羊毛刈り
セレーネさんの流れるような射的の動きを堪能し、気合を入れ直したサイネリアちゃんの姿をしばらく見た後……俺は訓練所を出ることにした。
「二人とも、方針会議の時間には談話室に来てくださいね。メールでもお知らせしたと思うけど」
「了解だよ、ハインド君。運営からの発表とか予告とか、色々あったもんね」
「分かりました。ヒナ鳥側から先輩方にお願いしたいこともありますので、遅れないようにします」
「お願い……うん、了解。じゃあ、また後で」
お願いとやらの内容が少し気になったが、それこそ会議の時に聞けばいいという話だ。
廊下に出た俺は、まずフレンドリストを開いた。
次は、昨夜の内に約束していた作業があるんだが……おっと、二人とも数分前にログインしているな。
談話室辺りにいるだろうから、迎えに――
「ハインドォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!」
「ハインド先輩ィィィィィィィィィィィィィィィ!!」
「来たか、騎士コンビ。ってかうるさい、うるさいよ!? 叫びながら廊下を走るんじゃない!」
「――リコ、先輩に迷惑かけちゃ駄目でしょ! もっと静かに!」
「あれ、サイちゃん!?」
「ぬお、サイネリア!? 訓練所にいたのか!?」
訓練所のドアから顔を出し、サイネリアちゃんがひとしきりリコリスちゃんに注意してから戻っていく。
俺も同じように、ユーミルにホーム内では程々にするよう注意を呼びかけた。
とりあえず反省したようだし、気を取り直して……。
「じゃあ農業区に行くか。鋏は?」
「持った!」
「清潔な作業着は?」
「持ちました!」
「OK、出発しよう。今日は待ちに待った――」
「「羊毛が――……」」
大きく息を吸い込んで叫ぼうとした二人が、途中で台詞を止める。
おお、ちゃんと学習している……そしてギルドホームを出た瞬間に、揃って再度大きく息を吸い込んだ。
「「羊毛刈りじゃあああああああ!!」」
「そんなに叫びたかったのか……息ぴったりだな、君ら」
今日は現実なら一年に一回、TB的には現実時間で二週間に一度の羊の毛刈りの日である。
最初の羊毛に比べて、どのくらい品質が上がっているか楽しみだ。
羊小屋の掃除を済ませ、板を敷き、道具を揃えて作業の準備を整える。
ゲーム内の天気は快晴、湿気が少ないので毛を刈るには最適な日和だ。
「ハインド先輩、こちらは準備完了です!」
つなぎを来たリコリスちゃんが敬礼のようなポーズでにこやかに告げてくる。
剪毛は今回で二回目なので、手順を覚えてくれていたようだ。
彼女が示したケージの中には、集めた羊が揃っているのが見えた。
「確認だけど、今日の餌は?」
「あげてません! 大丈夫です!」
「うん、ありがとう」
事前に餌を与えてしまうと、毛を刈るためにお腹を押さえた際に苦しがるそうなのだ。
羊たちには毛を刈り終わってから、さっぱりした体で餌を味わってもらうことにして……。
「ところで、ユーミルはどこに――」
「ハインドー。不安だから最初は二頭にしたのだが、構わないか?」
毛がもこもこと膨らんだ、砂漠の気候ではかなり暑そうな羊が二頭顔を出した。
ユーミルに追い立てられながら、そのまま近くに寄ってくる。
見た感じ、前回よりも毛並みが綺麗なような気がするが。
「そうだな。俺が一頭を受け持つから、二人は前回のやり方を思い出しながら慎重にやってくれ。順調なようなら、そこで改めて一人一頭に変えよう」
前回もこの面子で羊の毛刈りをしたのだが、あまり器用な二人ではないので結構大変だった。
具体的にどうなったかというと……
「大人しくしろ! こら!」
「ゆ、ユーミル先輩! 強く押さえ過ぎです、かわいそうです!」
「む……ならばこのくらいか? リコリス、もう少し後肢を伸ばしてくれ!」
「あ、そうですね。こんな感じでしたっけ?」
二人がかりで押さえ付け、どうにか羊を横に寝かせた体勢をつくった。
こんな調子で初回は暴れた羊が脱走したり……だからこそ、今回はユーミルも考えて二人がかりにしたのだろうけど。
「リコリス、鋏を!」
「はい、どうぞ!」
そして今度は、右後肢から皮に引っかからないよう慎重に鋏を入れていく。
羊毛はなるべく大きく一枚になるように刈るのが理想であり、細切れにならないようにできれば成功と言える。
「あぶなぁっ!? 危うく皮を切るところだった……もう少し引っ張りながら切るか……?」
「ユーミル先輩、がんばですっ!」
「一回交替だからな。次はリコリスが切るのだぞ」
「が、頑張りますっ!」
心なしか、二人に押さえ付けられている羊が震えているような。
大丈夫だろうか? 今のところ、特にミスは出ていないようだが。
こちらも作業を続けながら、時折そちらに視線を向ける。
「ハインド先輩の羊さんは、相変わらずリラックスしてますねぇ……」
ようやくユーミルの手つきが安定してきたところで、リコリスちゃんがこちらを見ながらそんなことを口にする。
こちらの羊は大人しいもので、そろそろ一頭目が終わりそうな進み具合だ。
「二人の力が入り過ぎなんじゃないかな? 羊に緊張が伝わっているのかも」
「そうなんですか!? で、では……ふにゃあー」
締まりのない緩い笑みを浮かべながら、リコリスちゃんが力を抜く。
しかし、それに応じて羊が不穏な動きを見せ始め――
「リコリスちゃん、手元の力まで抜けてる! 危ない、危ない!」
「ぬおっ!? 華麗に回避っ! ――からの羊キャッチ!」
二人の手から抜けだした羊に対し、ユーミルが鋏を素早くどけてから再捕獲。
また脱走されるかと思った……上手く対応してくれたもんだ。
「あ、わわっ! すみません、ユーミル先輩!」
「私たちにはまだ早い、リコリス! 適度な力の入れ具合を探るよりも、まずは慣れるところからだ! とにかく数をこなすぞ!」
「はいっ!」
「二人の場合は、俺がどうこう言うよりそれでいいのかもな……」
力は入り過ぎているが、この二人にはそれを補って余りある集中力がある。
その内、感覚で適切な力加減を探り当てることだろう。やり方は人それぞれだ。
俺のほうは一頭目が終了したので、刈った羊毛を纏めて部屋の隅の籠へ。
これを後で洗って、真っ白な羊毛へと変える訳だ。
さっぱりした羊を空のケージの中へ移動させ、もう片方のケージの中から次の羊を連れて作業場に戻る。
毛刈りが終わった羊の健康状態は良好で、育成の成果が出ている感じだ。
俺が二頭目の毛を半分ほどまで刈っていると、集中して鋏を動かしていたユーミルが大きく腕を伸ばして息を吐いた。
「終わったぁー! あ、ハインドがもう二頭目に!? ずるい!」
「何がだよ。どんどんやらないと日が暮れるぞ」
「次は私の番ですね! やりますよー!」
この後も毛刈りは続き、二人のペースも徐々に加速。
最終的には一人一頭ずつの体制で作業を進めることができ、かなりの量の羊毛を集めることに成功した。