第20話
全ての打ち合わせが終わると、日はどっぷりと暮れていた。
打ち合わせに使った食堂の椅子にラヴィリエは腰を落とすと、机に突っ伏して呻き声を上げる。
「疲れたわね、イグナ」
「ああ、あんなに打ち合わせが多いと思わなかった」
打ち合わせ自体は短かったが、多くの人と打ち合わせを行ったのだ。
魔技士たちや騎士団はもちろん、都市の商工組合、住民の代表など。今回予想される魔獣の襲撃に応じて、それぞれの対応を協議、打ち合わせていったのだ。
本来ならイグナは魔技士の打ち合わせだけで問題なかったが、ラヴィリエに傍にいるように言われたため、それぞれの打ち合わせに同席し、意見を求められればそれに魔技士として応えた。
「都市を守る計画だからね。抜かりがあれば人命に直結するわ。だからいつもきちんと確認し、懸念点は潰しておくのよ」
彼女は小さく吐息をつきながらのろのろと顔を上げた。丁度そこにロゼリカがティーセットを持って現れる。一礼すると静かに紅茶の支度を始める。
「お嬢様、お食事はいかがしますか?」
「このお茶を飲んだらお願い。イグナも食べていくわよね?」
「あ、それはありがたい」
「かしこまりました。ではお二人分ご用意しますね」
「お願い。あ、ロゼも良ければご飯に付き合いなさいよ」
「ではお言葉に甘えさせていただきますね」
ロゼリカは表情を緩ませながら頷き、二人分の紅茶の用意を続ける。ラヴィリエは身体を起こすと、手を伸ばして自分の横の椅子を引き、イグナを手招きした。
「立っていないで座ったら? イグナ」
「ああ、ありがとう」
「それはこちらの台詞よ。イグナ。全部の打ち合わせに付き合ってくれてありがとう。貴方の意見は貴重だから、いつも助かっているわ」
「そうか? あまりいい意見は言えなかったが」
イグナが首を傾げると、ラヴィリエは首を振って微笑んだ。
「そんなことないわ。貴方は他の都市の環境を知っている、貴重な人間でもあるから」
「務めていたのはとんでもブラック都市だけどな」
「それには本当に同情するわ。あの都市、きちんと経営できているのかしら」
「確かに気になるけど、今は魔獣災害を解決しないとな」
「そうね。今回はお父様も兄様もいないし」
ラヴィリエが小さくため息をこぼしながら言う。その彼女の前にロゼリカは紅茶のカップを置いた。イグナの前にも紅茶が用意される。
「ありがとうございます。ロゼリカさん」
「いえ、冷めないうちにどうぞ」
「うん、ありがとう」
ラヴィリエはカップを手に取ると紅茶の香りを楽しんでから口に運ぶ。イグナもカップを口に運び、唇を湿らせる。紅茶の豊かな香りが口の中でふわりと広がる。
イグナはカップをソーサーに戻しながら、ラヴィリエに訊ねる。
「そういえば、お父様やお兄様は前の魔獣災害で怪我をされたんだったな」
魔技士として仕事を始めた当日、この屋敷でラヴィリエの父――つまり、辺境伯には挨拶をしている。身体に魔獣の牙を受け、その毒で衰弱してしまったと苦笑していた。
その姿はやせ細り、病床で寝たきりになっており、少し話すだけでも咳き込んでいた。これでも良くなった方だという。
ラヴィリエは目を少しだけ伏せさせ、小さく答える。
「集中攻撃に結界は耐え切れなくて、一部が崩壊したのよ。ガストンたちが修復している間、魔獣を防ぐためにお父様と兄様が自ら前に出て戦ったの」
「……そんなことが」
結界術式の図面を思い出す。結界は外部から衝撃が加わると、魔力を使用して衝撃を吸収する仕組みになっていた。だが、魔力が切れればその効果は作用せず、結界はただの脆い壁になってしまう。
もし魔力炉心の魔力供給が間に合わなければ、そういった事態もあり得るのだろう。
(だから騎士団も協力して、魔獣の撃退にあたるわけだし)
少しでも魔獣を減らせば、結界への負荷も減る。そのために騎士団は兵員の配置を入念に吟味していた。犠牲を出さず、かつ結界を守るために。
「この都市に竜を殺す英雄なんていない――だからできる限りの手を尽くして頑張るしかないの。私もこの都市を守るなら、全力を尽くす」
そう告げるラヴィリエの瞳には強い意思の光が宿っていた。
背筋もぴんと伸びており、凛として威厳に満ちている。まさにこの都市を導くのに相応しい姿だ。
だけど同時に、それは気負い過ぎているような気がする。
(……それも致し方ないか)
この都市で辺境伯の代理として指揮を担えるのは、彼女しかいない。
都市をよく知り、人望があり、何より彼女は辺境伯家の令嬢であり、同時に都市を深く愛しているからだ。だから、彼女は無理をしてでも立つ。
都市を守るという重い課題と、それに伴う責任を背負って。
そういう人だということを短い間ながら、イグナはよく痛感した。
(ガストンさんが心配するのも分かるな)
イグナは苦笑をこぼしながら、ラヴィリエに声を掛ける。
「おかげさま、かな」
「ん、何のおかげ?」
「いや、出会った頃のことを思い出してな」
イグナとラヴィリエが初めて会った日の夜、仕官を乞うラヴィリエに対し、イグナはラヴィリエにとって都市は何かを問いかけた。
その質問を思い出したのか、彼女は小さく笑って口にする。
「都市は私や私の一族だけで作り上げているものではない。仲間たちや住民がいて、支えてくれるおかげで成り立っている――だったかしら」
「ああ。この一杯の茶が、いろんな人のおかげで成り立っているように」
一杯の茶を飲むのにも、たくさんの人が関わっている。
茶葉を栽培する人、それを摘んで加工する人、流通させる商人、そしてそれを淹れるロゼリカのような人――いろんな人を介して、お茶を飲むことができる。
そんな風に都市もいろんな人に支えられてできている。
「本当に、おかげさま、ね。みんなにはいろいろ支えてもらっているわね」
感慨深げにそう呟いたラヴィリエに、イグナは目を細めた。
「ああ。でもそれと同時に――ラヴィリエも多くの人を支えている」
「……え?」
きょとんとした彼女にイグナは言葉を続けた。
「例えば俺も――拾ってもらっただけではなく、きちんと休みをくれたり、食事に誘ってくれたり、いろんな場所に連れて行ってくれたり――ラヴィリエに支えられている」
そんな風にラヴィリエに支えられている人は少なくないはずだ。ロゼリカに視線を向ければ、彼女も頷いて自分の胸に手を当てる。
「私もお嬢様の温かいお言葉に支えられる毎日です」
「そんな温かい言葉、掛けているかしら?」
「ご自覚がないのも美徳ですね」
表情を緩めて告げるロゼリカにラヴィリエは苦笑を返す。
「いずれにせよ、ロゼもイグナに対しても、私は当たり前のことをしているだけよ」
「ああ――だから俺たちももっとラヴィリエを支えたいと思っている。当たり前にな」
イグナは言葉を返すと、ラヴィリエは彼を振り返った。その彼女の瞳を見つめて言葉を掛けた。
「だから一人で背負わず、少しずつでいいから、支えさせてくれないか?」
その蒼い瞳が大きく見開かれた。やがてふっと彼女の肩から力が抜ける。瞳の中に宿っていた強い意思の光が柔らかくなるのが分かる。
「――もしかして私、気を張り過ぎていたかしら」
「ああ、見ていて危うく思うくらいに」
「そっか……ごめん。それと、ありがとう」
ラヴィリエは小さくため息をつく。それに微笑みかけていると、イグナのカップにロゼリカは紅茶のおかわりを注いでくれる。
「助かりました。イグナさん。こういうとき、お嬢様は頑張りすぎるので」
「止めないんですか?」
「止めても止まりませんし、お嬢様は無駄に優秀なので、根性で解決してしまうのです」
「そうだな。確かに根性あるし」
「貴方たち、なんだか貶していない?」
ラヴィリエが半眼で告げるのを、まさか、とイグナとロゼリカは笑って否定する。彼女はじと目で二人を見ていたが、やがて不承不承と言った様子で頷いた。
「まぁ……少し気張り過ぎていたのは事実ね。いろいろ考えも煮詰まっていたし」
「それだと寝られなくなって、気張るときに気張れなくなるぞ」
「全くその通りよ」
深々と頷くラヴィリエに、イグナは思わず感心する。
(……本当に優秀だな。ラヴィリエは)
こういうことは言われてもすぐ改善できるものではない。だが、今の彼女は先ほどの気迫はなく、程よい感じで肩の力が抜けている。
彼女は紅茶を飲んで深呼吸を一つすると、視線をイグナに向けた。
「……イグナ、一つお願いしてもいい?」
「一つと限らず、いくらでも」
「ん……なんか私に無駄な力が入っていると思ったら、また言ってくれるかしら」
「ああ、それはもちろん」
(……そして、こういう風に他人を頼ることもできる)
本当にすごい人だと心から思う。イグナはそれを実感しながら頷いた。
「分かった。喜んで」
「ふふ、助かるわ」
それから彼女はイグナとロゼリカを見ると、決意を秘めた眼差しで告げた。
「みんなでファムルスを守りましょう。一人一人で協力しながら」
「ええ」「ああ」
主人の言葉に迷いなく答え、イグナもまた決意を新たにする。
(この都市を守るために、魔技士として全ての力を尽くそう――)




