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公爵家の財務長官  作者: 多上 厚志
第六章
101/103

101



「報告というのは、旅の途中にあった襲撃についてですが……」


 と、そこで伯爵が二度咳払いをした。


「どうぞ」


 そこにシータが、果実ジュースを伯爵の前に置いた。そのタイミングの良さと、嫌味のない作法に伯爵が嬉しそうに目を細めた。

 これは、シータがダニエルゼ付きの侍女の所作を覚えたもので、すでに侍女そのものよりも立ち回りがうまい。


 伯爵が手を上げて、シータに謝意を示すと、ほんのりとした笑みを浮かべてシータが一歩下がる。

 伯爵は肘掛けに左右の肘を置くと、目の前で手を握った。


「殿下は、公都に向かう途中で、襲われたことはご記憶にございましょう」

「もちろんです。命の危険にさらされたのですから、しっかりと覚えております」

「あのとき、ハルキ殿が話したことを覚えていらっしゃいますか」

「たしか、私の命を狙っているものがいる、という話でしたか、と……あの時の犯人が特定できたのですね」


 ダニエルゼの問いに、側にいる三人もアバーテ伯爵の口元に注目する。伯爵は十分に注意を引いたことに、満足したように握っていた手を開いてすりあわせた。


「申し訳ございません。まだ特定はできていません。ただ分かってきたのは、少なくとも直接的には貴族と繋がりはない、ということです」

「貴族とはつながりがない、のですか」


 真っ先に尋ねたのは、ハルキだ。伯爵が横目でハルキを見る。


「そうだ。あの時、襲撃を掛けてきたものに尋問をしたのだ。かなりきついな。嘘を言っている可能性は低い。奴らは剣や防具といった物品や、資金の融通は受けていたが、雇用主を庇う理由がないのだ。ただの野盗だからな。一人だけ毛色の違う剣士がいたようだが、その男は直接雇用主から派遣されたらしい」

「直接的に繋がりがないのであれば、では誰とつながりがあったのですか」


 太陽が昇り、日差しがゆっくりとだが確実にその力を増していく。夏の気配がますます濃厚になっていく。

 アバーテ伯爵は、コップを傾けて舌を湿らせると、ダニエルゼを見る。


「殿下も予測は出来ているのではないですか」


 その前置きが、ヒントだった。ダニエルゼが知っていることは、まだ少ない。伯爵もそのことは知っている。

 夜会のような場所で、知り合い程度の貴族が振ってきた話であれば、ダニエルゼを試したり、或いは見下すための話題振りということもありうるが、そもそも今はそういう場ではない。

 となると、予測することは容易い。


「姉上を拉致しようとした輩でしょうか」

「まさに。さすがは殿下」


 伯爵は深く頷くが、これで褒められていると思えるほど、ダニエルゼも単純ではない。


「爵位を継ぐのに、光の聖霊の加護ベネディクト・デ・ソーラを必要だと標榜する連中ですが、彼らは最近、光の守護者(クストス・デ・ソーラ)と名乗っているようです」

「テロリスト風情がばちあたりめ……」


 奥歯を噛みしめるようにしながら、ニコが小さく呟いた。

 まったくだ、そう頷いて伯爵は話を進めた。


「先日、ダニエルゼ殿下を襲った連中自身は、光の守護者(クストス・デ・ソーラ)という名前は知らなかったのですが、資金をたどっていくと、そこに行き着きました」

「ということは、アジトまでたどり着けたのですか」

「いえ、突き止めておりません。しかし、公都にある根城のひとつは判明しました。アグネリア殿下を襲った連中と、ダニエルゼ殿下を襲った連中のつながりをたぐっていった先が、ひとつに繋がっていたのです」

「そこが根拠地だったという可能性もあるのではないですか」


 伯爵が首を振って、否定をする。


「その根城は、確かにお金を隠していたいましたが、3000キルク程度でした。これだけで活動できたとは思えません。冷静に判断するのであれば、資金の供給源は他にあると思われます」

「定期的に資金の提供を送っていたものがあるわけですね」

「恐らく。ただいまのところ、これ以上、さかのぼれない状況になって膠着しております。そこで中途半端ではございますが、ダニエルゼ殿下にご報告をさせていただきました」

光の守護者(クストス・デ・ソーラ)の根城のひとつが見つかったことは、父上はご存知なのですか」

「アグネリア殿下の誘拐事件は、お膝元で起こった大事件でございます。そもそもそちらの事件については、ソル家の近衛が動いております。私は、近衛の知人がおりますので、教えてもらいました。当然、アグネリア殿下の調査結果は公爵閣下もご存知です」


(その情報が伯爵に流れてるってほうが問題やないのか。まあ、隠すようなことではないんか知れんけど)


 内心、苦笑しながら、ダニエルゼは先を促した。


「ただダニエルゼ殿下の事件を知っているものが限られております。ですので、ダニエルゼ殿下のルートを調査をしておりましたのは私のみです。こちらはいまのところ公爵閣下には報告しておりません。まずは、ダニエルゼ殿下にお話をするのが筋だと考えました」

「わかりました。父上には……」


 そこでダニエルゼは、ハルキをちらりと見る。

 青い絨毯の上で足を揃えたハルキが言葉を引き取った。


「殿下からなされるのがよろしいかと」


 ダニエルゼが軽くを目を閉じて応答の意志を伝える。伯爵は胸の前で組んでいた手を、肘掛けに戻した。


「承りました。私からこの件については公爵閣下にお伝えすることは、控えさせていただきます」


 これで話は終わったのか、と思ったダニエルゼだが、伯爵は次の話題へと続けた。


「話は変わりますが、過日、ハルキ殿から指摘いただいたアントン・ラメルの振るまいについてなのですが」


 アントンって誰だっけ、と一瞬ダニエルゼは分からなかった。


「経理官のアントン殿のことですね」


 と、ハルキが相づちを打ったため、なんとか伯爵領の経理官だったことを思い出した。たしかハルキが、アントンが横領をしているのではないか、という指摘をしたのだ。


「指摘通りでございました。アントンは、いくつかの職人や仕入先と結託しておりまして、高額の支払いをしておりました。本来の価額との差額部分について、半額を相手に渡して、残りを自分の懐に入れておりました」


 んん、とダニエルゼは思考を停止させる。言葉が頭の中を通り過ぎてしまい、結局どういうことなのかわからない。

 ハルキが伯爵に確認した。


「閣下。つまりはこういうことでしょうか。本来の値段が、500キルクのものを、700キルクとして、支払いをする。差額として200キルクが発生するので、そのうち100キルクを相手方に渡して、100キルクをアントン殿が受け取る」

「その通りだ」


 ようやく、ダニエルゼも腑に落ちた。


「ラメル家は、代々当家の経理を司っていた家門でしたが、こうなってはこのまま経理官をさせるわけにはいきませぬ。判明しただけでも、80万キルクほどが着服されておりました。本来であれば、家門断絶も仕方がないところですが、今までの貢献もございますので、経理官を罷免とし金扱いのない執事付きの従僕としました。このような不正を見つけられたのも、殿下がラヌゼに逗留いただいた結果でございます。感謝の言葉もございません」


 伯爵がダニエルゼに向かって、深々と頭を下げた。さらに、ハルキにも軽くではあるが、頭を下げた。

 ハルキも背筋を伸ばして、礼を返す。


「このまま放置しておけば、さらに数百万キルクという資金が消えてしまうところでございました。ダニエルゼ殿下にラヌゼに泊まっていただいたのは、僅か一晩でありますのに、その短い間に、当家の行く末を揺るがしかねない不正を見つけていただきましたこと、重ねてお礼いたします」

「礼ならば、ハルキにしてください」


 ハルキはダニエルゼの従者である立場なのだから、伯爵がダニエルゼに頭を下げるのは筋としては正しい。だが言葉どおり、ダニエルゼは何もしていないのだ。そのことであまりに礼を言われると、どうにも居心地が良くない。


「では、ハルキ殿。こちらに」


 アバーテ伯爵が、ダニエルゼと自らが座るテーブルを指さす。これにはダニエルゼも驚いた。まるでダニエルゼ自身の振る舞いのようだったからだ。


 ダニエルゼは、元々が街の出であり、身分関係に頓着しない質だ。

 貴族のなかではあまり作法にうるさくないとはいえ、アバーテ伯爵は生粋の貴族だ。それに同席を許すというのは、最上級の敬意の示し方だ。


 たしか襲撃のあった翌日に、宿屋で同席したことがあったが、あのときとは状況が違う。ここはソーラス城であり、ダニエルゼの居室だ。旅先ではないのだ。


 ニコが軽々と椅子を持つと、テーブルに運ぶ。


「失礼します」


 ハルキが青い絨毯を踏みしめて、ダニエルゼの左手に立つと、シータがタイミングを合わせて椅子を引いた。

 ハルキがその椅子に腰掛ける。


 その振る舞いに、ダニエルゼは首を傾げる。

 椅子を引かれて座るという動作が、ハルキには身についているように見えたのだ。

 慣れていないと、座るタイミングを合わせられないのだ。


(ハルキって、ここに来る前はどんな生活をしていたんやろ)


 心の中でつぶやいて、ダニエルゼは伯爵に意識を戻した。


「今回の指摘は、本当に助かった。礼を言う」


 伯爵がハルキに向かって、頭を下げる。

 ハルキは合掌をして、深々と礼を返した。


「もったいないお言葉です」


 その言葉に、伯爵は満足そうに深く頷いてみせる。そしてダニエルゼに顔を向けた。


「ダニエルゼ殿下。ひとつ申し入れがございますのですが、聞いていただけますでしょうか」


 声の響きに、さっきまでにはなかったある種の慎重さが含まれていたため、ダニエルゼは胸のうちで身構える。


「アバーテ伯爵からの頼みとあらば、誠意を持って伺います」


 それでは、と伯爵が神妙な声を上げた。

 そしてハルキに視線を向ける。


 その瞳の色をみて、嫌な予感が走った。

 伯爵が椅子に座り直すと、板張りの床が軋んだ音を立てる。


 耳障りな音に、ダニエルゼが目をしかめたところで、伯爵が口を開いた。


「さきほど申した上げましたように、我が伯爵領には現在、経理官が不在でございます。そして伯爵領の領内のお金の動きを把握するには、かなりの数字に対する深い造詣が必要となります。これは薬缶を叩いて捜してもなかなか見つかる人材ではございません」


 次の台詞は聞かなくてもわかった。


「ハルキ殿を、伯爵家の新しい経理官としてお招きしたい」


 ダニエルゼは頭を抱え込みたくなった。




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