孫娘
8 潜入
夜の丞さんは、もうお屋敷に入ったのかな?
川蝉が今日は休みだって隣の女将さんが騒いでいたから、たぶん無事に潜り込んだのに違いない。
拐われる。
そうわかっていると言うのも、何だか緊張する。
ちょっとでも視線を感じると、どきっとしてしまうのだ。
大黒屋は問屋だけど、働いている人数は以外と少ない。
主人と女将、番頭さんに私、そしてでっちの子供達が数人いるだけだ。
荷運びの人足は、大黒屋のもうひとつの商売、口いれやから雇っている。
新米を運ぶ季節が過ぎた後は、他の仕事もして稼いでいると言うわけだ。
人足達が流れ者ではない事がうけて、商売はいつも忙しいらしい。
この大黒屋から私が抜けたら、凄く忙しいのだろうな。
そう考えると、何だかやりたくなくなってくる。
いつもの怖がりな私はまだここにいるが、今は仲間を信じるしかない。
川蝉は追っ手がかかっているって言っていたから、もう、その時は迫っている。
番頭さんは、何かを知っているかのごとく、私に売掛金の集金を頼んだ。
でっち頭の文吉と二人、二丁位先にある、二軒のお得意様に向かった。
拐われるには、うってつけの仕事じゃない。
集金は普通はでっち達の仕事だが、大黒屋では、私が受け持っている。
番頭の娘と言う肩書がお客さんの心をくすぐるらしいのだ。
私は、大黒屋の役には立っている。
商売の花札だと思っている。
米問屋には、縄張りがあるが、大黒屋は袖いっぱいまで広がっている。
他の御棚の縄張りの外は、ほぼ大黒屋が持っていると言っていい。
『茜様、どうしてお米も持って行くんです?先日済ませたはずで、まだこめびつの中は一杯の筈ですよ』
『人が増えたって聞いたから。大旦那が隠居して、若旦那ががんばったらしいわ。一人でっちさんが増えれば、毎日のお米は一合か二合かは増えるわ。あのくらいの御棚なら、毎月の配達分を増やそうかどうしようかと考えているはずよ。この一升はおまけにして良いそうよ。その代わり、来月から請け負う分が増やせれば、新米を仕入れるとき、予測がつきやすいでしょう?商売には、笑顔も大切だけど、そろばんも大切なの』
文吉は感心したように、へいと言った。
しかし、本心は少し違うみたい。
私の言うことは、どうせ義父佐之助の受け売りだ、そう考えているみたい。
私には、どうしてこんな力があるんだろうか?
本当は知りたくない事も、分かってしまう。
人の事信じられなくなったり、優しさに傷ついたり。
わたしは、おとよちゃんみたいに、素直に笑えない。
親しくなればなるほど、心の声が聞こえてくるの。
鳶があの時考えたことも、何となくわかってしまった。
必ず守りますから、そんな気持ちの他にも、いろんな気持ちがあったね。
私は、泣きそうになって、跳ね回るしか出来なかったよ。
お得意様の勝手口で声をかけると、いつもの声がした。
お勝手を仕切っている、使用人のおたきさんだ。
『あら、大黒屋さん。いいところに来るもんだねぇ。さすがに番頭さんの娘さんだ。米びつの空くのが早くなったのがわかったのかね?』
おたきさんはそう言ったような気がした。
私は、ほらやっぱりそうでしょう?と文吉の顔を振り返った。
その時、体が浮いたような、変な感じがして私は、気を失ったみたいだった。
三人も人がいたのに、私は拐われてしまった。
気がついたとき始めに見たのは、高くて、広い天井だった。
寝た振りをしていろ、川蝉にはそう言われていたから、目を瞑ったまま聞き耳をたてた。
『やはり駄目であったか……。もうよい!娘は大黒屋の倉にでも運んで眠らせておけ…』
『それでは……身寄りのない娘を』
川蝉と似た感じがした。
私じゃない人を探している。
鳶はそう言っていた。
私には、娘にあるべき特長がないらしい。
さっきの人が、近くにやって来た。
私の足袋を脱がせ始めた、そしてほんの少しため息をつく。
足の裏に何かを探したんだ。