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誰も救えない僕が、それでも魔王と生きる話  作者: 霜月ルイ
最終章【誰も救えない僕が、それでも魔王と生きる話】

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147.灰の中心-1

 

 灰は、思っていたよりも軽かった。


 踏み込んだ瞬間、足裏が沈むほどの深さはない。粉雪のように舞い上がることもない。ただ、乾いた砂のように、靴底にまとわりつき、重さだけを残す。

 一歩、踏み出す。

 足跡が、はっきりと刻まれる。踵の形、土踏まずのくぼみ、爪先の向き。

 次の瞬間、風がそれを舐めるように撫で、輪郭だけを崩していく。


 消える。


 完全に消えるわけではない。

 “歩いた”という事実だけが、薄く残る。

 まるで、ここに来たことそのものを、この土地が否定するみたいに。


 草は生えていない。

 地面は割れていない。

 焼け焦げた匂いも、もうほとんどない。


 空は明るい。雲も薄い。

 それなのに、音だけが異様に少なかった。


 風の音が、遠い。

 鳥の声が、しない。

 自分の呼吸音が、耳の内側にこもる。


 エルディオは、立ち止まらなかった。


 剣はない。

 鎧もない。

 腰に下げているのは、水筒と、何かを入れるための小さな袋だけだ。


 敵地に入る装備ではない。

 偵察に来た人間の持ち物でもない。

 帰還を前提にした者の軽さでもない。


 ――死にに来た。


 そう言い切れる状態だった。


 それでも、足取りは一定だ。

 速くも遅くもない。

 焦りも、ためらいも含まない。


 彼は、周囲を見る。


 崩れた建物の残骸。

 黒く炭化した梁が、斜めに地面へ突き刺さっている。

 高さは、十分だ。

 落ちれば、骨は折れる。運が悪ければ即死。

 運が良ければ、苦しむ。


 目を逸らす。


 割れた瓦礫の山。

 尖った破片が無数に突き出ている。

 腹を貫くには、ちょうどいい角度だ。

 刺さる位置も、深さも、想像できる。


 視線が滑る。


 倒れた壁の残骸。

 天井だった部分が、半分だけ空中に残っている。

 梁に紐をかければ、首を吊れる。

 重さも、耐久も、問題ない。


 どれも、成立する。


 成立するのに。


 エルディオは、選ばない。


 視線が戻るのは、中心だ。

 灰が最も厚く、最も均され、最も“何もない”場所。


 歩く。

 足跡が、また崩れる。


 彼は、自分が“死に場所を探している”ことを自覚していない。

 だが、身体は正確にそれをやっている。


 高さを測る。

 鋭さを見る。

 崩れ方を確認する。

 失敗した場合の可能性を切り捨てる。


 ――駄目だ。


 判断は、感情を経由しない。

 怖いからではない。

 未練があるからでもない。


 “適切ではない”。


 それだけだ。


 英雄として生き残ってきた身体が、

 戦場で無数の「死に方」を見てきた経験が、

 死ぬための選択肢にすら、精度を求めてしまう。


 雑な死は、許されない。

 失敗する可能性がある死は、排除される。


 そして、その選別を終えた先に残るのは――


 中心。


 灰の中心。


 ここで、すべてが消えた場所。


 エルディオは、足を止める。


 周囲を見回す。

 何もない。


 壁も、柱も、焦げ跡も、形を保った瓦礫もない。

 爆心地のように抉れているわけでもない。

 ただ、均され、削られ、整えられた灰の平面がある。


 不自然なほど、静かだ。


 ここで、村が消えた。

 ここで、人が消えた。

 ここで、家族が――


 思考が、そこで止まる。


 言葉にしない。

 言葉にした瞬間、判断が狂う。


 エルディオは、しゃがみ込む。


 膝が灰に沈む。

 衣服に粉が付く。

 気にしない。


 指を伸ばし、地面に触れる。


 ひんやりとしている。

 冷たい、というほどではない。

 体温より少し低いだけの、無機質な感触。


 指先ですくう。

 灰が、さらさらと掌から零れる。

 粉が、皮膚の溝に入り込む。


 喉が、わずかに乾く。


 息を吸うと、微かに粉っぽい。

 焼けた匂いではない。

 焦げた記憶の匂いでもない。


 “終わったもの”の匂いだ。


 エルディオは、探し始める。


 布の切れ端。

 金具。

 木片。

 骨。


 何でもいい。

 形があれば。


 指先で灰を掻き分ける。

 浅く、丁寧に。

 力は入れない。


 崩れやすいものを扱う手つきだ。


 炭化した木が、指に触れた瞬間、砕ける。

 壁の名残が、押した途端に崩れる。

 触れた瞬間に壊れる。


 それでも、続ける。


 見つからない。


 分かっている。

 分かっているから、確認する。


 遺体回収の手順と、ほとんど同じ動きだった。

 外側から中心へ。

 深さを変え、範囲を広げ、痕跡の可能性を潰していく。


 英雄としての経験が、ここでも役に立ってしまう。


 皮肉だ、とすら思わない。


 見つからない。


 指が荒れる。

 爪の中に、灰が詰まる。

 呼吸が、少しずつ浅くなる。


 それでも、止めない。


 やがて、エルディオは袋を取り出す。


 小さな布袋だ。

 いつから持っていたのかは、考えない。


 口を開き、灰を入れる。


 すくって、入れる。

 篩うように、大きな石を除ける。

 風が吹けば、身体で影を作る。


 丁寧すぎるほど、丁寧に。


 袋は、少しずつ膨らむ。

 重さは、ほとんど変わらない。

 それでも、確かに“増えていく”。


 形が、欲しかった。


 形がなければ、

 失ったことが、確定しない。


 袋の口を結び直す。

 指が、わずかに震える。


 立ち上がる。


 眩暈が、一瞬だけ来る。

 だが、倒れない。


 ここで死ねば、楽だ。

 そういう考えが、遅れてやって来る。


 同時に、別の考えが浮かぶ。


 ――死んだら、この灰を誰が持つ?


 思考が、そこで止まる。


 答えは、出ない。

 出ないから、死ねない。


 エルディオは、中心から少し離れる。


 灰の層が薄くなる場所を探す。

 あり得ないと分かっているのに、

 風向き、燃え方、崩落の方向を考える。


 合理化が始まっている。


 死に場所を探しに来たはずなのに、

 探しているのは、痕跡だ。


 何も出ない。


 どこを掘っても、灰と石だけ。


 夕方の光が、長い影を落とす。

 影が伸びるほど、ここに“何もない”ことが強調される。


 エルディオは、座り込む。


 泣かない。

 声も出ない。


 袋を抱える。


 それだけが、持てるものだった。


 風が、また吹く。

 灰が、少し舞う。


 音が、一段静かになる。


 エルディオは、立ち上がる。

 振り返らない。


「……まだ、終わらせてくれないのか」


 その言葉は、誰にも届かない。

 灰の中に、溶ける。


 彼は、まだ死ねない。


 ♢


 灰の帯は、境界線のように始まっていた。


 いきなり“真っ白”になるわけじゃない。

 土の色が少し薄まり、草の密度が少し減り、石の表面に粉が乗る。

 そこから、段階がある。

 一段。

 また一段。


 靴の縁に、乾いた粉が溜まり始める。

 歩くたびに、粉が擦れて小さな音を立てるはずなのに――音が立たない。


 いや、立っているのに、届かない。


 耳が拾うはずの音の輪郭だけが、削られていく。

 布が擦れる音が、半分になる。

 息が喉を通る音が、遠くなる。

 自分の心臓が鼓動する音だけが、妙に近い。


 その近さが、気味が悪かった。


 風は吹いている。

 外套もないから、頬に風が触れるのは分かる。

 髪が僅かに揺れるのも分かる。

 それなのに、風の“音”がない。


 風は、何かに触れて音になる。

 草に触れて、葉を鳴らす。

 木に触れて、枝を鳴らす。

 瓦礫に触れて、砂を舞わせる。


 ここには、触れるものがない。


 触れられるものは、灰だけだ。

 灰は、音にならない。

 灰は、ただ持っていかれる。


 エルディオは歩く。


 目印も、標識もない。

 道もない。

 地図に描けるほどの形も、残っていない。


 それでも、迷わない。


 迷わない理由は、“知っているから”だ。

 知っている、という言葉は正しくない。

 彼が辿っているのは記憶じゃない。

 思い出の道でもない。

 足場の良い場所を選んでいるわけでもない。


 身体が、勝手に角度を決めている。


 右へ三歩、ではない。

 あの瓦礫の横を抜ける、でもない。

 そんなものは最初から存在しない。


 それでも、中心へ向かう線だけは外れない。


 ――ここだ。


 そう判断するまでの過程が、頭に上がってこない。

 判断が“思考”になる前に終わっている。

 戦場で何度も繰り返した、あの感覚。

 地形を読む。敵の気配を読む。空気を読む。


 違う。

 ここで読んでいるのは、空気ですらない。


 欠落を読んでいる。


 一歩進むごとに、温度が薄くなる。

 冷たいわけじゃない。

 寒いわけでもない。

 ただ、“何も触れない温度”になる。


 熱がない。

 冷気もない。

 体温が外へ逃げる先がないみたいに、皮膚の表面が浮く。


 喉が乾く。


 水が足りない乾きではない。

 息を吸い込んだとき、空気が粘らない。

 潤いがない。

 空気の中に含まれるはずの“生活”の匂いがない。


 燃えた匂いじゃない。

 焼け焦げた木の匂いでもない。

 血と鉄の匂いでもない。


 終わったものの匂いだ。


 終わった――というより、

 終わらされた。


 そういう匂い。


 言葉にすると大げさになるから、エルディオは言葉にしない。

 言葉にしなければ、ここはただの焼け跡で済む。

 ただの灰で済む。

 ただの“戦争の後”で済む。


 済ませたかった。


 済ませられないのは、身体が知ってしまっているからだ。


 足を止めないまま、ふと視界が揺れる。


 白い。


 眩しい白ではない。

 光の塊でもない。

 ただ、色が抜ける。


 視界の端から、色が落ちていく。

 灰の白、空の青、遠くの黒。

 そのどれもが薄まり、輪郭だけが残る。


 耳鳴りが来る。


 高い音。

 金属が擦れるような、薄い音。

 痛くはない。

 不快でもない。


 ただ、“ここで聞いたことがある”音。


 エルディオの指が、僅かに硬くなる。

 拳を握るわけでもない。

 剣を取るわけでもない。

 それでも、身体のどこかが構える。


 次の瞬間、喉が一度だけ詰まる。


 息が、飲み込めない。

 飲み込めないというより、飲み込む動作が遅れる。


 ――消えたときも、こうだった。


 詳細は来ない。

 誰がいたかも来ない。

 何が起きたかも来ない。


 来るのは、断片だけだ。


 光が抜ける。

 耳が鳴る。

 喉が乾く。

 温度が欠ける。


 そして――


 “戻された”という感覚だけが、背中に貼りつく。


 戻ってきた、ではない。

 戻された。


 自分の意思で踏み込んだはずなのに、

 踏み込んだ瞬間から、ここは自分のものではない。


 ここに立つこと自体が、許可制だ。


 誰が許可しているのかは分からない。

 世界なのか、神なのか、魔法なのか。

 そんなものはどうでもいい。

 どうでもいいはずなのに、皮膚がそれを理解してしまう。


 エルディオは、歩幅を変えない。


 変えれば、負ける。

 負ける相手がいるわけじゃない。

 だが、ここで“負ける”という感覚だけが確かに存在している。


 灰は深くなる。


 足跡が、先ほどよりはっきり刻まれる。

 刻まれた直後に崩れる速度も早くなる。

 風が、足跡の輪郭を吸い取る。


 証拠が残らない。


 証拠が残らないことが、この場所の性質だ。

 そう思うのに、次の瞬間――


 証拠が残らないのに、残り続けているものがある、と感じる。


 残り続けているのは、灰ではない。

 瓦礫でもない。

 匂いでもない。


 欠落だ。


 欠落が、ずっとここにある。


 存在しないものが、存在し続けている。

 それが、この場所の異常だった。


 エルディオは、立ち止まる。


 止まる前に、足が止まった。

 止めたのは意思じゃない。

 身体が止まった。


 ここだ。


 中心。


 地面は平らだ。

 抉れもない。

 焦げ跡の模様もない。

 爆発のような荒れもない。


 何もない。


 それが、異様だ。


 戦争なら、傷が残る。

 燃えれば、跡が残る。

 崩れれば、形が残る。


 ここには、形が残っていない。


 残っていないのに、ここだけが“正確”に中心だと分かる。

 それが、なおさら気持ち悪い。


 エルディオは膝をつく。


 さっきと同じ動作だ。

 だが、ここでは空気が違う。


 灰に触れる前に、指先が乾く。

 灰を掬うと、冷たい。

 冷たいというより、体温が吸われる感触。


 灰は軽いのに、指先が重い。


 彼は、そっと掻き分ける。


 浅く。

 丁寧に。

 壊れやすいものを扱うときの手つき。


 炭化した木片が出る。

 触れた瞬間、砕ける。

 砕けた粉が、指の皮膚に染み込む。


 瓦の欠片が出る。

 欠片は欠片でしかない。

 何かの形をしていない。


 骨は出ない。


 布は出ない。


 髪の一本も出ない。


 分かっているのに、確認する。

 確認しなければ、“無かったこと”になる。


 無かったことにできるなら、そうしたいはずなのに。

 そうしたいはずなのに――


 指が止まらない。


 袋を取り出す。


 小さな布袋。

 口を開き、灰を入れる。


 ここで集める灰には意味がない。

 意味がないのに、重さだけが増える。


 袋の底に灰が溜まるほど、

 “ここにいた”ということを、自分が否定できなくなる。


 エルディオは、そこで初めて息を吐く。


 吐いた息は、白くならない。

 寒くない。

 なのに、息が薄い。


 薄い息の中で、彼はぼんやりと思う。


 ――何も残っていない。


 ――何も残っていないことが、残り続けている。


 矛盾が、矛盾のまま成立している。

 この場所は、そういう場所だ。


 そして、そういう場所に――


 自分は、戻されている。


 死に場所を探しに来たはずだった。

 死の手順を選ぶはずだった。


 なのに、手順が変わってしまっている。


 死ぬ手順ではない。

 探す手順だ。


 探して、掬って、袋に入れて、持ち歩く手順。


 生きる手順に、似ている。


 似ているだけで、胸が軋む。

 軋むのに、泣けない。


 泣けば、ここで止まる。

 止まれば、次ができない。

 次ができないなら、やっと死ねるはずなのに。


 ――死ぬより先に、探してしまう。


 それが、答えだった。


 エルディオは、立ち上がる。


 袋の口を結ぶ。

 結んだ指が、少しだけ灰で白くなる。


 風が吹く。


 袋の紐が揺れる。

 灰が、少し舞う。

 足跡が、また崩れる。


 中心点は、何も言わない。

 拒絶もしない。

 歓迎もしない。


 ただ、ここにある。


 何もないまま。


 何もないはずなのに、

 いちばん確かな“当該地点”として。


 ♢


 しゃがむ。


 動作は滑らかで、躊躇がない。

 膝を折る角度、体重の預け方、地面との距離。

 どれも“慣れている”。


 灰に指を入れる前に、ほんの一瞬だけ、呼吸が止まる。

 止まるが、整え直さない。

 整え直す必要がないほど、身体がこの作業を知っている。


 指先が、灰に沈む。


 乾いている。

 湿り気はない。

 けれど、完全に軽いわけでもない。


 粒が細かく、指の腹にまとわりつく。

 掬う、というより、絡みつくものを剥がす感触に近い。


 親指と人差し指で、少量を持ち上げる。

 持ち上げた瞬間、灰が崩れる。

 粒が指の節に入り込む。


 第一関節と第二関節の間。

 皺の奥に、白い粉が詰まる。

 払っても、すぐには落ちない。


 爪の隙間にも残る。

 黒い爪の縁に、白が線のように溜まる。

 落とそうとして、指同士を擦る。


 擦ると、粉が舞う。

 舞った粉が、喉に入る。


 咳は出ない。

 代わりに、口の中に粉っぽさが広がる。

 舌の奥がざらつく。


 不快だが、止めない。


 エルディオは、灰を広げる。


 掘る、というほど深くはない。

 乱暴に掻き分けない。

 表面を均すように、薄く薄く、層をずらしていく。


 布が残る可能性は低い。

 火と衝撃があれば、最初に失われる。

 それでも、布の端を探す。


 繊維の感触。

 焦げた布の、硬くなった縁。

 指に引っかかる“違和感”。


 ない。


 次に、金属。


 ボタン。

 留め具。

 指輪。

 バックルの欠片。


 金属は残る。

 残るはずだ。


 熱に歪んでも、形がなくなっても、

 灰の中に、硬さとして残る。


 だから、指の腹で探る。

 粒とは違う抵抗を、ひたすら待つ。


 ない。


 骨。


 探す順番としては、最後だ。

 だが、意識はそこへ向かう。


 骨は、残る。

 残るはずだ。


 白く、脆く、

 それでも、灰とは違う。


 だが、出てくるのは瓦礫の欠片ばかりだ。

 炭化した木。

 砕けた石。

 どれも、触れた瞬間に崩れる。


 崩れるものしか、ここにはない。


 エルディオは、掬った灰を脇に寄せる。

 同じ場所を、二度なぞらない。

 なぞる必要がない。


 軍の遺体回収と同じ手順だ。


 一度確認した場所は、記録上“済み”になる。

 感情ではなく、段取りで進める。


 彼の身体は、その段取りを覚えている。


 感情が追いつく前に、

 悲しみが立ち上がる前に、

 確認を終わらせるための動き。


 だから、止まらない。


 袋を横に置く。

 口を開けたまま。

 拾ったものを、条件反射で入れる準備。


 入れるものが、ない。


 それでも、袋はそこにある。


 それ自体が、矛盾だ。


 エルディオは、少しだけ深く指を入れる。

 浅層ではない。

 だが、掘削でもない。


 “ここにあったはずの層”を、なぞる深さ。


 指先が、硬いものに触れる。


 一瞬、動きが止まる。


 硬さはある。

 粒ではない。

 形がある。


 だが、引き上げた瞬間に、それが瓦の欠片だと分かる。

 人工物。

 だが、関係のないもの。


 彼は、それを捨てる。


 捨てる動作に、感情はない。

 要不要の判断だけだ。


 その冷たさが、余計に残酷だった。


 見つかるはずがない。


 爆心地だ。

 消失地点だ。

 世界から“消えた”場所だ。


 残るはずがない。


 残るとしたら、最初から“消えなかったもの”だけだ。


 それを、彼は一番よく分かっている。


 分かっているから、

 探す手が止まらない。


 分かっているから、

 確認を省略できない。


 一つ一つ、否定していく。

 ここにはない。

 これでもない。

 これも違う。


 否定の積み重ねでしか、

 “なかった”という事実は確定しない。


 エルディオは、灰を袋に入れる。


 意味はない。

 意味がないことも、分かっている。


 それでも、袋の底に溜まる重さが、

 “ここにいた”という事実だけを肯定する。


 指を止める理由が、見つからない。


 死にに来た。

 そのはずだった。


 死ぬ前にやることが、

 こんな手順だとは思っていなかった。


 だが、身体は知っていた。


 戦場で、何度も繰り返した。

 名前のない遺体を集め、

 形のない痕跡を確認し、

 それでも“終わった”と判断するために。


 今やっていることは、それと同じだ。


 違うのは、対象だけ。


 敵でも、兵でもない。


 家族だ。


 言葉にはしない。

 名前も呼ばない。


 呼べば、ここで崩れる。


 だから、作業として続ける。


 見つからないと分かっている。

 分かっているから、確かめる。


ここまで読んでくださって、ありがとうございます。


灰の中に立っているエルディオは、何かを“見つける”ために動いているようで、実際にはずっと「見つからない」という結果を確かめ続けています。

見つからないと分かっている。分かっているから、確かめる。

その矛盾の中にしか、彼は今、自分を置けません。


死にに来たはずなのに、死ぬ手順を選べない。

代わりに、探す手順が起動してしまう。

英雄だった身体が、戦場で生き残ってしまった癖が、最後まで彼を“正しい段取り”へ戻してしまう。


ここで描きたかったのは、悲しみを言語化する人間ではなく、

悲しみを言語化できないまま、行動だけが残ってしまう人間です。


灰は軽いのに、袋は重くなる。

何も残っていないのに、“何も残っていない”ことだけが残り続ける。

その異常の中心で、彼はまだ「終わらせる」ことができない。


そして、ここからが本当の意味での再接続です。


これから始まる最終章では、エルディオが“灰の外側”へ引き戻されていきます。

望んでいないのに、戻ってしまう。

死にたいのに、死ねない理由が増えていく。


世界の方が、彼を放っておかない。

そして――彼自身もまた、放っておけないものに出会ってしまう。


誰も救えない僕が、それでも魔王と生きる話

「最終章」、始まります。


ここまで一緒に来てくれて、本当にありがとうございました。

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