納涼花火大会 後編
「やっぱり、わっちはおかしいよ。何で座布団に座るだけで気に入られているのさ」
「座布団の座り方にもマナーがあってな? まずは座布団の下座側に――」
「うん。和式の家が減りつつあるのに、そんなことを知ってる時点でもうね。社会人ならまだしも、俺ら高校生よ?」
「だが、知っていて損はないだろう? 現にこうして役に立ったじゃないか」
「あー……もういいや。そういうやつだもんね、わっちは……」
挨拶が上手く行ったというのに、何が不満なんだ。
和紗さんまで、俺たち二人の会話に笑っているし。
現在俺たちは、店内が落ち着くまで待ってほしいと言われ応接間で待機中である。
椿ちゃんのご両親は、非礼を詫びるように何度も謝ってから店へと戻っていった。
今日はレンタル浴衣も購入するほうの浴衣も求めてくるお客さんが多いそうで、会う時間を作ってくれただけでもありがたいくらいだ。
「ごめんね、椿ちゃん。忙しい時に」
「いえ、こちらこそ申し訳ございません。事前にお約束した時間通りに来ていただいたのに……例年、まだこの時間は余裕があるのが普通なのですが。よろしければ、みなさんでレンタル浴衣のカタログを見ながらお待ちになっていてください」
「おおっ、見る見る!」
椿ちゃんがカタログを手渡してくれる。
未祐が勇んで受け取り、早速ページを開いていく。
理世と和紗さんもそちらに顔を寄せた。
「私たちも見ていい? 椿ちゃん」
「いいよ。小春も愛衣も、今の内にいくつか選んでおいてよ。できれば二つか三つくらい」
「あー、今日はお客さん多いもんね。目当てのものが残るとは限らないのかぁ……りょうかーい」
愛衣ちゃんがごろりと畳の上に寝転がり、もう一つのカタログを小春ちゃんと一緒に眺め始めた。
畳はいいよなぁ……この部屋は冷房付きで閉め切っているが、縁側の風鈴がちりんちりんと鳴っているのが聞こえてきた。
俺と秀平はやることがないので、立ち上がって庭の景色を眺めてみる。
「そしてこの日本庭園よ……優美だ……」
「手入れが行き届いているよね……うーん、これはアレだ。マリーっちとは別ベクトルの――」
「亘、亘! 来い!」
秀平の言葉を遮るように、未祐が手招きする。
理世と和紗さんもこちらを見ており、俺は何事かと思いつつ座卓のほうに戻った。
秀平も一緒に移動すると……。
「亘、ミニ浴衣についてどう思う!?」
「ミニ浴衣? ……うーん……」
また服装についてか……といっても、この状況で話題になるのは当たり前だが。
ミニ浴衣というと、丈が短いやつのことか。
俺よりも先に、秀平が嬉々として答えた。
「色んな意見があるけれど、俺はミニも全然アリだと思うよっ! あ、でも普通の浴衣も捨てがたくて――」
「黙れ秀平! お前の意見は聞いていないっ!」
「ひでえ!? 分かっちゃいたけど!」
「亘に訊いているのだ、私は! 亘はどう思うのだ!?」
「……ミニでも、可愛いんじゃないの?」
「む、逃げるな! 一般論ではなく!」
「そう言われるとな……」
気が付けば、三人だけでなく中学生トリオまでもがこちらを見ている。
こ、答えにくいにもほどがある……。
「……俺は普通の浴衣のほうが好きかな」
「ふむ。髪は?」
「結ったほうが綺麗に見えるんじゃないか? 特にお前は、それだけ長いんだし」
「そうか、分かった!」
「先輩、うなじですか? うなじがいいんですか?」
愛衣ちゃんがからかうような口調でそう言ってくる。
まあ、そこに色気を感じる人がいるのは知っているが。
「そういうのではないかな……ほら、折角呉服屋さんで着付けをしてもらえるんだし。なるべく伝統的な浴衣と髪型のほうがいいんじゃない?」
「それ、父が聞いたら喜びますよ。時流には逆らえない、と言って店にはミニも置いてあるのですけれどね。何分、古い店ですからどちらかといえば……」
椿ちゃんがカタログを示すので見てみると、確かにミニよりもスタンダードな浴衣のほうが多いな。
そして未祐、理世、和紗さんが普通の浴衣から選ぶと宣言したことで、中学生トリオもそれに倣った。
さてと、また暇に――
「亘君。普通のを選んだのは、露出が少ないからだよね?」
「折角ご両親たちにご挨拶をして回ったのに、中学生女子にミニ浴衣は着せられませんよね」
和紗さんと理世が、俺にだけ聞こえるように小さな声でそう話しかけてくる。
……二人には丸分かりだったか。
未祐がミニを着るとなったら、それこそ小春ちゃん辺りは同調する可能性が高いしな。
しかし、その声は秀平にも聞こえていたようで……。
「えっ、そういう理由だったの!?」
「浅はかですよ、秀平さん。兄さんがご自分の趣味だけで、ああ答えるはずがないじゃありませんか」
「てっきり本当にうなじスキーなのかと……」
「おい、ふざけんな。鵜呑みにするなよ、あんなの」
大体、その発言をした愛衣ちゃんは分かっていて言ったのだと思うぞ。
別に俺だって、うなじが嫌いな訳ではないのだが。
「でも、それとは別に普通の浴衣のほうがみんなに似合うと思ったのは本当だ。理世、何なら一着買ってそれを着て行こうか?」
「はい?」
理世が驚いた顔で俺を見返した。
カタログを見る限り、夜久呉服店は高級店の分類……決して安くはないが。
だが、理世は俺の提案に首を横に振った。
「とても嬉しいのですが、兄さん……年に何度着るか分からないものですし、それにこんなに高級品を……」
「こういう服って、元々そういうものなんじゃないのか? お前はあまり我儘を言わないし、偶にはいいんだぞ。甘えてくれても」
「……いえ。それに、私はまだまだ身長を伸ばす予定がありますから。もしかしたら、一年で着られなくなる可能性も――」
「「「えっ?」」」
途中から話が聞こえていたのか、その場にいた俺と理世以外のメンバーの声が綺麗に揃った。
しばらく硬直した後、理世がゆらりとその場から立ち上がる。
「……何ですか? みなさん。その驚いたような声は……」
「だ、だって理世ちゃん。今と去年を比べても、全然――」
どうしてこいつは、誰よりも先に地雷を踏みに行くのだろうか?
それはある意味男らしく勇気のある行動だったが、理世に睨まれた秀平は――
「ひぃぃっ!」
悲鳴を上げながら俺の背に隠れた。
情けねえ……。
結果的に、浴衣は全てレンタル――タダで構わないというご両親との話し合いの末、お友達価格ということで決着がついた。
「……って、何で俺たちまで浴衣なの? 野郎の浴衣姿なんて、どこに需要があんの?」
「何を今更……ご両親も椿ちゃんも、他の女性陣もみんなが着ろって言うから断り切れなかったんだろうが」
着方は椿ちゃんのお父さんに教えてもらった。
何だか落ち着かない感じがするが、自分はともかく秀平は似合っているように見える。
「じゃーん! 着替え終わったぞ、亘!」
立派な門の傍、未祐の声に後ろを振り返る。
すると、目に鮮やかな浴衣少女たちが笑顔でこちらを見ていた。
「おおー……壮観。綺麗綺麗」
「いやー、こんな子たちと一緒に歩けるだけで幸せだよねえ……」
「全くだ」
一人ずつどんな浴衣を着ているのか、詳しく見ておきたい気持ちもあるが……。
こうしている間にも、普段着の人々に混ざって目の前を同じように浴衣を着た一団が通り過ぎていく。
時刻は午後五時。交通規制が始まったのか、車用の道路にも歩行者の姿が見え始めている。
話もそこそこに、とりあえず屋台のあるエリアに行ってみることに。
それにしても、やはり呉服店の着付けはしっかりしてんな。
活発な未祐と小春ちゃんの浴衣が着崩れしていないし、和服に不利な体型の未祐と愛衣ちゃんもそれを感じさせない。
帯が普通よりもやや下めになっていて、布か何かで凹凸をなくす工夫がしてあるようだ。
「……兄さん?」
「いや、待て。これはそういう類の視線じゃないからな? っていうか、何でどこを見ているのか分かるんだよ」
「私が兄さんのことばかり見ているからですよ?」
「花火を見ろよ、花火を! 俺も人のことは言えないが!」
「見ていますよ? 兄さん7、屋台1、花火2くらいの比率で」
「花火7にしようぜ、そこは……」
「二人とも、マイペースだよね……周りはみんな上ばかり見て歩いているのに」
俺たちが屋台巡りをしている最中に、花火の打ち上げは始まってしまった。
そんな俺の視線比率はというと、みんなの位置把握が最優先だったりする。
周囲は人の数が非常に多く、放っておくとはぐれてしまいそうだ。
真横にいる理世と、俺の背中に張り付くようにしている和紗さんは大丈夫なのだが。
「亘、たこ焼き食べたい!」
問題はこいつだ。
目を離すとどこにすっ飛んで行くか分からないので、常に位置を把握しておく必要がある。
それに加え、今日は中学生女子を三人も預けられている。
だからぴったりとくっついて移動してくれる、理世と和紗さんの存在は非常にありがたい。
未祐が指差している屋台は……あれか。
「いくらだった?」
「500円!」
「どれ……あー、そこの屋台のやつのほうが100円安い上に手つきが丁寧だったぞ。大きさも上」
「じゃあそっちにする!」
「そんじゃ、ほれ。400円」
「うむ! 行くぞ、小春っ!」
「はいっ!」
屋台に並ぶ二人に合わせ、俺たちも互いが見える位置で邪魔にならないよう待つ。
すると、わたがしを買った椿ちゃんと愛衣ちゃんがこちらへと合流した。
「本当に未祐先輩のお財布、先輩が預かっているんですねぇ」
「未祐のお父さんたっての願いだからね……いい年して、恥ずかしい限りだよ」
「既にたくさん買っているように見えるんですが……大丈夫ですか?」
椿ちゃんが俺の持った袋を見て心配そうにしている。
中身は様々だが、多少時間が経っても美味しく食べられそうなものをチョイスしたつもりだ。
「これはみんなで食べようと思って、俺が買ったやつ。未祐のはこっちだから、まだ大丈夫」
「あれっ、先輩の奢りですか? 太っ腹ぁ」
愛衣ちゃんが「何が入っているんですか?」と、袋に顔を近づけて匂いを嗅いでいると秀平も合流。
秀平は俺が買ったものもいくつか持ってくれている。
「あー、行列長かった。わっち、こういう時はケチらない主義だもんね。普段はやべーくらい倹約するのに」
「調理だったり量が今一つな屋台はちゃんと避けてるぞ。って、そろそろみんな足が痛くないか? 下駄だし」
「そういえばそうですね。先輩、疲れたのでおんぶ――」
「……」
「――は、妹さんが怒るので観覧席に行きましょう。折角券があるんですし」
「だね。未祐と小春ちゃん、並びが次だからもうすぐ終わるよ」
「亘君、話している時も横目でずっと二人を捉えているよね? 凄いなぁ」
「考えてみれば、わっちと祭りに行ってはぐれたことってないかも……」
未祐がああだから、必要に駆られて身に付けただけなのだが。
この後は観覧席に向かい、屋台で買ったものを食べながら花火を堪能した。
夏休みの終わりに楽しい行事を提供してくれた、小春ちゃん、椿ちゃん、愛衣ちゃんの三人に感謝だ。