高レベルフィールド・トーアの森 後編
抜き足、差し足……。
呼吸は自然に、装備したマスクが音をある程度防いでくれるはず。
焦らないことが何より大事だ。
モンスターの聴覚が鋭いといっても、ここは森の中。
風があり、草木がなびき、モンスターではない小さな動物が駆けている。
自分たちが元から森の住人であるかのように、自然に、自然に。
「……! ……!」
不意に、ユーミルが足を止めて振り返った。
そして、ジェスチャーで何かを伝えようとしてくる。
手振りが大きくて分かりやすいが……音を立てないようにお願いな?
落ち着いてくれ、ちゃんと解読するから。
なになに……左手の、地形の……傾斜? 傾斜がキツイから、右から回る……なるほど。
了解と手振りと頷きを使って返すと、ユーミルは軽く笑って進路を変えた。
そのまま全員で進んでいくと――
「……」
今度は後ろから軽く二度、袖をクイクイと引かれる。
するとリィズが、マップを出して進路が大きく逸れ始めていると指摘。
それを受けて俺がユーミルに追いつき、肩に軽く触れて進路を再設定。
二人で進行方向を指差して……違う、そっちじゃなくてあっち。
――やめろ、俺の頬を突っつくな! 無邪気な笑顔をしやがって……怒るに怒れない。
「……!」
再び袖を引かれる感触に振り返ると、今度はセレーネさんが後方を指差して焦った表情をしていた。
最後尾、唯一金属製のシールドを持ったリコリスちゃんの更に後ろ。
跳びはねた野生のウサギ目がけて、黒い飛行体の群れが襲来。
群れが去った後、あっという間にウサギは影も残さず消えてしまった。
うおお、骨ごと……鉄をも砕く強靭な顎っていう情報は真実だったのか。
噛まれたら間違いなく大変なことになるじゃないか。
「……」
セレーネさんが鏑矢――音の鳴る矢のことだ。
その鏑矢を射るかどうかクロスボウを手に訊ねてくるが、俺は首を横に振った。
そしてその場で静止するようヒナ鳥の三人を始め、全員に向かって手振りで示す。
黒い飛行体の正体は、肉食甲虫のモンスターである。
やつらは音が鳴った位置を記憶・辿って飛ぶ習性があるので、矢を放った地点を特定して向かってくる可能性がある。
今の状況ならまだ、じっとしているだけでやり過ごせるはず。
「……っ」
ウサギをあっという間に喰らい尽くした『グリーディビートル』は、ヒナ鳥三人とトビの背後を旋回。
……やがて、バキバキと派手な音と共に木を倒しながら移動していた地竜を発見。
その『レッサー・アースドラゴン』に向かって、肉食甲虫の群れが一斉に飛ぶ。
俺たちは、その場から動かず……否、あまりの光景に動けずに、しばらくその様子を見守った。
地竜が暴れ回り、体に纏っていた土と共に虫を弾き飛ばす。
しかし排除できたものは一部な上、徐々に甲虫の数が増えていく。
「……」
「………………」
しかも、甲虫一体一体が地竜の体に噛みつくたびに回復表示がそこら中で浮かび上がる。
甲虫の噛みつき攻撃は回復能力もあるようだ。
ああなると、もう時間の問題だな。
聞いてはいたが、竜より強い虫の群れとは……。
間違っても、あれには纏わりつかれたくないところだ。
誰も声を発してはいないが、目の前の光景に若干引いているのが伝わってくる。
――と、そうだった。素早くスクショを数枚撮影して……今の内に!
「はふぅぅぅ……」
緊張と虫への恐怖で身を硬くしていたリコリスちゃんが、俺たちの傍に来て一息つく。
少し声が出てしまっているが、これくらいなら許容範囲だろう。
今なら地竜が暴れている音がかなり大きい。
そして今のこの状況は、俺たちにとってまたとない好機だ。
一気にフィールドを進んで、甲虫の群れが飛ぶ領域をなるべく早く脱したい。
「――!」
と、歩みを再開したのも束の間。
今度はトビが、変なポーズを取って何かを伝えようとしてくる。
……え? 何? 全然分からん。
そのリズム感が行方不明になったフラダンスみたいな動きは一体……?
「――! ――!!」
あ、今のは目の動きで分かった。
何で拙者のだけ伝わらないの!? だな。
しかし、肝心のジェスチャーが一向に要領を得ない。
移動しながらなので、時間の無駄にはなっていないが……それがまずかったのだろう。
俺の前に回り込み、ジェスチャーしながら後ろ歩きで進んでいたトビが――先頭で立ち止まったユーミルの背中にぶつかってしまう。
しまった!?
「――!?」
「――!!」
どうやら、触れると痺れる『麻痺草』の群生地の前まで来たかららしいが……。
そこから先は、嘘のような運の悪さだった。
トビに押され、細めの木に手を着いて踏み止まるユーミル。
木が揺れ、少し音が立ったものの……そこまでは、甲虫が来るほどではなかった。
しかし――
「!??!?」
ぼとり、と黒い何かが偶然上を向けていたトビの手の中に落ちてくる。
不吉な感触に、トビがおそるおそる自分の手の上の物体を確認する。
すると……。
「――!? ほわああああああああっ! 虫ぃぃぃぃぃっ!?」
はぐれ『グリーディビートル』とも言うべき存在を、思い切り振りかぶるトビ。
――って、こいつ俺に向かって投げやがった!?
どうにか反応して躱すと、甲虫は俺の背後の木に当たって落ちる。
……当然、投げた程度で死ぬような柔な虫ではない。
ブブブ、と嫌な残響を持つ羽音を発しながら、トビに向かって襲いかかってくる。
何か特殊な合図を送っているのか、地竜を襲っていたと思しき群れも接近してきて――
「トビぃぃぃぃ!!」
「ご、ごめんでござるよぉぉぉぉぉっ!!」
こうなると、もう叫ぼうが何をしようが同じである。
大きな音を発する爆弾のようなもので上書きは可能だが、甲虫が俺たちを見失うくらい長く引き付けてくれるものでなければ意味がない。
セレーネさんがすぐに気を利かせて鏑矢を飛ばしてくれるも、釣れたのは群れの一部の甲虫のみで……。
鏑矢も食ってしまったのか、やがて矢が飛んだ軌跡に沿って戻ってくる。
やっぱり、並のアイテムでは対策不可能か!
「くそっ、イナゴの強化版みたいな連中だな! 通った後に何も残らん!」
「ハインド、追いつかれる!」
「くっ……」
できれば、この手は使いたくなかったのだが……。
肩に止まって命令を待つ、健気なノクスに軽く触れる。
「……ノクス、頼む! やつらを引き付けつつ、上手く逃げてくれ!」
ノクスが俺の肩から静かに飛び立ち、虫の群れと対峙する。
そして『アイスニードル』を詠唱すると同時に、高らかに鳴いた。
『ホーッ!』
俺たちは先程から逃げ回っているだけなので、ヘイトが上がるような行動はしていない。
――と、そういえばトビが一匹投げつけていたが、スキルも絡んでいない行動なのでヘイト値は極小のはず。
故に攻撃魔法と鳴き声により、甲虫の群れが一斉にノクスへと進路を変える。
それに対しノクスが『アイスニードル』をぶつけてぶつけて、十分に引き付けてから逃走に移る。
肉食甲虫の群れは俺たちにかなり接近していたので、目の前を黒い波が凄まじい勢いで飛び交っていく。
――ぶっ!?
岩のように固い感触が体に何度か当たったが、声は出さずに踏み止まる。
肉食のせいか、においもよろしくない。
やがて、そんな拷問のような時間が過ぎ……。
「……」
「……けほっ」
俺たちは体の力を抜いて、周囲の状況を確認した。
ノクスは――いた、健在だ。
……ノクスを使うのは奥の手だが、それはノクスなら逃げ切れるという公算あってのものだ。
大量の『グリーディビートル』に追われるノクスは、飛行音を消して木から木へと移動を繰り返している。
あれなら、きっと大丈夫……大丈夫だ、ノクスは賢いやつだ。
自分の長所をちゃんと分かっているし、無事に逃げ切ってくれるはず。
「……」
「!」
ユーミルに先に進もうとサインを送り、みんなにも同じようにサインを送る。
何だかんだで、もうちょっとだ……情報によるとこの『麻痺草』の群生地がちょうど目印で、これを迂回して少し進めばフィールドの端が見える。
――やがて段々と森の景色、樹木の様子が違ってきて……。
「抜けた!」
広がる景色は異質なものだったが、今はそれ以上に甲虫の縄張りを抜けた安心感が大きい。
みんなも同様なのか、俺の声に思い思いの反応を示す。
「抜けたのか!? ということは……もう喋っていいのだな!?」
「確認の声が、それだけでかい時点で意味ないと思うが……いいと思うぞ」
「よーし!」
明るい声を出したユーミルだが、俺の顔を見てそれを引っ込める。
……俺の肩には、フィールドに入ってきた時にあった重みがない。
「……ハインド。ノクスは?」
「大丈夫だ……すぐに戻ってくるさ。ノクスの飛行速度は、あいつらよりも速かった」
自分に言い聞かせるような調子に、トビがトボトボとした足取りで寄ってくる。
「すまんでござるよ、ハインド殿……拙者のせいで、ノクスに不要なリスクを……」
「気にすんなって、済んだことだ。ユーミルの背中が見えていた俺も、気付いて止めるべきだったんだしさ。お前は“甲虫たちが地竜を喰い尽くしたから、警戒しろ”って言いたかったんだろう? 今になって思えば」
今でもあの謎ポーズが何を表しているのかは不明だが、タイミング的にそうだと思われる。
トビが激しく頷いてそれを肯定すると、みんなからもだったら仕方ないという空気が広がる。
ただ、トビには珍しくへこんだままで元気が戻らない。
――と、その時だった。
『ホー』
肩に慣れた重みが、音もなく乗っかる。
フクロウ得意の無音飛行で戻ってきたノクスは、トビのほうを見て慰めるように、或いは元気づけるように目を細めて鳴いていた。
トビが目を見開き、フラフラと歩み寄ってノクスに手を伸ばす。
「の――」
「ノクスぅぅぅ!! よくやったぞぉぉぉ!!」
しかし、それよりも早くユーミルがノクスを抱きしめて叫んでいた。
もふもふもふもふと、無事を確かめるようにノクスの体を撫でくり回す。
「あ、ユーミル殿ズルい!? そこは拙者に譲るところでは!? ノクスぅぅぅ!」
「私も! 私もノクスにお礼を言いたいです!」
功労者のノクスに、三人が取り合うように群がる。
甲虫は撒けても、この三人からは逃げられそうにないな……。
「……」
「よかったですねー、先輩」
「な、何が?」
「ねー、妹さん?」
「ええ。ハインドさんが一番、ノクスのことを心配していたように見えましたから」
「い、いや、でも、結局自分たちが逃げ切るために、自分で危ない場所に送り込んだわけだから……」
「ですが、ノクスもハインド先輩に頼られて嬉しいのではないですか?」
「う、うん……心なしか、いつもより表情がほっこりしているように見えるよ?」
四人にそう言われ、三人の手でもみくちゃにされるノクスに目をやる。
うーん……確かに、功を誇っているように見えなくもない……ような。
……もしそうだったら、嬉しいが。
今日のイベントが終わったら、ノクスには労いの意味を込めて特製の餌をプレゼントすることにしよう。
偉いぞ、ノクス。本当にありがとう。
「……さて。残るはフィールドボスだけだな」
「流れぶった切りましたねー、先輩。照れ隠し? 照れ隠しですか?」
「……残るはフィールドボスだけだな!」
「わぁお、先輩強引ー」
ここ『トーアの森』は通常フィールド。
そしてここを通るには、当然立ち塞がるフィールドボスを突破する必要があるのだが……。
それも込みで問題ないと判断したからこそ、俺たちは『極彩色の大森林』を目指している。
上手く突破して、早々にイベントフィールドに突入することにしよう。




