決勝戦の開始
「……まで温存して、ウェントスの長所を活かせば十分チャンスがあると思う。他に質問は?」
「はい、大丈夫です。……本当にありがとうございました、先輩方。先輩方の分析のおかげで、取るべき戦略がはっきりとしました」
サイネリアちゃんの言葉に俺とリィズ、セレーネさんが頷く。
競馬場付属の厩舎で、俺たちはレースに向けて最後の準備を行っていた。
短い時間で可能な限り行った、他の出場者の分析の結果。
事前に送っておいたデータと今の質問を合わせ、それを余すことなくサイネリアちゃんに伝えることができた。
そして俺たちが話をしている間、ウェントスの最終調整を行っていたメンバーがこちらを向く。
「私としても好みの戦略だぞ! ファイトだ、サイネリア! ウェントスは万全だ!」
「貴女が身に着けた技術の全てを発揮すれば、必ず勝てます。わたくしが保証いたしますわ!」
「応援してるからね、サイちゃん!」
「負けても誰も責めないんだから、リラックスして行きなよー。サイ」
「ありがとう、みんな。じゃあ……」
カームさんが無言で手綱を差し出す。
艶々の毛並み、引き締まった体のウェントスと並んでサイネリアちゃんが微笑む。
「行ってきます!」
予定時刻となり、厩舎をサイネリアちゃんが出て行く。
俺たちもそれを応援するべく、観客席へと戻った。
――戻ったのだが、レース開始までは少し時間がある。
その間、俺たちが何をしていたかというと……。
「本体ー、塩味二つお願いー」
「300Gになります……はい、確かに。こちらをどうぞ」
「おおっ、思った以上に本格的! サンキュー!」
「――忍者だ!」
「忍者がポップコーン売ってる!?」
「……ハインド殿。拙者だけ饅頭とか団子とか、はたまた煎餅でも売った方が良いのでござろうか?」
「……知らんよ。頭巾を取れば少しはマシになるんじゃないか?」
ひたすらポップコーンを売りさばいていた。
昨夜もそれなりだったが、決勝レースである今日は一段と売れる。
レース開始までに作った分が全て売れそうなのは良かったが、一つ問題が。
「勇者ちゃん、握手! 握手して!」
「ポップコーンを買え、ポップコーンを! 買ってくれたらついでに握手くらいするが……ええい、用がそれだけなら帰れ帰れ! あ、そこ階段だから気を付けるのだぞ! 怪我をしないように帰れ!」
「すげえ、マジで言動が動画で見たまんまだ!」
「リィズちゃん、リィズちゃん! こっち向いて!」
「……」
「うはっ、ガン無視最高!」
客層が酷い……。
仕方がないのでセレーネさんはフード付きローブを装備して品出し係に、メインの接客は俺とトビが担当している。
シリウスの三人組も正直、ユーミルやリィズと変わらない。
有名プレイヤーな上にお嬢様と執事、メイドのセットという濃ゆい三人組なので。
そんな状態ではあったが、どうにか全ての商品を売りさばき……。
「完売ー! これでようやくゆっくりできるな……」
「疲れましたわ……そういえば、しつこくリクエストされたのですが。何ですの? お嬢様笑いって」
お前が偶にやっている「オーッホッホ」とかいう高笑いのことだよ……。
――とはその場にいた俺以外のメンバーも思ったはずだが、誰もそのことに触れる者はいなかった。
近場で迷惑をかけてしまったプレイヤーたちに謝罪をしながら席に戻り、一息つく。
「ハインド様、一つお訊ねしたいのですが……」
「何です? カームさん」
「ポップコーンの値付けが安かったように思うのですが、利益の方は?」
「マイナスとは言いませんが、あまり出ていませんね」
「えっ、どうしてですか師匠?」
ワルターが驚いたような声を上げる。
それに対する答えは単純明快。
「今回はイベントの雰囲気を味わうことが目的だからな」
そこまで話したところで、ちょうど試合開始前のセレモニー……。
楽器演奏やら魔法の煙による演出やらが競馬場内で始まった。
それを見た派手好きのユーミルが目を輝かせる。
「おおっ、俄然イベントらしさ――祭りらしさが出てきたな!」
「俺たちも祭りに参加している感を出したかった訳さ。なもんで、薄利多売にして……」
視線で周囲を見るようにワルターに促す。
すると、場内の演出を見ながらポップコーンを頬張るプレイヤーの姿が散見される。
「なるべく多くのプレイヤーの下へ渡るような価格に設定したんだ。折角作ったものが売れ残ったりしたら、悲しいだろう?」
「なるほど……納得しました」
「素敵な考え方だと思います、師匠! 楽しんでこそのゲームですしね!」
「というかヘルシャ、二人に価格設定の話をしておいてくれって言ったよな? どうも話が通っていないようだが……」
「忘れていましたわ!」
ヘルシャが全く悪びれた様子もなくあっけらかんと答える。
ポップコーンの売り上げはそれぞれがかけた手間と時間……人件費を考慮して後で分配する予定である。
だからさすがにその反応はどうかと思い、俺は少しだけ声を低くした。
「いや、二人も一緒に作ってくれたんだから駄目だろう……そういうことはきちんと話しておかないと」
「――!!」
場の空気を悪くしない程度の、浅めの苦言。
自分の使用人だからといって、そういったことを軽く見ていいものだろうか?
しかしヘルシャは、苦言を呈した俺に対して予想外の反応を示した。
「ハインド、今のもう一回お願いしてもよろしいですの?」
「……は?」
一瞬、ヘルシャの発した言葉に対して脳の処理が追い付かなくなった。
ちなみにヘルシャの表情は何故か笑顔だった。
しかもこれは、どうも怒りを通り越して笑顔になっているという訳でもなさそうである。
だから「てめえもう一回言ってみろ!」といったニュアンスを含む言葉とは違う。
意図が分からずに固まっていると、ヘルシャが再度桜色の艶やかな唇を開く。
「何だか今の、いかにも気安い友人からの一言みたいでドキドキいたしますわ……ですから、もう一度!」
「いやだよ、何か怖いよ!?」
「ドリルが壊れた!?」
「いやあ、最初から友人付き合いの距離感が変でござったよ? ヘルシャ殿は……つい先だっても、わざわざ友人であるかどうか確認したりと、兆候があったでござるし……」
頬を両手で挟みながらのヘルシャの奇妙な発言に、俺とユーミルが思わず後ずさる。
といっても、席に座っているので一緒になってその場で仰け反っただけだが。
トビの言葉に対しては、何やら使用人二人が肯定するように頷いている。
「以前もお話したと思いますが、お嬢様は上下関係の厳しい社会で生きてこられた方ですから……対等な関係というものに強く憧れを抱いておいでなのです」
「では、一緒に旅行するご予定だったというご友人は?」
ワルターの言葉を受けて、リィズが今回の俺たちの別荘滞在のきっかけを作ったヘルシャの友人について質問した。
その人に急に用事が入ったことで、ヘルシャが俺たちを誘うことになったと聞いている。
それに関してはカームさんが説明をいてくれるようで……。
「お嬢様の通われている学校では、家柄毎の派閥がございまして。ですから、その中でできた友人は果たして本当の――」
「あ、も、もういいですよカームさん! 何だかそれ以上は聞きたくないです……」
セレーネさんが途中でそれを遮った。
うん、俺も聞いていて辛くなってきた。
カームさんによると、仲は良好でありその友人の人柄にも問題はないのだが、やはり完全に遠慮のない関係の構築は難しいとのこと。
今回の旅行のキャンセルも、その友人が急に本家に呼ばれたせいなのだそうで。
「何ていうか、庶民には遠い世界の話ですね、先輩……」
「そのようだね……本家だとか派閥だとか、全く馴染みのない単語ばかりだよ……」
「さあ、ハインド! もう一度ですわ!」
「まだ諦めてなかったのか!? って、その前にやることがあるだろう!? ちゃんとワルターとカームさんに、説明を忘れたことに対する謝罪をだな――」
「そう、それですわ! 何だかわたくし、そのさりげない忠言に体の芯からポカポカと……」
「もう新種の病気か何かみたいだな、ドリルよ」
「あ、あのう……そろそろサイちゃんが登場しますけど……?」
リコリスちゃんの声に俺たちがハッとなって競技中央を見ると、今まさにウェントスを引いたサイネリアちゃんが登場するところだった。