本格戦闘に向けて
ログインすると、俺とリィズはまたあの酒場――店名『カエルラ』で事前準備を整え始めた。
みんなが来る前にデバフアイテムと料理をそれぞれ作製しておくことに。
俺は一度都市内の共同炊事場を見に出たのだが、混雑していてとても使えるような状態ではなかった。
帰りにデバフアイテム調合用の素材は買い集めてきたが。
それをリィズに渡し、自分は酒場の隅で携帯調理セットを広げ――
「おい、あんた」
「はい?」
酒場の主人が咎めるような視線を向けてくる。
材料を切るところまでやって、残りは外に出て作業するつもりだったのだが……。
「そんなところで火を使う気か?」
「あ、そうですよね。すみません、すぐに外に出て――」
「そうじゃない。火を使いたいのなら、厨房を貸してやるって言ってるんだ」
「……よろしいのですか?」
ぶっきらぼうに店主が頷く。
おお、やっぱりこの人優しいな。
どうして店が流行っていないのか不思議――って、立地が悪いんだったな。
「ありがとうございます」
「ついてきな」
調理セットを片付け、作業中のリィズと軽く視線を交わしてから奥へ。
店主に案内された厨房は衛生的に片付いており、とても客が少ない酒場のそれとは思えないほどに管理が行き届いている。
そういや、店内もマメに掃除しているのか綺麗だよな……勿体ない、非常に勿体ない。
「どうした?」
「いえ。では、ありがたくお借りいたします」
「……使い終わったら言いな」
店主はそう言い残すと、またいつもの定位置に戻って本を読み始めた。
……一人分多く料理を作ってみようかな。
受け取りを拒否されたら、インベントリにしまっておけばいい話だし。
やはり今回は攻撃力が大事ということで、攻撃力・魔力を強化する料理が最適だな。
攻撃力は肉類が、魔力は魚類が効果を発揮することが多い。
補助食品として、シエスタちゃんが育ててくれたキノコ類をソースに使って……おっ、酒場の扉が開いた。
「こんばんはー。お、リィズ殿。早いでござるな――って、何を作っておいでで?」
最初に入ってきたのはトビだ。
作業中のリィズに気付き、声をかけている。
「デバフアイテムです。主に防御ダウン系ですね」
「ああ……ハインド殿の差し金でござるか? さすがに動きが速い」
そう言うトビも中々に察しが良い。
授業中にまで、毎日掲示板に張り付いているだけのことはある。
油が温まってきたところで、材料をそこに投下していく。
こいつはサラダ油ではなく飼育している豚の背脂、つまりラードである。
「入・店! むっ、いい匂いがする!」
「本当ですね! あ、トビ先輩、リィズ先輩こんばんは!」
それから数分後、入ってきたのはユーミルとリコリスちゃんだ。
それにより、静かだった店内が俄かに騒がしくなる。
「こんばんちゃー。セレーネ先輩とそこで会ったので、一緒に来ましたよー」
「こんばんは。やっぱり現実との気温差が激しいね」
続いてシエスタちゃんとセレーネさんが、白い息を吐きながら。
「邪魔するぞ……ああ、ほとんど揃っているな。今夜もよろしく頼む」
「……よろしく……? サイネリア、は?」
しばらくしてアルベルト親子が到着。
しかしフィリアちゃんが気にした通り、普段は集合時間よりも早く来ているサイネリアちゃんの姿がない。
「シーちゃん、サイちゃんは?」
「んあ? ログインはしてるっぽいけど……あー、広場にいるっぽい」
シエスタちゃんが面倒そうな顔ながらも、フレンドリストから所在地を検索してくれる。
広場ということは、取引掲示板か?
リコリスちゃんが迎えに行こうとするが、直後に移動を始めたらしくここで待つことに。
やがてサイネリアちゃんは、何故か気落ちした様子で店に入ってきた。
「遅くなりました。実は、大型モンスターが出ると聞いてデバフアイテムを用意しようと思ったのですけど……なぜか異常な値段の物しか残っていなくて……」
「あ、ごめん。材料もアイテムそのものも、全然売ってなかったでしょ? 犯人俺だわ」
事情を説明すると、サイネリアちゃんはホッとした様子で席に座った。
ちゃんと自分で調べて、必要だと思って買いに行ったんだな。
連絡しておかなかった俺の落ち度である。
デバフアイテムの代金をきちんと支払うと言うので、俺とリィズは先輩風を吹かせて最低限の金額だけ受け取ることにした。
タダでは甘やかし過ぎだが、これくらいしてやっても罰は当たるまい。
そこで料理が完成し、リィズが作業中のテーブルを片付て食事に。
俺は湯気を立てる皿をメンバー全員の前に置いていく。
「揚げ物か! この尻尾がある方が――」
「アジフライ。もう一個がロースカツ」
「ミックスフライでござるかぁ……ご飯は?」
「そんなものはない!」
「殺生な!?」
魔法のコンロの数が足りなかったんだよ。
そこは我慢してもらいたいところだ。
それぞれの皿に、特製ソースを適量かけたら完成だ。
「これはキノコが入ったデミグラスソースだ。熱いから気を付けて」
「美味しそうです!」
「いい香りー」
料理名は『キノコソースのミックスフライ』で、バフ効果は物理攻撃力・魔力中アップ。
具体的な数値としては120分間、両パラメータ5パーセント上昇である。
肉料理と魚料理を分けることも考えたが、メンバーそれぞれで違う料理を食べるのも何か違う。
そんな訳で、このチョイスに落ち着いた。
騎士の二人には物理攻撃力も魔力も、両方とも必要だしな。
俺は全員分の配膳を済ませると、カウンターの奥で微動だにしない店主の下へ。
「ご店主、厨房を貸していただいたお礼にいかがです?」
「あ?」
店主は皿の上のミックスフライをしばらく眺めていたが、俺は鼻がひくついたのを見逃さなかった。
素早く目の前のカウンターテーブル上に滑り込ませると、特に拒否する様子もなく……。
やがて仏頂面のまま、フォークに刺して一口齧りついた。
よし、食べてくれた。
自分も席に戻り、ミックスフライに手を付け始める。
「おっ、美味い」
「ハインド、やっぱり料理上手……美味しい」
フィリアちゃんに褒められた。
特に肉の方はレクス・フェルスのものなので、味は上等。
そういえば、前にフィリアちゃんにあげたのもカツサンドだったな……。
単なる偶然だが、何かと揚げ物に縁がある。
他のみんなの反応も上々で、どうやら料理は成功のようだ。
「おい、あんた」
「はい?」
声に振り返ると、皿を空にした店主が手招きをしてくる。
応じて近付くと、彼は意外な言葉を口にした。
「この料理は、一体なんて名前なんだ?」
「あ、もしかしてこの辺りにはない料理だったりします?」
店主が首を縦に振ったので、俺は料理名と……ついでにレシピも全て教えた。
酒場で色々させてもらっている場所代のつもりである。
彼の厚意には、ここまで非常に助けられているので。
店に出すメニューに加える許可も出したが、俺たち以外のお客さん来るかな……?
「さて、こっからは本気の戦闘タイムだ」
「――あ!? ハインド、何か言ったか!? 全然聞こえんぞ!」
「バフ時間を有効に使って、記録を伸ばそうぜって言ってるんだよ! 今度は聞こえたか!?」
「聞こえた! そうか! 確かにそうだな!」
準備を済ませた俺たちは、今夜も東門に来たのだが……昨夜以上の人の数だ。
小さな声での会話は掻き消され、足は踏まれ、肩がぶつかり、あちこちから怒号が響く。
緩やかに門に向かう波に乗れたので、そこからはゆっくりと前進。
「ハインド先輩! 私たちは先に行きますっ!」
「はいよ! 行ってらっしゃい!」
「健闘を祈るでござるよー!」
先にはぐれたヒナ鳥パーティが門に到着し、その姿が転移によって順番に消えていく。
それから少しの間を置いて、ようやく俺たちの順番が回ってきた。
門には薄い光の膜が貼られ、前のパーティないしプレイヤーが入った直後は、処理に少しだけ時間がかかる。
この赤い光が青くなったら、侵入可能の合図だ。
「ふぅ、やっとか。ユーミル、何かあるか? リーダーとして、戦闘前に言っておくこととか」
「むう……では、景気づけにいつものやつを!」
「いつもの? ――って、何かあったっけ?」
「うむ! いつもの号令だ! よーし……」
光の膜が青くなったのを見て、ユーミルが拳を固めて突き上げる。
「渡り鳥、出撃!」
「お、おー! ……あれ、あったっけこんなの?」
「私の記憶違いでなければ、初耳です」
「む? そうだったか?」
「そんな号令、全然知らないでござるよ!? どんだけ強引な捏造でござるか!」
戦闘が始まる前から既にグダグダである。
セレーネさんが取りなすように、俺たちの背中に順番に触れて言う。
「ま、まぁまぁ。気を取り直して、普通に行こうか。普通に」
「……そうですね」
こうして渡り鳥は、特に気合を入れることなくぬるっと戦闘に入るのだった。