後編
前編を大幅に改稿して全然話が変わっているので、4/11以前に前編をお読みの方は一度前編を読み直していただけると…!
なんで変えたかなどの詳細が気になる方は活動報告の方で!そんなことは、どうでもいいから結末をという方は、このまま読み進めてください。
ボトルグリーンが色あせて、ところどころ松葉色になったコンクリートに
ピーコックブルーで彩られた煉瓦模様、
ひとむかし前のデザイナーズマンションといった装いで、そのアパートは あった。
『ヤマモト』となぐり書きされた表札の前には、明良の友人たちと
何故か翔子が小柄な女性に手首をガッチリホールドされて佇んでいる。
インターフォンは既に押され、ピンポンと鳴り響いたばかりだ。
「たーのもぉー」
「アキラよろこぶだろーなー」
「これで復活すりゃいいけど…」
「あああああの、皆さん??だから私、明良くんとは何もなくてですね。」
「川島ちゃーん。
今さら逃げようったって、そうは行かないよー。
アキラが荒れてるのは川島ちゃん原因なんだもん!
そりゃあ、あのヒヨコ頭がヒヨコのクセにコケコケコッコとうるさいから
お灸を据えてやろうって気持ちは分かるけどさぁ、
もう明良も充分懲りたと思うから、そろそろ許してやってよぉ」
「や、だだだから、私が明良くんを勝手に好きなだけで、明良くんは私のことなんて…――」
「「「「はいはい分かってる分かってる。ごちそーさまです。」」」」
(分かってない…!)
こんなやりとりを、明良のアパートに到着するまで何回したであろうか。
どうやら彼らは翔子が明良の彼女だと思い込み、
翔子にふられ(!?)落ち込んでいる(…!)そんな明良を励ますために、
翔子を連れて来たというのだ。
(あぁ、とんでもない勘違いだ…)
なにが どうなれば そうなるのか。翔子は頭を抱えたい気持ちでいっぱいだった。
自分なんかを彼女だと連れて行ったら、荒れているという明良が、もっと荒れてしまう。
そう何度も訴えているのに、明良の友人たちは聞く耳をもってくれないのだ。
ガチャリ
開いた玄関は、ほんの数センチで翔子の立っている位置から中は見えない。
「………うっせー……なに…?」
(明良くん…!)
久しぶりに聞いた明良の声に、翔子の鼓動は狂いだした。
「やっほーアキラ!ごっきげんいっかが~」
「…いま悪くなった…。ほんと何? 俺バイト始まるから時間ねんだけど…」
「それ、テツオの代打でしょ?ちゃんとテツオに出てもらいなよ!アキラ働きすぎだって!!」
「…うっせって…別にヒマだからいんだよ…マジ帰れお前ら……」
不機嫌だ。未だかつてないほどに不機嫌だ。
翔子は、明良のその初めて聞く不機嫌な声に動揺した。
翔子の知る不機嫌な明良は、マシンガントークが冴え渡り、
こちらが口を挟むヒマもないほど暴言を吐き続けるような、
そんな、どこか威勢の良いものだった。
だがしかし、今の明良は絶対零度のようなテンションの低さと
突き放すような言い方が相まって、とてもじゃないが会話が続けられるとは思えない。
(こ、これで私が出て行ったりなんかしたら…)
真っ青になって後退る。だが、そんな翔子の心情なんぞ知ってか知らずか
明良の友人たちがグイっと翔子を押し出し、気がつけば扉に押し込まれるかのように
翔子は明良の目の前に立たされていた。
明良の目が見開く。
「へっへへー。時間が無いなら作ってもらいましょうかね。」
(むむむむむ無理無理無理無理…っ私にそんな価値ないんだってば…っっ)
声にならず、ただただ顔を引き攣らせて明良を見る。
どうやら、荒れているという話は確かのようで
明良の髪はすこし伸び始めプリン状態、アゴには無精ヒゲ。
頬も少しこけたであろうか。
だが、それよりなにより 目の下が
( すっごいクマ…! )
どす黒い半円を目の下にこさえた明良の瞳は剣呑だ。
「……なんで居んの…」
(あぁ…怒ってる…っすんごく怒っている…っっ)
それもそうだろう。散々つきまとった挙句、振るようなマネをして去った女が
不可抗力とはいえストーカーよろしく部屋まで上がりこんで来たのだ。
翔子はギコギコと、きびすを返し、玄関を出ようとする。
だが、それよりも早く、
苛烈さを持って翔子を追い抜いた明良の左手が、先にドアノブを握ると
勢いよく翔子の眼前で玄関の扉は閉まった。
「…鶴見、テツオにバイト出るよう言っといて。」
『むふふふふ!おけおけ!!ほいじゃあ川島ちゃん頑張ってね~』
明良の友人たちが遠ざかっていく足音が聞こえ、
翔子が呆然とする中、ガチャリ…と施錠する音が 無情に 響く。
明良の顔は、翔子の左ナナメ上 後方、振り向けば目の前にある位置だ。
「あ…う、あ、ばばばバイト…いい行かなくて…いい…の…?」
「………いいよ。どうせ無理に入れてたバイトだし。」
(無理に…)
スッと明良の気配が遠のく。
「…なに飲む?つってもコーラと缶チューハイぐらいしか無ぇけど。」
「……?………あ、コーラで…」
「ん。」
なんだろう。
妙な違和感を持ちつつ、翔子は明良の後ろについていく。
短い廊下のような所を抜けると、そこはリビングキッチンになっていた。
奥にベランダがあり、右手に寝室に続くと思われる引き戸、
中央にはソファとガラステーブルがあり、
打ちっぱなしのコンクリート壁が棚のように凹凸としていて
そこに液晶テレビが置いてあった。
普通、打ちっぱなしコンクリートともなると寒々しい雰囲気だが、
野球選手のポスターや、昔のロボットアニメに出てくるようなオモチャ、
あとは翔子には判別のつかないゲームらしき機械やコードが雑多に置かれていて
血の通った部屋の様相を呈している。
それに何より、ソファやテーブル、床には
服やらタオルやら雑誌やら空き缶やらが所狭しと転がっていて生活感しかない。
(………?)
そこでも翔子は言いようもない微かな違和感を感じて首をかしげる。
「あぁ、ワリィ。きったねぇよな。」
コーラと缶チューハイを片手にキッチンから出てきた明良は
腕一本で雑に物をどかすと、ソワァに翔子を座らせ、
自分はテーブルを挟んだ向こう側の床に腰を下ろした。
ソワァは余裕で二人座れる大きさだというのに距離を取った明良の行動が
残念なような、ホッとしたような、複雑な気持ちで翔子はコーラを受け取る。
「………」
「………」
沈黙。
重苦しいというほどではないが、打開策が見付からないぐらいの無言。
そういえば自分は何しにここへやってきたのだろうか。
というか何故こんなことになっているのだろうか。
翔子の頭にはグルグルと疑問が渦巻いていたが
明良の部屋で明良と共にいるという高揚感が邪魔をして一向に考えは まとまらない。
フ…と明良が苦笑する。
「あん時に逆戻りだ。……ほら、二回目に会った時。」
懐かしむような顔を見せた明良に不機嫌の色は うかがえなくて
翔子は肩から、ほんの少し力がぬけた。
明良と二回目に会ったのは、連絡先を交換してから数日後のことだ。
『今日おごられて、それでもう終わりか…』
あの時は、そう思いながら一日中とくに話もせずに珈琲を飲み続けた。
喫茶店の常連らしき明良と会うために、この喫茶店に通おうか
などと、半ば本気で悩みながら飲み続けた珈琲代は驚くほどの金額になって、
自分も払うと食い下がった翔子に
「じゃあ、次は奢れ」と
明良は次の約束を取り付けてくれた。
次の約束の時には休日を聞かれ、じゃあその日に、
と、また会う約束を。
その次の約束では野球のことを何も知らない翔子に
ルールブックを持ってきてやると約束を。
そのまた次は会話も増え、
ひと言ふた言しか話さなかったことが嘘のように明良は熱弁をふるった。
そうして、次、
それからまた次と約束が繋がり……
―――翔子に会うのなんか楽しくねぇよ。―――
どくり と、翔子の心臓が波打った。
自分は いったい何をしているのだろうか。
明良に、もう迷惑はかけないと誓ったはずなのに
人に流され、家まで押しかけ、結局バイトまで休ませて…
ふぅぅぅぅ…と重いため息を明良が吐く。
その顔には濃い疲労。
「ご、ごめんなさい…っ 私…勝手に押しかけちゃって……っっ」
「や、これは、バイトでちょっと寝不足なだけだから。アンタが謝る必要なんか無ぇよ。どうせ今日も鶴見のバカに無理矢理つれてこられたんだろ?」
鶴見…そうだ、あの小柄な女性は、そんな名前だった。
翔子が明良の顔をうかがうと、疲労は見えたが苛立ちは見付からない。
自分が押しかけてきたことを怒ってはいないようだと翔子は今度こそ肩の力をぬいた。
「バイト…大変なの…?」
「んー、大変つうか大変にしちまったっていうか…毎月、シフトをバイトたちで話し合って決めるんだけどよ。先月、ちょっと…金が欲しくて、シフトをガッチリ入れすぎたんだよ。だから今ケツふいてるとこ。」
「お金…。」
「そーそー。…貧乏学生だかんな…俺…。部屋もこんな汚ねぇし。言葉遣いもワリィし。気もきかねぇし。自己中だし?ちっちぇーことでウダウダうるせぇとも良く言われる。……だから、分かってんだ…分かってんだ……」
缶チューハイを握り締めながら、うつむく明良の表情は見えないが、
その項垂れた姿が彼の落ち込みを感じさせる。
違和感だ。違和感だらけだ。
こんなに自信のない彼の姿を見たのが初めてだからだろうか。
いや、これは彼の本質だった。彼は、怒ったような不機嫌のような態度をとりながら
いつもどこか自信なく怯えていたではないか。
傷つきたくない、人も傷つけたくないと思いながらも、そんな姿は見せられないと虚勢を張る。
その垣間見える不器用さが翔子には堪らなく愛おしかったのだから。
では、この違和感は何なのだろう…
「あ、明良くん!私、明良くんに凄く感謝してるの…っ」
明良の肩がピクリと揺れる。だが、顔は上げない。
「明良くんと一緒に過ごす時間は私にとって宝物だった…!すごく、すごく楽しくて、嬉しくて…」
言いながら鞄を探る。翔子は彼に何かをしてあげたかった。
会って楽しくもない、こんなオバサンに何度も何度も会ってくれた明良
そんな明良に感謝と、出来るならば明良を少しでも助けられる何かを
そう思って、翔子は鞄から通帳を取り出すと明良の前へ置く。
自分のバカな妄想で持ってきたものだが、こうすることが何より自然に思えた。
「だから…使って?」
そしてバイトなどせずに休めば、また元の明良へと戻るのではないか。
そんな期待をこめて明良を見つめる。
「なにこれ…くれんの…?」
「うん。私、全然使わないから結構貯まってるんだ…お返しとか気にしなくていいから…」
「…へぇ…ふーん……そう。」
明良の 顔が あがった。
その顔は笑顔だ。
底冷えするほど凍った 憤怒の 笑顔 だ。
ドン と肩に衝撃を受けて、ソワァに転がる。
明良に突き飛ばされたのだと気付いた時には、もう組み敷かれていた。
両腕を明良の左手で拘束され、身動きが出来ないまま明良の顔が近づく。
違和感だ。違和感だ。違和感だ。
明良は、こんなことをするような人ではない。
だって、こんな、人を傷つけるようなことをして一番に傷つくのは明良自身だからだ。
だが、くちびるに初めての感触を受けて、翔子は違和感の正体に気付いた。
(お酒…―!)
口に広がるアルコールの香り。彼は飲めなかったはずだ。
顔には出ないが酔いやすく、失態を晒すのを避けて自ら飲むこともない。
そんな彼が、どんな経緯を経たのか酒を常備して飲んでいる。
目を周囲に巡らせれば、あちらこちらに缶チューハイの空き缶があった。
酒に弱い彼が、いったい何本飲んだのであろうか…
(完全に酔ってる…―――)
翔子は愕然とした。
着ていたカットソーは既に胸まで たくしあげられ、明良の右手はスカートの中だ。
羞恥に身をよじれば、それを諌めるかのように明良が身体を寄せてくる。
どうすれば…―と進退きわまったところで唇が離された。
至近距離で目が合わさる。今だ、と思った。
どんなに酒に呑まれていても、彼の本質は変わらない。
きっと嫌だと叫んで拒絶すれば、彼はそれ以上進むことなど出来ないだろうと
思って、
そう思って、
そう…思いながらも、翔子は 拒絶できないことを悟った。
彼の瞳が濡れている。
何かに傷ついて、ヤケになって、絶望して、それでも何かを求めて泣いている。
そんな彼を拒絶することなど、翔子には出来なかった。
抵抗を止めて、身体から力を抜く。
元々、こうなることを望んでいたのだ。
酔っていようとも怒りからでも、相手が明良なら上等な話ではないか。
そう思い、目を閉じた翔子の頬にあたたかい何かが落ちる。
「………ぃれんなよ…」
「え?」
目を開けると、あたたかい水が降り注ぐ。
「受け入れんなよ…!」
明良は 泣いていた。
悲しそうに苦しそうに、そしてそれをこらえるかのように
顔をゆがめて 泣いていた。
「 アンタは…… アンタは いつもそうだ…
いっつも困ったように笑って…っ
俺がどんなにバカやったって苦笑ひとつで許しちまってっっ
大人の余裕かよ!ガキの俺は取るに足らない存在なのかよ!! 」
翔子は、言われたことの意味が分からず、目を瞬かせる。
「 そうだよな…っ
アンタは簡単に俺と会う約束なんて無くしちまうんだもんな…!!
楽しかったかよ!俺みたいなガキがっ!アンタに必死に逢いたがって!
馬鹿みたいにぴーちくぱーちくベラベラベラベラ話すのが…!!
皮も剥けてねぇ中坊みたくっアンタの一挙手一投足に期待して!
興奮して!!よろこんで!!! 」
ヒュ…ッと、明良の咽が耐え切れないように音をたてた。
「 ………ひでぇ妄想繰り広げながら…っ
それでもアンタの指が俺の手のひらをかすめただけで、
ばかみたいに ときめいて…… 」
明良に触れた瞬間 手をはじかれた時のことを思い出す。
あれは…嫌がったのでは…?
触れられるのを反射的に拒んだのでは……?
「 ほんとうに…ばかみたいだ…… 」
「 アンタと一緒に居る時間を…
おれは ばかみたいに……ばかみたいに大切にして…………… 」
「 なのにアンタは、金なんかで清算すんのかよ… 」
「 こんな…こんな身体投げ出して、それで終わりなのかよ… 」
胸が
焼け付く。
「明良くん……」
手を伸ばすと明良の拘束は既に力無く、容易く動いた。
明良の目からは絶え間なく涙がこぼれ、
翔子は、その涙をぬぐうように明良の頬を包み込む。
「明良くんは…私と居て、しゃべって、一緒に時間を過ごして……楽しかった…?」
もっと、早くに、この問いをすべきだった。
翔子は、随分と遠回りをしてしまったと苦笑を浮かべて明良を見る。
その表情をどう思ったのか、明良は、これ以上ないという程に顔を歪めると
吐き出すように叫ぶ。
「楽しいわけないだろ…!俺はっアンタに!いつ嫌われるかって…ビクビクして…!
でも…っそれでも…っっ
それでも…
おれは…アンタに逢うのを やめられない……
…やめたくないんだ… 」
ふるえる手で、明良は頬に添えられた翔子の手をつかむ。
手を握りながら目をとじ、涙している姿は、祈りを捧げているかのようだ、と
翔子は暢気に思った。
「ア、アンタ…は…? ………おれと逢うの…アンタ…アンタは…………」
その先が続けられない、そんな臆病で不器用な彼に
こみあげてくる笑いが止められない。
翔子は、その笑みをごまかすように頭を浮かせると
わななく明良のくちびるにキスをした。
未だ暦の上では春なのに、夏のような日差しの中
今日も彼女と彼は『うさぎの穴』でカウンター席に仲良く座る。
「うーーーん……」
「ねぇ、明良くん…もう、いいよ……」
「良くねぇよ!」
明良の手には『この春イチオシのリゾートホテル』と銘打たれた雑誌が握り締められ、
それを食い入るように見つめている。
「に、20万か……」
「や、だからね。別にそんな高いところじゃなくても…」
「バカ!行くからには最高級のとこじゃねぇと意味ねんだって!!大丈夫だっつーの。あと、三ヶ月ぐらいバイトしまくれば…」
「それなら私の貯金があるじゃない。」
「アホか!!お前の金で行ってどうすんだよ!」
そんな言い争いを続ける二人に、小柄な人影が近づく。
「なになに?二人で旅行??いーなー」
「あ、鶴見さん!ちょっと、この人とめて…っ 高い部屋に泊まろうとするの!」
「バ…っお前の夢だろ!!高級スイートルームで初セ…――」
「きゃあああああああ!なん…!!なんてこと言うの!!!」
翔子は持っていた雑誌で明良をタコ殴りにすると、
珈琲代をカウンターテーブルに置いて喫茶店を飛び出す。
「おい…!翔子…!!」
明良もコーラのお金を払うと慌てて翔子を追いかけた。
鶴見は、ため息をつきながらもどこか安心したような微笑を浮かべ二人を見送る。
分かっているのだ。
翔子が向かうのは駅の方向ではない。
ボトルグリーンの壁にピーコックブルーの煉瓦模様が描かれた
とあるアパートへと向かうのだ。
そう、彼の部屋へと…――