血断《ケツダン》ノ花束②
「あのさ……これって異世界転移ってやつじゃない?」
異世界転移。
漫画やアニメなんかでよく見聞きする言葉ではあった。だが、実際に自分が当事者になり、目の前に角や牙や翼を持った連中が並んでいると、知っている言葉のはずなのに、まるで役に立たなかった。
俺たちが固まっていると、魔族の群れの奥から一人の男が進み出てきた。
鋭い目、渦巻く角、禍々しく大きな翼。床を引きずるような黒く長いローブ。恐怖がそのまま形を持ったような、そんな姿をしていた。だが男は俺たちの前で足を止めると、驚くほど丁寧に頭を下げた。
「おお……やはり、魔王様のお受けになった予言は真でございましたか。黒き冥府の四候よ」
黒き冥府の四候? 知らない。少なくとも、うちのバンド名ではない。
だが、ここでいきなり否定はできない。相手は俺たちを何か別の存在と勘違いしているみたいだ。そのせいで俺たちに対して畏怖の念を持っている。
こういう空気の時に、下手なことを言うと一気に崩れる。ライブハウスで客を煽る時とは違う。滑るだけじゃ済まない。
ここで間違えたら俺たちの命が危うい。慎重に言葉を選ばなければ。そう思った矢先、ハヤトが先走った。
「違います!」
おい。
こいつはテンパると、だいたい余計なことばかりが口に出て、行動も裏目に出る。これは俺たち、死ぬかもしれない。
「違います。俺たち、そういう冥府とか四候とかじゃなくて、ただのバンドで。この顔もメイクで、ライブ用のやつで……」
案の定というか、ハヤトは必死にそう言いながら、自分の目元をこすった。血涙メイクを落とそうとしたのだと思う。
だが、指には何もつかなかった。
「あれっ?」
ハヤトはもう一度、少し強めにこすった。赤い筋は、落ちない。それどころか小さく血管のようにうごめき、最初からそういう顔の一部だったみたいに、そこにあった。
「……レイジ、これ……取れない」
俺も自分の頬をこすった。腐肉風に塗っていたはずの青黒い色も、裂けたように作っていた口元も、乾いた血糊の跡も、指に移らない。表面に乗っている感じがなかった。触ると、皮膚の凹凸そのものが変わっている。痛みはないが裂け口がぐずぐずと、不快な感触になっていた。
シンイチは首筋の縫合痕をなぞった。
「本物みたいだな」
「落ち着いて言うなよ」
そんなやり取りをしていると、シンジは泣きそうな顔で俺たちを見て、半ば叫びながらこう言った。
「お前らはまだいいよ。俺なんか、頭にでかい釘ぶっ刺さったまま異世界だぞ!」
シンジがこだわって、DIYしたでかい釘の飾りを額に貼り付けていたのだが、今はそれが本物になって頭に突き刺さっている。皮膚の周りは赤黒く、指で触ると、シンジの顔がひきつった。
「痛いのか?」
「痛いっていうか、感触が最悪なんだよ」
その声に、魔族たちがまたざわめいた。
「頭にあのような巨大な釘を刺されては、いかに魔族でも命を保てぬ……」
「やはり冥府の者……」
「恐ろしい……」
「おいシンジ、褒められてるぞ」
「これ褒められてんの?」
シンジは額の釘を押さえたまま、引きつった笑いを浮かべた。いや、笑いながら目からは真っ赤な涙が流れていた。それが余計に魔族を恐怖させているのが、俺にも分かった。
黒い翼の男は、感極まったように胸に手を当てた。
「小生はザント。この魔王城にて宰相を務めております」
宰相、という言葉は普段聞きなれない単語だが、かなり上の地位を指すものであることは、その雰囲気からも容易にわかった。
「四候の皆様がご自身をそうお認めになれぬのも、無理はございません。『黒き冥府の四候』とは、魔王ヴァレリア様がお受けになった予言の中に記されていた呼び名。ご自覚がないことも致し方なきことかと」
「いや、だから本当に違――」
ハヤトがまた口を挟もうとしたが、ザントは勝手に続けた。
「黒き冥府より四人の導き手が降り立ち、その者らが儀式を行う時、我ら魔族に新たな力が宿る。予言には、そうございました」
「儀式……」
儀式ってなんだ。サバトとかそういうのか? 俺らはただのバンドであって、そういうのはできない。というか知らない。できることと言えば演奏くらいだ。
ザントのこの雰囲気なら、正直に話したほうがいいかもしれない。少なくとも、何かを口にした瞬間にすぐに首をはねられるとか、そういう状況にはならないだろう。
「私たち、儀式、わからない」
(緊張しすぎて片言になってしまった……)
シンジが小声で言う。
「なんで片言なんだよ」
ハヤトが、顔をこするのを諦めきれないまま、小さく言った。
「馬鹿に見えるぞ」
「うるさい、ちょっと黙っててくれ」
「私たち、ミュージシャン。音楽、やる。歌う。楽器、鳴らす」
「みゅうじしゃん、おんがく」
ザントは、初めて聞く呪文みたいにその言葉を繰り返した。
「おんがくとは、いかなる術でございましょう」
「術、違う」
「では、祈りでございますか」
「祈りも、違う」
「戦の号令でしょうか」
「近い時もあるけど、違う」
話していて分かった。
魔族には、音楽という文化がないらしい。鐘や角笛のような合図はある。だが、音を重ねて気持ちを動かすとか、リズムに合わせて身体を揺らすとか、客席と一体になって熱量を生み出すとか、そういう発想がないようだ。
説明しようとすればするほど、ザントの顔が真剣になっていく。真剣になればなるほど、こちらの説明が的から外れていく。
「……もう、やった方が早いんじゃね?」
ジンジがそう呟くと、ハヤトがこっちを見た。
「やるの?」
「それしかないかもな……でも……」
問題は楽器だった。俺たちは楽屋から飛ばされた。ギターもベースもドラムも、さっきまで確かにそこにあったが、この黒いホールにはない。困って足元を見た、その瞬間だった。
黒い床の上を、霧のようなものが走った。
アンプ。マイクスタンド。ドラムセット。エフェクターボード。そして俺たちの楽器。
機材が、まるで最初からそこにあったみたいに現れた。
「……なんか……出た」
シンイチがベースを手に取る。
俺はアンプの電源を見る。ランプが点いている。ケーブルもつながっている。電気がどこから来ているのかは分からない。果たして音が鳴るだろうか。
俺は恐る恐る、足元のスイッチを踏んだ。
次の瞬間、アンプが唸り、黒いホールが低く震えた。魔族たちが一斉に肩を跳ねさせる。
「おお……その足元の箱もまた、冥府の神器でございますか」
「いえ、踏むやつです」
俺はギターを肩にかけ、ストラップを高めに調整する。昔はもっと低く構えていた。見栄えはよかったし、界隈ではそれが普通だった。だが弾きにくい。四十を超えた腰と手首に、もう無駄な負担をかける気はなかった。
無理は減らす。だが音の殺意は減らさない。それが今の俺のポリシーだ。
「曲、何やるんだよ」
ハヤトがマイクを握ったまま言った。
「血断の花束」
「いきなりそれ?」
「俺たちの代表曲だ。初めてのライブハウスではいつもそうだろ」
「ここライブハウスじゃねえよ」
「初めての場所では同じだ」
シンジがスティックを構えた。
「テンポは? 今日はもう膝痛いんだけど」
「じゃあ、膝が死なない範囲で速め」
「了解! 助かる」
シンイチが低く一音を鳴らす。ホールの空気が変わった。聞きなれない音を耳にし、魔族たちは、より怖がっている。だが、逃げない。何が始まるのか分からないまま、目を離せずにいる。
俺はピックを握り直した。
「いくぞ!!!」




