【十四回・参】*あいのうた*
これがいつもの日常
目が合った
笑ってたから
笑った
それから一年
一年前より伸びた髪と身長
一年前のあの日と同じ日
一年前のあの場所で
目が合って
笑ったから
笑おうとした
「いい天気だね」
声をかけられたから
「でも天気予報では雨みたいだけど」
「え? 困ったなー…どうしょ」
「うちの神社の境内でよかったら雨宿りでもしていけば?」
少しだけ会話を交わした
ハルミが中学に上がっての夏休みの早朝
小中学生にとってのお約束といえばラジオ体操だろう
その会場となっているのが別苅小学校のグラウンド
漁師町の正月町の朝は早い
朝6時ともなれば大体の家は活動を始めている
だからこの別苅小学校のグラウンドに人がいたっておかしいことではない
「覚えてたんだ俺のこと」
「やっぱり去年もそこに座ってたよね? その変な格好で」
ただおかしかったのはその人物の格好
去年もこの格好だった
「ひっで;」
【そこ】とはジャングルジムの上のこと
「ここは眺めがいいから」
朝日に緑色の長い髪がきらきらと光っていた
「名前は?」
「栄野ハルミ。アンタは?」
「あー…俺は…竜…之助?」
なぜか疑問系に名前を言ってきた竜之助にハルミが首をかしげた
「苗字は?」
「ない」
「…変なの」
立ち上がった竜之助がストンと地面に着地するとハルミを見る
金色に近い目が笑った
「高校生?」
「違う」
「じゃぁ大学生? それとも…」
ふわっとハルミの体が浮いた
「ちょ…ッ!?;」
「軽っ もう少しふっくらしろ」
竜之助がハルミを高らかに持ちあげる
「なんなのさっ!!; おろしてッ!!」
みしっ
ハルミが両足で竜之助の頭を踏みつけた
「おろしてってッ!!」
今度は顔を上げた竜之助に顔を踏みつける
顔に砂やら草やらをつけた竜之助がハルミをおろすと顔の砂やらを払った
「なぁハルミ」
「何ッ!!」
「ごめんな…」
身をかがめてハルミと視線を合わせた竜之助が謝る
「べ…別にただ驚いただけだし…そんなまじめに謝らなくても…ッ!?;」
一瞬何が起こったのかわからなかった
気付いたら竜之助を思い切り蹴っていたハルミが真っ赤な顔をして口を押さえている
「だから謝ったじゃないか」
「何なのアンタはッ!!; いっ…いきなり…キ…」
「あ、赤くなった」
「うるさいッ!!!;」
今度は竜之助のみぞおち目掛けてハルミがパンチをぶちかました
それをヒョイとよけると地面を蹴って飛び上がりジャングルジムの上に着地した竜之助が空を見上げる
「あ本当に雨降りそう」
海の方から黒い雲が広がっている
「おりてきなよッ!!」
ハルミが下から怒鳴ると頭を掻いた竜之助がストンと地面に降りた
するとすぐさまハルミのパンチ連続攻撃が始まる
「じゃ帰ろか」
そのこぶしを全て受け止めながら竜之助が言う
「どこにッ!! さっさと帰れッ!!」
真っ赤になってパンチをし続けるハルミの両こぶしを竜之助が掴んだ
「ハルミの家。 雨宿りさせてくれるんだろ?」
「な…ッ;」
ぐいっとハルミの体を抱き寄せた竜之助がにっこり笑うとハルミの蹴りが脛にお見舞いされた
「いってきまーす」
紺色のスカートを靡かせハルミが玄関から出ると
「おはよう」
「…はいはいおはようございますっ」
垣根の傍にいた竜之助がにっこり笑った
その竜之助に投げやりに挨拶をしたハルミがさっさと横を通り過ぎる
「挨拶はしてくれるんだ」
「一応ね。おはようって言ってくれたし」
ガチャンと自転車の鍵を外すとその自転車を押して石段に向かう
「さって とっ」
石段の上に来るとハルミが自転車を持ち上げ石段を降りていく
「っとに…毎朝これがなきゃ…って…ちょ…」
ブツブツ文句を言いながら自転車を持って石段を降りていたハルミの手が軽くなった
「いいってば!! 竜之助!!」
「俺らの間に遠慮は禁止」
「俺らの間って何さッ!;」
自転車を担いで石段を降りていく竜之助にハルミが言うと竜之助が振り返った
数段上に居るハルミを見たかと思うと
「白」
ヒュン バコッ
そう口にした瞬間ハルミの通学カバンが竜之助に命中する
「最ッ低ッ!!!! 何見てんのさ!! あーもー一瞬でもお礼言おうとした私が馬鹿だったッ!!」
「一瞬でもお礼言おうとしてくれたとか」
「はいはい!! 自転車貸してッ遅刻するからッ」
竜之助の頭からカバンを取ったハルミが石段の下から言うと竜之助が跳んでハルミの隣に着地した
「相変わらずどんな運動神経してるの?」
「こんな運動神経」
自転車を下ろすと竜之助が微笑みながらハルミを見る
「ありがと」
「あ、お礼」
「一応ね いってきますッ」
ハルミが竜之助から自転車を奪うと片足を乗せ勢いをつけて乗った
竜之助は遠ざかるハルミの背中をしばらく見ていた
あの日から竜之助はずっとハルミの家である【栄之神社】に入り浸っている
気付けば社の屋根の上にいたり
ふと見れば御神木の上で寝ていたり
かと思えば境内で鳩やスズメと戯れていたり
そして不思議なことに両親も姉も竜之助の話題をしない
まるで見えていないような
まるでそこに居るのがわからないような
細かいことを気にしないハルミでもさすがにだんだんと気になってきていた
「ねぇ」
境内の階段に腰掛けていたハルミが鳩と戯れていた竜之助に声をかけた
「ハルミから声かけてくるとか珍しいな」
バサバサと竜之助の頭や肩に止まっていたハトが一斉に飛び立った
「アンタ…何者?」
「いきなりそうきたか」
竜之助がハルミの隣に腰掛ける
「母さんも父さんもお姉ちゃんもまるで見えてないみたいだし…変な格好してるし運動神経とか…何なの?」
ハルミが聞く
「何なのって…も俺は俺」
「俺はわかった。だからその俺は何なのって話。どこから来たの?」
「天」
竜之助が答える
「何のために?」
「ハルミに会うため」
バサバサと一羽の鳩が竜之助の傍まで飛んできた
「はぁ?;」
「本当」
竜之助が手を伸ばすと鳩がそれに止まる
「俺はハルミが好きだぞ」
「アンタねぇ…だいたいいくつなのさ」
「信じてないのか?」
ずいっと竜之助がハルミに近づいた
「信じる信じないとかじゃなく…っ」
竜之助の手に止まっていた鳩が飛んでいく
「っ…近いッ!!;」
ハルミが竜之助の顔を思い切り両手で押すと立ち上がった
「ハルミ」
「…ばーかッ!!」
そういってんべーっと舌を出したハルミが駆け出す
竜之助が目を細めて笑った
積もった雪で一面が真っ白になった境内
木の枝に雪が咲いていた
「寒いッ!!」
ハルミの声が晴れた空に響く
「なら中に入ればいいと思うけど それとも抱きしめてやろうか?」
「アンタの格好が寒いのッ!!」
そういってハルミが竜之助を指差した
「ってか!! ずっとその服じゃない!! ちゃんと洗濯してんの?」
竜之助を頭の先からつま先までを見たハルミが服を引っ張る
「してくれるのか?」
「へ?」
「洗濯」
「ちょッ!!;」
竜之助がモゾモゾと服を脱ぎだす
「ここで脱ぐなッ!!; あーもー…わかったッ!!; わかったけどちょっとこっち来て」
脱ぎかけの服を腕に引っ掛けている竜之助の手を引っ張ってハルミが家の中に入った
「いいのか?」
「何が」
靴を脱いで家に上がったハルミが聞き返す
「俺を入れて」
「どうせみんなには見えてないんでしょ ほら早く」
「いや…俺としては嬉しいんだけど…」
さっさと家の奥に歩いていくハルミに竜之助も続く
「それに誰も居ないしね」
少しハルミの声が響いて聞こえた
「こっち 朝沸かしたからまだあったかいけど一応追い焚きするから入って」
「風呂?」
「どうせ服脱ぐんだから」
ハルミが洗濯機の蓋を開け振り返る
「ちょ…ッ!!; 待って待ってッ!!; 私が出てから脱いでッ!! そしてこの中に入れといて!!」
再び脱ぎ始めた竜之助を見て慌ててハルミが脱衣場から出て行った
「着替え置いておくからッ!!」
やや遠くからハルミが叫ぶのを聞いて竜之助が小さく笑った
「じゃ…遠慮なく…羽伸ばさせてもらおうか」
「父さんのじゃちょっと丈的に小さそう…だけど仕方ないか…」
ガシャーン!!!
突然の物音にハルミが飛び上がった
「な…に?;」
服を握り締めたまましばし放心していたハルミがハッとして駆け出し目指したのは風呂場
「竜之助ッ!!?」
ガラッ
勢いよく風呂場の戸を開けたハルミが見たもの
「あれ? 一緒に入るのか?」
白い鳥のような羽とよくRPGとかに出てくるドラゴンのような緑色の羽
「…な に ?」
「ごめんな ちょっと大きく出しすぎて棚の上のもの落として…」
「はね…?」
ハルミの口だけが動いた
浴室に立ち込めていた湯気がハルミの開けた戸から逃げていき視界がはっきりとしてきた
「ハルミ?」
体を動かさないハルミに竜之助が近づく
「な…竜之助それ…何」
ハルミが羽を指差すと竜之助が羽を少し動かして
「羽」
答えた
「じゃなくてッ!! なんでそんなのがあ…」
ハルミが再び動かなくなる
「ハルミ?」
「きっ…きゃあああああああッ!! 変態ッ!!」
ビシャーン!!
ハルミの悲鳴とともに戸が閉められバタバタという足音が遠ざかる
「変なもの見せんなッ!! 馬鹿ッ!!」
遠くから聞こえたハルミの怒鳴り声
「変なもの か やっぱりびっくりするよな」
羽の他にもうひとつハルミが見た【変なもの】には絶対気付いてはいないだろう竜之助が羽を見て苦笑いをした
「ほぎゃぁあああ!! ほぎゃあああ!!」
初夏の栄野家から聞こえる赤ちゃんの泣き声
止んだかと思うと
「ほぎゃああ!! ほぎゃああああ!!!」
数分もしないうちにまた泣き声が上がる
「もー!! お姉ちゃーんッ!!; 操が泣き止まないー!;」
「ほぎゃあああああ!!」
バタバタという足音と泣き声の不協和音
「お姉ちゃんッ!!;」
「いないぞ」
縁側の和室まで来た時竜之助が声をかけてきた
「さっき母親と石段降りていったぞ」
「ええええー;」
「ほぎゃあああ!! ほぎゃああ!!」
泣き喚く姉の子供の【操】を抱いたままハルミが溜め息をついた
「おしめ…かミルク?」
「うぎゃああー!!」
今までに無い泣き声をあげて操が泣き始めた
「ちょ…;」
「母親を探してるみたいだな」
「な…竜之助あんたわかるの?」
操の顔を覗き込んで竜之助が言う
「ふくよかな胸が無い ってさ」
「はぁッ!?;」
ハルミがくっくっくと笑う竜之助を足で蹴る
「しょうがないな」
「えっ…ちょ竜之助!?」
泣き喚く操を竜之助が抱き上げた
「ふええあああああ!! ふっ ふぇあああああ!!」
竜之助が抱き上げると一瞬泣き声が止まったがまた操が泣き出す
「ハルミも」
「えっ?」
竜之助がハルミの手をとった
「赤ちゃんって高い高いすると泣き止むとか」
「え…まぁ…」
縁側から庭に降りた竜之助が空を見上げた
「わっ;」
そしてハルミを小脇に抱えると
「しっかりつかまってろよ?」
「ほぎゃあああ!!」
泣き止まない操を腕に抱き竜之助が膝を曲げた
バサッ と何かが広がる音がしたかと思うと上から風を感じた
そして何故か足元にあるはずが無い神社の屋根が見える
そうこうしているうちに電信柱までもが足元に見え始めた
「ほーら高い高い」
「たっ…高すぎだっつーのッ!!!;」
ハッハと笑う竜之助にハルミが半ベソになりながら突っ込む
「何っ; なんなの!?;」
「前にも見たろ? 風呂で」
「前に…も…うん でも…」
何かを一緒に思い出したらしいハルミが赤くなった
「たあーい ぷー」
キャッキャと笑う操を見てハルミが赤い顔のまま微笑む
「笑っ…」
ぐいっと体が持ち上がったかと思うと少しの息苦しさ
「あうー?」
よだれをたらした操がきょとんとする
「二回目」
鼻と鼻がくっつく距離で竜の助が笑う
固まったままのハルミ
「ぷぅあー」
操が竜之助に向かって手を伸ばしてきた
「ん? お前は駄目だ ハルミは俺のだから」
「誰がアンタのなのさッ!!;」
真っ赤な顔をしたハルミが肘で竜之助の顔をドリルのようにグリグリと攻撃した
鉢の中に埋められた赤い宝珠がきらっと光った
「で…」
京助が迦楼羅と緊那羅を見る
「で?」
「…何にも起こらないっちゃ…」
宝珠を埋めたのはいいが何も変化の無い元ヒマ子だった向日葵
「もっと深く埋めないと駄目なのではないのか?」
「いや…;」
京助がどことなくなんとなくいや~な顔をしてあさっての方向を見る
「前は確か…京助 が」
「…; やっぱ…アレ?;」
「京助が?」
緊那羅と京助が顔を見合わせるとひとり蚊帳の外の迦楼羅が京助を見た
「…鳥類」
「なんだ?」
チョイチョイと手招きで京助が迦楼羅を呼ぶ
「ここに立って」
「うむ?」
迦楼羅が京助に言われたとおりに向日葵の前に立つ
「んで目ェ瞑って」
「うむ」
おとなしく目を瞑った迦楼羅
京助がニヤリと笑った
「きょ…;」
バフッ!!
「んぶっ!!!?;」
ハラハラと数枚の花びらが床に落ちた
迦楼羅の顔面には京助によって向日葵が押し当てられている
「京助…;」
一応止めようとしたらしい緊那羅が力なく手を引っ込めた
「なっ…; なにをするたわけッ!!!;」
顔に花びらをくっつけた迦楼羅が怒鳴る
「…どうだ…?」
怒鳴る迦楼羅の頭を押さえつけて京助と緊那羅が向日葵を見つめる
「はなさんかたわけッ!!;」
「るっせぇ!!! 一寸黙って…」
「京助!!」
ギャンギャン喚く迦楼羅に怒鳴った京助の服を緊那羅が引っ張った
「なにす…」
言いかけた京助の迦楼羅の頭にあった手から力が抜る
「京様」
いつもなら鬱陶しい声が何故か嬉しかった
「緊那羅様、それに鳥類様」
「迦楼羅だッ!!;」
「私…確か京様の…」
怒鳴る迦楼羅を無視するヒマ子に緊那羅が抱きついた
「ヒマ子さんッ…」
「緊那羅様!? まぁいかがいたしましたの?」
茎が折れない程度に緊那羅がヒマ子を抱きしめる
「なんだ…誰でもよかったんかい;」
そう言いつつ京助が笑う
「なんなのだ;」
わけがわからない迦楼羅がふてくされる
「おかえりなさい」
小さく緊那羅が言った
「なぁ…」
膝を抱えた坂田が白いワイシャツ姿になった清浄こと柴田に声をかけた
傷こそは消えたものの力の消費量が酷かったらしい柴田は折りたたんだ座布団を枕に横になっていた
「なんです? 若」
「…なんでもねぇ…」
坂田が膝に顔をうずめる
「若…」
「うるせぇ」
「泣かせ…まし た?」
上半身を起こした柴田が坂田を見る
解けた髪が膝に埋めた顔をカーテンのように隠している
でもその肩は震えていて小さく鼻を啜る音が聞こえた
「わ…」
「若っていうなッ!!」
坂田が怒鳴る
「親父も昔【若】だったんだろ」
「え…?? あ…そうですけど」
坂田が鼻水を啜り一呼吸をする
「若って呼ばれるたび…親父の代わりみたいな気分になる…俺は親父じゃねぇ」
「……」
「俺は俺なんだ…お前がッ…お前に【若】って呼ばれると親父の代わりなんだって…ッ…」
坂田の嗚咽がだんだんと大きくなる
「俺はッ…お前がしょうなんたらだろうがなんだろうが…ッ柴田だからッ…俺にとってお前は柴田でしかないからッ…!!」
咳き込みながら言う坂田の肩に柴田がそっと触れた
「すいません…」
それからゆっくりと坂田の頭をなでる
熱い息がこもっているからなのか少し前髪が湿っている坂田
「柴田…」
「あ…はい」
嗚咽を抑えながら柴田を呼ぶ
「俺は誰だ?」
くいっと引っ張られたワイシャツ
柴田がそれを見て微笑む
「深弦君…でいいですか?」
「ばーか」
間髪いれずに返ってきた言葉に柴田が苦笑いになっていると坂田が顔を上げた
「君ってガラじゃねぇよ」
「え…でも」
「でもじゃねぇ 俺がそういってんだ【柴田】!!」
目を腫らして鼻水を出して涙を流したままの坂田の顔
「…変わりませんね…貴方は」
「うるせぇッ;」
ワイシャツの袖口で坂田の鼻水を拭き取った柴田が笑う
「ありがとうございます…深弦」
「ッ…」
いきなり名前で呼ばれた坂田が驚く
「やっ…やっぱナシッ!!; 若でいいッ!!; いやッでもッ;」
「ははははっ」
「笑うなッ!!;」
真っ赤になった坂田が柴田の足を蹴った
「あっれー柴田さん大丈夫なの?;」
「うぉうう!?;」
いきなり部屋に入ってきた中島と南に坂田が驚いて壁に頭をぶつける
「なにしてんだおまへ…;」
「入ってくんなら入ってくるっていえッ!!;」
呆れながら中島が言うと坂田が怒鳴った
「お邪魔します」
「遅いわッ!!;」
南がお辞儀しながら言うとまた坂田が怒鳴る
そんな三人のやり取りを柴田が微笑みながら見ていた
「…起きてる? 制多迦」
「…ん」
矜羯羅がむくりと起きると制多迦も起き上がった
だるさはあるものの外傷が見当たらない自分の体を不思議に思った矜羯羅
「…んがら?;」
矜羯羅が制多迦の黒い衣を剥いでまじまじと体を見る
「傷がない…」
「…んがらの傷も」
「結構大きな傷だったと思うんだけど…乾闥婆か慧光か…どっちにしろ…お礼は言わないといけないね」
そう言いながら矜羯羅が布団の足元を見た
そこには目の回りを赤くした慧光と相変わらずのお面の鳥倶婆迦がしずかに寝息を立てていた
慧光の手からは微かな光が漏れている
「…っと治癒しててくれたんだね…慧光」
慧光の頭を制多迦がそっとなでる
少し腫れている慧光のまぶたがぴくっと動いた
「…起こしてどうするんだよ」
スパンっと矜羯羅が制多迦の頭を叩く
「…めん;」
制多迦がヘラっと気まずそうに笑うと慧光の目が開いた
「おはよう」
「おはようございま…ッ!?」
矜羯羅の挨拶に目を擦りながら答えた慧光がハッとしてガバッと身を起こした
「こ…矜羯羅様!!? 制多迦様…ッ」
「…はよう」
ヘラリと笑った制多迦とは反対にだんだんと眉が下がっていく慧光
「矜羯羅様…制多迦様…」
鳥倶婆迦もいつの間にか起き上がって二人を見ていた
「二人共…あ」
「ッ…!!」
言葉の途中で矜羯羅と制多迦に鳥倶婆迦と慧光が抱きついた
「っう…あああああああ!!!!」
「きょっ…ぅっ…せぃた…うわぁああああんッ!!」
制多迦と矜羯羅に抱きついたかと思うと二つの泣き声が響く
「よかっ…うえぇえええ…ッ」
押し倒された制多迦と矜羯羅が目を合わせそして微笑むと慧光と鳥倶婆迦の頭をなでる
「ありがとう…」
「…りがとう」
泣きじゃくる二人に制多迦と矜羯羅が礼を言った
「おっ来た来た」
茶の間の戸を開けた制多迦に声をかけたのは中島
「なんだ…みんないるの」
矜羯羅がぐるりと茶の間を見渡すとそこには京助と3馬鹿、緊那羅、柴田がいた
「みんなっつーみんなでもない…けど一応」
「一気に密度はあがったけどな」
制多迦がヘラッと笑い戸を閉める
はじめからいた6人にあとから制多迦たち4人が加わって10人になった茶の間の人口
「…あとのは?」
矜羯羅がこの場にいない者たちを聞く
「鳥類は乾闥婆んとこいったし…母さんたちはまだあっちにいると思うけど」
京助が答える
「ヒマ子さんは庭にいるっちゃ。あと悠助と慧喜は風呂…」
緊那羅が答えている途中て茶の間の戸が開いてふわっと香ったのはきっと入浴剤の匂い
「あっみんないる~」
「えっ…」
元気よく茶の間に入ってきた悠助
「慧喜?」
悠助が廊下にむかって慧喜を呼んだ
「慧喜? どうしたの? 入らないの?」
「…お…れ…」
茶の間に入ってこない慧喜
【入り】たくても【入れ】ないんだと悠助以外の全員が察した
きっと慧喜が感じているのは【罪悪感】
「俺…っ…」
泣きそうな声が聞こえた
「え…」
慧光が立ち上がろうとすると目の前を緊那羅が通った
「お腹すいてないっちゃ?」
「…へっ?」
茶の間の入り口に立った緊那羅が振り返って茶の間の面々に聞く
「ま…まぁ腹は減ってる…けど」
京助が答えると南と坂田が頷いた
「ハルミママさんがたしか晩飯作ってたはずだっちゃ」
「…で…?」
「ちょっと遅くなったけど晩御飯にするっちゃ」
にっこりと笑った緊那羅
「慧喜」
緊那羅が慧喜に声をかけた
「手伝ってほしいっちゃ」
「え…っ?」
慧喜が驚いている
「僕も手伝うっ」
悠助がぱたぱたと駆け足で廊下に出た
「ほらっ慧喜ー」
「あっ…」
途中から足音が二つになり遠ざかっていく
「…緊那羅」
矜羯羅が声をかける
「ありがとう」
そしてお礼を言った
その隣では制多迦がへらりと笑っている
「…なかがすくと…イライラするって悠助が前言ってた」
「そういえば言っていたね…」
矜羯羅が思い出して微笑む
「まぁたしかに腹減るとイライラはするよな」
中島がうんうん頷いた
「んじゃ俺母さんとと…父さん呼んでくっかな」
京助が立ち上がった
「んで誰か鳥類とか…」
「おいちゃんががいく」
烏倶婆迦が立ち上がりくいくいっと帽子を直し歩き出した
トタトタと烏倶婆迦が廊下を小走りで縁側のある部屋の前までやって来た
襖を開けると迦楼羅と阿修羅が顔を上げた
「烏倶婆迦…?」
「ご飯だよ」
「…呼びにきてくれたんかばか」
「烏倶婆迦だっ!!」
キーキーと地団駄をふむ烏倶婆迦
「はははは」
阿修羅が笑う
「…乾闥婆は?」
「ここだ」
迦楼羅が少し体をずらすとそこには乾闥婆が丸くなって寝息を立てていた
「乾闥婆…寝てるの?」
「ああ…だからワシが側にいるお前たちは…」
ぐぅうー…
迦楼羅の言葉を迦楼羅の腹の虫の声が遮った
「かるらん…オライがみちょるけ…飯食って…」
「おいちゃんがいる」
阿修羅の言葉が終わる前に烏倶婆迦が乾闥婆の側に座った
「おいちゃんが乾闥婆の側にいる」
「いやワシが…」
ぐきゅううー…
再び鳴いた迦楼羅の腹の虫
「おいちゃん乾闥婆が好きだ」
「なっ…?!;」
「ほっほー…」
驚いた迦楼羅とあれまーという顔をする阿修羅
「乾闥婆…ハルミと同じ匂いがする…優しくて強くて柔らかくて だからおいちゃん乾闥婆が好きだ」
「…だってさかるらん」
固まった迦楼羅を阿修羅がつつく
はっと我にかえった迦楼羅が烏倶婆迦と乾闥婆を見た
「ライバル…かねぇかるらん」
「なっ…やっ…やかましいわッ!! たわけッ!!;」
「乾闥婆が起きるよ?」
怒鳴った迦楼羅に烏倶婆迦が言うと迦楼羅がぐっと口をつむいで座る
「なぁばか…だっぱってどんな匂いなんだ?」
「いい匂いだよ」
「…だとさ」
「やかましいッ!!;」
阿修羅が迦楼羅をからかう
「乾闥婆が起きるよ」
「……;」
またぐっとなった迦楼羅を見てクックックと笑う阿修羅
「だからおいちゃんが乾闥婆の側にいる乾闥婆が好きだから」
「おーおー…言うねぇばか」
顔をひきつらせて堪えている迦楼羅を横目に楽しそうな阿修羅
「…乾闥婆?」
「…ぼ…くは…」
うっすら目を開けた乾闥婆
「乾闥婆…だい」
「大丈夫? 乾闥婆どこか痛い?」
迦楼羅より先に烏倶婆迦が乾闥婆に言うとそれを見てまた阿修羅がまた笑う
「烏倶婆迦…? あ…迦楼羅と阿修羅…僕は…」
乾闥婆が起き上がると迦楼羅が側に寄った
「…乾闥婆」
「迦楼羅…僕は…」
まだ赤い目の乾闥婆を見て迦楼羅が俯く
「け…」
「ほいほい! 飯だ飯だー」
阿修羅が烏倶婆迦を小脇に抱えて立ち上がった
「放せっ!!放せってっ!!おいちゃんは乾闥婆とっ!!」
じたばた暴れる烏倶婆迦を阿修羅が連れていく
ぽかんとしている乾闥婆の頬についていた髪の毛を迦楼羅が取った
台所の暖簾をくぐった緊那羅
「あ…まだ作りかけだっちゃ…えと…カレー…でいいっちゃ?シチュー…うーん…;」
鍋の中には玉ねぎ、にんじん、肉そしてジャガイモが煮えていた
「僕カレーがいいっ」
「わかったっちゃ」
悠助が緊那羅の腰に抱きついてねだると緊那羅が笑いながらガスコンロに火を着けた
いつもならここで慧喜が悠助をひっぺがしているはず
その慧喜は暖簾の向こうに立っていた
「緊ちゃんうずらは~?」
「あうん悠助とってきてくれるっちゃ?」
「うんっ!!」
悠助が緊那羅から離れて室を開けた
「慧喜」
緊那羅に呼ばれた慧喜がびくっとした
「手伝って欲しいっちゃ」
「…」
「えーき」
ゆっくりと慧喜が暖簾をくぐる
顔をあげない慧喜の手を緊那羅がつかんだ
「味付けしてほしいっちゃ」
「えっ…」
驚いた慧喜が顔をあげると笑顔の緊那羅
「俺…が?」
「そうだっちゃ」
「でも俺…料理とか…それに…」
慧喜が俯く
「私もこっちにくるまでは料理とか全然しなかったし出来なかったっちゃ」
「嘘!!;」
慧喜が再び驚く
「嘘じゃないっちゃ」
「はいうずらー」
悠助がうずらの缶詰めを持ってきた
「最初はハルミママさんから教えてもらったんだっちゃ よく焦がしたり変な味になって…;」
うずらの缶詰めを受け取りながら緊那羅が苦笑いした
「…ある日に味噌汁作ったんだっちゃ」
「味噌汁?」
「うん」
缶切りを取った緊那羅
「僕やりたいー」
悠助がいうと緊那羅が缶切りを手渡す
「気を付けるっちゃよ?」
「はぁい」
クツクツいいだした鍋
「…味噌汁…作って…どうしたの?」
「初めておいしかったっていわれたんだっちゃ」
緊那羅が火を小さくしながら言った
「…義兄様に?」
「なんでわかったっちゃ;」
「緊那羅が嬉しがるのってだいたい義兄様が関係してるし」
「…そう…だっ…ちゃ?;」
緊那羅の頬が少し赤くなる
「できたー!!」
缶を開けた悠助が言う
「はい緊ちゃん」
「ありがとだっちゃ悠助 さ 慧喜」
缶を受け取った緊那羅が慧喜を手招きする
「えっ? 今日は慧喜が作るの?」
「そうだっちゃ」
「でも俺…」
「僕 慧喜のカレー食べたいー」
悠助が慧喜に抱きついた
「悠助…でも…」
「私も手伝うから」
「慧喜ー作ってー」
悠助と緊那羅に言われて慧喜が恐る恐る鍋の前に立った
「…絶対…おいしくなんか…」
「おいしいよー絶対おいしいっだって慧喜が作ってくれるんだもん」
悠助が言う
「料理って想いも調味料になるんだっちゃ」
「想い…?」
「慧喜が悠助においしく食べて欲しいって想いこめれば大丈夫だっちゃ」
緊那羅が慧喜にお玉を差し出した
「私がそうだったっちゃ」
「…さっきの味噌汁の話?」
慧喜が聞くと緊那羅が微笑んで頷く
「想いって…強いっちゃ 誰かを想うって苦しかったり嬉しかったり…それがいいのか悪いのかっていうのは…わからないけど」
「……」
「でも…誰かを想うことは力になると思うっちゃ」
慧喜が悠助を見た
「…想い…」
「慧喜は…このカレーにどんな想いを込めたいっちゃ?」
「俺…みんなに…謝りたい…そしてみんなでいつもみたいに…」
「うん」
緊那羅が笑う
「お腹すいたー」
「…待ってて悠助 俺…作ってみる…から」
悠助が言うと慧喜が緊那羅からお玉を受け取った
京助が社務所の戸を開ける
「かーさーん」
奥に向かって声をかけた
「あら京助…」
「俺はまだよ…」
「…と とーさん…飯っ!!」
ピシャンと戸がしまる音がした
ハルミと竜之助が顔を見合わせる
「父さんだって」
「…ああ」
竜之助が嬉しそうに笑う
「俺の息子だ…」
「あら違うわよ? 私と竜之助の息子でしょ?」
「…そうだな」
「ね?」
ハルミも微笑んだ
チリーン…
風鈴が鳴った
家の中は静まり返っていて
線香の香りで満ちていた
仏壇の回りには御供え物
そして白い箱が4つ
線香の灰がぽろっと折れて落ちる
「ハルミ…?」
竜之助がそんな部屋の中にハルミを探す
いないとわかると廊下を歩きまた隣の部屋を開ける
そうやって広い栄野家の中をハルミを探した
縁側に面した部屋
襖をあけると部屋の中心に寝息をたてる操の姿を見つけた
操から視線を縁側に向けると制服姿の背中を見つけた
柱に体を預けて庭を見ている
「ハルミ」
声をかけるとぴくっと肩が揺れた
操の横を通ってハルミの後ろに立った竜之助
「…何…?」
かすれた声が聞こえた
そのあとには鼻を啜る音
「…みんな…いなくなっちゃった…」
サワサワと風が庭の草木を揺らす
「操…だけになっちゃった…家族…っ」
ハルミの声が詰まった
「ハルミ」
「っ…」
背中から覆い被さるように竜之助が纏っていた白い布と一緒にハルミを抱き締めた
途端ハルミが竜之助にしがみついて声を上げて泣き出す
両親と姉夫婦が事故に合い幼い操だけが助かった
葬式の間気丈にも涙を見せなかったハルミ
「…俺がいる」
竜之助が耳元で囁いた
「ハルミ」
涙でぐしゃぐしゃになったハルミの顔を竜之助が両手で優しく包むと口付ける
無抵抗なハルミがゆっくりと目を閉じた
「家族になろう」
金色の目に映ったハルミが頷く
「ごめんくださーい」
玄関から声がした
「はー…」
はっとしてハルミが返事をしようとすると口づけで口を塞がれた
チリーン
風鈴が鳴った
「迦楼羅…?」
「……」
迦楼羅が乾闥婆の髪を乾闥婆の耳にかける
「大丈夫か…」
「…はい…すいませ…」
俯き謝りかけた乾闥婆を迦楼羅が抱き締めた
驚いた乾闥婆の目が大きくなる
「か…」
乾闥婆が迦楼羅の服を掴もうと腕を上げた
「…しばらく…こうしていていいか…?」
ぴくっとして止まった乾闥婆の手がゆっくりと迦楼羅の服を掴む
「…はい…」
乾闥婆が迦楼羅の肩に頭をつけて目を閉じた
「おろせっ!!」
「…なぁばか…」
阿修羅の小脇でキーキー喚いてバタバタ暴れる烏倶婆迦
「…乾闥婆…竜の嫁さんと同じ匂いがするっていうてたんな…」
「そうだよっ!!」
阿修羅が足を止めると烏倶婆迦を下ろした
「…阿修羅…?」
烏倶婆迦が阿修羅を見上げる
真面目な顔で何かを考えている阿修羅
「…二人とも…どこまで真面目で一途なんかな…」
そう言って阿修羅が烏倶婆迦の頭を撫でた
「制多迦様、矜羯羅様ご無事で」
柴田が制多迦と矜羯羅の前に膝をつき一礼した後顔を上げた
「君もね」
矜羯羅が微笑むと制多迦もへらっと笑う
「俺は慧光のおかげです」「えっ」
そう言って柴田が慧光を見た
「わっ…私はっ…ただ私にできることしただけナリ;」
顔を赤くした慧光が制多迦の陰に隠れた
「…くたちの怪我も慧光が治してくれたんでしょ? ありがとう」
制多迦が慧光の頭を撫でると慧光が驚いた顔を向けた
「私じゃないナリ」
「…じゃあ乾闥婆なの?」
「…違いますお二人の怪我…だけではなく周りも直したのは【沙羅】です」
柴田が口にした名前に二人が驚く
「沙羅…」
矜羯羅が繰り返す
「…るらと乾闥婆は…?」
「乾闥婆が取り乱して…今は休んでいるようです迦楼羅はそこに…」
「…そう…」
矜羯羅が制多迦の頬をつねった
「…たい;」
「眉毛下がってるよ…君のせいじゃないんだ制多迦」
みょーんと制多迦の頬を引っ張る矜羯羅
その様を慧光がオロオロしながら見ている
「タカちゃんのほっぺってよく伸びるよねぇ」
南が言う
「餅だな餅」
坂田が柴田の頭に腕を乗せて制多迦を見た
へらっと笑う制多迦
「しまりがないよ」
「…たい;」
矜羯羅が更に制多迦の頬を引っ張る
「おー…伸びる伸びる」
「すごいすごい!!」
南と中島が拍手しながらそれを見る
「お前はあんま伸びねぇな」
「若…;」
坂田が柴田の両頬をつまんで引っ張った
「…何してん;」
茶の間の戸を開けて見た光景を理解できず阿修羅が聞く
「制多迦様変な顔」
烏倶婆迦が言う
「清浄も変な顔」
柴田を見て更に烏倶婆迦が言うと制多迦と柴田が苦笑いをした
「…」
矜羯羅がふと顔を上げた
「…んがら?」
それに気づいた制多迦が矜羯羅に声をかける
「…この匂い…何…?」
「匂い?」
矜羯羅の言葉に一同がフンフンと鼻を動かす
「…これ…カレー…?」
中島が言う
「カレーだよなこの匂い…間違いなく」
坂田も言う
「カレー? なにそれ」
矜羯羅が制多迦の頬から手を放して聞く
「食べ物ですよ矜羯羅様」
柴田が答えると矜羯羅がぴくっと反応した
「大人も子供もおねーさんも大好きな食べ物」
南が笑いながら言う
「なにそれ…おいしいの?」
「まぁおいしいくなかったら大人も子供もおねーさんも食わないよな」
坂田が言うと中島と南が頷いた
「がらっちょカレーっつーのはなインドの…」
「まぁ食えばわかる」
「…メガネ…オライの出番…;」
説明しようとしたのを坂田に遮られた阿修羅が肩を落とした
「でき…た」
「いいにおーい」
味見用の小さな皿を手にした慧喜の隣で悠助が思い切り息を吸い込んだ
栄野家に広がるカレーの匂い
「僕も味見したいっ」
慧喜に向かい悠助がねだる
「もうご飯だっちゃ悠助」
「えー…味見…」
食器棚から大量の皿を出しながら言う緊那羅
「だったら!! だったら早く食べたいっ!! これ運べばいいんだよねっ緊ちゃんっ」
悠助が緊那羅の出した皿に手をかけた
「重いから私が…って悠助;」
「俺も手伝うよ悠助」
ヨロヨロしながら皿を運ぼうとする悠助に慧喜が駆け寄り皿を半分持った
「ありがとー慧喜ー」
「ううん」
いつものようなバカップルっぷりが戻ったのに緊那羅の顔がほころぶ
「さて…じゃぁ私は…」
緊那羅が冷蔵庫を開けて取り出したのは福神漬けとらっきょう
そして引き出しを開けてありったけのスプーンをお盆に乗せる
「あと…は…ご飯はこのままもってって…鍋も。あ、鍋敷き;」
あちこちパタパタと動いてはお盆に必要なものを乗せていく緊那羅
「…さすがにいっぺんには持っていけないっちゃね;」
カレーの鍋に炊飯ジャー、そしてもろもろの乗ったお盆
「あと…は あ、麦茶…」
「なんだ今日カレーか」
麦茶のピッチャーを冷蔵庫から採ろうとした緊那羅が振り返った
「京助」
「悠のリクエスト?」
「うん」
ははっと笑った緊那羅が冷蔵庫から麦茶の入ったピッチャーを取り出した
「手伝う」
「え?」
京助がカレーの鍋に手をかけた
「腹減ったし お前一人じゃ運べねぇだろ」
「あ…う ん」
「…なんだよ;」
「えっ; や…なんだもないっちゃ;」
なんだよと聞かれた緊那羅がビクっとなった
その後が続かない
京助はカレー鍋に手をかけたまま
緊那羅は麦茶のピッチャーを持ったままお互いの顔を見て止まっている
「京助あの…っ」
「…ありがとな」
切り出した緊那羅がきょとんとして言葉を止めた
「何あったのかわからねぇけどお前が俺に何かしてくれたんだろ?」
「何…か…」
少し間をおいて緊那羅の顔がかぁっと赤くなった
「また守ってもらったんだな俺お前に」
「っ…」
自分が京助にしたこと
京助が前にひま子さんを起こしたきっかけ
その真似をした
それを思い出した緊那羅
慧喜が初めてここにきたとき
悠助が言っていた言葉
【あのね僕たちはちゅーって好きな人とするんだってハルミママが言ってたんだ】
今まで自分が京助に対して想っていた想いとは少し違う想いが混ざってきている
でもそれがどういう想いなのかはわからなくて
「緊那羅?;」
「えっ!?; わっ;」
名前を呼ばれて慌てた緊那羅がピッチャーを手から滑らせた
「あぶっ!!;」
それを受け止めようとした京助と緊那羅が二人してピッチャーを掴んだ
「何してんだお前; 疲れてんのか?」
「や…ごめんだちゃ;」
「お前それだけ持ってけ。後は俺が運ぶから」
京助が緊那羅にピッチャーを押し付けるとカレー鍋を持ち上げ台所を出て行く
「あ京助ー」
「義兄様落とさないでね」
「わーってるわ;」
廊下から聞こえる声に緊那羅がピッチャーを抱きしめた
「よいせぇっ!!」
京助がカレー鍋をどどんとテーブルの上に置いた
「待ってましたっ!!」
三馬鹿が鍋に群がる
「これがカレー?」
矜羯羅も上から鍋を覗き込む
「そそ!! この中にカレー様がいらっしゃるわけ!!」
南が言う
「…レー…」
制多迦がへらりと笑う
「あ…私この匂い…たしか南の家で…」
「え? あ、うんそうそう!! あれだよあれがカレー」
前に南の家で嗅いだことのある匂いを思い出した慧光に南が笑いかけた
「…いしかった?」
「はい」
制多迦に聞かれて慧光が少し照れながら頷く
「今飯持ってくる」
「あ何か手伝うぞ?」
再び京助が茶の間から出ていこうとすると坂田と中島が立ち上がった
「さんきゅー頼むわ」
「あ俺も俺も」
一歩遅れて南も立ち上がり坂田に続いて茶の間を出ていく
台所に向かう廊下でまた悠助と慧喜にばったりと会った
「まだ何かあるか? 運ぶの」
「あるよー?」
「了解」
スプーンと福神漬け、らっきょうの乗ったお盆を運ぶ悠助と慧喜を見送ると京助と三馬鹿が台所に入る
テーブルの上には炊飯器と麦茶のピッチャーとコップの並んだお盆とおかずの乗ったお盆があった
「これか」
「んじゃ俺炊飯器持つわ」
中島が炊飯器を持ち上げた
「んじゃ俺はか弱いから麦茶ー」
「俺これか」
坂田がコップのお盆、南が麦茶のピッチャーを持つと台所から出ていく
「京助ー?」
「あ悪ぃ先いってくりゃれー」
坂田に呼ばれた京助が返事をする
誰もいなくなった台所
さっきまでいたはずの緊那羅はいない
あったのは緊那羅の持っていた麦茶のピッチャーだけで
その麦茶のピッチャーも南が持っていった
京助は台所を出て茶の間とは別の方向へ向かった
チリンと鳴った風鈴
風鈴を揺らした風が運んできた匂いに迦楼羅が顔を上げた
「なんだこの匂い…」
「匂い…?」
乾闥婆も顔を上げる
「…乾闥婆」
迦楼羅が乾闥婆を呼ぶ
「…はい…」
返事をした乾闥婆が真っ直ぐ迦楼羅を見た
「ワシは…お前…は…」
乾闥婆の肩を掴む迦楼羅の手に力が入る
「…お前は…幸せ…か?」
チリリと小さく鳴った風鈴
「はい」
乾闥婆が微笑んで頷いた
「本当にか…?」
「はい」
「本当に…本当にか?」
「はい」
何度も聞き返す迦楼羅
「ほん…っだっ;」
「しつこいですよ」
その迦楼羅の前髪を乾闥婆が引っ張った
「何をするたわけっ!!;」
「あなたがしつこいからです」
「っ…;だ…だってだなっ!!;」
「僕は…」
乾闥婆が迦楼羅の髪から手を放した
「あなたの隣にいることが幸せなんです」
「…乾闥婆…」
迦楼羅の眉が下がる
「ありがとう…ございます迦楼羅」
「……」
乾闥婆の肩にあった迦楼羅の手に更に力が入ったかと思うと思い切り乾闥婆を抱き締めた
「か…」
「乾闥婆ワシはまだ…ワシは…」
「…迦楼羅…僕は乾闥婆です…」
静かに言った乾闥婆に迦楼羅が唇を噛んだ
「…すまん…」
乾闥婆を放した迦楼羅
「鳥類? って乾闥婆も起きたのか」
「だぁっ!!?;」
いきなり京助が声をかけてきて迦楼羅が慌てる
「なっ…;」
「ええ…ご心配お掛けしました」
慌てる迦楼羅とは反対に落ち着いた様子の乾闥婆が京助に返す
「飯できたから食いに行け」
「ありがとうございます」
ぐきゅうぅー…
タイミングがいいのか悪いのか迦楼羅の腹の虫が鳴いた
「…はよ行けや…?」
そう言って京助が引っ込んだ
「行きましょうか」
「…うむ」
立ち上がろうとした乾闥婆の前に差し出された迦楼羅の手
「乾闥婆」
「…はい」
乾闥婆が手を乗せると迦楼羅が微笑んだ
暗い廊下を歩けばキシキシという音がする
小さい頃は怖くて近づこうともしなかったあの部屋
あの掃除の時に壊して以来まだ直されていない襖
段ボールが積み上がっている室内に入ると少しカビ臭くて
でもそれが何故か落ち着いた
「いたし」
「あ…京助…?」
どうして? みたいな顔をした緊那羅が振り返った
「飯食うってんのにいねぇし」
「ごめんだっちゃ;」
苦笑いをする緊那羅
所々毛羽立っている畳を踏んで京助が緊那羅の隣まで来た
「なにしてん」
「や…なんか…」
京助が開いていた窓からなんとなく身を乗り出す
「…なんだろな…」
「え?」
「なんだろ…よくわからんな今起こってることやら起きたことやらさ よくわからん」
「…京助…」
緊那羅の方は見ずに京助が言った
「考えてもわからんから考えたくねぇんだけど…考えちまうんだよな…でもやっぱよくわからんとかになるし」
話続ける京助
「…でもさ それがいいのかもな」
「え?」
「よく言うじゃん全部わかったらおもしろくないとか だからさ よくわからんってのが丁度いいのかもなって話」
きょとんとする緊那羅
「よくわからんから知りたいしわかりたいし だから死にたくねぇしだから生きてぇし? なんかそんなんんでもって今も自分で何言ってんのかよくわからん」
京助が伸び上がると上半身だけを捻って緊那羅を見た
「ちなみにお前のこともよくわからん」
「へっ?;」
緊那羅が自分を指差すと京助なへっと笑う
「だから」
「…だから?」
「知りたいと思う緊那羅のこと」
静かに部屋に入ってきた風が緊那羅の髪を揺らした
「京助…」
「だからここにいろ」
真顔になった京助が言う
一瞬止まった緊那羅の口元が綻む
「…うん」
頷いて笑った緊那羅
「絶対だかんなっ」
「わかったっちゃ」
少し照れたような京助と嬉しそうな緊那羅
「京助ー!! どこだー!!」
坂田の声が聞こえた
「全部くっちまうぞー!! 矜羯羅が」
中島の声も聞こえた
「京助」
「いくか」
窓を閉めた京助が歩き出すと緊那羅もそれに合わせて歩き出した
「明日エビフライ食いたい」
「じゃあ買い物付き合えっちゃ」
「あと…」
「いもとフノリ?」
「うむ」
他愛もない会話をしながら二人揃って廊下を鳴らして歩けるそんな何気ない日々
そんな日々が幸せなだけで
そう思えればそれが生きていける理由
「お前食いすぎだろう;」
「悪い? だって美味しいから」
4杯目に口をつけた矜羯羅に坂田が突っ込めば制多迦がヘラッと笑う
制多迦の膝の上でもふもふとキャベツをかじるクロ
「悠助はいウズラあげる」
「ありがと慧喜ー」
「中島はいニンジンあげる」
「いらん」
慧喜が悠助にウズラを食べさせる横で南が中島の皿にニンジンをテンポよく入れ中島はそれを南の皿にテンポよく返している
「こぼしてますよ迦楼羅」
「う?」
「口の周りにもついてますよ迦楼羅…まったく…」
よほど空腹だったのかカレーを勢いよく食べていた迦楼羅の口の周りにはカレー
そして衣服にもカレー
「服には食べさせなくていいんきになかるらん」
それを拭き取る乾闥婆と笑いながら見ている阿修羅
「南のとこのとはちょっと違う味ナリ」
慧光がスプーンをくわえたまままじまじとカレーを見る
「でもおいちゃんこの味好きだ」
口元だけを出した烏倶婆迦がもくもくとカレーを口に運ぶ
「あらぁいっぱいねー」
「立ち食いだなこりゃ」
コマとイヌを抱いた竜之助とハルミが茶の間の戸を開けた
「こっち空いてますよ」
柴田が少し横にずれて手招きをする
「カレーなんだやなー!!」
コマがハルミの腕から抜け出すとゼンへと姿を変えた
「カレーカレー!!」
ゼンに続きイヌもゴに姿を変えた
「お前らただでさえ狭いってんのにわざわざ人型にならんでもよかろう;」
「こっちのがたくさん食べられるんだやな」
「食えるときに食っておくんだなや」
坂田が突っ込むとゼンゴが尻尾を振りながら言った
「まぁごもっとも」
竜之助が笑う
「うっおすっげ;」
「ぎゅうぎゅうだっちゃ;」
「おっせぇぞ京助!!」
最後にやってきた京助と緊那羅が茶の間の中を見てあきれたように笑った
「おかわり」
「おま…自重しろ自重;」
わいわいと賑やかな茶の間
「ほら京助、緊ちゃんも」ハルミがカレーを盛った皿を差し出す
「食うか」
「うん」
京助と緊那羅が顔を見合わせて笑うと茶の間の戸を閉めた
「なんだ帰るのか」
竜之助が庭にいた阿修羅に声をかけた
「ああ…ヨシコが心配やんきに」
「…吉祥…か」
「オライは呼ばんに吉祥ってはな」
阿修羅が伸びをしてニカッと笑った
「吉祥って呼んだら…ヨシコもアイツと同じようにさせちまう様な気ぃすんのな」
「阿修羅…」
「今更思うけどな」
阿修羅が伸びた髪を掴むと竜之助に背中を向けると竜之助が手刀でその髪を切った
「あんがとさん」
切られた阿修羅の髪が空に舞い上がる
「阿修羅」
「お?」
竜之助とは違う声に呼ばれて阿修羅が顔を向けるとそこには中島がいた
「あ…えっ と」
何かを言おうとしている中島
それを見て阿修羅がふっと笑った
「ヨシコは大丈夫やんきに」
「っ…;」
言おうとしていたことの答えが先に返されて中島が言葉を飲み込んだ
それを見て竜之助が笑う
「押せ押せだぞ中島」
「なっ…!?;」
竜之助に茶化されて中島が赤くなる
「俺も押せ押せでハルミをだな」
「ばっ…ちが…;」
「はっはっはー」
竜之助に阿修羅が加わり更に中島を茶化す
「だあもうっ!!!!;」
「あんがとな…でっかいの」
阿修羅がお礼をいうと竜之助も頷いた
「んじゃまいくわ」
「ああまたな」
すうっと阿修羅が消えた
「さて…」
竜之助が庭から縁側に上がると中島の頭をポフッと叩いて家の奥に入っていった
竜之助に叩かれた頭を中島が触る
チリンと風鈴が鳴った
「なかじー!! なかじー!! どこだなかじー!!」
「おー!!」
坂田の呼ぶ声がして中島が返事をして家の奥に入っていった
また夏が終わる
風に揺れる風鈴が鳴る
きっと明日も風鈴は鳴ってその次の日も
そうやってめぐる季節