9 「真実の一端」
放課後、美月に誘われて初めて彼女の家を訪れた。駅から徒歩十分ほどの住宅街にある、こじんまりとしたマンションの三階。
「お邪魔します」
「どうぞ、散らかってるけど」
美月の部屋は意外にもシンプルだった。本棚には教科書と小説が整然と並び、机の上にはノートパソコンが一台。壁には風景写真が数枚貼られているだけで、女子高生らしい装飾品は見当たらない。
「コーヒーでいい?」
「うん、ありがとう」
美月がキッチンへ向かった時、ユウトは何となく部屋を見回した。そんなに広くない部屋なのに、どこか殺風景で生活感が薄い。まるでホテルの部屋のようだった。
その時、トイレから戻ってきた美月の足が何かにつまずいた。
「あっ」
鞄が床に落ち、中身が散乱する。美月は慌てて拾い集めようとしたが、ユウトの目に留まったものがあった。
黒い革のカードケースから覗く、見慣れない形状のIDカード。
ユウトは反射的に手を伸ばし、そのカードを拾い上げた。そして、そこに印刷された文字を見て息が止まった。
『桜井美月・エージェントコード:MS-047』 『マインド・シンク監視局・第三課所属』
カードの右上には、政府の紋章が刻印されている。
「見ちゃったのね」
美月の声が、いつもとまったく違って聞こえた。冷たく、諦めたような響きだった。
ユウトがゆっくりと顔を上げると、美月が立っていた。もう、いつもの人懐っこい笑顔はない。代わりに、職業的な冷静さを湛えた表情がそこにあった。
「僕を……監視してたの?」
声が震えた。手に持ったIDカードが、現実を突きつけている。
「最初はそうだった」
美月は静かに答えた。
「でも今は違う」
「今は、って……」
ユウトの視界に、美月の感情が見えた。複雑に絡み合った色彩——愛情を示すピンクと、罪悪感を表す暗い紫、そして何かを決意した時の鋭い青が混じり合っている。
「いつから?」
「転校してきた日から。あなたの異常な行動は、すでに政府にマークされていた」
美月は壁にもたれかかりながら続けた。
「マインド・シンクシステムに影響を与える個体の確認と監視。それが私の任務だった」
「個体って……僕は実験動物じゃない」
「ごめん。そんなつもりじゃ……」
美月の感情の色が、より強いピンクに変わった。これは間違いなく、本物の愛情の色だ。
「でも、私の気持ちは本物よ。あなたといると、私らしくいられるの」
ユウトは混乱していた。目の前にいるのは、愛する女性なのか、それとも政府の監視員なのか。感情読解能力が示す色彩は愛情を示しているが、現実に突きつけられた事実は冷酷だった。
「他にも、僕を監視している人がいるの?」
「……ええ」
美月は苦しそうに答えた。
「来週転校してくる三人。田村、中島、佐々木。みんな私と同じエージェント」
ユウトの膝から力が抜けた。自分の周りは敵だらけだ。
「私、あなたを守りたい」
美月が床に膝をつき、ユウトの手を取った。
「システムは……間違ってる。私たちがやろうとしていることは」
「私たちって?」
「プロジェクト・ハーモニー」
美月の口から出た言葉に、ユウトの血が凍った。
「来月の全国システムアップデート。表向きは機能改善だけど、本当の目的は全国民の人格統一よ」
「人格統一?」
「全員を『理想的な市民』に作り変える。反抗心も、創造性も、愛情さえも管理された感情に置き換える」
美月の感情の色が、恐怖を示す黒に変わった。
「あなたの能力は、そのシステムに対する最大の脅威。だから——」
「だから僕を監視して、能力を封じ込めようとしてるのか」
ユウトは立ち上がった。怒りと絶望が入り混じって、胸が苦しい。
「でも私は、もうあなたを渡したくない」
美月も立ち上がり、ユウトを見つめた。
「一緒に戦いましょう。システムを止めましょう」
ユウトの視界に映る美月の感情は、今度こそ純粋な決意の青だった。