*13* 傷だらけの翼竜
「ワイバーン? ドラゴンじゃないのか?」
「バカを言え! ドラゴンがこんな人里の近くにホイホイ現れてたまるか! あれはワイバーンだ!」
翼竜──亜竜や、低級ドラゴンとも呼ばれる。
モンスター全体でみると希少価値は中級クラスで、冒険者ギルドがさだめる討伐クエストの難易度はC以上。
わたしも、目にするのははじめてのモンスターだ。
「グルルル……」
ここで、鉄錆のにおいが鼻をついた。
地面にうずくまり、低くうなるワイバーンの足もとに、じわりと血だまりがにじむ。
翼だ。左の翼の付け根からの流血が酷い。
「翼がちぎれちゃいそう……いったいなにが……」
「大方、街のひとを襲おうとして冒険者に返り討ちにされたんでしょう。ここまでやられてんなら、あとは簡単ですよ」
そういって前に出た商団ギルドメンバーのおじさんが、クロスボウをかまえる。
「脳天をぶち抜いてやる!」
ヒュンッ!
ギリリと限界まで引き絞られた矢が、うなだれるワイバーンの頭部めがけて放たれた。
「ギシャアアッ!」
けれどワイバーンが跳ねるように起き上がり、雄叫びをとどろかせる。
一直線に飛んでいった矢は、ワイバーンが吐き出した炎に焼かれ、消し炭となってしまった。
「なっ……ファイア・ブレスだと!? ワイバーンはドラゴンと違って、ブレス攻撃ができないはずじゃ……のわっ!」
ヴン!
トカゲのような尾が、空間を薙ぐ。
間一髪よけたおじさんだけど、もしあの一撃をまともに受けていたら。
岩壁に叩きつけられ、全身を骨折していたかもしれない。
「手負いのモンスターは、通常より気が立っていて凶暴です。軽んじることのないように」
「も、申し訳ありません、エリオルさま……」
口調こそやさしいけど、エルの言葉は、戦闘に臨む者のそれだ。
緊迫の瞬間。ほとんどのギルドメンバーがどう出るべきか決めあぐねて、膠着状態に陥る。
そんな中、エルは蜂蜜色の瞳でワイバーンを見据え、その動向を注視している。
長い指先は腰に佩いた白銀の剣に添えられ、いつでも応戦できる状態。
「エリオルさま、こんなところでモタモタしてられないですよ。こんな死にかけモンスター、さっさとやっつけちまいましょう」
「おい、死体はどうするんだ? そのまま放置したら、別のモンスターが死臭につられて集まってくるぞ」
「やつらの餌になる前に、解体して燃やしちまえばいいだけの話だろ」
「それがいい、殺せ、殺せ!」
馬車酔いとか、そういうのとは別次元の頭痛がする。
(なんとまぁ過激な言い分ですこと……)
いのちを『救う』ために日々奔走する薬術師の前で、安易に『殺せ』だなんて。
「……グゥゥ……」
そのとき、その光景を目にしたのは、まったくの偶然だったのかもしれない。
でも、こっちがさわぎ立てるほどワイバーンがうなだれているのは、気のせいじゃない。
(……つらそうな顔、してる?)
大きなからだを小さく丸めるそのすがたが、わたしには、「聞きたくない」って耳をふさいでいるように見えた。
「……だから人間は嫌なんだよ。じぶんたちの都合のいいように解釈して、こっちのことなんか考えもしない」
すぐとなりで、ノアが低くうなる。
「俺たちに家族がいたとか、どんな思いでどうやって生きてきたとか、知ろうともしないで……」
フードの影で、サファイアの瞳が嫌悪感をにじませている。
「いつも殺せ殺せって無責任にわめくのは、じぶんじゃどうにもできない臆病者ばかりだ」
『悪魔』として虐げられてきた過去が、ノアを怒りにふるわせていた。
そっか。そうだよね。
わたしもノアの立場だったら、意味もなく嫌われて、酷いことをされて、つらいってレベルじゃないと思う。
「ありがとう、ノア」
「……リオ?」
胸がモヤモヤしていたのは、『わからなかったから』だ。
どうして怪我をしているのか。
どうしてそうなったのか。
「エル!」
わからないから、わたしは。
「考えがあります。わたしに任せてください!」
──知りたいんだ。
ワイバーン(あの子)のことを。
* * *
──リオの夢はなに?
ふとしたとき、ノアの問いが頭をよぎる。
わたしの夢は、傷ついたひとをわたしの薬で助けて、みんなをしあわせにすること。
でもね、いまは、ちょっと違う答えになるかな。
わたしが助けたい『みんな』は、人間もモンスターも関係ない。
「考えがあるとは、リオ、具体的にはどうするつもりですか?」
「薬術師ができることなんて、決まってるでしょ?」
にっと口角をあげて答える。
ふり返ったエルは、知性のある蜂蜜色の瞳で、じっとわたしを見つめている。
「おいおい、お嬢ちゃん、まさかとは思うがワイバーンを治療する気か? 助けたところで襲われたらどうする!」
「そうなったらそのときです」
「あいつのために危険をおかす義理はねぇだろ、やめとけ!」
「しゃらくせぇ。義理はないけど理由ならあるんだよ」
「んなっ……」
おっと、つい口調が荒くなってしまった。
でも、ぎゃあぎゃあ反論してきたおじさんが面食らったようにおとなしくなったから、まぁいいや。
「わたしは薬術師。傷ついて苦しんでるだれかがいるなら、放っておけないの!」
「待ちなさいリオ、危険です……!」
わぁっとまくし立てたら、案の定、エルに制止される。
だけど、エルの伸ばした手が届くことはなかった。
「リオの邪魔をしないでくれる?」
ノアがあいだに割り込んで、エルにとおせんぼうをしたんだ。
「きみは、彼女が危険な目に遭っても平気だっていうんですか?」
「あんたは、リオのことをよく知らないから、そんなことが言えるんだね」
「……なんですって?」
「平気なわけないでしょ。だけど、俺が止めてもリオは行くよ。リオはああ見えて、頑固なんだ。だれかを助けたいって必死になったリオは、だれにも止められない。それは、俺がよく知ってる」
エルが押し黙る。
ちょっとノア、それってどういう意味? わたしが猪突猛進ってこと?
可笑しくなっちゃう一方で、じんと胸が熱くなる。
「大勢で取り囲むと刺激しちゃうので、みなさんはそこで待っててください!」
心の中でノアに感謝しながら、わたしはテディブラウンのローブをひるがえした。
……ぶっちゃけさ、怖いよ。
鋭い爪でザックリやられたり、頭からガブッと食べられたらどうしようって、内心ビビってる。
でもさ、そうやって生まれたての子鹿みたく足がふるえてるのに、行かなきゃって思うの。
助けたいって想いで頭がいっぱいになって、それ以外なんにも考えられなくなるの。
いまのわたしを突き動かしている原動力。
それは、『助けたい』って気持ち。
物好きだって笑いたいなら、好きにすればいい。
わたしは、わたしにしかできないことをするだけ。
* * *
「こんにちは!」
近くまでやってきて、まずはあいさつ。
当たり前だけど、返事はない。
のそりと億劫そうにクリムゾンレッドの頭を持ち上げたワイバーンが、感情のない瞳でわたしを見つめている。
真正面で向かいあったわたしたちの距離は、目測で10メートル。
わたしの手は届かないけど、ワイバーンのファイア・ブレスなら射程圏内だろう。
ふつうのか弱い女子だったら、怖がってぐすぐす泣くところだろうね。
でもおあいにくさま。生まれてこのかた18年、図太く生きてきたわたしをなめんなよ。
「よいしょっと……」
肩にかけたストロベリーピンクのマジックバッグを正面に持ってきて、リボン型の留め具をパチンと外す。
「じゃじゃーん、リオさん特製、経口ポーションです! 最近開発した水飴タイプ!」
ガサゴソと中からさぐり当てたのは、目にやさしいいちごみるく色の液体が入ったガラス瓶だ。
キュポンとコルク栓を抜いたガラス瓶を、高々と頭上にかかげてみせる。
「これを口にしたらあら不思議、一瞬で痛いのとバイバイだ! ちいさなお子さんでも飲める甘いチーゴ味。試してみる? そぉれ、うりうり~」
ワルイ顔をしながら、にじり寄る。
どこの押し売り商法よ。我ながら笑える。
頭から食べられるかなぁとか思ったりもしたけど、それは考えすぎだったみたいだ。
だってさ、わたしがじりじり近寄っても、ワイバーンが攻撃してこないんだもん。
「前置きはこのくらいにして」
おバカみたいな声をひそめて、そっと語りかける。
「きみ、人間の言葉がわかるんじゃない?」
「──!」
──殺せ!
おじさんたちが叫ぶたび、つらそうにうずくまっているように見えた。
あれはかん違いじゃなかった。
このワイバーンは、人の言葉を理解してるんだ。
「きみがほんとうに凶暴で野蛮なモンスターなら、わたしなんかいまごろ、八つ裂きで丸焦げになってる」
でも、このワイバーンはそうしなかった。
飛んできたクロスボウの矢だけを、器用に燃やした。
不意をつかれたおじさんがよけられるくらいのスピードで、しっぽの攻撃をくり出した。
重傷を負っていて、うまく力のコントロールなんてできないからだだろう。
なのにワイバーンの攻撃は、わたしたちが傷つかないように、どれも絶妙にコントロールされていたんだ。
『傷つけたくない』って相当な精神力がないと、できないことだよ。
「きみは、やさしいんだね」
「……ッ」
なに言ってんだなんて、言わせないよ。
わたしの言葉に、はっと身じろいだきみが、凶暴で野蛮なモンスターなわけがない。
「でも、諦めちゃったら終わりだよ」
呆然と薄く開いたままだった口のすきまから右手を突っ込み、ガラス瓶の中身をひっくり返す。
とろりとした液体が舌の表面にある毛細血管から染み込んでいき、やがて、ワイバーンがとろんとまぶたをおろす。
(よかった、効いたみたい)
このポーションの作用は、鎮静効果。
右手を引き抜けば、ワイバーンがうとうととうずくまったから、ちょうど目線にあった長い首の付け根をなでる。
エナメル質の鱗で覆われた首は、ツルツルしていて、思いのほか手ざわりがいい。
「いまだけでいいから、わたしを信じてね」
わたしが、治してあげるから。
そうと決まれば、必要なものをマジックバッグから取り出す。
まず、使い捨て(ディスポ)のマスクとグローブ。
ワイバーンの血液には毒性があるって魔法薬学の指南書で読んだから、必須装備だ。
次に、魔法瓶。
ペットボトルサイズだけど、『空間圧縮』と『重量軽減』の魔法がかけられていて、バスタブ1杯分の容量がある。
わたしはいつもこの中に、生理食塩水を入れている。傷口の洗浄に使うためだ。
これなら血漿浸透圧とおなじ──要は、わたしたちの細胞組織とおなじ成分だから刺激がすくなくて、ふつうに水で洗浄するより痛みも和らぐってこと。
(人間とモンスターじゃ体内の塩分濃度は違うはずだけど、人間用の経口ポーションが効いたなら、いけるはず)
ワイバーンのまわりを、ぐるりと一周。
傷の程度を確認するとともに、傷口を生理食塩水で洗浄していく。
足や胴体、しっぽにあった傷は、液状の低級ポーションを30本空にしたところで、ほとんど完治した。
「問題は……よし。ちょっとごめんね!」
わたしは意を決して、ブーツを脱ぎ捨てた。
* * *
裸足になって、ワイバーンのからだをよじ登る。
「わわっ……たっか……」
うずくまったワイバーンの背に登っただけでも、3メートル近くありそう。
(落ちたらやばいな、こりゃ)
ただ、もし足をすべらせても、ノアくんあたりが風魔法で助けてくれそう。
すごいもん、視線の圧が。
「さぁて、やりますか」
気合いを入れて向かうのは、いちばん損傷の酷い箇所。左の翼だ。
やっぱり、付け根の出血が深刻だ。
ドプドプと、リットル単位で垂れ流しになっている。このままじゃ失血死しちゃう。
「癒やしの灯火よ──『フレイム・エイド』」
創部に右手をかざし、詠唱する。
これは、わたしが考案した治療用の火魔法。
血が止まらないなら、焼く。タンパク凝固作用で、止血するんだ。
ジュッ……
「グゥッ……!」
「きゃっ……」
びくんと、ワイバーンのからだが跳ねる。
わたしはとっさに首にしがみついて、なんとか落下せずにすんだ。
(鎮静剤を使っていても痛むか……)
そうだよね。こんなに深い傷を負ってるんだもん。
「大丈夫だからね、もうちょっとだよ」
「ウゥ……ァア」
ワイバーンのからだをなでさすり、声をかけながら、治療を再開する。
さいわい、出血は止まっていた。
あとは、いまにもちぎれそうな翼を元に戻せれば。
マジックバッグから、褐色瓶を取り出す。
中には上級ポーション。これなら、折れた骨がくっつき、切断された手足も元に戻る。
手持ちは2本。だけど、栓を抜く手に迷いはなかった。
「治れ、治れ……治れ!」
目の前のいのちを助けなければ。
ただ、その一心だった。
* * *
「信じられない……」
だれかがそう言った。
同感だよ。わたしも、信じられないくらいぐったりしてる。
治療を終えて地面に足をつけるころには、ヘロヘロだった。
「やば……つい上級治癒魔法まで使っちゃった……」
それもこれも、なかなかくっつかなかった翼のせい。
いや、意地になったわたしの自業自得ですけども、はい。
「うぇっ……」
ひさびさのオーバーワークだ。
あかん、リバースしてしまう……だれか、モザイクもってきて……
「リオ!」
ふらっとよろけたわたしが地面と熱烈なキスを交わす前に、抱きとめられた。
「もう、無茶して……これくらいは多目に見てよ?」
「……んっ」
わたしを抱きとめてくれたノアのお顔がやけに近いなぁと思ったら、唇がくっつく。
ふっ……と吹き込まれる呼気。
一瞬のことだった。吐き気の波が引いて、頭がすっきりする。
「へっ……ちょ」
「リオ、無事ですか!」
「ふぁイっ!」
だめだ、変な声が出た。
「怪我はないみたいですね。よかった……」
「ご、ご心配をおかけしまして……?」
駆け寄ってきたエルは安堵の表情を浮かべるばかりで、そばにいるノアについては言及しない。
たぶん、運良く死角になってて、さっきの場面は見られてないんだと思う。
そうだよね。そうだと思わせてくれ。
「あなたが治療をしているあいだ、気が気じゃありませんでした……」
整った眉じりを下げたエルが、おもむろに片ひざをつき、わたしの足にふれる。
あっ、そういえば裸足のままだった。
エルがふところから高そうなハンカチを取り出すものだから、あたふた。
「エル!? わたし、じぶんでブーツはけま……」
「おとなしくしてください」
「へい……」
しょぼんと縮こまるわたしは、エルにされるがまま。
極上シルクのハンカチに両足の土をぬぐわれ、ブーツをはかされるという、公開処刑を執行されたのであった。
「リオさんがんばったのに、扱いがひどい……」
シクシクと人知れず涙を流していると、背中にものすごい視線を感じる。
ふり返れば、鎮静から覚醒したんだろう。ワイバーンが首をかたむけ、わたしをじっと見つめていた。
「あっ、気がついた? 治療は終わったからね。傷はリオさんがキレイさっぱり治しました!」
ぱたぱた、と翼を動かしたワイバーンが、なにやら考え込んでいる。
元通りになった翼を見て、まだ半信半疑みたいだ。
「あはは! 今日は安静にしてるんだよー」
じゃっ! と右手をあげて、背を向ける。
そこまではよかった。
「……んっ?」
すぐに、異変に気づく。
なんだろう、これ。
「あれれ、おかしいな? 前に進まないぞー?」
「リオ、後ろ! 後ろ見て!」
ノアにそんなことを言われて指さされたので、ふり返る。
そしたら、ローブの裾を引っ張られていました。
ワイバーンに噛みつかれるというかたちで。
「へぁっ? ちょっ、何事…………あらぁ~っ!?」
うろたえているうちに、リオさん、なにやら長いモノに巻かれて、ずるずると引きずられます。
(なんだ、なにが起きた……!?)
わけがわからずポカンとしていると、ほほにツルツルしたものがこすりつけられる。
「……クゥ」
顔だ。わたしはなぜだかワイバーンの長い首に巻かれて、ほおずりされていたんだ。
抜け出そうにも、ガッシリホールドされていて、それどころじゃない。
「えっ、えっ……?」
「クゥン……」
激しく意味がわからないのに、恐ろしく居心地がいい。長い首にジャストフィットしてる。
ワイバーンの顔まわりの鱗って、案外やわらかいんだな……ゼリークッションみたい……
「あっ、いけませんお客さま、お客さまーっ」
「クゥゥ……」
魅惑のプニプニ感を前に、わたしという人間は無力なのであった──
「……調教師でもないのに、ワイバーンを手懐けるひとなんて、はじめて見ましたよ」
眉間をおさえたエルが、たっぷりの沈黙のあとに、そう言って苦笑していたような気がした。




