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誰も救えない僕が、それでも魔王と生きる話  作者: 霜月ルイ
最終章【誰も救えない僕が、それでも魔王と生きる話】

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158.弔いの歩み-6


 消える、という感覚はいつも曖昧だ。


 光が爆ぜたり、音が割れたりはしない。派手な現象は、必要なときだけでいい。いまのエルディオは、派手さを許す余裕を持っていない。派手にすれば“出来事”になる。出来事になれば、そこへ意味が生まれる。意味が生まれれば、感情が逃げ込める形が出来てしまう。


 だから転移は、現象としてだけ起きる。


 足元の影が、一拍だけ遅れる。


 遅れた影が追いつくまでの刹那、世界の輪郭が薄くなる。薄くなるというより、厚みの層が一枚だけ剥がされる。耳も鼻も、受け取る準備をする前に、受け取るものを失う。


 王都郊外の墓地の匂いが、抜ける。


 石と苔と、古い鉄の錆と、誰かが残していった燃えかす――線香に似ているが線香ではない、祈りと習慣の境界の匂い。あの硬い匂いが、鼻の奥からすっと引き抜かれる。


 糸を抜くみたいに。


 切れるのではない。薄くなるのでもない。そこにあったものが、あるべき場所から外されるだけだ。外された瞬間、身体のほうが遅れて置いていかれそうになる。視界の端に残った墓標の直線だけが、ほんの一瞬、意味を失って漂う。


 次の一拍、空気が「何も運ばない」瞬間が挟まる。


 匂いがない。

 音の厚みもない。

 皮膚に触れる温度だけが先行する。


 その空白が、かえって現実的だ。現実はいつも、説明より先に身体へ来る。


 ――来る。


 エルディオはそう考えたわけではない。考える前に、足裏が先に“着地”を受け取る。


 土だ。


 石板ではない。

 砂利の硬さでもない。


 土の上に降りる感触が、靴底の下でふっと沈む。沈むが、花畑ほど柔らかくはない。誰かが何度も踏んだ土だ。踏まれて固まった土が、沈みすぎない範囲でだけ受け止める。沈み込みが止まるところで、反発ではなく“持ちこたえる”力を返してくる。


 その沈み方が――生活の土だ。


 匂いが来る。


 最初に来るのは、死の匂いではない。


 土の匂いだ。

 湿りを含んだ土の匂い。雨上がりほど濃くはないが、乾き切ってもいない。土の中に残る水気が、鼻の奥にひやりと触れる。冷たいのに、拒む冷たさではなく、ただ「ここにある」と告げる冷えだ。


 次に、樹皮の匂い。


 近くに木がある。幹の古い皮の、乾いた甘さと渋さ。苔の湿りとは違う、木の時間の匂いが混じる。木は祈りを知らない。ただ立って、年を重ねている。その無関心が、逆に安心ではなく重みになる。


 そして、牧草。


 草の匂いが、確かに混ざっている。刈られた草の匂いではない。踏まれて折れた草の匂いでもない。風に晒されて、日光に乾いて、また夜の湿りを吸って――そういう“毎日”の匂いだ。昨日と今日が区別されない匂いが、胸の奥のどこかを鈍く叩く。


 さらに遠く、煙がある。


 火の匂いがする。焚火の匂いに近い。だが戦火ではない。焦げではない。誰かの家の煙突から上がる、炊事の煙の匂いだ。匂いは薄いのに、確かに「暮らしがある」という輪郭を持っている。食べるための火、温めるための火。奪うためではなく、続けるための火。


 死より先に、生活が鼻に来る。


 それが、辺境の空気の厚みだった。


 音も来る。


 鳥の声が近い。


 王都の墓地の鳥は距離を取って鳴いていた。人を避ける鳴き方だった。ここは違う。鳥が近くで鳴く。近くで鳴いて、逃げない。人間の気配を完全な危険として扱わない土地の鳴き方だ。鳴きながら、ふいに沈黙する瞬間すら、自然に混ざっている。


 風の音がする。


 墓地の通路の角で変形する風ではない。障害物の少ない広い土地を、まっすぐ抜けてくる風だ。草を擦り、枝先を揺らし、そのまま遠くまで行く。風の音が“逃げない”というより、“広がる”。広がって、戻ってこない。戻ってこない音は、慰めにならない。


 遠くで、鈴が鳴る。


 高い金属音ではない。乾いた鈴が、一拍遅れで揺れる音。家畜の首か、柵にぶつかった金具か。音の正体を確かめる必要がない程度に、音は生活の裏側に沈んでいる。裏側に沈む音ほど、嘘がない。


 鳴き声もある。


 牛か羊か、はっきりしない。はっきりしないまま、ただ「生き物がいる」と分かる声が、風に混じって流れてくる。何かが生きていて、何かが死ぬ――その当たり前が、ここには薄く積もっている。


 人の生活音が、低く残る。


 声が聞き取れるほど近くはない。だが生活の音は“低い層”としてこの土地に残っている。木を打つ音、どこかで扉が閉まる音、遠い犬の吠え――そういう音が、墓地の空気に混ざっている。混ざって、死を孤立させない。


 墓地なのに、死だけになっていない。


 それが刺さる。


 刺さるが、刺さり方が違う。


 王都の墓地は制度の硬さで刺した。整列、区画、石、鉄。死が管理されている硬さが刺した。ここは管理ではない。ここは“混ざり方”で刺す。生活の隣に死が置かれている混ざり方。死を特別にしない土地の混ざり方。特別にしないからこそ、逃げ道がない。


 エルディオは、周囲を見回さない。


 見回せば、帰郷の顔をしてしまう。

 帰郷の顔は、逃げになる。


 逃げたくない。


 彼はまず足元を見る。


 土の色。

 踏み固められた輪郭。

 靴底にまとわりつく薄い湿り。


 土は、花畑より硬い。

 硬いが、墓地の石板ほど硬くない。


 その中間が、妙に現実的だ。


 現実的だから、余計に記憶が入り込む隙間がある。入り込んだ瞬間、呼吸が乱れる。乱れるほど、ここが“知っている場所”だと身体だけが先に理解してしまう。


 エルディオの胸が、一瞬だけ狭くなる。


 痛みではない。

 傷が疼く痛みではない。


 “入り口”だ。


 記憶が入ってくる入口が、胸の奥に開きかける。その入口に空気が吸い込まれそうになるのを、身体が勝手に止める。止めるというより、喉が反射的に“薄く”なる。


 息が一拍、浅くなる。


 浅くなって、戻る。


 戻すのは意思ではない。足が受け止めた土の硬さが、呼吸を“今”へ引き戻す。今に引き戻すことでしか、入口を閉められない。入口を閉めるために、彼は景色を避ける。


 胸元に手が寄りそうになる。


 袋はもうない。

 灰はもう埋めた。


 なのに身体の中心線が、“押さえる癖”だけを覚えている。胸骨のあたりが、何かを抱えていた位置情報を失っていない。何もない空間に、指が吸い寄せられる。そこに触れれば、落ち着いたふりができる気がしてしまう。


 寄っていけば楽になるのかもしれない。

 癖の動作をすれば、身体が落ち着いたふりをする。


 だがその“ふり”が怖い。


 落ち着いたふりをした瞬間、過去が整ってしまう。

 整った過去は、慰めになる。


 慰めにしない。


 エルディオは、手を動かさない。


 押さえ込むのは感情ではなく、動作だ。

 動作を殺せば、感情も表に出にくくなる。

 それだけのことだ。


 彼の横――ではなく、半歩後ろに、ステラが着地する。


 ステラは、一拍遅れて空気を受け取る。


 王都墓地では、彼女は異物だった。


 制度の場に立つ異物。整列した死の中にいる異物。誰かに会釈される場所で、会釈の形を知らない異物。異物であることを盾にすれば、役割へ戻れる危険すらあった。


 ここは違う。


 ここで彼女を拒むのは、石でも鉄でもない。

 匂いだ。


 土と草と煙の匂い。


 生活の匂いが、彼女を拒む。


 生活の匂いは優しいもののはずなのに、彼女にとっては刃だ。優しいものほど、彼女の中に「壊したもの」の輪郭を立ち上げる。輪郭が立ち上がるほど、ここに立つ資格が削れる。削れるほど、“戻せない”という事実だけが濃くなる。


 削れると、本能が距離を取りたくなる。


 距離を取れば安全だ。

 距離を取れば見られない。

 距離を取れば、言葉を持たなくて済む。


 だが距離を取ると、役割に戻れる。


 魔王という役割に戻れば、正しさが手に入る。

 正しさを並べれば、免罪が成立する。


 成立してしまうのが怖い。


 怖いから、ステラは動かない。


 動かないまま、息を吸う。


 吸った息が、喉の途中で引っかかる。


 匂いが濃いからだ。

 匂いが濃いということは、ここが“生きている”土地だということだ。

 生きている土地で、彼女は何も戻せない。


 喉が乾く。


 涙の乾きではない。

 泣き疲れた乾きでもない。


 言葉を出すための湿りが奪われる乾きだ。

 乾けば、声はさらに出しにくくなる。


 出しにくいのに、頭の中には言葉の形だけが浮かぶ。


 浮かぶのに、口にはならない。


 口にした瞬間、物語が“説明”へ落ちる。

 説明は逃げ道だ。


 逃げたくない。


 ステラは外套の襟元に指をかける。


 引き寄せるほどではない。

 ただ、何かを掴んでいないと立っていられないからだ。


 掴んだ布は冷たい。

 布の冷たさが、指先に現実を戻す。


 エルディオはまだ視線を上げない。


 上げれば、景色が入る。

 景色が入れば、記憶が入る。

 記憶が入れば、名が欲しくなる。


 名が欲しくなれば、戻りたくなる。


 戻らない。


 彼は今、戻るために来たわけではない。

 帰るために来たわけでもない。


 ただ――ここに置いた最初の喪失へ向かうために来た。


 最初、という言葉が、まだ出ていないのに胸の奥で響く。


 最初は誰のせいにも出来ない。

 誰のせいにも出来ない喪失は、逃げ道をくれない。


 逃げ道がない場所へ、わざわざ行く。


 それが今のエルディオの歩き方だ。彼の足は、慰めではなく、確認へ向かっている。


 足を出す。


 土が沈む。

 沈んだ土が、遅れずに返ってくる。


 花畑の柔らかさではない。

 王都墓地の硬さでもない。


 その中間の現実が、足裏に残る。


 残る現実が、彼の中の入口を閉める。

 閉めたまま、次の一歩を作る。


 ステラも一拍遅れて足を出す。


 土の音は、砂利ほど鳴らない。

 鳴らないのに、二つの足取りが重なるのが分かる。重なるのは慰めではない。歩く速度が一致する、というだけの事実だ。


 風が、草を揺らす。


 草の揺れは、花畑みたいに“癒し”にならない。

 癒しに見えるほど、普通だからだ。

 普通の風。

 普通の匂い。

 普通の生活音。


 普通の中に、死が置かれている。


 その当たり前が、今は怖い。


 怖いのに、二人は歩く。


 逃げないまま、歩く。


 土と草と煙の匂いが、薄く背中を押してくる。

 押してくるのは優しさではない。


 この土地が「ここは世界だ」と言い続けている圧だ。逃げても世界は止まらない、という圧だ。


 世界が戻っている。


 戻っているからこそ、ここで置く喪失は――誰のせいにも出来ない形で、もっと重くなる。


 エルディオは、まだ視線を上げない。


 上げないまま、墓地へ向かう方向だけを身体で決める。道を選ぶのではなく、向きを選ぶ。向きを誤れば、過去へ寄る。


 その決め方だけが、いまの彼の理性だった。



 土は、石よりも嘘をつけない。


 石板の上なら、足音は一定にできる。砂利の上なら、音を殺すこともできる。けれど土道は違う。柔らかすぎれば沈み、固すぎれば跳ねる。湿りがあれば靴底を引き、乾いていれば砂を噛ませる。歩いた分だけ、土地の癖が身体に移る。移った癖は、消えないまま膝へ残る。


 転移の着地から少し離れた場所に、道がある。


 道と言っても整備された道ではない。

 石板は敷かれていない。

 轍が二本、土を削り、間に草が残っている。車輪が通った溝の端が乾いて硬くなり、そこだけ色が薄い。踏むと崩れそうな縁。崩れれば泥が靴にまとわりつく。まとわりついた泥は、落とそうとしても完全には落ちない。


 生活が作った道だ。


 墓地へ向かう道が、まず“生活”の形であることが、妙に刺さる。

 死へ向かうのに、死の道じゃない。


 死はこの土地で、生活の延長に置かれている。


 エルディオは、その道へ足を乗せる。


 靴底が土を噛む。

 噛んだ土が、少しだけ持ち上がって、靴底に貼りつく。花畑の土のような湿りのまとわりではない。もっと薄い。薄いのに確かに重い。乾きと湿りの境界の土が、皮膚ではなく革に乗る重さ。


 その重さが、現実だ。


 歩き出すと、轍の底は硬い。


 何度も踏まれて固まった土が、沈みを拒む。拒むけれど石ほど反発しない。硬さの中に、まだ土の呼吸が残っている。靴底が沈まない代わりに、微かな揺れが膝へ返る。返ってくる揺れが、足を“ここ”へ縫い付ける。


 花畑の柔らかさではない。

 王都墓地の硬さでもない。


 生活で固くなった土の硬さだ。


 エルディオは一定に歩く。


 けれど王都墓地のときの“一定”とは違う。


 あのときは削っていた。

 余計な感情が浮く前に、足で削って削って、削り切れないものだけを墓前へ持っていくために。


 今の歩行は、削るというより――戻さない。


 戻さないために、足を出す。


 思い出が立ち上がる前に。

 景色が胸に刺さる前に。

 匂いが「昔」と結びつく前に。


 足を出して、先へ進む。


 戻る方向へ、身体を向けさせない。


 ここは実家の近くのはずだ。

 土地の匂いは知っているはずだ。

 道の癖だって、昔なら目を閉じても歩けたかもしれない。


 けれど彼は、確認しない。


 確認した瞬間、それは帰郷になる。

 帰郷になれば、寄りかかりが生まれる。

 寄りかかりは、慰めに似る。


 慰めは要らない。


 要らないまま、彼は通過する。


 視界の端に、景色が入ってくる。


 遠くに山の稜線。

 王都の城壁みたいな人工の線ではない。崩れた線だ。なだらかに折れ、所々が欠けている。雲の影が稜線をなぞって、色を濃くしたり薄くしたりする。見慣れたはずの線が、見慣れたまま刺さらないのは、見ない努力をしているからだ。


 風は乾いている。


 乾いた風に混じって、草の匂いが来る。

 草は甘くない。花畑みたいに甘さを押し付けない。乾いた草の匂いは、ただの背景だ。背景だからこそ、生活の匂いとして残る。残る匂いは、追いかけてくる。


 朽ちかけた柵がある。


 柵は真っ直ぐじゃない。支柱が傾き、板が一本欠け、釘の頭が錆びている。錆の匂いは薄い。薄いが、そこに鉄があることが分かる。鉄は生活の道具だ。武器の鉄ではない。囲うための鉄。守るための鉄。守るための鉄が、彼の胸を余計に狭くする。


 畑の境界が見える。


 畑の土は道の土より黒い。耕された土の色。そこに並ぶ畝の線が、整っているようで整い切っていない。端は崩れ、草が侵食している。人の手と自然の手が、どちらも勝ち切れていない線。


 その曖昧さが、この土地らしい。


 野良の花も咲いている。


 花畑みたいに広がってはいない。

 道の端に、ぽつりと咲く。

 踏まれれば消える位置に咲く。


 それでも咲く。


 咲くことが癒しにならないのは、咲くことが普通だからだ。

 普通の中で、死も普通に置かれる。


 エルディオの喉の奥が、一瞬だけ狭くなる。


 狭くなるのは、景色が刺したからではない。

 刺し方が違う。


 王都墓地の刺し方は“硬さ”だった。

 ここは“近さ”だ。


 生活が近い。

 生活が近いほど、死が生活の続きとしてここにあることが分かってしまう。


 病で亡くなる、という死が。

 戦場でもなく、侵攻でもなく、誰の手でもなく――ただ生活の中で来る死が。


 それが、この土地では当たり前に置かれている。


 だからこそ、逃げ場がない。


 逃げ場がないのに、彼は足を止めない。


 止めれば、立ち止まった場所が意味を持つ。

 意味を持てば、思い出がそこに座る。

 思い出が座れば、帰郷になる。


 帰らない。


 戻らない。


 通過する。


 後ろに、ステラの気配がある。


 斜め後ろ。

 いつもの位置。


 王都墓地では、彼女は距離を取る理由があった。

 公の場所だった。人の目があった。制度の場で魔王の存在は異物だった。異物として見られれば、また役割に逃げられる。


 ここは違う。


 人の目は少ない。

 通る人がいるとしても、畑へ向かう誰かだろう。墓参に向かう誰かだろう。王都ほど「見られている」圧はない。


 だからステラは距離を取る理由が薄い。


 薄いのに、距離が縮まらない。


 縮めれば、それは慰めに見える危険があるからだ。


 人が少ない場所で近づくことは、言い訳になりやすい。

 “寄り添い”という綺麗な形になりやすい。


 綺麗な形は、免罪を呼ぶ。

 免罪は、ここに似合わない。


 だから距離は縮まらない。


 その代わり、足音だけが揃っていく。


 土道の足音は、砂利みたいに鳴らない。

 鳴らないが、揃うと分かる。


 踏み込みの重さ。

 土の沈みの深さ。

 靴底が土を引き剥がすときの微かな音。


 エルディオの歩みは“戻さない”ために前へ行く。

 ステラの歩みは“離れない”ために追う。


 目的は違うのに、足取りは揃ってしまう。


 揃ってしまうことが、今の二人の形だ。


 会話はない。


 会話にした瞬間、道が意味を持つ。

 意味を持てば、ここが“帰り道”になる。

 帰り道になれば、寄りかかれる。


 寄りかかりは要らない。


 だから、土の重さだけが続く。


 靴底に貼りつく土が少しずつ増える。

 増えるのに、花畑の土ほど粘らない。べったりとした重さじゃない。薄い膜みたいに積もる。積もる薄さが、生活の泥だ。


 墓地へ行くのに、足が生活で汚れていく。


 その矛盾が、妙に正しい。


 死が生活の外にないからだ。


 道が、ゆるく曲がる。


 曲がり方は自然だ。誰かが美しく曲げたわけじゃない。避けるべき石があったのか、雨で削れる場所があったのか、車輪が何度も同じように避けた結果が道になっている。


 曲がった先に、少しだけ高い場所が見える。


 丘ほどではない。

 風が抜ける程度の高低差。


 そこに、墓地がある。


 墓地の気配は、匂いで先に来ない。


 線香の匂いは薄い。

 王都墓地みたいな燃えかすの層はない。


 代わりに、風の抜け方が変わる。


 草を擦る音が一段だけ乾く。

 木の葉の鳴り方が、少しだけ硬くなる。


 そして――目に入る。


 整いきらない整い。


 柵がある。

 だが新しくない。朽ちかけている部分もある。あるところは紐で補われている。補いが貧しいのではない。必要なだけでいい、という生活の判断だ。完璧にしない判断が、逆に“ここに置く”という決定だけを強くする。


 墓標が並んでいる。


 並んでいるが、統一されていない。


 石の墓標もある。

 木の墓標もある。

 木は雨で黒ずみ、表面が割れている。文字が掠れて読めないものもある。読めないことが放置されているのではなく、読めなくなるほど時間が積もっている。


 石は苔を抱えている。


 苔が全面を覆っているものもあれば、誰かが手でこすった跡が残るものもある。草が伸びて墓標の根元を隠している場所と、刈られて土が見えている場所が混在している。


 管理が完璧ではない。


 完璧ではないのに、死は定着している。


 その中間が刺さる。


 花畑の墓は完全に手作りだった。

 管理も制度もなかった。

 作業の順番だけが理性の骨だった。


 王都墓地は制度が整いすぎて刺した。

 死が管理されている硬さが、喪失を加速させた。


 ここは、その中間だ。


 生活の土の上に、死が置かれている。

 置かれているのに、整えすぎない。

 整えないからこそ、死は“普通”の場所にある。


 普通の死。


 病で死ぬ死。

 誰のせいにも出来ない死。


 その器が、ここだ。


 墓地の中には花が供えられている墓もある。


 豪華ではない。

 大輪の花束ではない。


 野の花が、布紐で括られているだけ。

 乾いた花束が、石の隙間に挟まれているだけ。

 誰かが畑の端で摘んできたような小さな花が、土に刺さっているだけ。


 それが、やけに痛い。


 “生活のついで”の花だ。

 ついでで来られる距離だ。

 ついでで来られる死の置き方だ。


 リィナは、そういう死でここにいる。


 エルディオの視線が、一度だけ揺れる。


 揺れるのは、探すためだ。


 墓を探す目になる。

 墓標の列を数える目になる。

 木と石の違いを拾う目になる。


 探すが、焦らない。


 焦れば感情が先に出る。

 感情が先に出れば、ここが“帰り”になる。

 帰りになれば、寄りかかれる。


 寄りかかりたくない。


 彼は焦らず、探す。


 探す視線は、揺れるのに冷たい。

 冷たいのに、足は正確だ。


 土道を踏み、墓地の入口へ向かって進む。


 ステラも、斜め後ろを保ったまま進む。


 距離は変わらない。

 変わらないのに、足音は揃っている。


 公の圧がない土地で、なお距離を保つことは、優しさではない。

 優しさにしないための距離だ。


 慰めにしないための距離だ。


 墓地の入口に、線がない。


 門があるわけでもない。

 石のアーチもない。


 ただ、草が少し短くなり、土が少しだけ踏まれて固くなっている。


 境界が、生活と同じ曖昧さで引かれている。


 その曖昧さの中へ、エルディオは足を踏み入れる。


 帰郷ではなく、通過として。


 過去に寄りかからず、原点へ向かう通過として。



 墓地の中は、風がよく通る。


 王都の墓地みたいに、石の列が風を切り刻んで、冷えだけを残す抜け方ではない。ここはもっと素朴だ。柵も低く、区画も曖昧で、墓標の高さも揃っていない。だから風は、遮られずに流れていく。流れていく途中で草を撫で、木の枝を鳴らし、遠くの畑の匂いを薄く運んでくる。


 死だけの場所になりきれない匂い。


 生きているものが、いつも隣にある。


 エルディオは、歩みを落とさない。


 落とせば、探す焦りが出る。

 焦れば、感情が先に立つ。


 感情が先に立つのは――違う。


 ここは「喪失の提示」ではない。

 原点の提示だ。


 原点は、派手に崩れる形で出すものじゃない。

 派手に崩れれば、それは現在の物語に吸い込まれる。

 吸い込ませたくない。


 だから彼は、淡々と探す。


 探す視線は揺れるのに、足取りは一定だ。墓標の列を数えるようでいて数えない。木と石の違いを拾いながら、拾ったものに意味を足さない。意味を足した瞬間、ここが“帰り道”になってしまうからだ。


 墓標は統一されていない。


 石に刻まれたものもある。

 木に焼き付けたものもある。


 木の墓標は雨を吸い、乾き、吸い、乾きを繰り返して黒ずんでいる。表面が割れて、文字が掠れているものもある。掠れているのに、その掠れが放置されたままなのは、無関心ではなく時間のせいだ。時間は誰にも止められない。止められないものが、生活の中の死を「普通」にする。


 石の墓標は苔を抱いている。


 苔が全面に広がっているもの。

 誰かが手でこすった跡があるもの。


 こすった跡は、綺麗ではない。

 布で磨いたわけじゃない。掌か、粗い布か。擦った結果だけが残っている。残っていることが、“誰かが世話をしている”という事実になる。世話の痕が“救い”にならないのは、それがこの土地ではただの生活だからだ。


 草の伸び方も混在している。


 刈られて土が見えているところ。

 伸びて墓標の根元を隠しているところ。


 完璧じゃない。

 完璧じゃないのに、死はここに置かれる。


 置かれて、生活は続く。


 その続き方が、病死のための器だ。


 ――見つける。


 エルディオの視線が、ほんの僅かに止まる。


 止まったのは“目”だけだ。

 足は止めない。


 足を止めた瞬間、そこが「戻る場所」になる。

 戻る場所にしたくない。


 だが、通過の速度のままでは、言葉の置き場が作れない。


 言葉を置くためには――間が要る。


 間を作るために、彼は足を止めるのではなく、最後の数歩だけを正確にする。


 轍の癖が消え、土の踏まれた硬さが少し変わる。墓の周りは、生活の道ほど硬くない。踏まれているのに、踏まれ方が違う。畑へ向かう足の踏み方じゃない。墓へ寄る足の踏み方だ。そこには、誰かが立ち止まった時間の薄い層がある。


 エルディオは、その硬さの違いを足裏で拾いながら、立ち位置を探す。


 リィナの墓は、立派ではない。


 王都の墓標みたいに、整えられた石の板が堂々と立っているわけではない。

 花畑の墓みたいに、手で積んだ石が露骨に「手作り」を主張しているわけでもない。


 辺境の、生活の墓だ。


 石はあるが、石は新しくない。

 角は丸く、表面は少し荒い。苔が薄くついているところと、剥がれているところがある。苔が剥がれているのは、風のせいでも雨のせいでもなく、人の手の痕だと分かる程度の、不自然さのない剥がれ方だ。触れたくなるほど綺麗ではないのに、触れられてきた痕がある。


 雑草が抜かれている。


 完璧に抜かれているわけではない。

 抜き残しもある。

 だが根元から引かれた痕がある。引いた土が少し盛り上がって、乾いた色になっている。そこだけ新しい。新しい土は、光を少しだけ違う角度で吸う。


 世話している。


 誰かが、ここへ来ている。


 来ていることが、胸に刺さる。


 刺さるのに、それを救いにしない。

 救いにした瞬間、ここで言う言葉が軽くなる。

 軽くしたくない。


 墓標の前に、小さな石が並んでいる。


 大きくない。

 手のひらに収まる程度。

 丸いものもあれば角張ったものもある。


 並べ方は整っていない。

 整っていないのに、そこに“並べた痕”がある。


 風避けかもしれない。

 飾りかもしれない。

 子どもの手の名残かもしれない。


 どれでもいい。

 どれでもいいのに、どれも生活の匂いがする。


 死の前に、生活の手が置かれている。


 それが、この墓の刺さり方だ。


 名前は、刻まれている。


 刻まれているが、読ませない。

 読ませる必要がない。


 エルディオの視線が、溝をなぞるだけでいい。


 溝の深さ。

 溝の端の欠け。

 指で触れれば、きっと爪に土が入る程度の粗さ。


 刻まれた線がある、という事実だけが残る。


 “名がある”という事実だけが、残る。


 名を声にしないことで、ここは儀式にならない。

 儀式にしないことで、言葉の置き場が確保される。


 墓の周りに、生活の音が混ざっている。


 鳥の声が近い。

 王都みたいに距離を取って鳴かない。人の気配を避けない鳴き方だ。避けないのに、踏み込んでこない。生活の距離で鳴いている。


 風が草を擦る。


 乾いた音ではない。

 湿りの残る草が、擦れて、低い音になる。音は小さいのに、土の匂いを伴っているような錯覚がある。錯覚ではない。匂いが実際にある。


 遠くで、畑の声がする。


 言葉までは届かない。

 ただ、人の声の高さと低さだけが聞こえる。笑い声かもしれない。作業の呼びかけかもしれない。喧嘩ではない。日常の音だ。


 死だけの場所にしない。


 病死は生活の中の死だ。

 そのことを、周囲の音が補強する。


 エルディオは、墓の正面に立たない。


 真正面のど真ん中に立てば、誓いの構図になる。

 救いの構図になる。

 “良い別れ”の絵になってしまう。


 それは違う。


 違うから、彼はほんの少しだけずれる。


 ずれる距離は、王都墓地ほど大きくない。


 王都では、正しさから逃げるために大きくずれた。

 正面に立つと赦しや誓いの絵になってしまうから、わざと逸らした。


 ここは、逸らし切れない。


 原点だからだ。


 逸らし切ったら、ここへ来た意味がなくなる。

 意味がなくなったら、また別の場所へ逃げてしまう。


 逃げないために、少しだけずれて――それでも正面に近い位置に立つ。


 逃げ切れない位置。


 そこに立つことで、間が生まれる。


 ステラは、半歩後ろで止まる。


 横には並ばない。

 けれど王都墓地ほど遠い後ろではない。


 距離が遠いと、立ち会いではなく尾行になる。

 尾行になれば、役割が戻る。

 役割が戻れば、魔王に逃げられる。


 逃げさせたくない。


 ここでは、伴侶に見える危険は少ない。


 リィナの前で並ぶことは、シャルロットの前で並ぶこととは意味が違う。

 違うのに、並ばない。


 並ばないのは、“慰め”に見える危険があるからだ。


 慰めを持ち込めば、言葉が軽くなる。

 軽くなると、「ただいま」が嘘になる。


 だからステラは後ろ。


 ただし、遠すぎない。

 傍にいることが慰めにならない距離。


 言葉がないからこそ、傍にいることが“救い”にならない距離。


 エルディオは、手を合わせない。


 合わせてしまえば、ここで言う言葉が祈りに吸われる。

 祈りに吸われれば、「ただいま」が誓いになる。

 誓いになった瞬間、帰郷の物語になる。


 帰郷じゃない。


 墓への帰還だ。


 その違いを守るために、彼は手を合わせない。


 代わりに――間を作る。


 間は、沈黙ではない。

 沈黙という言葉にしてしまうと、格好がついてしまう。

 格好がつけば、そこに逃げられる。


 逃げたくない。


 だから、ただ立つ。


 立っている間に、口が一度だけ開きかける。


 開きかけて、閉じる。


 閉じるという動作だけで、時間が伸びる。


 伸びる時間の中で、喉が言葉の形を探してしまう。

 探して、見つけて、でも出せない。


 出した瞬間、戻ってしまうものがあるからだ。


 戻ってしまうのは、過去ではない。

 過去へ寄りかかる癖だ。


 寄りかかる癖が戻れば、今まで積み上げてきた「逃げない手順」が崩れる。


 崩したくない。


 だから閉じる。


 閉じた口の奥で、舌が一度だけ動く。

 唾を飲み込む。飲み込んでも、喉は湿らない。湿らない乾きが、言葉を出す怖さを増やす。怖さは消えない。消えないまま、喉だけが準備をしてしまう。


 それでも――出す。


 出すために、もう一度だけ間を置く。


 風が草を揺らす。


 草が揺れる音の向こうで、鳥が鳴く。

 畑の声が遠くに残る。


 生活の音が続いている。


 続いているからこそ、ここで言う言葉が取り残される。


 取り残される場所として、間が成立する。


 そして、ようやく――声が落ちる。


「リィナ……ただいま」


 「ただいま」は、本来、返事を呼ぶ言葉だ。

 「おかえり」が返ってくる前提の言葉だ。


 返ってこない。


 返ってこないことは、分かっている。


 分かっているのに言うから、刺さる。


 言った瞬間、風が草を揺らす。

 揺らす音は、返事にはならない。

 返事にならない音が続くことで、「ただいま」だけが取り残される。


 取り残された言葉は、軽くならない。


 軽くならないから、次が喉を通る。


「彼女は病で亡くなった」


 淡々とした事実。


 回想で膨らませない。

 寝台も、薬の匂いも、熱い額も語らない。

 語り始めた瞬間、物語が“悲劇の説明”になる。


 説明にしたくない。


 事実だけを置く。


 置いた瞬間、喉が一度だけ詰まる。


 詰まるのに、息を整えない。

 整えると儀式になる。

 儀式になると、事実が情緒に溶ける。


 溶かさない。


 だから詰まったまま、次へ行く。


 指先が震えそうになる。


 震えそうになるのを、押さえ込む。

 押さえ込むのは感情ではない。動作だ。

 動作を押さえ込めば、言葉はまだ形を保てる。


 形を保ったまま、続ける。


「お前のせいでも、魔族のせいでも、なんでもない」


 責めない宣言ではない。


 因果の否定だ。


 敵味方の話に落とさないための、線引き。


 ここで“お前”と言ってしまうのは危険でもある。

 ステラを物語に引き戻してしまうからだ。


 けれど彼は、それでも言う。


 言うことで、ステラを責める構図を潰す。

 責める構図が生まれれば、この墓前は戦争の延長になってしまう。


 そうじゃない。


 そうじゃないことを、言葉で確定させる。


 ステラは責められていない。


 責められていないからこそ、逃げられない。


 外套を握る指先が、反射で動く。


 握る。

 握って、――少し緩む。


 緩むのは、ここが自分の罪の場所ではないからだ。

 自分が引き起こした死ではないからだ。

 魔王として背負える死ではないからだ。


 背負えないものの前で、彼女はただ立ち会うしかない。立ち会うしかないという事実が、彼女の呼吸を薄くする。


 視線が墓標へ落ちそうになる。


 落ちれば、名を入れてしまう。

 入れれば、耐えられない。

 耐えられないから、役割に逃げる。


 役割に逃げれば、彼女は魔王に戻れる。

 戻れるのが怖い。


 怖いから、落としきれない。


 落としきれない視線が、宙で止まり、呼吸だけが浅くなる。


 浅くなった呼吸は声にならない。

 声になった瞬間、物語が変わると本能が知っている。


 だから声は出ない。


 出ないまま、エルディオの次の言葉が落ちる。


「僕が最初に失ったものだ」


 “もの”という言い方が冷たい。


 冷たいほど刺さる。


 名を呼べば、柔らかくなってしまう。

 柔らかくなれば、ここが慰めになる。

 慰めにしたくない。


 だから、もの。


 もの、と言ってしまうことで、守れない硬さを残す。

 守れなかった硬さを残す。


 最初。


 その言葉が、風に削られない。


 削られないまま残ることで、現在の喪失と繋がってしまう。

 繋がってしまうのに、彼は説明しない。


 説明しないから、重い。


 最初の喪失があるから、今の喪失がある。

 そう言いたい衝動が喉の奥に立つ。


 けれど言わない。


 言えば、整理になる。

 整理は綺麗だ。

 綺麗な形は、逃げだ。


 逃げたくない。


 だから、次を落とす。


 返事が返ってこないことは分かっている。

 分かっているのに、「ただいま」を言ってしまった。


 言ってしまった以上、喉が次の確認を欲しがる。


 確認しないと、崩れる。

 崩れると、言葉が増える。

 増えた言葉は、どこかで自分を守る言い訳になる。


 守りたくない。


 守らないために、短く確認する。


「分かってる。返事なんて、返ってこない」


 寂しいとは言わない。

 辛いとも言わない。


 言わない代わりに、言葉だけを置く。


 置いた瞬間、世界は返事をしない。


 風が吹く。

 鳥が鳴く。

 遠くの畑の声が続く。


 続く音は、返事にはならない。


 返事にならないことが、逆に正確だ。


 正確だから、痛い。


 痛いのに、ここで崩れない。


 崩れれば、この章が「喪失の提示」になってしまうからだ。

 そうじゃない。


 原点は、崩れるための場所ではない。

 立つための場所だ。


 立つために、彼は立っている。


 手は合わせない。

 膝もつかない。


 ただ、墓前に立って言葉を置く。


 置いた言葉が、取り残される。


 取り残された言葉の重さだけで、墓前の間が満ちる。満ちるのに、救いの形にはならない。ただ“ここに置かれた”という事実だけが増える。


 ステラは、一歩前に出そうになる。


 出れば、慰めに見える。

 慰めに見えれば、彼女は“寄り添う側”の役割を得る。

 役割を得た瞬間、逃げ道が生まれる。


 逃げ道は要らない。


 だから、出ない。


 出ないまま、足先だけがわずかに動く。

 動いて、止まる。


 止まるという動作が、彼女の立ち会いになる。


 責められていない。

 だからこそ、沈黙が綺麗にならない。


 綺麗にならない沈黙のまま、彼女はここにいる。


 エルディオの「ただいま」を、受け取らないまま。

 受け取れないまま。


 受け取れないことが、救いじゃない形で“傍にいる”になる。


 墓地の風が、草を揺らす。


 揺れる草は、返事をしない。


 返事をしない現実の中で――「ただいま」だけが、墓前に置かれたままになっていた。


ここまで読んでくださってありがとうございます。


花畑と王都の墓地を経て、最後に置きたかったのは「誰のせいにもできない喪失」でした。

病で亡くなったリィナの前では、怒りも正しさも逃げ道にならない。だからエルディオは「救う」ではなく、「見届ける」へと主題を更新します。


派手な演出を避け、土と匂いと生活音で“普通の死”を描きました。

次から物語は進みます。整理は終わらないまま、逃げずに。

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