迷子の捜し方
少し硬めに炊いた米で作った、甘さと酸味がブレンドされた酢飯。
それを手に取ったぱりぱりの海苔の上に、多すぎないよう適量のせる。
次いで、視線をテーブル上の種々の皿に……迷いは一瞬、まずはヒラメから。
淡白ながらも、旬に入りつつあるだけあって脂がのっている。
ヒラメは寿司屋で出される握りが一般的で、手巻き寿司の具としてはあまりポピュラーではないだろうが……この際、そんなことは関係ない。
せっかく新鮮なものが手に入ったのだから、俺は巻く。誰に何と言われようと巻く。
わさびは適量、お好みで。
「あれ、醤油って出したっけ?」
「どうぞ、兄さん。小皿に注いでおきましたよ」
「お、ありがとう理世」
稀に自分の手で身を捌くことはあるが、基本的に手巻き寿司の具を用意する際は処理・加工済みであるものが大半だ。
よって美味いか不味いかは、購入時の目利きで全てが決まると言っても過言ではない。
俺たちが住む町から海はそれほど近くないものの……。
大型スーパーに負けず、地域に根付き続ける有名な魚屋が商店街に一件存在している。
そんな店で買った、多種多様な魚介類の刺身たち。
持てる知識を総動員し、選びに選び抜いた結果は――
「うん! うま――」
「えんがわ、美味ぁぁぁい!! 身が締まっていて、それでいてコクもある! やはり最初は白身魚だな、亘!」
「………………そうだな」
全ての感想を未祐に代弁され、俺は数秒沈黙。
どうにか一言だけ絞り出し、しっかりと味わってから飲み込む。
湯気を立てる緑茶を軽く口に含み、気持ちを落ち着かせてから未祐に向き直る。
「……ほら、イカもいっとけ。店長さん、今日のは鮮度がいいって言っていたぞ」
「うむ! 待っていろ、マグロ! 味が濃い目のお前は後回しだ!」
未祐は父親の章文おじさんとよく寿司屋で外食をしているためか、食べる順番に迷いがない。
明確な作法などがあるわけではないが、知り合いのお寿司屋さんによると淡白なネタを先に、後から味の濃いものを食べるのがお勧めだそうだ。
味が濃いものを先に食べると、舌が鈍って繊細な味を感じにくくなってしまうのだとか。
胃腸が弱い人は、玉子焼きを最初に食べるといいと聞いたことがある……ので、理世にはそちらを勧めておく。
「……美味しいです。兄さんの玉子焼きは、とても安心する味ですね」
「そりゃよかった。お腹が落ち着いたら、自由に色々食べてくれよ」
「はい。バランスに気を付けつつ、ですね?」
「そうそう」
……と、散々御託を並べておいてなんだが。
最終的に、好きに食べて美味しければそれでいい。
家庭で食べる手巻き寿司は、きっとそういうものだ。
「亘、肉も出そう肉も!」
「あ? 別にいいけど……お前、白身系はもう制覇したのか?」
「うむ!」
肉といえば、回る寿司にはカルビにハンバーグ、唐揚げなど色々なものが乗っているな。
我が家の冷蔵庫には……うーん……お。
「そういや、牛肉の切り落としがあったな……出来合いのタレ……は、ちょっと切らしているな。しぐれ煮でもするか?」
「いいわねぇ、しぐれ煮。おつまみにもぴったりで……あ、亘。母さんにビール取って?」
「……」
気配を消してぬるりと部屋に侵入していた母さんが、冷蔵庫の前の俺に手を出す。
わざわざ、足音消し用に厚手の靴下まで履いて……何歳ですか、あなた。
大人しくビールは手渡すことにするが。
「ビールの前に、母さん。留守を預かっていた息子に、何か言うことがあるんじゃないの?」
「ありがとう?」
「違う違う。そうじゃなくて」
「……ああ、そうね。そうよね――ただいま! 愛しの我が息子! 母上の帰還よー!」
「おかえりなさい、一日お疲れさま。でも、そこまで濃ゆい挨拶は要求していな――冷たっ!? 何でビール持ったまま抱きついてくんの!?」
首筋に冷えた缶が押し付けられ、俺はその場で震えあがった。
母さんからは小一時間ほど前に「先に食べていていい」との連絡があったので、少し遅くなるかと思っていたのだが。
どうやら、今日はスムーズに引継ぎを終えて職場を出ることができたらしい。
もちろん、手巻き寿司の具材は母さんの分も用意してある。
「あれだけ沢山のお刺身で手巻き寿司とは、豪勢ねー。食費は大丈夫なの?」
「食費に余裕ができたから寿司にしたんだよ。今夜は母さんも帰って来られるって言っていたし、ちょうどいいかと思って」
「毎度毎度、何てできた息子なのかしら……もう一度抱きしめていい?」
「さっきと寸分違わぬ角度で持ち上げられるビール缶に、恐怖を感じるんだけど……やめてね?」
「お? この声は……」
「明乃さん? おかえりになられたのですか?」
そこでようやく母さんの帰宅に気が付いた二人が、席を立って寄ってきたので……。
仕事帰りでやや変な状態の母さんは二人に引き取ってもらい、俺は鍋を火にかける。
しぐれ煮の味付けはシンプルで、酒・みりん・砂糖に醤油、生姜を入れて煮込むだけだ。
火を調節すれば付きっ切りの必要もないので、粗方終わったところで食卓へと戻る。
「明乃さん、私がビールを注ぎますね! 泡七、ビール三の比率でっ!」
「気が利くじゃない、未祐ちゃーん! でも、その比率は逆よ? 逆。缶を振っちゃ駄目よ? スポーツリーグの優勝チームじゃないんだからね?」
「こちらにガリもありますので、どうぞ。小皿に取りましょうか?」
「ありがとう、理世ちゃん! ――苦しゅうない! 実に苦しゅうないぞよ、娘たち! 余は満足じゃー!」
「……」
すぐ近くでそんな光景が展開されているが、俺はそれらを全て受け流した。
何故なら、まだほとんど寿司を食べていないから……ネタが新鮮で渇いていない今のうちに、せっせと巻いては口に運ぶ。
うーむ……美味い。
刺身もいいが、やっぱり巻き物にはネギトロだよ、ネギトロ。
「なーに一人でニヤついてんのよぅ、亘ぅ!」
「……相変わらず母さんは酒に弱いなぁ。もう真っ赤じゃないか」
未祐が小ジョッキに注いだビールの半分ほどで、もう母さんの顔は赤くなっていた。
酒代が安く済んで結構だが……体質的に、ワイン系統のほうがまだ合っているような気はするんだよな。
それでも、仕事帰りの一杯目は絶対にビール! というのが母さんの主張だ。
「ニヤついていないで、お母さんとお話しなさーい!」
「今日は絡み酒かぁ……何だよ? 何を話せばいいんだよ?」
「あんたたちがもうちょっと大きくなったら、お酒に付き合ってもらうんだけどねぇ……」
「……これ、受け答え成立しているか?」
俺は未祐と理世にそう問いかけるが、返ってきたのは誤魔化すような笑顔と苦笑のみだ。
酒に弱いが絶対に悪酔いまではいかない母さんの状態は、非常に判断が難しい。
飲み過ぎて呂律が回らなくなったりはしないんだよな……この辺りは、さすが医療従事者といったところか。
――あ、そうだ。
せっかくだし、こんな話題はどうだろう?
「母さん、変なことを訊くようだけど……病院で、患者さんが脱走とかってことはない?」
「うん? どうしたの、藪から棒に?」
「いやさ。別に病院に限らず脱走者でも逃亡者でも、迷子のペットでも何でもいいんだけど……母さんだったら、誰かを捜すときにどんなことを重視する?」
何の脈絡もない話題の振りに、母さんが少し考えるような仕草を見せる。
しかし、未祐と理世はすぐにピンときたようで……同時に、そんな話題でいいのかと微妙な目で訊いてくる。
――いいんだよ。
近況報告は母さんが酔っていない時にするし、その源泉がゲームだろうと、内容は世間話の範疇だ。
「……ふーん。お友達のペットでも逃げ出したの?」
「あ、いや……ま、まぁ、そんなところ」
「ぶふっ!?」
「……っ」
未祐と理世が我慢できずに小さく噴き出す。
実際に逃げ出したのは、ペットたちの総合管理者というか生みの親というか……逆だよな、普通は。
とにかく、母さんは面白がるような顔で話を続けた。
「そうねぇ……昔、亘が迷子になったときに――」
「ちょっと待って、母さん。俺? 俺の話なの?」
わざわざ病院関係でそういうことはないか、と訊いたのに……。
嫌な予感に話を打ち切ろうと続けて口を開きかけると、二方向から行動が遮られる。
「亘の小さいころの話!? 聞きたい! 聞きたいです!」
「幼稚園で私たちと出会う前ですか?」
「そうよ。亘が、まだこーんな小さかったころの話」
「あああ……」
もはや話が止まる気配はない。
俺は肩をすぼめて小さくなると、しぐれ煮の様子を見にそそくさと席を立つ。
……残念ながら、話し声はしっかりとキッチンまで届いてしまうのだが。
「亘はよく泣く子でね。もし迷子になっても泣き声で分かるから、すぐに見つけやすかったわねー。スーパーとかデパートの迷子センターのお世話になったことは、一度もないわね」
「へー!」
「そうなんですか……兄さん、可愛い」
「こっち見んな」
そんな物心がつくかどうかの頃の記憶なんて曖昧だが……。
言われてみれば、そうだったような気もしてくる。
ちょこまかと走り回っては父さんの背を捜し、母さんの手に掴まりと……あれ、何だか微妙に記憶が蘇ってきたような?
「亘が今みたいにしっかりしてきたのは……しっかりしすぎるくらいになっちゃったのは、それこそ――」
「何で言い直したの、母さん……最初の言い方でいいじゃん……」
「それこそ、未祐ちゃん理世ちゃんと会ったころねえ。今にして思えば、女の子の前で背伸びしている――って感じでもなく、自然体ってふうだったから……不思議といえば不思議よね。ふふ」
「……」
ああ、そうだった。
確か、そのころ父さんが……。
そんな中でも気丈に振る舞う母さんの姿を見て、俺は泣くのを止めたのだった。
当時の自分が、父さんが亡くなったことを理解できていたのかどうかは……。
今となっては、もう思い出せない。
ただ、明るかった母さんが、俺の見えないところで泣くのを堪えるような顔をしていたことには気が付いていた。
「亘……お前、最初からそんな性格だったのではないのか……?」
「いやいや、未祐。多少の傾向はあるにせよ、最初から人格が固まっている子どもはいないだろ……怖いよ、そんな子ども」
「新鮮ですね……私たちは、もう今の性格に近い兄さんしか知りませんから」
「そりゃ、母親だもの。亘のことなら、お尻のほくろの位置まで――」
「やめて!?」
「「!?」」
こうなると、もう何の話をしていたのか分からない。
――そこで身を乗り出すなよ、二人とも!? 弾みで動いた椅子の音がうるさいわ!
しかし不意に、母さんが思い出したように話を戻す。
「だから、えーと……その迷子のペットちゃん? だかも、泣き声……じゃない。わんわんとかにゃーにゃーとかの、鳴き声を頼りに捜してみたらいいんじゃないかしら?」
「なるほど。それなら仮に誰かのお宅なりに保護されていても、近くを通ったときに気が付く可能性がありますね。かなり薄い可能性ですが」
「甘いわね、理世ちゃん。その子を本当に可愛がっていた飼い主なら、声で判別くらい簡単に――」
「ほい、牛しぐれ煮の完成」
キッチンとダイニングの間で話をしている間に、牛しぐれ煮が完成した。
器に盛り付け、湯気を立てる完成品に取り分け用のスプーンを差し込んでテーブルに置く。
少し濃い味付けだが、もうかなり食事が進んでいるので問題ないだろう。
追加の調理を終えて椅子に座り直すと、既にしぐれ煮の一部が皿から消えている。
「甘じょっぱいわね、しぐれ煮! デリーシャス! グッジョブ、亘!」
「……褒めてくれるのは嬉しいんだけどさ、母さん。その中途半端な発音の英語は何なの?」
「馬鹿な……私よりも手を付けるのが早い、だと!?」
未祐がショックを受けると同時に、羨望の眼差しを母さんに送る。
……その尊敬するポイント、本当に意味が分からねえ。
ともあれ、母さん流の迷子の捜し方……もしかしたら、ゲームに応用できるかもしれない。
汁気を軽く切ったしぐれ煮を酢飯と海苔で巻きつつ、俺はそんなことを考えていた。




