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誰も救えない僕が、それでも魔王と生きる話  作者: 霜月ルイ
最終章【誰も救えない僕が、それでも魔王と生きる話】

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165/167

165.玉座は血を選ばない-2

 

 月光の四角は、揺れないまま床に落ちている。


 揺れない光は、嘘をつけない。炎なら揺れが時間を誤魔化してくれる。揺れがあれば、感情はそこに居場所を作れる。居場所を作れば、逃げ道になる。逃げ道は要らない、と墓前で置いた言葉が、ここでもまだ喉の奥に残っているせいで――この夜の光は、揺れないほうが正しいのだと分かってしまう。


 だから光は切り取る。


 石の床の一部だけを、四角く。古い敷物の端を、少しだけ白く。椅子の脚の影を薄く伸ばし、水差しの丸みを鈍い輪郭にして、二人の膝の下に落ちる影を「影としては薄いまま」置く。薄いのは灯りが弱いからではない。弱くすることが選ばれているからだ。輪郭を誇張しないために。英雄にも、魔王にも、見せないために。


 部屋は機能のまま残っている。


 豪奢な香りはない。火もない。火がないから、舞台にならない。舞台にならないから、今ここにある沈黙は感情の演出になりにくい。演出になりにくいのに、重い。重いのは、部屋が死んでいるからではなく、部屋が“生きたまま”夜の手順に移っているからだ。


 生きている音が、遠くで鳴っている。


 城の奥で、水が落ちる。


 ぽたり、という優しい落下ではない。石に触れて短く弾ける、乾いた落下。一定ではない。一定ではないことが、樋が詰まっていないことを示す。詰まっていないことが、誰かが目を通していることを示す。目を通していることが、ここが“魔王の巣”ではなく、夜を回す場所だと告げる。水はこの城の中でも止まらない。止まらない水は、昼の市と同じ種類の「続ける」を持っている。


 遠い靴音が、規則的に近づいて、遠ざかる。


 見回りだ。近づくときも乱れない。遠ざかるときも消えすぎない。石を踏む間隔が、刻むように一定で、その一定さが安心ではなく手順だと分かる。見回りは不安を追い払うために歩いているのではない。歩くことで、誰かが眠れる形を維持する。維持のための歩幅。維持のための規則。規則は慰めにならない。慰めにならないからこそ、夜は崩れない。


 紙を束ねる音が、ときどき混ざる。


 昼の街では鍋が鳴っていた。夜の城では紙が鳴る。紙の繊維が擦れて束になる音は、火の音よりも乾いているのに、やけに生々しい。生々しいのは、誰かが“今日”を記録に固定しているからだ。固定することで、明日の段取りが立つ。段取りが立つことで、明日は来る。来る、と言い切れないからこそ、記録は要る。記録が要る場所は、戦時だ。戦時なのに紙の音で回していることが、この城の中枢の性質だ。


 窓の外では、虫の羽音が低く途切れている。


 昼の羽音は薄布みたいに街に張っていた。夜の羽音は短い。鳴って、止んで、また鳴る。途切れの間に夜の厚みがある。厚みがあるのに、情緒にはしない。虫は誰かを慰めるために鳴かない。生きているから鳴いて、止む。止むのも、生きているからだ。


 ――この部屋は、止まっていない。


 止まっていないのに、動きは遠い。


 遠い動きは、近い感情を育てない。近い感情を育てないように、この城は設計されている。布が音を吸う。天井が声を逃がす。石が熱を奪って、身体の輪郭を縮める。縮めた輪郭の中に、逃げ道を作らせない。逃げ道が欲しい瞬間に、逃げ道がないことだけを分からせる。


 それでも、二人は同じ場所にいる。


 呼吸が深くなる。


 深くなるのは泣くためではない。身体が勝手に深くする。昼の香辛料の熱がまだ喉の奥に残っていて、石の冷えが足裏から上がってきて、その二つが同じ身体の中で並んでいるのが、疲れる。並んでいることを受け止めるだけで、余計な力が抜ける。抜けると、呼吸は勝手に深くなる。深くなるのに、整えない。


 整えれば儀式になる。


 儀式は意味を作る。意味ができれば、彼は「理解したふり」に逃げられる。逃げない。だから一定にも、きれいにも、しない。乱れも整えもせず、ただ身体が取り込む分だけ空気を入れて、吐く。吐いた息の音が、この部屋では少しだけ大きく聞こえる。静かだからではない。静かを選んでいるからだ。


 同席は続く。接触のない同席が続く。その距離が、この夜の城の距離だ。近すぎれば慰めになる。慰めは言い訳になる。遠すぎれば拒絶になる。拒絶は敵味方を確定させる。確定は簡単で、簡単さは逃げだ。そのどれにも寄せない距離を、彼女は膝の上の手で固定する。


 月光に当たる指が白い。


 白いのは光のせいだ。けれど光だけでは説明できない白さがある。体温の低さ。血が騒がない皮膚の色。寒さに震える白さではなく、最初から低い温度がそこにある白さ。


 エルディオはその白さを「可哀想」と呼びたくない。


 可哀想は救う側の椅子に座る言葉だ。救う側は安全だ。安全は逃げ道だ。逃げない。だから彼は、白さを白さとして見るだけにする。月光の四角の中で、白い手がそこにあることだけを受け取る。


 沈黙が落ちる。


 落ちて、広がる。広がるのに、情緒にならない。情緒にしないために、部屋は機能のまま置かれている。火がない。香りがない。装飾がない。余計なものがないから、沈黙は泣くための場所になれない。泣くための場所になれない沈黙は、言葉の出なさではなく、言葉にしない選択として続く。


 言葉はある。


 あるからこそ、選んで置かない。


 置けば説明になる。説明は正しさを呼ぶ。正しさは便利だ。便利なものは、人を守る形になってしまう。守られる形は逃げになる。逃げ道はいらない。――その選択が、この部屋の空気の重さになっている。


 夜は深くなる。


 深くなるのは、闇が濃くなるからではない。城の音の層が一枚ずつ入れ替わっていくからだ。紙を束ねる音がさらに減って、靴音が一度遠ざかり、水の落下だけが少し長く残り、虫の羽音の途切れが伸びる。伸びた途切れの分だけ、時間の輪郭が硬くなる。


 硬い時間の中で、二人はまだ動かない。


 動かないのに、止まっていない。


 止まっていない夜の中で、沈黙だけが、次に落ちる一文を受け止める器として――月光の四角の内側に、静かに用意されていく。


 ♢


 月光の四角は、揺れないまま床に落ちている。


 揺れない光の中では、言葉も揺れないほうがいい。揺れれば、声に理由が混じる。理由が混じれば、言い訳になる。言い訳になれば、便利な正しさが生まれる。正しさはいつだって逃げ道になる――その順を、彼女は知っている。


 だから、落とす。


 落とす前に、呼吸が一つだけ動く。


 喉が鳴るほどではない。咳でもない。声を作るための息でもない。ただ、身体が勝手に空気を入れて、吐く。吐いた息が月光の四角の端で冷える。冷えた息が消えきる前に、声が来る。


「……私、弱いの」


 唐突だった。


 唐突にしてしまうことで、言葉から理由を剥ぐ。理由がなければ、説得にならない。説得にならないから、赦しを取りに行かない。取りに行かないまま、言葉だけが石の上に落ちる。


 落ちたあと、彼女は続けない。


 続けない代わりに、部屋が動く。


 城の奥で水が落ちる。ぽとり、ではない。石に触れて短く弾ける落下。一定ではなく続く落下。一定ではないことが、ここが生きている証だ。生きている証が、言葉を慰めに変えない。


 月光の四角は揺れない。揺れないまま、椅子の脚の影を薄く伸ばし、水差しの輪郭を鈍く浮かせる。影が薄いのは灯りが弱いからではない。輪郭を誇張しないために弱さが選ばれているからだ。英雄にも、魔王にも、見せないために。


 しばらく、何も足されない。


 足されない間が、意図になる。


 意図は感情ではない。手順だ。言葉にしない選択を続けるための余白だ。


 その余白の中で、彼女の指が膝の上の布をつまむ。強く掴むわけではない。離すわけでもない。余計な動きをしないための留め具。留め具を作ることで、手は命令の形を作らない。命令の形を作らないことで、声も結論へ滑らない。


 水が落ちる。


 遠い靴音が、一度だけ近づいて、遠ざかる。規則的な間隔。規則は慰めにならない。慰めにならないから、声は綺麗にならない。


 彼女は、二つ目を落とす。


「最初から」


 短い。


 短いから、前の言葉に意味を与えすぎない。「弱い」に条件を付けない。「弱いけど」を許さない。許さないまま、時間だけが伸びる。


 伸びる間に、月光の四角の端が敷物のほつれに触れる。ほつれは直されている途中で止まっている。完璧ではないが放置でもない。城の夜はこういう途中を抱えたまま回る。途中のまま回る場所で、言葉も途中のまま置かれる。


 間が、少し長い。


 長いのに、感傷へ落ちない。


 落ちないのは、彼女が視線を上げないからだ。視線を上げれば、相手の反応を拾いに行ってしまう。拾えば交換になる。交換になれば、慰めも裁きも入り込む。入り込めば、言葉は告白になる。告白になれば、赦しが欲しくなる。


 欲しくない。


 欲しくないから、見ない。


 見ないまま、三つ目を落とす。


「今も」


 それで止める。


 止めることで綺麗にしない。綺麗にしないから、報告になる。報告は泣き言にならない。泣き言にならないから、部屋の空気は変わらない。


 変わらないまま、水が落ちる。


 靴音が遠ざかる。


 どこかで紙を束ねる乾いた音がして、また沈む。


 窓の外で虫の羽音が低く途切れる。


 その生活の遠景だけが、言葉の周りに残って、言葉を救いに変えない。


 彼女は弱い、と言った。


 言ったのに、弱さを定義しない。


 定義すれば美徳か欠点にできる。美徳も欠点も扱いやすい。扱いやすさは逃げ道だ。逃げ道はいらないから、彼女は“現象”だけをそこに並べていく。


 現象は、声にならない。


 声にしないまま、身体の内側で起きる。


 決断の前に、顔が浮かぶ。


 数の前に、顔が来る。


 名前を呼べない顔。呼べなくても分かる顔。耳の形、角の傷、口癖の笑い方、手袋の縫い目のほつれ。昼に渡した粉袋の重さ。水場で桶を置くときの癖。包帯を干す指の動き。そういう“個”が、選ぶより先に浮かぶ。


 浮かぶこと自体を止められない。


 止めようとすれば、先に壊れるのは自分だと知っている。知っているから止めない。止めないまま浮かぶ。浮かぶから、数に落とす前に、息が一度詰まる。詰まるのに、詰まりを見せない。見せれば感情になる。感情は便利だ。便利なものは逃げ道になる。


 だから、詰まったまま黙る。


 損失の話ができない。


 できない、では足りない。してしまうと壊れる、と分かっている。壊れるのは倫理じゃない。構造だ。ひとつの言葉で誰かの命が「処理」になった瞬間、処理した側の自分の内側が、戻れない場所へ落ちる。


 落ちる場所を、彼女は知っている。


 知っているから、数を口にする手が止まる。止まるのに、止めてしまえば段取りが崩れる。段取りが崩れれば、夜が崩れる。夜が崩れれば、明日が削れる。削れれば、戦争以前に終わる。


 終わらせないために、止めない。


 止めないために、遅れる。


 決断が遅れる。


 迷うからではない。優柔不断だからでもない。


 切れないからだ。


 切れない、というのは相手を残すという意味ではない。切れない、というのは「切る」という行為が世界のどこかを永久に変えると知ってしまうからだ。知ってしまうから、刃を振る前に、刃が通る先の顔が浮かぶ。浮かぶから、刃は遅れる。遅れた分だけ、外の世界は勝手に進む。勝手に進んだ結果として、彼女は“間に合う形”を作るしかなくなる。


 間に合う形は、しばしば強い顔を必要とする。


 強い顔は、装置だ。


 装置を被るために、彼女は声を短くする。声が長くなると、迷いが見える。見えた迷いは食われる。魔族内部からも、人間側からも、世界そのものからも。食われる席だと分かっているから、短くしてしまう。短くするのは虚勢ではない。生存戦略の前段だ。


 そして、正しさを単純化できない。


 善悪で割れない。


 敵味方で固定できない。


 どちらも正しくない、と分かってしまう。


 分かってしまうのは賢さではない。見えてしまう癖だ。見えてしまえば、言葉は刃になりきれない。刃になりきれない言葉は、戦時では弱さになる。弱さは席を削る。削られれば、座っていられなくなる。


 座っていられなくなるのに、座っている。


 その矛盾が、彼女の中でずっと擦れている。


 擦れて、削れて、冷えが残る。


 月光の四角の中で、彼女の指が布をつまむ力がほんの僅かに変わる。強くするのではない。ほどく。ほどくことで、手は命令を作らない。命令を作らないことで、彼女は“魔王の癖”を抑える。


 抑えながら、報告だけを置く。


「……私、弱いの」


「最初から」


「今も」


 その三つが、説明にならないまま、石の夜の上に並ぶ。


 並んだ事実が、ここから先の「なぜ?」を呼ぶ。


 呼ぶのに、答えはまだ出さない。


 答えを出せば結論になる。結論は支配になる。支配は戻れる道になる。


 戻れるのが、怖いから。


 彼女は、まだ言葉を増やさないまま、同じ沈黙の中で――“弱さ”という現象だけを、逃げ道にせずに置き続けていた。



ここまで読んでくださって、ありがとうございます。


昼の街の「ただ、生きているだけ」と、夜の城の「揺れない光」。

どちらも救いにはならないのに、逃げ道もくれない――そんなまま、二人を同じ部屋に置きました。


ステラは、強いから魔王なのではなく、弱いと分かったまま座っている。

その事実だけを、まだ説明せずに並べています。


次から始まるのは、弁明ではなく、順番です。

なぜ彼女がそこに座ってしまったのか。

何が最初に壊れたのか。


月光の四角が、別の夜へ重なるところから。

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