第86話 Whiteout
視点:向井
村雨さんに脇腹の手当てをしてもらっていると、ポツリと顔に水滴が落ちて来た。雨か…
そうして漆黒に包まれた空を見ていると、脇腹の圧迫感が解放され、村雨さんの手が離れた。
「出血は止まりました。その…痛みはどうですか?」
「痛みですか?そうですね、少しジクジクするくらいですね」
俺がそう答えると、目の前にいる村雨さんは俺から目を逸らした。
立ち上がり、俺は自分の荷物をバックパックへと押し込んでいく。雨宿りできる場所を探さなければ。
暗闇の中、元凶から奪ってきたペンライトをつけて、地図を確認する。
「近くに小さなお寺、もしくは御社があるようです。そこで雨宿りしましょう」
俺がそういうと村雨さんは頷いて、彼女もバックパックを背中に担いだ。
目的地までは数分、体が濡れる前に辿り着けるといいが。
雨脚が少し強くなってきている。粒が少し大きい雨だ。昼間の熱気と南風のせいか、雨粒はぬるい温度に感じられる。
手のひらで雨脚を確認しながら、より暗くなっていく視界を補助するためにペンライトで足元を照らす。
感染者の気配はなく、シトシトというアスファルトに雨粒が落ちる音だけが聞こえてくる。同時に雨が土に打ち付けたときの、湿っぽい香りが漂ってくる。この辺りも雨が降るのは久しぶりのようだな。
「向井さん、あそこですね」
俺が地面のほうに気を取られていると、村雨さんが先に目的地の小さな寺を発見した。住職などがいるような大きなものとは違い、境内を取り囲む塀すらもない、小さなお堂だけが敷地内にポツンと建っている。
「辻堂ですね。2人で横になれるスペースくらいならありそうです」
先行していた村雨さんが振り返って報告してくれる。なるほど、こういった小さなお堂だけの場合は辻堂っていうのか。
村雨さんに続いて、俺も敷地内に入ってお堂の前へと歩いていく。
建て付けの悪い木戸をガラガラと開ける。中は6畳ほどの広さがあるが、3割ほどは本尊を収めているであろう木製の棚のようなものが置かれている。それ以外の場所はただの板張りの床だ。
お、座布団がいくつかあるな。これを枕にして寝れば多少は寝心地もマシになるだろう。
俺は座布団を1つ取って、続けてお堂に入って来た村雨さんに座布団を手渡す。するとすぐさま彼女は座布団を本尊を収めた厨子の前へ置き、その扉を観音開きにして仏像を露わにした。
そして座布団の上で正座をして合掌。なんとスムーズな所作だろうかと感心してしまうほどだ。意外と信心深いんだなぁ…
俺はそんな村雨さんから目を離し、座布団を壁際に置いて、それを枕にするようにして横になった。横になったままバックパックを外し、靴を脱ぎ、右の脇腹が上になるような体勢を取る。
すぐに眠気が襲ってくる。
俺はそのまま意識を手放すため、身体の力を抜いた。
寒いな…流石に9月中旬ともなると、半袖は少し寒い。
外が少しだけ明るくなっている、時刻は5時過ぎか。
静寂の中に、俺の呼吸音と隣で寝ている村雨さんの寝息だけが聞こえてくる。いや、僅かだが何か音が聞こえる。
呼吸を止め、耳を澄ませて集中する。聞こえてくるのは何か金属音のような…そして人の怒号…これは戦闘音か…?
俺は身体に力を入れて立ち上がり、靴を履いて辻堂の木戸をガラガラと開ける。後ろではその音に反応した村雨さんが飛び起きたようだ。
外は非常に濃い霧で覆われていて、真っ白な世界が広がっている。視程は10メートル前後といったところか。
「向井さん、どうされました?」
「戦闘音です。銃火器は使用されていないようですが…」
木戸を開けたことで、さらに音が少しだけ聞こえるようになった。人間の怒号や悲鳴が混じって聞こえてくる。
村雨さんも聞こえたのか、すぐに立ち上がって装備の確認に入る。
「村雨さん、AKを」
俺がそういうと、すぐさまバックパックからAKS74U本体を取り出して俺に手渡してくれた。さらに続けて6L23のマガジンを差し出してくれる。流石、分かってるな。2個はリグに、1個は装填する。
受け取った3つ目のマガジンを引っ掛けるように本体に差し込み、ダストカバー代わりになっている大きなセレクトレバーを2段階下げて、チャージングハンドルを引く。
村雨さんもサバイバルナイフとハンドガンを取り出した。ハンドガンにマガジンを差し込んで、スライドを引いて離す。さらにプレスチェックも欠かさない。
「行きましょう」
村雨さんが頷いたのを確認して、俺は真っ白な霧の中へと足を踏み入れる。
音がしている方向は何となくわかる。幸いにも付近に音が反射しそうな建物や地形がないため、真っすぐ音のする方向へと進むことができる。
しかし、遠くから音がしているものだと思っていたが、早足で進んで行くと音がさらに大きくなっていく。発生源が移動している可能性もあるが、恐らく濃い霧によって音が遮られてしまっているのだろう。
200メートルほど進むと、もうその喧騒は目の前だった。




