第一話:お天道様の下で
大変な努力をして、素晴らしい仕事を成し遂げる。しかし、それが認められないまま一生を終える。
「詠み人知らず」なんてかっこいいのだろう。そんな人に僕は憧れるのです。
注.
この物語はファンタジーである、話し言葉や時代考証、その他の設定は架空である。時代小説及び歴史小説てはないことをご留意下さい。
「時も世も ことばも架空の物語 歴史にあらぬ 夢の世なれば」 詠み人知らず
第一話:お天道様の下で
今は昔、五月のよく晴れた昼下がり。
平安の京の都、下京の場末にある居酒屋「たぬき屋」の店先である。
まだ開店には早い時間、看板娘のお鈴が日除けの暖簾を干しに出てくると、店先の床机の上に先客がいた。ツギハギだらけだが小綺麗な小袖を着た男が、手枕をして、気持ちよさそうにイビキをかいて寝ている。
「ちょっと、旦那様。いつまで寝ているんだい。お天道様があんな真上だよ」
お鈴が床机の端をトントンと叩く。男はむにゃむにゃと大きなあくびを一つして、眩しそうに起き上がった。
「……んあ、お鈴ちゃんか。おはよう。今日の日差しはあんまり気持ちがいいもんだから、つい引き止められちまってね」
「寝坊の言い訳に空を引っ張り出さないでおくれ。ほら、さっさとどいた、どいた」
男は晴れやかな心地で背を伸ばすと、無造作に懐をまさぐった。だが、中からは何も出てこない。男は平然と笑った。
「そう急かしなさんな。お腹が空きすぎて、へそと背中が出会いを果たしちまった。お鈴ちゃん、頼むよ。美味い白米と味噌汁を一杯、ツケで」
「お断りだよ。昨日の分だって、まだ一文も貰っちゃいないんだから」
「冷たいねえ」
「払えないなら、ツマミ出されるか、ここで体を動かして働くか、二つに一つだ」
男はパッと破顔した。
「おっ、さすがたぬき屋の看板娘、話が分かる。よし、ここで働かせてくれ」
「えらく素直じゃないの」
「飯をタダ食いするような不届き者を、お天道様が許しちゃくれないのさ。喜んでこの店を掃き清めよう」
「骨を折ってくれるのはありがたいけどさ、そう言って箒を持ったまま、昨日も一昨日もどこぞへ消えちまったのは、一体どこの誰だい?」
お鈴が呆れ顔で手渡した箒を、男は「おっと」と受け取り、鼻歌交じりで店先を掃き始めた。その手つきは驚くほど軽やかである。
そこへ、近所の長屋の差配(大家)である老人が、首をかしけながら今にも泣き出しそうな顔で、一枚の紙切れを手に歩いてきた。
「おお、旦那様、お鈴ちゃん、ちょっとこれを見ておくれんか。検非違使庁の役人から届いた、今年の地子(土地の税)の令状なんだがね……」
男は箒を止めると、いつもの締まりのない顔から、ふっと涼しげな大人の目つきに変わった。
「どれ、拝見いたしますよ」
澱みのない視線は、文字の読めない平民にはただの黒いシミにしか見えない墨跡を、一瞬で解き明かしていった。だが、読み進めるうちに男の眉が小さく跳ねる。
「……なるほど、そういうことですか。役人というのは面白いものですね」
「え、どういうことだい、旦那様」とお鈴が覗き込む。
「臨時の物入りだからと一度決めた税を、“当分の間”などと言い訳しながら、民が忘れた頃を見計らっていつの間にか形骸化させ、永久に毟り取ろうとする」
「ええっ?」
「これにはね、三年前の堀川の堤防工事のための臨時特別税が、そのまま上乗せされて書かれているのです。工事はとっくに終わっているというのに、文字の読めない長屋の皆を騙して、二重取りしようというケチな悪巧みですよ」
「なんだって!」
奥から話を聞いていた大工の熊ゴロが、細袖の放ち衣の腕をまくりあげて飛び出してきた。
「ふざけやがって、あの下役ども! よし、長屋の若手を集めて、朱雀大路を上がって役所に怒鳴り込んでやる!」
「まあまあ、熊さん。お天道様の下で血を流すのは無粋です」
男は熊ゴロを穏やかに宥めると、大家の老人に向かって、悪戯っぽい目付きを向けてみせた。
「大家さん、役所へ行ったら、決して怒ってはいけませんよ。ただ、心底ありがたそうな顔をして、お役人にこうおっしゃいませ。『お上の公明正大なお裁きに、長屋一同、感涙にむせんでおります。つきましては、お触れ書きにある通り、我が長屋は、三年前のあの堤防工事がまだ終わっていないものとして暮らします。今日から長屋の前の大通りを掘り返し、夜通しで土砂を積み上げ、お上のためにずうっと工事の手伝いを続けさせていただきます』……とね」
「はあ? 工事を、今さらでございますか?」
「ええ。そのお役人は、欲に目が眩んで古い令状の判子を使い回した。ですが、本当に今も工事が続いているとなれば、京のど真ん中の通りを民が『お上の命令だ』と大真面目に掘り返し始めることになる。当然、大騒ぎになって上級の役人が見に飛んできます」
「あっ」
「役人というものはね、自分の不正や無能が、上の人間に知れることを何より恐れる生き物なのですよ」
大家とお鈴、そして熊ゴロは顔を見合わせ、それから悪巧みの全貌を理解して、一斉にニヤリと笑った。
その一刻後。検非違使庁の受付は大混乱に陥っていた。
「お上のために、今日から総出で道路を掘り返します!」
大家の老人が大真面目に涙を流し、門の外では熊ゴロを筆頭にした長屋の連中が「さあ、お上の命令だ! 工事だ工事だ!」と鍬や犂を担いで大気勢を上げているのである。
担当した下級の録事は顔を真っ青にし、大汗をかきながら長屋の連中を別室に連れ込んだ。
「あ、いや! 待て待て! 工事はとっくに終わっておる!」
「へ? でも令状には……」
「こちらの、その、算木の置き間違いであった! 令状を間違えたのだ!」
役人は震える手で書類をひったくると、その場で破り捨て、大慌てで例年通りの税額に書き直した令状を差し出したのだった。
「いやあ、スカッとしたねえ!」
夕暮れ時、たぬき屋の店先には、長屋の連中からの感謝として届けられた、炊き立ての白米と温かい味噌汁、そして冷えた地酒が並んでいた。
「おやおや、それは重畳でございますね」
男はどこか他人事のように微笑みながら、お鈴の差し出した冷酒を美味そうに喉へ流し込んでいた。その顔には、最高の悪戯っぽさが浮かんでいる。
男は満足そうに目を細め、茜色に染まる京の空を見上げるのだった。




