29 兄の心情と蒲焼きの呪いとフォークダンス
「ねえ、凡仁くん」
授業の合間に教科書を片付けていた凡仁は、ふっと顔を上げた。
麗川が立っていた。この二人が仲がいいことはクラスの皆にはすでに周知であるので、特に目立ちもしない。まあ相変わらず美少女侍らせやがってこの野郎がと思われてはいたが。
「うん?麗川さんどうしたの?」
「五条マユが、天使さんと伊集院くんを連れて屋上へ行ったわよ」
麗川は重々しく言った。めっちゃ重々しかった。軍事発表をする将軍みたいな凛々しさだった。
その言葉の意味が全くわからなかった凡仁は首をひねった。
えっと。だから……?
「……仲良しでいいんじゃないかな?千春にも友達がいっぱいいた方がいいだろうし」
「そういう事ではないのよね」
「じゃあどういう……?」
「凡仁くんは、五条家を知っている?」
「え?……五条さんのおうち」
そういう事じゃねえんだよと麗川は思った。違う、そうじゃない。
「五条マユ。五条財閥の一人娘よ。五条財閥といえば、和洋折衷大正ロマン、ありとあらゆる文化の発展に尽くしてきた家柄。この街で有名なのは映画館の手広い運営じゃないかしら。舞台芸術や、舞踊の類も嗜む家柄でもあるわ。……つまりね、彼女があの二人の味方につくとどういうことが起こるかわかる?」
そこまで言われて凡仁は漸くことの重大さを理解した。
「……ベストパートナー決定戦で二人が優勝する確率が上がる……?彼女の入れ知恵にはそれだけの力がある?」
「ええ、そのとおり。よくできました。……まあでも、貴方……凡仁くん。ねえ。真面目に優勝する気があるの?」
麗川はその切れ長の目元を細めて、机に横座りに腰掛ける。普通に行儀が悪いが、黒髪美人のそれは驚くほど色っぽかったので凡仁はそれにどぎまぎして注意をするのを忘れた。
それから、彼は何度か咳払いをした。
伊集院の側にいた幸せそうな天使の顔を思い出す。
でも、それに対して戸惑っていた伊集院の顔も、──同時に思い出した。
「……。優勝する気はあるよ、当たり前じゃないか」
「凡仁くん。……貴方、伊集院くんのこと嫌いじゃないんでしょう」
「……まあそれは、うん」
「天使さんの相手が彼ならいいと思っているのではないの?」
凡仁は暫く黙り込んだが、ふっと小さくため息を吐いた。
「……まだだめだよ」
「あら。『まだ』なのね?時がくればいいの?」
「うん。……でも、それは今じゃない」
真面目な顔をする童顔の凡仁和明は、紛れもなく兄の顔をしていた。それを見て、麗川はふっとうつくしい瞳を細める。口紅がなくても綺麗に色づいた唇が笑う。
「あら、男らしい顔をするわね。いいと思うわ、そういうの。私好みよ。泣かせたくて」
そっち????
「でもいいわ、一つ貸しにしてやめておいてあげる」
「麗川さん、その。ごめんね。出場、付き合わせちゃって」
「いいのよ。私がいることで、ハードルが上がるでしょう?──……日本舞踊の実力は、自分で言うのもあれだけれど私は指折り。こんなに舞踊が上手い女子高生も他にいないもの」
麗川椿、くそ自信満々な美人であった。
それに対して凡仁は穏やかに微笑む。これだけの自信家をあっさり受け止められる凡仁和明のメンタルは普通に凡人じゃなかった。まあ『主人公』ってそういうものだよね。
「うん、麗川さんはすごいよ。あと麗川さんが踊ってるのを見たら自信喪失してみんなどじょうすくいしかしなくなるらしいけど、それもすごいね……?」
「あら、あれは自信喪失じゃないわよ」
「違うの???」
「あれは本家本物巫女の呪いだから」
「呪い????」
「どじょうを火炙りにして作った蒲焼きを使った呪いよ。ガチよ」
それってただのどじょう料理じゃないのかな。
何が本当なのか分からなくなってきた凡仁は、そっと追求をやめた。
「……何はともあれ、すごい人が二人の後ろについたなあ……何かご縁があったのかな」
「さあね」
「千春と仲良くしてくれるといいなあ。千春引っ込み思案だからさ。二人でパジャマパーティーとかできる仲に発展したりしたらいいよね……」
「あなた、本当に天使さんが好きよね……」
「もこもこパジャマの千春……!絶対可愛いと思うんだよ!もこもこパジャマだけど足だけはすんなり出してるとバランスとかも綺麗だと思うんだ……!」
「あのね、服飾的な話をしているのはわかるんだけど普通に気色悪いわよ」
うん、なんというか。
シスコン極まってるんだよなあ。
ーーー
同時刻。屋上に連れて行かれた俺たちは、五条マユ……マユちゃんに──Wetubeを見せられていた。
「いい。罪深きものたちよ。ベストパートナー決定戦は、異種格闘技戦」
華やかなキラキラしたステージ。伊集院家のリビング4つぐらい合わせたぐらいの広さの鏡張りの部屋に、きらっきらシャンデリア。ベルサイユ宮殿かよ。
そこで行われる──シンクロナイズドスイミング。スケートリンクで踊る二人の男女。フラメンコを踊る女性二人。ヒップホップダンスを躍る男性二人。ありとあらゆるダンスの共演がそこにあった。スイミングまで許容範囲なのか……
紫色のボブカットに金色の瞳の五条マユは、真面目な顔をした。
「勝つためには、この中で生き抜く必要がある」
「……それはわかる、わかるんだけど……マユちゃん」
「漆黒の救済者を気安く呼ばないで!」
「あっ、悪い……漆黒の救済者」
「さまをつけて……」
注文が多いな。
「救済者様。なんで俺たちにこんなに良くしてくれるんだ」
問いかけると、金色の目をぱちくりさせてから五条マユは黙り込んだ。
正直あの、俺としては幼馴染ぐらいの印象しかない。いやまあ小さい頃から彼女はめちゃくちゃ可愛くて、伊集院環としてお姫様にする宣言をしたけども……結局小学校が別々だったからそれっきりだったし……。
「……それは……」
彼女は頬を赤らめてちょっとあたふたした。
「そ、そのっ……別に、ただの気まぐれで……余計な口を慎むように」
どこからかすっとメイドが湧いて出た。
「お嬢様はお二人を推しておられますので」
どこかが出てきたんだ!?
「影に潜む術程度は習得しております。メイドですので」
「……忍者じゃなくて……?」
「あくまでメイドですわ」
「中村。余計な真似をしないで」
「お嬢様のお言葉を翻訳するのもメイドの努めですわ」
「いらないわ……!」
「お嬢様がお友達……いいえ、推しカップルに誤解されては困りますもの……中村、悲しくなってしまいます」
泣き真似をするメイドさん。
基本目が細くて目が開いていないのだが、明らかに嘘泣きだった。わっかりやすい。
──にしても、推し、かあ。
「マユちゃん」
「無礼者!」
「あっ、救済者様。その、俺たちを推してるって何……?」
「…………」
五条マユはちょっと黙り込んでから、俺たち二人を見た。
「……二人を見ていると、そのまま幸せであってくれればいいと……思わなくもないし……。浄化されしサンクチュアリで永遠にウェディングケーキを食べていてほしい」
「なんて?」
「……私の隣にいなくてもいい。幸福を享受し幸せを謳歌し健やかに生きてくれれば。特に、穢れなき乙女。あなたの方は」
「ひゃぅ!?わ、わたし……?」
天使千春はびくっとしてから、おずおずと問いかける。それから、五条マユをじっと見てからはにかむ。
「その、……ありがとう、ございます……」
「……よきにはからえ」
「あのっ、えっと、わたしや伊集院くんの事を助けてくれること、とっても嬉しいです……!ありがとう、五条さん……」
俺を置き去りにして二人が仲良くし始めて俺はちょっとばかり疎外感を味わう。
それから、マユが言った言葉について少し考える。『自分の隣でなくてもいい』『ただ幸せを願う』だけで済ませられるのが推しへの感情なら。俺の、感情は。
天使が俺以外の誰かに幸せにしてもらうような日が来ることをちょっとだけ想像してみた。
ウェディングドレスを着て、ゆっくりと歩く天使。天使の行く先には、謎の顔だけもやもや男が立っている。
天使がはにかんで笑う──ところまで想像して俺は想像をやめた。俺の推し、やっぱり死ぬほど可愛いな。
…………でもその場所には俺が立っていたらもっといいな。そういう空想がきっと、一番楽しい。
自分の気持ちを、また少し自覚する。
多分、もうわかりかけているんだ、きっと。
「伊集院くん?」
「罪深き者よ。何をぼんやりしているの……」
ふっと目を上げると、ボブカットに片目隠れの美少女と、ふわふわの桃色の髪の美少女がこっちを見ていた。
(俺は天使ガチ担だからともかく……美少女二人相手に俺一人とかギャルゲーみたいだな……ハーレムか……)
「中村もおりますが」
いきなり耳元で声がしてびっくりした。どうやって移動したんだ!?
メイドさん。
「あのっ、俺の後ろにどうやって……心を勝手に読まないでくれるとありがたいんですが」
「メイドたるもの、瞬間移動と心を読む程度嗜んでおります」
あっ、はい。
マユお嬢様に下手なことをしたら処すぞ、という殺気がこもっていた。ごめんなさい。
「……改めて説明をするけれど。ダンスの初心者のあなたたちが技量だけでここを勝ち抜くのは、断崖絶壁、宵闇に呑まれし暗闇の崖の底から暁の光明を目指して崖を道具無しで上るようなもの……」
「つまりほぼ無理だと」
「だからこそ、わたしが奨めるのは──最も基礎。スタンダードにして王道、難攻不落。クイックステップやベニーズワルツ、スローフォックストロット……技術が何もなくても、踊れるもの。身を宵に舞わせられる蝶になれるもの」
彼女は片目を抑えて左目が疼くかっこいいポーズをした。
「フォークダンス。これが、私が勧める、最高の切り札」
俺と天使は目を瞬かせた。
「……あの、フォークダンスはなんかちょっとダサ……」
「Shut Up!」
さすがお嬢様。発音のいい英語だな。




