角明かし
7 破り
紫は、平気な顔で私の捨てた握り飯を食べていた。
不用意にそんなところへ捨てたからだ。
しかし、意に反して、紫の身にはなにも起きなかった。
そもそも、なにか仕込まれていると感じたのは、私の思い過ごしだったのか?
紫は蓋をしめると、小走りに長屋の中に消えた。
私は、慌てて飛び出し二人の棲みかの戸を開けた。
驚き目を丸くした紫が、こちらを振り向いた。
『鳶ったら、なんなの?足音を忍ばせたと思ったら急に飛び出したりして。私がお握りを食べたから、怒られるとでも思ったの?どうして食べ物を捨てたりなんか……。私、おにぎりの包みを見つけたとき、私達みたいだって思ったわ。ごみ箱に捨てられて、誰からも気づかれずに死んでいく………』
何で捨ててあるものなんか!紫さんがごみでなんかあるわけないじゃないですか。
私はそう言葉にしそうになるのを堪えて、平気な顔をする。
私の息は、恥ずかしいほど上がっていた。
いつも明るくて、私をおい飛ばす紫さんが、急に違う面を見せたから。
『ごみだなんて、穏やかじゃないですね。私は、ごみじゃないですよ。それは、娘さんが、お地蔵さまに上げるのを、私の背中を見て下さったのです。今なら、この新しい法衣だったら、下さらなかったかもしれないが、さもひもじそうに見えたんでしょう。気持ちだけ充分に頂いたので、脱け殻を捨てたんです。紫さんから見たら、捨てたと見えても、仏の弟子である私には、それで充分なんですよ』
これで誤魔化せるといいんだが。
最近の紫さんは、どんどん分からなくなる。
前みたいに、無条件で笑ってはくれなくなっている。
『そんなことで誤魔化されないわ。どうして捨てたの?毒入りだとでも思ったのね。そうじゃなきゃあなたが食べ物を捨てるわけないもの。どんな仕事だったのよ!今度から、どんな仕事でも、ついていくから』
『紫さんが怒るような仕事じゃないですよ。元締めの古い友達に、手紙を届けて来ただけです。無事に戻りましたよ!』
これでも納得してくれないか。
その時、私の腹が鳴った。
その音が助け船になって、私達は、夕げの支度に取りかかる事になった。
助かったと思いながら、何故か後ろめたい気持ちを引きずった。
紫さんには、本当はうそは言いたくはない、しかし
それを話せば、自分のすべてをさらさなくてはならない。
それは、嘘よりも嫌だった。
鳶の言うことが、嘘なんだって初めてわかったときの寂しさは、もう味わいたくなかった。
自分が捨て子だったと知った時より、ずっと寂しくて辛かった。
もう一度捨てられたみたいなそんな気がした。
だから、もう聞かない。
そんなに言いたくないなら、今日はもう聞かないでいてあげるわ。
『鰻なんか食べて、お坊さんの修行をしていますなんて、私も罰当たりが過ぎるな』
『いいのよ、本当にお坊さんになる訳じゃないんだから』
私達は、軽い口で話すほど余計に傷つくと知っているのに、いつもその事を忘れてしまう。
下を向いたり、咳払いをしたりしながら、旨そうな鰻とにらめっこだ。
そして、思い出したように、仕事のはなしが始まる。
『紫さん、実は囮をやってもらう事になってしまったんです。断るつもりで行ったのに、すみません』
『はじめから、そのつもりよ。誰一人、傷物になった娘はいないんだし、大したことじゃないわ』
大したことないなんて、それは、眠らされているからなんですよ。
本当は、何をされているやら、見当もつかない。
やらせたくない。
『何かされる前に、助けますから、約束します』
『何だか、安請け合いに聞こえるわ』
安請け合いなんかじゃない、素直にうんと言えばいいんだ。
私は、苛立ちを、必死にかくした。
劣情じゃないといいわけをしながら、私は紫さんに拘った。
あなたがここにいると言うだけで救われるからだ。
情けないけど、あなたの美しさや、明るさや、私への温かい心がなくなったら、私はもっと深い闇に落ちてしまう。
私には、お守りであり標石なのだ。
『安請け合い じゃないですよ、そうなったら、紫さん大変な事になります。そんなの嫌ですから』
『お坊様の修行しかしたことない鳶に、お侍の相手なんか出来ないでしょう?それに眠っているなら、私にはなにも被害はないわ』
『槍くらいは習いましたよ。和尚様からの直伝です。私は至極筋がいい。自分で言うのもなんですが、お寺に叶う人はいませんでしたよ』
『そんなの、お坊様の世界の話よ。お侍様は、自分の主君を守るためなら、相手の事なんか考えないわ』
『困ったな。どうしたら信じてもらえますか?』
『じゃあ、散り始めた!桃の花弁を切ってみて!切れなかったら、私を守るのは、川蝉だけに任せて』
『花弁を?良いですよ。花弁が散るのに、時間がかかりそうですね。夕げを頂いてからでいいですか?』
『良いわよ!私だってお腹空いてるんだから!』
『槍って、ぞんなもの見たことないわ。大丈夫なの?』
『有りますよ!外の物置に、少し錆びているかも知れないが』
紫さんは、信じてくれたらしい。本当の、災厄は、私の錫杖の中に眠っているのだ。
物置には、もしもの時のための短槍が置いてある。
こんなこと予想の外だ。
本当は、はぐれものの鎖や、仕事の的に襲われる事も考えた末の防御策だった。
もとから鎖の未来は約束されたものじゃない、一日一日を繋ぎながらその日をやり過ごす、それが運命なんだ。
だから、いつでも光を求めて上ばかりを見つめてしまうのか。
それにしても、花弁を切るなんて、どこから出てきたのかな?
風もないし、今夜は無理かと期待しながら、わたしは川縁に花を咲かせる桃の木をながめていた。
そして私は、否応なく旅の疲れにのまれていった。
誰かの目に見張られながらの旅は、緊張の連続だった。
途中から、川蝉が帯動してくれたが、私の体は、見るまに細くなった。
元締めは、結果に不満らしいが、川越のはぐれものは、一つ二つの組でなんとかなる規模では無さそうだ。
あんなに離れた町にも仲間がいる。
鎖とは別の組織があることの証しに他ならないと思えた。
その組織に所属しているはぐれものの人数を思うと、もはや、鎖の継ぎ目にほころびが出来たのだと思わざるを得ない。
誰がが掟を破り、仲間が増えていった。
そして、今度はきっと鎖をやぶろうとする。
用心して過ごさなくてはならない日々が始まってしまったわけだ。
江戸の町にまだそんな噂は無いけれど、用心しなくては。
私は、風に向かって、破られた、用心しろよ。
そう呟いた。