダニエルゼは、あまりにも悪い予感通りの言葉に、二の句を告げなかった。


「ダニエルゼ殿下にとって、ハルキ殿は大事な家臣でごさいますこと、重々承知しております。ただ、いまのところ、殿下は大きなお金を扱う立場にはございませぬ。ハルキ殿の真価は巨額の数字を計算するところにございます。伯爵領の帳簿をぜひハルキ殿に見ていただきたい」


 伯爵は、ダニエルゼを見つめた。

 伯爵の瞳によこしまな影はなかった。本当に、ハルキのことを評価して、家臣として迎えようとしているように見えた。


 ただ真剣かどうかなど、ダニエルゼの知ったことではない。


(阿呆め。駄目にきまってる)


 さっきからのダニエルゼとハルキのやり取りを見て、このような提案をする伯爵に心底ダニエルゼは腹を立てた。


 ハルキをダニエルゼから引き離そうとするものは許さない。


 ハルキだけではない。シータも、そしてニコもだ。この三人を、ダニエルゼから引き離そうとするものは、敵だ。


 無条件で敵だ。

 敵認定だっ。


 叫びたくなるのを、ぐっとこらえながら、鋼鉄の意志で笑顔を浮かべて見せた。


「伯爵、その申し出を承ることはできません」


 もう、これ以上ないくらいきっぱり、はっきり断る。


「できません」


 二回だ。

 二回言ってやった。


(できないに決まってるっ)


 心の中で、三回目を続けた。


 ただ心情が外に出ないように、必死になって顔面の筋肉をコントロールした。伯爵を敵に回すのは得策ではないことは、ダニエルゼにも分かっている。

 だからと言って、ハイどうぞ、とハルキを差し出すような真似ができるはずがない。


「やはりそうですか」


 伯爵は心底残念そうに、頭を振った。


「殿下のお心しかと承りました。ただ、お許しいただけるのであれば、ハルキ殿に直接気持ちを伺ってもかまわないでしょうか」


 無用です、と言いかけて、ダニエルゼは舌を止めた。その答えが、強権的に家臣を押さえつける、非常に貴族的な返事であり態度だと思ったのだ。


 それはハルキが憎悪し、ダニエルゼも嫌悪するものだ。ならばハルキ自身から伯爵の申し出を断らせればそれで良い。


「……もちろん、直接聞いてもらっても構いません」


 ハルキが、伯爵に付き従うはずがない。

 そうダニエルゼは判断した上での、回答だった。


 伯爵はダニエルゼに深く頭を下げてから、ハルキに微笑み掛けた。


「どうだろうか。ハルキ殿。我が伯爵領にきてくれないだろうか。もし来てくれるのであれば、領内の財務に関する差配を任せたい」


 ハルキは黙って、何かを考えている。


(おい、すぐに断るところやろ、ここは)


 ダニエルゼは、ハルキの首を左右から挟んでぐらぐらと揺すりたくなる。


「それは伯爵家の金庫番ということですか」

「そういうことだ」

「ということは、資金の運用を全て任されるということですね」


 伯爵は言葉に詰まった。さすがにそこまで任せるつもりではないのだ。それはそうだ。もしハルキが好きにお金を使えるのであれば、それはすでにハルキ自身が伯爵と対等の立場ということになる。


「管理を任せるが、運用を決定できるわけではない。運用を提案しても良いが、私の承認が必要だ」


 出自のはっきりとしないハルキを招いて、それだけの権限を与えるというのは、十分破格の待遇のようにダニエルゼは思った。


 ハルキからすれば、とんでもない重責だ。


 管理を任せるということは、会計責任を負うということだ。

 ハルキからそう教えてもらった。

 会計責任者の仕事は、お金の流れを把握するだけでは足りない。その内容を明確にして説明する責任を負っているのだ。

 つまり伯爵家のすべてのお金の流れを把握して、それを記録して伯爵に報告する責任があるということだ。

 アバーテ伯爵領は、ソル公爵領内でも伝統ある大家だ。その伯爵家の資金となれば、恐らくは一ヶ月に1000万キルクは動くだろう。ダニエルゼも、公爵家や直轄地のお金の動きを示す帳簿を見る立場だ。ある程度の規模は想像できるようになっている。


 とてつもない責任だろう。

 ただ間違いなく、いまのダニエルゼと一緒にいるよりは、やりがいのある仕事だ。


(まさか、受け入れるつもりやないやろな)


 夏の日差しはますます旺盛になり、部屋落ちる木々の影が、くっきりとしてくる。

 ダニエルゼは喉の渇きを覚えた。


 ニコはハルキの顔をじっと見ていた。ニコの口元はどこか落ち着かないように、小刻みに動いている。何か言いたいのだろうが、立場的に何も言えないのだろう。

 シータもニコと同じようにまっすぐにハルキを見ている。ただこちらは、ニコとは違って落ち着いたものだ。その心情は、ダニエルゼにもはっきりと予想できた。

 いや、予想などする必要がない。はっきりと読み取れるのだ。

 ハルキが伯爵家にいくのなら、シータも付いていく、それだけのことなのだ。


「もしハルキ殿が当家に来てくれるのであれば、もちろん、その仕事に見合うしっかりとした報酬を支払う」


 ハルキが伯爵の言葉を待つ。


「一ヶ月の報酬として、2万キルク」

「にっ、2万……ですか」


 あまりの報酬の高さにこらえきれず、ダニエルゼ自身の口から感嘆の言葉が漏れた。公爵家の近衛兵どころの金額ではない。

 近衛兵は8000キルクという話だった。


「どうだろう受けてもらえないだろうか」


 ダニエルゼは、いつの間にかテーブルの上で堅く手を握りしめていた。そして手のひらにじんわりと汗をかいていた。


 ハルキを見ると、涼しい顔つきで伯爵を見返していた。


「伯爵、はっきり申しますと、もう少しいただきたい」


 伯爵はぴくりと眉を動かした。その微かな眉の動きは、不快というよりも驚きをしめしていた。


「殿下からは、さすがにもう少し受け取っているか」


 伯爵がダニエルゼの顔色を伺ってきた。

 どのような表情を見せるのが正解なのか。ダニエルゼはあいまいな笑顔を作った。


 もう少しどころか……。


 ただ働き、とは答えられなかった。


 ダニエルゼにとって、今の流れは予想外だった。

 金額が安いといったこともそうだが、金額次第で、ハルキがダニエルゼの元から離れても良いと答えたことが、何よりもダニエルゼにとってショックだったのだ。


 ますます手のひらの汗が、不快になっていく。


「では、4万だそう」


 一気に二倍の金額を伯爵が提示する。領土の小さい男爵家であれば、一ヶ月に動くお金が4万程度のところも珍しくない。それがそのまま貴族の収入になるわけではない。男爵の手元に残るのは1万程度ということもよくある話だ。

 つまり4万の報酬を一ヶ月受けとれるとなれば、ちょっとした貴族よりも収入が多いのだ。


 ハルキは首を縦に振らない。

 まっすぐに伯爵を見ながら、言葉の続きを待っている。


「いくらなら、良いのだ」


 伯爵がややじれたように、身じろぎをする。貴族であるアバーテ伯爵にとって、ハルキの態度は許しがたいだろうが、請うているのが伯爵側であるのだから、仕方がない。


 ダニエルゼも正直、ハルキの態度が理解できない。


 良いなら良い、嫌なら嫌とはっきり言えばいいのだ。

 とにかく、もったいぶった態度はやめろ、と言いたい。じらされているのは、伯爵だけじゃあない。

 ダニエルゼもさっきからやきもきしているのだ。


 ハルキが小さく口を開いた。


「恐れながら申し上げます」


 10万、とでも言うつもりなのだろうか。

 だとしても、いまの伯爵なら承諾しそうな勢いだ。子豚を殺して飢え死にをするぐらいなら、親豚も殺してしまえというところに違いない。

 ニホン語でいうと、毒をくらわば皿まで。


 ダニエルゼは伯爵と向かい合うハルキの横顔を見つめる。その目元に微かな決意を滲ませて、ハルキが口を開いた。


1000万(デセム・ミリア)キルクいただきたい」


 へっ、という間の抜けた声が上がった。それが一体誰だったのか、ダニエルゼ自身か、それとも伯爵なのか。もしかしたら、ニコかシータかも知れない。


 その声が、この場にいるものすべての心情を代弁していた。


 伯爵は、目を見開いたまま、言葉を紡がない唇を二度開け閉てして、そのまま口を閉ざすと、目尻を人差し指の腹で押した。


 伯爵は、聞き間違いでないのかを考えているのかも知れない。ただはっきりと、明瞭に、ハルキは言ったのだ。

 1000万(デセム・ミリア)キルクと。


 そうなると、次の伯爵の台詞は、恐らくは……。


「正気かね」


 そうなる。

 ハルキはその言葉を正面から受け止めて、怯まない。


「1000万キルクいただきたい」


 再び、同じ言葉で切り返した。


「それだけの価値が君にあるのか」

「いえ、今の私にそんな価値はありません」


 伯爵は眉を顰める。


「では、なぜその金額だ」

「必要なのです」

「必要、とは、どういう意味だ」

「私が目指す国にするために、必要な経費なのです」


 正直で、混じりけのない、まっすぐな宣誓。


(目指す国)


 ダニエルゼは、ハルキを見る。


「それを殿下なら用意できると……そういうことか」

「はい。殿下とならば、私はその金額を動かせる地位になれる、と思っております」


 ダニエルゼは息を呑む。

 ハルキの言葉は、伯爵には向けられたものではない。


(私だ。私の覚悟を問うているんだ)


 ダニエルゼは胸に手を当てる。

 伯爵はじっとハルキを見た。ハルキは微かな笑顔のままだ。ニコはまっすぐに伸ばしていた手を、堅く手を握りしめて立っている。その握られた手が細かく震えている。シータはニコの隣に立って、ダニエルゼを見ていた。シータの視線が、ダニエルゼの視線と絡んだ。


 その様子を見ていた伯爵は、小さくため息をついた。

 そして椅子を鳴らすこともなく立ち上がって、背を向けた。


 扉の前に立つと、伯爵はくるりと振り返った。


「ダニエルゼ殿下、これからも何かありましたら、ご遠慮なくこのアバーテにご命令ください」


 それから、ハルキ達三人にも視線を投げた。


「お前達にも期待している」


 そう言い残して、伯爵は部屋から出て行った。




次回から、第六章の本編に入ります。


前置きばっかり長くなってしまうのは、文章力がないからでしょう……ねぇ。

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