4「能力の暴発」
放課後、ユウトは仮想空間で重要なプロジェクトのデバッグ作業に没頭していた。クライアントから依頼された企業システムの改修は、彼の技術力が試される大きな案件だった。
「この部分のアルゴリズムを最適化すれば……」
集中して作業を続けていると、ふと現実モニターに異変が映った。「従順モード」で行動しているはずの現実の自分が、廊下で立ち止まっている。
「なんで? 従順モードなら真っ直ぐ帰宅するはずなのに」
仮想体のユウトは困惑した。モニター越しに現実の状況を確認すると、階段の踊り場で異常な光景が展開されていた。
桜井美月が5人の男子生徒に囲まれている。リーダー格の佐藤が、いかにも威圧的な態度で美月を見下ろしていた。
「調子乗ってんじゃねーよ、優等生」
佐藤の声は暴力的で、他の4人も薄ら笑いを浮かべている。美月は冷静に「やめてください」と言ったが、その声にはかすかな動揺が混じっていた。
現実のユウトは「従順モード」のはずなのに、なぜか足が前に進んでいる。システムの設定では、争いごとを避けるはずなのに。
「おかしい……システムエラーが起きてる?」
仮想空間のユウトは焦った。モニター越しに見る現実の自分は、明らかに怒りの表情を浮かべている。
「警告:人格モード不一致」
システムからエラー音が響いた。
「やめろ」
現実のユウトが静かだが鋭い声を発した。その声には、普段の彼からは想像できないような強い意志が込められていた。
「あ? 誰だよお前。チビが出しゃばんな」
佐藤が振り返ると、廊下に立つユウトの姿があった。小柄で目立たない存在のはずの彼が、なぜかこの瞬間だけは堂々として見えた。
美月は驚きの表情でユウトを見つめた。なぜ彼がここに? なぜ自分を助けようとしているの?
ユウトは一歩前に出た。その瞬間、彼の目が一瞬赤く光ったように見えた。
同時に、ユウトの視界に劇的な変化が起きた。今まで時々見えていた「薄い色の靄」が、突然鮮明になったのだ。
佐藤たちの頭上には真っ黒な靄が渦巻いている。それは攻撃性と悪意の可視化だった。一方、美月の周囲には深い紫色の光が揺らめいている。複雑な感情——恐怖と困惑、そして驚きが混ざり合った色彩だった。
「この色は……感情?」
ユウト自身の感情も可視化されていた。虹色に輝く怒りが、彼の体の周りを包んでいる。
「うるせーんだよ!」
佐藤がユウトに向かって手を上げようとしたその瞬間、異常事態が発生した。
激しい頭痛と共に、ユウトの目から「波動」のようなものが放射されたのだ。それは虹色に輝く光の輪となって、佐藤たちに向かって広がっていく。
波動が佐藤たちに到達した瞬間、彼らの頭上を覆っていた真っ黒な靄が一瞬で灰色に変わった。攻撃的な感情が、中立的な状態に変化したのだ。
「あれ? なんで俺たち……」
佐藤は困惑した表情で手を下ろした。他の4人も同様に、さっきまでの攻撃性が嘘のように消えている。
「なんか……バカバカしくなってきた」
「そうだな。帰ろうぜ」
彼らは肩をすくめて立ち去っていった。まるで何事もなかったかのように。
しかし、この奇跡的な解決には大きな代償があった。ユウトはその場に膝をつき、鼻血を流し始めた。頭の中で何かが炸裂したような激痛が襲っている。
「ユウト!」
美月が駆け寄ってきた。彼女の声が遠くに聞こえる。
「僕は……何をしたんだ?」
ユウトの意識は朦朧としていた。仮想空間の自分と現実の自分、そして今現れた第三の「何か」が、頭の中で混乱している。
美月がユウトを支えながら保健室へ向かう途中、彼は薄れゆく意識の中で思った。
「僕は……化け物なのか?」
この日を境に、ユウトの日常は決定的に変化することになる。隠していた異常な能力が、ついに表面化してしまったのだ。そして、それを目撃した美月との関係も、新たな段階へと進んでいくことになる。
頬を伝う鼻血と共に、ユウトの「普通」への願望は完全に砕け散った。もう後戻りはできない。彼は自分の中に潜む未知の力と向き合わなければならなくなったのだ。