悲痛な世界
動いた。
目を瞑ったまま誰かがいるところに注意を向けていた。
すると突然、風が変わる。
一定のリズムで流れていた空気が乱れる。
じわっとかいていた手汗を地面に擦り付けて、僕は飛び起きた。
すると正面に幼い少女が全力で迫っていた。
その手に銀色に光るナイフを持ちながら。
!
僕は回避しようとしたが、不意に少女の全身を見て、思わず息を飲む。
一瞬、行動が遅れる。
少女は大きく口を開いて手と足に出来る限りの力を入れる。
そして次の瞬間、僕の体と少女の小さな体が衝突した。
僕は空を真っ直ぐ見上げ直す。
先程と同じ光景が目の前に広がっている。
唯一違うのは、僕の膝で気を失っている少女がスヤスヤと寝ていることだ。
僕は少女が持っていたナイフをじっくりと観察する。
一部が黒く変色している銀食器。
,,,,,,いや、僕が知っている限り、銀食器のようなものだ。この世界ではこれがどんなものなのか全くわからない。
でも、もし銀ならば恐ろしいことだ。
銀は毒に反応して黒く変色する。
中世ヨーロッパの富豪達は食事に毒を盛られるのを恐れ、これを愛用していたとも言われている。
僕は少女の全身に視線を戻す。
少女はワンピースを一枚着ているだけだ。
白かった名残のあるワンピースはボロボロに破れ、穴が開き、黒ずみ、申し訳ないけどアンモニアや硫化水素の混じったような異臭もする。
そしてそのワンピースから出ている足や腕は握れば折れそうなくらいに細く、ガリガリに痩せ細っていた。
年齢は大体10才程度だろうけど、体型は明らかに通常のそれではない。
あともう1つ。
この子は声を出せない。
もしくは耳が聞こえない。
喉には手術後の跡が喉に対して垂直に存在し、彼女の側頭部には大きな痣があった。
喉を潰され、鼓膜も破られている。
悲痛なのはそれに自らは気付かず、大きく口を開き、大声を出して威嚇しつつ攻撃しようとした、いたいけな彼女の姿だった。
実際は何一つ叶っていないというのに。
そこまでわかっていて、何故僕は怒りが沸き上がらないのだろう。
もちろん、酷いとは思ってる。
それでも、沸き上がり、噴火し、激怒、憤怒、爆発するような激しい怒りが浮かんでくることはなかった。
僕は冷めた人間なのかな。
それすらも記憶のない僕に知る術はないんだね。
早朝。
僕は一睡もしなかった。
何故か寝ることが出来なかった。
何故かと言っても、大体の理由は膝の上に彼女がいるからなんだけどね。
街は壁に囲まれているため、朝はまだ陽が差さず辺りは暗い。
だけど、街は動き始める。
僕は昨日からどこかこの街の人々に違和感を感じている。
それがなんなのかは全くわからないけど。
僕はここで何かをしなくちゃいけない気がするんだ。
少なくても、この子を守ってあげないとね。
すると突然、ビクつきながら少女が起きた。
そして僕の目を見るとすぐに笑った。
ガタガタと震えながら。
まるで僕を決して怒らせないようにするために。
自分を守るかのように。
強固で完璧で、それでいて悲しすぎる笑顔。
この子は虐待を受けているのだろうか。
それとも奴隷?
それとも他の理由があるのかな。
とりあえず、僕への警戒心を解かないとね。
僕は少女の頭を撫でてみた。
すると少女はビクッとして目を瞑ったあと、しまったという顔をしてまた笑い直した。
どうしたものかと思った末、少女の持ってたナイフで屋上の地面に文字を書いてみた。
『ぼくは あなたの みかたですよ』
10才の子がどこまで漢字を読めるかがわからないので全て平仮名で。
すると少女はその文字をじっと覗きこんだあと、僕の顔を見た。
今度は笑わずに真顔で。
そして首を傾げていた。
い、一応、雰囲気は伝わったのかな。
でもさ,,,,,,
わからないんかい!!!
僕は一度街に舞い戻る。
あまりしたくなかったけどしょうがない。
僕は少女に着せる服とパンを、引き寄せる力で無断拝借した。
本当にすいません。
少女はあっという間に持ってきたパンを食べ、もっともっとと言ってくるので僕ももっともっと犯罪を犯しました。
はい。
ようやく少女はお腹いっぱいという様子で満足げにお腹を擦っていた。
しかし、それは真顔で。
そして僕はまた目的を失ってしまった。
次に何をすれば良いのかが全くわからない。
少女を見る。
少女は虚ろな目でこちらを見つめている。
「心がないってところは君も僕も同じだね。」
僕は自嘲気味に言ったが、少女はなんとなく僕の雰囲気を察したのか悲しげな顔をしていた。
そうだね。
僕がしっかりしないとね。
そんなことを思い直す彼女の表情。
「大丈夫だよ、僕が君を救ってあげる。」
聞こえていないはずの、頼りない僕の声に。
彼女は反応して、笑顔で『うん』と、一度だけ頷いた。




