秀平の策略
その日の朝は何故か、いつもギリギリに登校してくる秀平が俺よりも早く教室に居た。
しかも妙に姿勢よく座っていて、何だか気持ち悪い。
周囲のクラスメイトは、その様子に困惑しつつも放置している。
俺は秀平の横を通り抜け、自分の席でバッグから出したテキストを机にしまい始め――
「へい! へい、わっち! へいへいへい!」
「朝からうるさい、秀平」
椅子を蹴って立つ秀平に、一瞬クラス中の視線が集まる。
しかしみんな慣れているので、数秒も持たずに視線が散っていく。
「話しかけてよ!? 今日は早いなぁとか、せめておはようとか!」
「ああ、そうだな……おはよう秀平」
「おはよ、わっち! ……って違う!」
「分かった分かった。で、どうだった? 昨日は」
TBができずに早く寝たから、今日は普段よりも登校が早いのだろう。単純な奴だ。
秀平が訊いて欲しいのは、恐らく壊れたVRギアがどうなったかということ。
俺の前まで来ると、黙って親指を立てて白い歯を見せる……ってことは。
「修理代、勝ち取ったぜ! やはー!」
「そうか、よかったじゃないか。じゃあ、放課後に修理に――」
「もう昨夜の内に出したよ! オンラインで修理の受付して、まだ開いてる運送屋さんに駆け込んで速達で!」
「早っ! 本当にお前は、ゲームに関してだけは抜かりねえのな」
「まあ、母ちゃんには企みが全部バレてたんだけどねー。わっちの言う通りにしてたら、アンタらしくないって言われてさぁ。結局全部話す羽目に」
「お前、そっくりそのままやったのか? そりゃバレるわ」
普段の秀平の言動からはかけ離れていただろうしな……少しは不自然にならないようにアレンジしろよ。
おばさんの懐の深さに感謝だな。
言い争いにならなかっただけ、秀平にしては頑張った方だし良しとしておこう。
「ともかく、復帰が待ち遠しいよー。わっち、例の約束忘れないでよ?」
「刀だろう? 憶えてるって。それより――」
「きっしー、津金、おはよー」
「あ、おはよー……それよりさ、秀平。ルスト王国に知り合いのプレイヤーって誰か居るか?」
弁当箱の中身が崩れないように、バッグを平行に保ってロッカーへ。
秀平も話を続けながら俺の動きについてくる。
「ルスト? うーん……居ないことはないけど、わっちとはプレイ時間が合わないと思うよ? ほとんどの人が深夜帯だから」
深夜ってことはソロ時代ないし別ゲー時代のフレか。
良さそうな人が居たら紹介してもらおうと思ったんだけど、当てが外れたな。
自分の席に戻ると、秀平は空いている前の席に座った。
「そりゃ厳しいな。あ、昨日のゲーム内の様子を聞くか? 新要素のモンスターの食材ドロとか、料理バフとか」
「聞いたら禁断症状が出そう。やめとく」
「あっそ。じゃあ掲示板もやめとけよ? 同じことになるから」
「やっぱ聞く!」
「どっちだよ……それなら、一通り話すぞ」
秀平はふんふんと頷きながら、時にはプレイできない悔しさから歯ぎしりしながら俺の話を聞いた。
話に夢中になる余り、後ろから威圧してくるクラスメイトに秀平は気が付いていない。
その威圧している主である加地君が、俺に視線を向ける。
「おっす、岸上。このアホどかしていいか?」
「いいよ」
「いや、普通にどけって言えばどくよ!? 何でわっちに訊くの!?」
秀平が慌てて席から立ち上がる。
柔道部の加地君がドカッと席に座り、席が生暖かいと文句を一言。
いやあ、彼が座ると相変わらず前が見えん。
「秀平、まだ来てないこっちの工藤君の席に座れよ」
「あいあい、よっこいしょ。それにしても、セレーネ殿に続いて未祐っちもヒナ鳥ちゃんズもしばらくインできないんだ。理世ちゃんと二人旅……わっち、大丈夫なの?」
「何が?」
「身の危険とか、感じない?」
「お前は人の妹を何だと思ってるんだ? ねーよ」
あれぇ? と秀平は首を捻っているが……。
あいつが何かする気なら、一緒に住んでいる時点で既に何か起きているだろう。
よって、それはただの杞憂である。
時々「協定が……」などと呟いていたりはするが。
「その野良PTで組んだ二人に関してはノーコメントとして――」
「お前、町中でちょっとでもヤンキーっぽいやつを見ると、全力で迂回して歩くもんな……」
「ノーコメントとして! ……エルフ耳については考えようだよ、わっち」
「どういうこった?」
「上手くやれば、色合い問題も解決する上に取引掲示板をよりも効率よく稼げるかもってこと。わっち、需要の高い地域に居るんだよね? いわば現地に」
「そうだな。念のためログアウト後に掲示板で確認したら、やっぱりルスト全体が需要高めと見て間違いなさそうだったが……お前、まさか」
秀平が俺の言葉にニヤリと笑う。
何となく企みの内容を察することができたが、止める間もなくするりと秀平は立ち上がった。
「俺がお膳立てを整えるよ! わっちは22時にしっかりログインしてよね!」
「嫌な予感がするが……まぁ、いい。稼げそうなのは確かだしな。任せる」
「任せろ!」
今日はバイトがあるので、インするのは秀平が言った通りの時間になるだろう。
時間ギリギリで後ろの工藤君が到着し、予鈴が鳴る。
その後の秀平は、先生の目を盗んでは授業そっちのけでスマホを操作し続けていた。
早く登校した意味が皆無だな……。
そして放課後、秀平はインした後にとある場所で待機するように俺に言い残して帰って行った。
家でもパソコンを使って何かやるらしい。
俺の方はというと普段通りにバイトに行き、帰ってまず入浴。
朝の内に作っておいたほうれん草のソテーを温め、鶏むね肉の蜂蜜漬けを焼いて遅めの夕食。
ご飯は事前に予約炊飯しておいた。
減っている料理と伏せられている食器からして、母さんと理世の二人も先にちゃんと食べてくれたようだ。
さすがに肉を焼くだけだからな……蜂蜜を含んだタレが焦げ付きやすいのが欠点ではあるが。
明日も日勤で仕事の母さんは既に就寝、理世は食器を洗う俺の真横に。
「――って近い近い! 何、暇なの?」
「暇ではありません。こうして兄さんの体温を肌で感じるという、大切なお仕事の最中です」
「仕事……?」
「仕事ですから仕方ありませんね」
何を言っているのかさっぱり分からない。
理世のことだから、自分の勉強を終わらせてからこの奇行に及んでいるのだろうけれど。
それからこの濡れた髪と触れた体温の高さ、香りからして風呂上がりのようだ。
理世にしては血色がよく、頬も上気している。
「今の内に髪を乾かしてこいよ。そしたら一緒にTBやろうぜ」
「兄さんが乾かしてください」
「あ? あー……久しぶりだな、それ言うの。じゃあ、そっちで用意して待ってろ」
「はい」
そのまま洗い物を終わらせ、リビングに向かうと椅子の上に正座する理世が待っていた。
まずはタオルで水気の拭き取りだ。
理世は細くて柔らかい髪なので、いつも力加減には気を使う。
こすらず、地肌を揉むように両手でタオルを押して水気を吸い込ませる。
「ん……」
僅かに声を上げて、理世の肩の力が徐々に抜けていく。
リラックスできているようで一安心だ。
次はオイルタイプのヘアトリートメント手に取り、地肌に付かないように気を付けながら適量を髪に塗っていく。
これは風呂上がりに使う洗い流さないトリートメントで、「アウトバストリートメント」というらしい。
理世のお気に入りのトリートメントで、このオイルの甘い香りは俺も嫌いではない。
ドライヤーの熱による髪の傷みを防ぎ、ツヤを出すことができる。
そしてドライヤーを使い、内側からしっかりと乾かしていく。
「はふー……」
「よし、乾いた。梳かすぞー」
温風の後に冷風を当て、軽く空気を含ませておく。
そして光を反射するツヤが出た髪を、ブラシを使って整える。
地毛でありながら色素の薄い茶髪を、サラサラと梳かしていくと……。
「はい、完成」
「ありがとうございました、兄さん。とても幸せな気分です……」
「お、おう。よかったな」
肩までの髪を揺らしながら、理世が柔らかな笑みを湛えて振り返った。
その姿は我が妹ながら、男子に非常にモテるというのも納得な美少女ぶりである。
小さい頃とほとんど変わらない髪の色艶をキープしているというのは、中々に凄いことだ。