*19* 解けない問題、叶えられなかった夢
わたしはちょっとだけ身を乗り出すと、人さし指でとんっと便箋の端を叩いてみる。
「ここの行、計算間違ってる。十倍するところが、百倍になってるよ」
「えっ……あ……ほんとだ」
「桁がひとつ違うと大変なことになるから、魔法薬の投与量計算は何度も見直して、正確にね」
「返す言葉もない……」
「あと、ポーションの治療効果を高めるここの設問だけど。十倍に濃縮させたいときは、魔法薬と治癒魔法の比率は、一対十じゃなくて、一対九だからね。低級ポーションの場合、ポーション原液一本に対して、初級の治癒魔法を九秒間かけるのが正解」
「そうなのか……そのへんの考え方が難しくて、よくわからなかったんだ。教えてくれてありがとう」
「いえいえ。それが薬術師のお仕事ですから」
薬術師は、魔術師から派生した特殊職業だ。
魔術師を目指す人は多いけど、魔法薬学に関心をもつ人はまわりにいなかったんだよね。
私もついうれしくなって、口出ししちゃった。
「ノアも薬術師とか、回復師になりたいの?」
「うん、それができたらよかったんだけど……俺、治癒だったり補助魔法をあつかうのは、魔力の性質的に向いてないみたいだ」
たしかに、わたしが目にした限りでも、ノアは魔力量が膨大かつ、攻撃魔法に向いた性質だったように思う。
魔力消費の多い上級攻撃魔法をバンバン撃ちまくって、モンスター討伐クエストのメインアタッカーになれるくらい。
「『やりたいこと』と『できること』は違うんだな。それなら俺は、俺の魔力は、リオを守るために使うよ。もう二度と……俺のたいせつなものを、奪わせない」
そう言葉にするノアのまなざしは、どこまでもまっすぐだった。
「なぁんて。ははっ、なんか、じぶんで言ってて照れてきちゃった。えっと、あんまり治癒魔法が使えなくても、知識があったらリオのお手伝いができるかもしれないでしょ? だから、勉強はしたい。リオにききたいこと、いっぱいある。いっぱい、教えてほしいな」
やりたいことができなくても、ノアは悲観していない。
おなじ薬術師になれなくても、隣に立っておなじ景色を見ることはできるんだって、前を向いてる。
心根からまっすぐで……純粋な子だ。
はにかむ澄んだサファイアの瞳を前にして、無性に、泣きたくなってしまった。
「ね、きいてもいい? リオの夢はなに?」
いろいろこみ上げてきちゃってるときに、その質問は反則で。
「わたしにはね、みんなの度肝を抜くようなすごい薬を作って、世界中の人をしあわせにする野望があるんです!」
おどけながら口にしたのは、そうです、白状しましょう、照れ隠しです。
前世ではやり遂げられなかったこと。
志半ばで一度は折れてしまった夢を、今度の人生では、叶えたい。
それがわたしのやりたいことなんだって、いままで信じてやってきたんだ。
「どうして?」
「えっ?」
「リオは回復師でもあるんだよね。おなじ治療師でも、どうしてリオは、薬術師の仕事をしてるの?」
……信じて、やってきたのに。
わたし自身すら疑問に思わなかったことに、ノアは首をかしげる。
「リオが作ったポーションは、リオのところから直接買われないことだってあるでしょ。ギルドの魔法薬店で、ほかのポーションとおなじように棚に並べられる。直接ありがとうを言われないことだってあるのに、なんでリオは、顔も知らないだれかのために薬を作り続けるの?」
変な意味合いはなくて、これはノアの、素朴な疑問だ。
「そりゃあ……魔力量がアレですし。回復師としてパーティに入れてもらっても、お荷物になるだけだからね。わたしは現場に向いてないんだよ」
「じゃあ魔力がいっぱいあったら、リオは回復師のほうをやりたい?」
「……それは」
考えたこと、なかった。
……いや。ずいぶん昔に、考えるのを諦めたことだ。
「なんとなく、なんだけど……リオを見てて、思ったんだ。リオ、ほんとうにやりたいこと、がまんしてないかなって」
「……それをきいて、どうするの?」
「俺がすることなんて、決まってるよ。いつも言ってるでしょ? 『リオの役に立ちたいんだ』って」
ノアはほんとうにいい子だ。こころから、そう思ってくれてる。
無垢な笑顔で、わたしの戸惑いに、踏み込んでくる。
「リオ、俺を使ってね。俺がリオの夢を叶えてあげる」
ノアの言っていることは、抽象的で、よくわからない。
解けない難題を突然出されたときみたいに、思考が停止する。
「あれ、ポカンとしてる。ふふ、可愛い。大丈夫だよ、すぐにわかる。もうそろそろだろうから」
いまこのとき、ここでは、ノアの時間だけが動いてる。
テーブルへ置きっぱなしになっていた左手に、するり……と指が絡んだ。
「ねぇリオ、おなか空いちゃった。今日はいっぱい……食べてもいい?」
フードの影でほんのりとほほを染めたノアは、そう言ってなぜか、わたしについばむようなキスをした。
* * *
翌日、宿の部屋に一通の手紙が届く。
【今回(前回値)】
・魔力質 A(A)
・魔力量 C(E)
総合評価 B(C)
以上、今回の健康診断における魔力項目の総合評価がB評価に達しましたので、『ギルド認定薬術師ライセンス』発行基準を満たします。
ライセンス発行をご希望の場合、期日までに冒険者ギルドの専用窓口へお越しください──