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第2話1: 蒼を捨てて:ガランサス

神は存在するのだろうか。

もし存在するなら、それは何者なのだろうか。


なぜ私たちは、神が必ず自分の祈りを聞き、願いを叶えてくれると信じているのだろう。


祈る相手がわからないまま、人は全能の存在をでっち上げて、責任を押しつける相手を作った。


願いが叶えば祈り続ける。

叶わなければ、自分で作り上げた相手に失望する。


つまり、私たちは自分の人生の責任を取るのが怖いだけなのだろうか。


だったら……


私の無力さの責任を、誰に押しつければいい?


いつまで寝たふりを続けなければならないの?


腕が痺れて、枕に脈打つ音が響く。目を閉じたまま、必死で体を動かさないようにしていた。


朝……いや、もう昼近いかもしれない。顔に陽光が突き刺さる。それでも耳に届くのは鳥の声でも台所の音でもなく、少女の柔らかな声だった。


まるで祈りのようだった。


「……お願い……起きて……ごめんなさい……起きて……」


誰を起こそうとしているの? そして何を謝っているの?


どう反応すればいいのかわからなかった。今さら起き上がるのも気まずすぎる。


でも、答えを知らなければならないこともあった。


この子は誰?


そして……ここはどこ?


もしかして私は死んで、異世界に転生した? そしてこの体は今まで昏睡状態だったとか? だったら、どんな顔して目覚めればいいの?


考えは途切れた。昏睡って何かもよくわからなかった。ただ、なんとなくしっくりくる言葉だっただけ。


眠ったことは覚えている。でも休息ではなく、もっと深いところへ落ちていった気がする。そして今、疲れは前よりも強くなっていた。


少女が身じろぎした。痺れた肩に再び彼女の重みがのしかかる。そして誰かの指が、私の指先をそっと、でも息が詰まるほど優しく握った。


季節すらわからない。空気は自分がどうあるべきか決めかねているようだった。


彼女は動かず、私の一部にはその存在が心地よくさえあった。見知らぬ少女とこんなに近くにいることを除けば。


でも、本当に見知らぬ人なの? ママとパパが知らない人を近づけるはずない。少なくとも、家にいるなら。


それに、この子からは全く危害の気配はしない。むしろ、友好的すぎるくらいだ。


私は今目覚めたふりをして、指を小さく動かした。少女は祈りをやめ、頭を上げた気配がした。


ゆっくりと目を開けると、見慣れた天井。そしてすぐ目の前に、少女の顔が覆いかぶさるようにあった。


近すぎる。


彼女の瞳は、睫毛の陰から生まれたふたつの丸い太陽のように見開かれ、慌てて私の手を離した。表情は一秒ごとに喜びに変わっていく……いや、悲しみ? 判別がつかない。下唇が震え、感情が溢れそうだった。


「ヨ、ヨリ……生きてる……」


随分と変わった挨拶だ。この子、間違いなく変な子だよね?


で、私は何て返せばいいの?


「んー……どうやらね」

私は小さく頷いた。


予告もなしに、彼女は飛びついてきた。そして……抱きついた。腕が首と背中に回り、熱く、強く、ちょっと痛いくらいに。


早口で、途切れ途切れに、ほとんど叫びながら耳元でまくし立てる。意味を掴む暇もなかった。


もしかして今は悪いタイミングかもしれないけど……

本当は、もっと静かに話してほしいって言いたかった。


「ほんとに……」


情熱は、言葉を最後まで言わせなかった。


本当に……何? ヨリ? 生きてる? 何を言おうとしたの?


彼女自身と同じく、思考のプロセスも私には謎のままだった。


ところで……なんでこんなにしがみついてくるの?

その質問は喉まで出かかったけど、冷たすぎる気がして飲み込んだ。


そのとき、ドアが勢いよく開いた。今日誰も私の耳を労わってくれないみたい。


「ヨリ……目が覚めたのね」

ママの声が震え、涙がすでに頬を伝っていた。


言葉とは裏腹に、懐かしい顔を見た瞬間、心の底から喜びが溢れた。でも、パパがママを抱きしめながら一緒に泣いているのを見て、本当に驚いた。


少女はまだ私に抱きついたままだった。だから彼女の顔は見えない。ただ、首筋にくすぐったい息がかかるだけ。


マジで……何が起きてるの?


どこかで聞いたことがある。人の人格は記憶でできている、と。嬉しかったこと、嫌だったこと、誇らしいこと、恥ずかしいこと。一粒一粒の砂が「私」という城を築いていく。でも自分の中身は変わっていない気がするのに、外側だけが違うとすぐにわかった。


つまり……私は何を忘れたの?


背中が痛み始めた。私はそっと手を上げ、少女の肩に触れた。でも返ってきたのは、さらに強い抱擁。まるで指が皮膚に食い込むように。


「行かないで」


その一言に、また混乱した。それでも、胸の奥がチクッとした。サッサパリラの蔓が私を包み込むように。守ろうとして、棘で傷つけながら。


「ルイザ、少し休ませてあげて」

ママが少女の肩に手を置いた。彼女は素直に従った。


「う……」


ルイザは、まるで宇宙を漂うようにゆっくり離れた。


ルイザ、か。……それでも何もわからない。でも、離れてくれて本当に楽になった。


顔を上げると、ルイザの顔は真っ赤だった。

緑の髪に映えて、森の中で突然火が灯ったみたい。


珍しい光景……かな。


まあ、いいや。


肘をついて上半身を起こし、ベッドの端に足を下ろす。毛布から出た足の裏を、冷たい空気がチクチク刺す。


「ねえママ、どうしたの? みんなして大騒ぎで」


ママは口をぱかりと開け、目が慌てたように私とパパを往復した。唇の端が震えて、どの感情を見せたいのか決められないみたいだった。


「えっとね……あなた、いつも寝るのが大好きだったでしょ」

「でも今回は、ちょっと違ったの」


「違うって?」

私は眉をひそめた。


その響きが気に入らなかった。


「寝るのが違う」って、どういうこと?


もしかしてこの子、ルイザのせい? 彼女は何を謝ってたの? なんであんなにしがみついてたの?


そればかりが頭に浮かぶ。

解放された後も、まだ温もりが残る手のひらを見つめながら。


「二日近く、ずっと寝てたんだ」

パパが付け加えた。

「アエリスにも診てもらった。体には異常はない。ただ……寝てるだけだって」


アエリスって誰?


いや、ちょっと待って。

二日間ってどういうこと?


状況がどんどんややこしくなっていく。でも私はあえてそこに突っ込まないことにした。だって結局、私は目覚めたんだから。


それより、目の前にいる人たちに意識を向けた。なぜかそれが正しい気がした。それに、昔の自分はこんなことしてなかったような……なんでだろう。


ママの吐息ごとに、耳にかかった髪が小さく揺れる。視線は助けか説明かを求めて彷徨っている。当然、私にはどちらも提供できない。だから私は最初の方を選んだ。


「もう大丈夫だよ」

頬に手を当てて言った。


この言葉、なんか変だった。

一体誰を安心させようとしてるの?


「ご飯食べなきゃ。……水でも飲まなきゃ」

ルイザがぽつりと言った途端、みんなが彼女を見て頷いた。


私は彼女をじっと見つめた。するとルイザは私のパジャマの裾をぎゅっと掴んだ。私の視線か言葉に何を感じたんだろう。やっぱり謎だらけだ。


「そうね、きっとお腹空いてるわよね」

ママが立ち上がる。

「ご飯ができたら迎えに来るからね」


「え、えっと……俺は邪魔だからな」

パパは慌ててママの後を追って出て行った。


今日は妙に気が利く。普段は常識を無視しがちだと思ってたけど……まあ、そこまで気にする必要もないか。


カーテンは開いているのに、部屋は少し肌寒い。窓から入る光の量と温度が釣り合っていない。背中は太陽でぽかぽかしてるのに、前は冷えて震えがきた。ちょっと考えて、赤い石を使おうとしたけど、ルイザがパジャマを掴んでいる手が邪魔でやめた。


「ルイザ? 何か言いたいことある?」


「う、うん……」


それだけ言って、目を逸らされた。


「もちろん、聞いてるよ」


ルイザはベッドに正座するように座り直し、パジャマを離して膝の上に手を置いた。そわそわと体を揺らす。私としてはそんなに聞きたいわけじゃないけど、足をかきながら大人しく待つことにした。


そういえば、このパジャマってどこから……?


「その……ね……」


ごくり、と喉を鳴らした。やっぱり断片的にしか話さないのが好きらしい。明らかに緊張してるけど、理由がわからない。


「つまり……私……」


ルイザは俯き加減でチラチラ私を見ている。まるで「代わりに言って」と頼んでいるみたい。でも私、本当に何を言ってほしいのか見当もつかない。


他人の動機を勝手に想像するのは失礼だ。でも、同時に、真実を見据えるのも怖い。もし私にどうしても対処できないことだったら?


きっともっと単純で、彼女はただ直接謝りたかっただけなんだろう。だって私、寝たふりしてたから聞こえてたって知らないんだもん。少なくとも一部は、確かに。


残された手がかりはそれだけ。それでも、妙に納得できる結論だった。


でもルイザの真っ赤な顔を見れば、私まで不安になってくる。だって、抱きついて「行かないで」って言って、今は目を合わせるのも辛そうなんだから。


どんなに大胆な想像をしても、受け止めるなんて無理。


そうなったら、私、めっちゃパニックになるよね。間違いない。


「ん、んん……」

無理やり笑顔を作った。


待てば待つほど自分で自分を追い詰める。考えれば考えるほど最悪の結論に辿り着きそう。何か言わなきゃ。二人とも気を逸らせるようなこと。


そんな役に立たない思考を抱えながら、ルイザを見た。何かヒントでも掴めないかと。


「ねえ……髪、きれいだね」

緑の髪を指で梳きながら言った。


……最悪、最低のセリフ。安い恋愛小説みたい。でも、ルイザの肩から小さな重しが一つずつ落ちていくのがわかった。少しずつ、楽になっていくのが。


「あ……うん。お母さん……とおんなじ、だから」


お母さん。いい意味なのか、悪い意味なのか。反応から読み取れない。


「そっか、納得」

笑おうと努力した。


沈黙が長すぎる。だから私が主導権を握ることにした。


「ねえ、私たちって友達?」


自分らしくない質問だったけど、どうしても知りたかった。私たちはどんな関係で、彼女はどうしてここにいるの? 私が寝てる二日間に来たのなら、なんであんなに心配してるのかわからない。


でも、もし前から知り合いだったら……いつ?


確かに何かを忘れてる。でも思い出せない。砂に穴を掘っても、波がすぐ埋めてしまうみたいに。


「覚えて……ない?」

信じられないという顔で、ルイザがまっすぐ私を見た。


嘘をついて「全部覚えてるよ」と言った方が楽だった。でも「何を?」って聞かれたら答えられない。


「ごめん、覚えてない」

気まずそうに後頭部をかいた。

「正直、あなたのこと……も、覚えてない」


彼女の瞳を見た瞬間、後悔しそうになったけど、ぐっと堪えた。軽い記憶の霧のせいか、まるで私たちの時間が違う速度で流れている気がした。彼女の顔に浮かんだ哀しみは重いのに、私の胸には何も響かない。


また一つ、人はそれぞれ違う世界を見ているという証拠。


そういえば……昔、すごくぴったりな言葉を聞いた気がする。

「忘れた記憶には気をつけて。あなたの幸せな色は白だから」


……どこで聞いたんだっけ?


頭がさらに痛くなった。


「それが……いいのかも」

ルイザは自信なさげに呟いた。

「それに、私たち……友達じゃないよ」


「そっか」


結局、何も進展しなかった。やっと袋小路から抜け出せたかと思ったら、ただその場でぐるぐる回ってただけだった。


「覚えてなくても……ごめんね」

突然、深々と頭を下げられて、私は思わずよろけた。


言葉を失った。上げかけた両手が宙でふらふらする。振り払うように。


ごくり、と唾を飲み込む。不安がどんどん膨らんでいく。なぜか、謝られる理由を知りたくない。……思い出したくない、と言った方が正しいかも。


「過去は過去でいいよね」って言いたかった。でも、彼女の髪が私の反応のなさに震えるのを見て、逃げ道は塞がれた。


「覚えてなくても、か?」

指を握りしめて、心の中で繰り返した。なぜか胸がざわついた。


「何を?」


「ヨリが……悲しそうだったから……私、怒鳴っちゃって……それでヨリ、寝ちゃって……ずっと起きなくて……もしヨリが……」


言葉は途中で途切れ、残りは涙に飲み込まれた。


彼女は泣いていた。


私のせいで、泣いていた。


周囲の空気よりもずっと冷たい感覚が、肌の隅々まで染み渡った。


つまり、彼女は自分のせいで私が……と自分を責めている。


今から一番怖い質問をしようとした。けれど、言葉は喉の奥で凍りついた。


「……うん」


言葉はいらなかった。

ルイザの必死な抱擁、ママの途方に暮れた瞳、パパの不自然な沈黙。それだけで全部わかった。


私が何も覚えていないと知ったら、普通なら離れていくはずだ。少なくとも私はそうしていただろう。


臆病な考えは、彼女の控えめだけど勇敢な心には住めなかった。


それでもルイザは言った。

やっぱり、二人の中ではずっと彼女の方が立派な人間だった。


記憶が断片的でも、私は共感が苦手だ。どれだけ観察しても、他人の考えはもちろん、気持ちすら理解するのが難しい。


殻を破ろうとしたのが間違いだった?

最初から全部手放していれば、こんなことには……?


わからない。


今、私はどうすればいい?

「君のせいじゃないよ」と、自信がないのに言ってしまう?

それとも泣かせておいて、最後に「よく頑張ったね」で終わらせる?


どっちを選んでも、もう以前の関係には戻れない。どんな関係だったとしても。


それでも……


今の私は、ただ見過ごすことができなかった。

彼女も、誰かも。

理由はわからない。


ただ、そうしたくなかった。


これまで犯したすべての過ちを無視して、私はただ彼女を抱きしめた。

慰めるためじゃなく、二人を傷つけたものをちゃんと受け止めるため。覚えていなくても、感じることはできる。


肩にじんわりと湿り気が広がり、肌を染めていく。

心臓は静かな入り江の潮のようにゆっくりと打ち、

彼女の指が布をぎゅっと掴むざらつきと小さなすすり泣きの合間に、遠くで花火が弾けるような音がした。


「君のせいじゃ……ないよ。私、ここにいる。怒ってない」


最初はもっとちゃんとした、簡単で大人な言葉を言おうとした。

でも結局、本当に感じたことだけを口にした。


「……ほんと、年よりずっと大人だね」


小さな呟きが届いた。ガラスの霜が割れるような、か細い声。

私に言ったのか、独り言なのか、すぐにはわからなかった。


「それ、悪い?」


「ううん」

首を振る。

「むしろ……おかしいくらい」


今まで見た中で一番軽い笑顔で、ルイザは片手を猫の肉球みたいにして涙を拭った。


正反対のようで、彼女は私を選んでそばにいてくれた。


その後しばらく、二人とも何も言わなかった。

すすり泣きはもう止んでいて、窓枠を風が小さく震わせるだけ。

陽射しも少し琥珀色に変わっていた。


すると、ドアが控えめにノックされ、すぐ後にパパがそっと顔を覗かせた。


「ご飯できたよ」

無理やり笑顔を作って。


私も同じように引きつった笑顔を返した。


「ねえパパ、どれくらい聞いてた?」


親を信じたい気持ちはあっても、やっぱり盗み聞きしてたんじゃないかという疑いは消えない。すごく彼ららしい気がする。


「ほっほっほ、愛する娘の会話を盗み聞きする父親がいるかね?」


一見いつもの調子だけど、私は見逃さなかった。

全部演技だってこと。

おどけた仮面の下のクイントは、実はとんでもなく傷つきやすい人なんだ。


クイント?


瞬きした。


いや、後で考えよう。


今を過去に結びつけ始めたら、もう前へ進めなくなる。


両親とちゃんと話さなきゃ。

今を過去にしちゃいけない。


「それで、診てもらった人……ア、ア……アメジスト? あれ誰?」


「アエリスだよ」

パパが口を開ける前にルイザが訂正した。

「エウリエルの従騎士カペラン


私は彼女をちらりと見てから、またパパに戻した。


「従騎士?」


「エウリエルの専属補佐官だよ」


なるほど、エウリエルの補佐官か。

最近本当に忙しくて、会う機会が減ってた。でも、なんで本人じゃなくて?


「エウリエル本人は?」


今度はパパが……なんだか変な目で私を見た。警戒してるのか、じっと観察してるのか、よくわからない目。


「ヨリ、三日前のこと覚えてる?」


三日前?


私はたいてい大したことはしてない。

日は同じように流れ、私は見てはいたけど、そこに留まらなかった。寝て、起きて、また次の日。

その一文で私の人生は全部説明できてしまう。


「えっと……」


答えられない」


「じゃあ別の言い方で」

パパは一拍置いて、頷いた。

「自分の誕生日、覚えてる?」


「どれを?」


数は多くないけど、重要な情報だと思った。


「三回目の」


3が多すぎる。いや、待って。

三回目って……もう過ぎてるの?

私の記憶ではまだ来てすらいないのに。


カレンダーを見たけど、どこかの日付に変な落書きがしてあるだけで、今日が何日かわからない。

でもはっきり覚えてるのは、誕生日が明日だってこと。

二日近く寝てたなら……私、本当にその場にいたの?


頭をかいた。

昨日待ってた感覚があるのに、今はすごく遠い。


誕生日を忘れた。なんでそれだけ?

ルイザの話だと、私は悲しそうだった。どうして?


そして……寝ちゃった。まあ、それはいつものことだけど。


あの日のことを思い出すのはすごく大事な気がした。

でも細部は霧の中すぎて、一つも掴めない。


無力感がどんどん強くなる。

何か掴もうとするたびに、首ががくんと傾いて、首の骨がきしむ音がした。


「……私の中では、まだ来てすらいない」


結局、正直に言うことにした。

問題を一つでも減らせば、心配事も減るはず……か、逆に増えるか。


「わかった」

パパは短く答えて、窓の方に目を逸らした。


説明ゼロの返事に、私は同時に不安と苛立ちがこみ上げてきた。

肩と胃が痛くなる。


せめて何か反応してほしかった。

落ち込むとか、いつものように冗談で流すとか。

でも返ってきたのは、冷たい「わかった」だけ。


大人って、きっとこういう風に振る舞うものなのかも。


こういう瞬間が一番、自分に経験が少なくて、人を理解できていないことを痛感する。


「さて……」

パパが急に背筋を伸ばした。

「じゃあエウリエルが帰ってきたら、もう一度お祝いするしかないな!」

親指を立てて、にやり。


祝うだけなら確かに理にかなってる。

でもこれは解決じゃなくて、ただの逃げだ。


彼の態度に、じわじわと苛立ちが募る。

まるで全部決まった上で「これからこうするよ」と通告されてるみたい。


「ちょっと待って」

彼が何かする前に言った。

「知りたい。なんで彼女がここにいるの?」

ルイザを指す。

「エウリエルはどこ? それに……なんでパパ、変なの?」


雨に打たれたみたいに体が震えた。

胸の奥で何かを繋ぎ止めていた糸が、ぷつんと切れた気がした。胸が空っぽになる。


私だけが知らされていないのは不公平だ。

みんなが本のあらすじを共有してるのに、私はタイトルしか知らないみたい。


長い溜息がパパの唇から漏れ、肩が落ちた。


「エミを待たせないで、昼ごはんの後にしよう」


声がさっきよりずっと硬い。

反論の余地なんてない。

やっと開いた本を、ぱたりと閉じられた。


ルイザはすぐベッドから降りて、手を差し出した。きっと降りるのを手伝うつもり。


「行く?」


返事を待たずに掴んで、ペットを連れてくみたいに引っ張りそう。

私の言葉、彼女には全然響いてない?

友達じゃないなら、いったい何?

たった二日でどんな関係になれるの?

それともまだ罪悪感を抱えてる?


……私の言葉、役に立たなかったんだね。

まあいいか。


軽い気まずさを押し殺して、ルイザの手を取って床に降りた。

彼女の顔が強張り、肩がびくっと震えた。自分でも覚悟できてなかったみたい。


「自分にできないことは人に押しつけないで」って言いたかったけど、

結局手を離して、一人で出口に向かった。


パパを横目に通り、階段へ。

この程度で変わるはずない。体力も筋力も相変わらず。

相変わらず、果てしなく見える。


いつものように、ため息が漏れる。


「大丈夫……できるよ」

ルイザが励ますように。


一瞬、本当に昔できたのに忘れただけかもって思った。

でもパパのくすっと笑いが、現実に引き戻す。


「ありがと。でも応援されても自信は湧かないかも……」


「ヨリは昔から運動音痴だったからね」

腰に手を当てて笑う。

「今はなおさらだ」


余計な言葉もなく、パパは私の脇の下に手を入れて肩車してくれた。

この小さな仕草だけで、何かがまだ変わってないってわかった。


こうして三人で下のキッチンへ。

そこでは、ママが頬杖ついて、空中でフォークを水の触手みたいに回してた。

相変わらず実用的な魔法。……実用的って言葉で合ってるのかな。


疲れた顔を見れば、降りるのに時間かけすぎたのが一目でわかる。


「やっと来た?」

フォークを皿に戻しながら。


「ヨリが服を選ぶのに時間かかっちゃってさ」

パパが冗談っぽく。


「へえ? それで同じパジャマなの?」


ママの視線に縮こまる。

怒ってるわけじゃないのに、なぜか謝りたくなる。


「ごめん……パパと話したくて」


「まあ、彼が話せるなんて思わなかったわ」

くすくす笑って手を振る。


「ちょっと!」


過去のことは置いといて、ママはいつも通り。

本当に何も知らないのかも……いや、ないない。


でもこの日常っぽいやり取りが、ひとつ大事なことを教えてくれた。

いきなり答えを求めるのは無理。

ドアを蹴破っても、中の人は喜ばない。

ノックして、開けてくれるのを待つしかない。


パパは私を肩から下ろして椅子に座らせた。

いつもなら隣に座るのに、今日は向かいに。

間に空いたスペース。

それより驚くのは、ママも家長席に座ってないこと。

ママとパパが並んで座ってる。


じゃあルイザが家長に即位?

一瞬笑いそうになった。

でも彼女は私の横に、許可を求めるみたいに視線を合わせてから、そっと腰掛けた。


まあ、いいけど。


冬ならもう暗くなってる時間なのに、外はまだ明るい。

窓がまぶしく反射して、雲は真ん中が暗く縁が白く、間から澄んだ青空が覗く。

キッチンではいつものようにパパが喋り倒し、ほのかに料理の匂いが漂う。


私の前には胃に優しい野菜ご飯と水のコップ。

会話にはほとんど参加せず、コップを手に取って一口。

ぬるくて、ちょっと錆の味がする。


私が寝てる間に家の水まで歳を取ったみたい。

……それとも、いつもこんな味だった?


食事が終わり、ママが宙に浮かぶ水の球で皿を洗い終わると、

私はもう部屋に戻ろうとしたけど、パパが肩をポンと叩いて横に促した。


何するのかな、と思ってついていく。

もちろんママとルイザも。


物置に向かう様子が妙にこそこそしてる。

まるで恐い秘密が隠されてるみたい。

でも犬がいないし、誘い出すお菓子もない。

そんなことを考えながら。


自分の部屋と両親の寝室、風呂、キッチン以外を見るのは初めてかも。

パパ以外誰も何をするかわからないから、みんな同じくらいドキドキしてる。


私はすぐ後ろについてた。

ドアが開いた瞬間、冷たい空気が肌を直撃。

まるで狙ったように皮膚の下に潜り込んで、意外と気持ちいい。


「確かここら辺にあったはずなんだよな……変だな……」

ぶつぶつ言いながら、引き出しをひっくり返して大混乱。


ママが無言で見つめるだけで、私は胃がキリキリした。


「後でちゃんと片すわよね?」


「うんうん、もちろん」

探す手を止めない。


何を探してるのか知らないけど、ママの顔を見る限り、命の恩人レベルの価値はありそう。


「もしかしてここか……?」


また数山の荷物を積んだ後、にやりと笑みが浮かんだ。


「ほっほっほ、やっぱりここに隠してた。俺って天才だろ」


しばらく自分で自分を褒めてて、私もつい吹き出した。

これこれ、知ってるパパだ。

布袋から何かを取り出し、ぺちゃんこの紙みたいなものを私に差し出す。


「それ、何?」


「俺が自ら干した、特製乾燥ヘリオン。砂糖を十二個も入れて、より甘く仕上げてみたんだ……」


「だから砂糖が全部消えたのね」


「え? へへ……」


いつもの夫婦喧嘩は置いといて。

ルイザまで驚かなくなってる。

いつから慣れたんだろう。


まあ、どうでもいいけど。


ママはパパの亡骸(?)を叱りつけていて、私のほうなんて見向きもしない。

だから私は床に転がる布袋から、最後の一枚の干しヘリオンをそっと摘み上げた。


可哀想に、パパの努力の結晶が床に散乱してる。


べたべたと皺だらけのそれを手に持って、蛾が灯りに吸い寄せられるみたいに、ゆっくり口に運んだ。


砂糖が舌の上でとろけて、薄い甘い膜を残す。

ヘリオンの味は……何かに似てる。


りんご、かな。

あまりにも馴染み深いのに、はっきりと思い出せない。

記憶がすぐ横に立ってこちらを見てるのに、近づいてこない感じ。


「ルイザ、これ食べたことある?」


「うん。お父さんがよく作ってくれて……」


「そっか」


それが正解だった。

いくら頑張っても顎の力が足りなくて、小さくても噛み切れない。

顎が痛くなり、手がねばねばになるだけ。

結局、丸呑みするしかなかった。


「よかったら……半分こしない?」


「え?


言った途端、ルイザがヘリオンの反対側に顔を寄せてきた。

私が噛んでいるすぐ隣に。


目、鼻、唇がすぐそこ。

ちょっと顔を動かせば触れてしまう距離。


なんで?

変じゃない?

彼女なら簡単に真っ二つに引き裂けるし、普通に噛み取れるのに。


そんな考えが頭をぐるぐる回る。


ルイザは躊躇なく、むしゃむしゃと噛み始めた。

噛むたびに髪と額が私に近づいてくる。


喉がきゅっと縮んで、緊張が全身を刺す。


このヘリオンがなくなったら……次はどうなるの?


いや、私の方がおかしい。

女の子同士でこんな距離、普通にドキドキするなんて。


そう思って、私はヘリオンから顔を離し、一歩退いた。


「ちょっと甘すぎ……」

唇を拭いながらぼそぼそ。


「え、本当? じゃあ私がもらうね? ありがと」

ルイザはぱっと体を起こして、残りをぱくり。


首の後ろが熱い。

鏡を見なくても、自分が真っ赤になってるのがわかる。

肩をすくめて背を向けた。


「気に入ってくれてよかった」

横を向いたまま呟く。


きっと横から見たら、ひとりでニヤけて見えたはず。

唇が勝手に緩んで、止められなかった。


耳を澄ますと、ママがため息をついて説教を終えた音だけが聞こえた。


肩越しにちらりと見る。


ルイザがヘリオンを口に含んだまま固まってる。

頬は耳まで真っ赤で、咀嚼すらしてない。

動かせるのは目だけみたい。


……ああ、恥ずかしさは伝染してたんだ。私だけじゃなかった。


「また二人で隅っこに逃げてるの?」

ママがこめかみを押さえながら。


その声で、二人だけの小さな世界が強制終了。

急に寒くなって、指先が凍えそうになった。


まさか見てた……?


「ううん、なんでもない。手がべたべただから洗おうと……」

両手を掲げてみせる。


ママは無言で頷くだけ。

すると薄い水の膜が私の手のひらを包み、砂糖を吸い取って、ぱっと消えた。


……これって魔法の正しい使い方なの?

いや、正しい使い方ってあるの?


「ルイザ?」


「い、いえ! 私のは綺麗です! 触ってません!」

両手をぶんぶん振って風車みたいに。


いつの間にかヘリオンは口から消えてた。

吐いた? 飲み込んだ?


「ふーん」

ママがにやり。

「私の娘より賢いじゃない」


「ちょっと!」


文句を言おうとしたけど、二人して笑ってるし……まあ、壊したくない。


それから気づいた。

ルイザの唇と頬に、うっすら光る甘い跡。

私だけじゃなくて残ってて、なぜかすごく満足。

ママも気づいて、次の瞬間、ルイザの顔に剃毛クリームみたいな水の泡がぺたっと張りついた。


……クリーム? まあいいや。


ルイザも初めてらしく、目と口を丸く開けて、両手をゆっくり顔の前で動かすロボットみたい。


パパは……一番安全な選択をしてた。完全に死んだふり。

いつもはねてる髪が床にへばりついて、松ぼっくりに見える。


「さて、女の子たちはもうお昼寝タイムよ」

ママが私とルイザの肩を抱えて、階段へ押し出す。


「パパは?」


「クイントにはまだ片づけが残ってるわよね? ねえ、あなた?」

目が笑ってない。


パパはぺたんと正座して首をすくめて、

「はい、奥さん……」と犬みたいにしょんぼり。


「よろしい」


こうして私たちは二階へ戻った。


「私は他人と生きる運命じゃない」


突然浮かんだ言葉だった。

掴もうとしたときにはもう消えてて、ママとルイザが入ってきたとたん、薄暗い部屋の空気も晴れた。


……そういえば、ルイザってどこで寝てるの?


考える間もなく、背中にぬくもりがぴったりくっついた。

続いてママの細い腕が首に回って、ぎゅっと引き寄せられる。

長い髪が肩を越えて流れ落ち、夜のヴェールみたいに私を包む。

ママは私の首筋に顔を埋めて、鼻をすんすん。


「ママ、ちょっと……」


「もうあんな寝方しないでね?」


「え?」


みんなといる短い時間で、すっかり忘れてた。


忘れちゃっていいことだったのかな。

わからない。

でも今、ママの小さな震えを感じながら、そんなこと考えたくなかった。


「大丈夫だよ」

ママの手の上に自分の手を重ねて、励ますように。


「前も同じこと言ってたわよ?」

頬を指でつつく。


「え……あはは……」


笑」


笑っていいのか泣いていいのかわからなかったけど、

先に笑いが漏れた。


相変わらずママの目はまともに見られない。

正直になれない子どもみたい。


でも……私、本当に子どもなんだから、

それでいいよね?


「いたーっ!」


「全然笑い事じゃないわよ」

ママが頬を引っ張りながらぼそり。


「わかった、わかった」

ママが手を離すと、私は必死で頬をさすった。


ママは小さくため息をついた。

そして、ふわりと舞う羽のように指先が頭に触れ、そっと掌が降りてきた。

髪を撫でる手はあまりに優しくて、動いているのは手なのか髪なのかわからなくなる。


「もう、ずいぶん昔のことね」


何のことを言ってるのかよくわからない。

でも、なぜかその言葉は聞き覚えがある気がした。

背中を向けたままなので、どんな顔で言ってるのかは見えない。

それでも、少しだけ安心した。


「さあ、おやすみの時間よ」


顔を上げるのに、相当な勇気がいった。


「ルイザは?」


「二人で一緒に寝るわ」


「……へえ」


耳を疑った。

夜は一日の半分以上を占める。

自分の部屋を持ってから、初めて誰かとその時間を分ける。


いや、ちょっと待って。

どっちから見ても変な言い方だ。


聞き間違えたのかな。

でも「二人で一緒に寝る」の、どの言葉を聞き違えるっていうの?


小さく首を振ってみたけど、揺れる髪も、聞いた言葉も、全部現実だった。


つまり……本当に一緒に寝るんだ。


何を言われようと、別の女の子とベッドを共にするって、なんだかドキドキする。

……また変な言い方になった。


結局、考えるのに疲れた。

冬って、どうしてこんなに眠いんだろう。

いくら寝ても寝足りない。

体が「冬眠させて」と言ってるみたい。

できたらいいのに。


まあ、いいや。


こういう受け身な性格、昔からだったっけ?


そんなことを考えながら、ルイザと並んでベッドに入った。

ママが部屋を出ると同時に、私たちの声も消えた。

風もやんで、雪はただ無力に落ちて、地面にぶつかって白く染めるだけ。


ルイザ、もう寝てるかな。


振り向いて確かめたい衝動に駆られたけど、やめた。

でも体は勝手にそわそわと動き、眠気はどこかに吹き飛んだ。


目を閉じてみる。

……全然寝られない。


すると、隣でマットレスが沈み、毛布がぴんと張られた。

誰かに見られている気がして、目を開ける。

まだ焦点がぼやけている。

そして……


「虫が着地するみたい」

ルイザが毛布に頭から突っ込んでいた。


「失礼ね」

顔を上げてむくれる。

「ヨリが寝てるか確かめたかっただけなのに……」


「寝てるよ」


「嘘つき……」


「ひどい」


……で、何が言いたかったの?

まあ、どっちにしても答えは出た。ルイザは起きてる。


月明かりで半分だけ照らされた顔からは、何を考えているのか読み取れない。


背後の月が大きくて明るくて、手を伸ばせば届きそうだった。

冷たい空気に光が散って、雪が星屑を撒いたみたいにきらめく。


真夜中の青い空を見上げて、ふと思い出した。

昔、同じ季節なのにオレンジに見えたことがあった。

……いつだっけ?


ゆっくりと上半身を起こし、毛布の上にうつむく。

ルイザも少し離れて、向かいに座った。


「で……何か用?」


「うん……やっぱり、謝りたくて……」


デジャヴのような感覚に、ぼんやりと彼女を見つめる。

前回は泣き虫みたいにしがみついてきたのに。


……って、こんな風に思うの失礼だよね。


でも、今のやり方のほうがずっと好きだ、とは言っておきたかった。


目を細めて、小さく息を吐く。


「謝る? どこかで聞いた気がする」


「孤児院の子たちがやってたのを見て……でも、すごく気まずいね」

両手で顔を覆うけど、耳が赤く染まってるのが見えた。


きっと大事なことを言おうとしてるんだろうけど、

さっぱりわからない。


何を?

どの子たちが?

孤児院って?

何の話?


普段はなんでも適当な私でも、少しだけ考えてみることにした。

でも眠い頭に無理やり働かせるのは辛い。


……孤児院?


「じゃあ、私の義妹?」


妙に納得できる流れに思えた。

孤児院→うちの家族に→一緒に寝る。

これ以外にないでしょ。


「え? ……違う、と思う。いや、ちょっと違う! 違うよ!」

慌てて否定される。


「そっか」


わかってないのは明らかだけど、めんどくさくて突っ込まなかった。


「抱きついたことと……ヘリオン、ごめんね」

ほとんど囁き声。


「ん? あ……いつもあんな感じなの?」


「ち、違う! ヨリが……はじめて、だから……」


一瞬、心臓が跳ねた。

肩が小さく震える。

暗くてよかった、顔が熱いのバレなくて。


「そっか……でも、そういうのは仲いい人同士でしたほうがいいよ」


人はいつから「友達」になるんだろう。


手を差し伸べて「友達になろう」って言っただけで繋がるほど単純じゃない。

自分の好みと、相手への勝手な想像だけで選ぶのは、始まりにすぎない。


いつの間にか友達になってることもある。

何年も「友達」と呼び合って、実は全然そうじゃなかったこともある。


結局、すべての始まりの動機は同じ。

孤独から逃れるため。

人は一人じゃ生きられないって、自分で決めたから。


でも……それって、本当に価値があるの?


血縁も、友情も、恋愛も。

どれも「相手を傷つけても許される免罪符」みたいなもの。

殺人許可証みたいな。

笑えるけど、真剣に考えてみると、

生きる意思のない存在って、本当に死よりマシなの?


信頼って、私たちが他人に贈れる一番高価なもの。

それを失ったら、自分自身の一部も失う。

……たぶん。


じゃあ、その繋がりっていつ、無意識に生まれるの?


今みたいな瞬間?

さっきの数十秒?

それとも……今朝のあれ?


正直、もっと距離があったほうが気楽だったかもしれない。

でも、もうルビコンは渡っちゃった気がする。


「私……もう、誰もいなくなっちゃった……」


小さな囁きが届いた。

夏の風みたいに儚くて、秋最後の葉みたいに孤独で。

季節を感覚だけで当てようとするみたいに、私は少しだけ自分の中に沈んだ。


誰もいなくなった。


私の胸のざわめきには、ちゃんと理由があった。

見た目よりずっと深い場所から湧いてくるもの。

感じる……感じてるのに、言葉にできない。


同情? ただの哀れみ?

わからない。

でも、胸を突然殴られたような、この嫌な感じは確かだった。


「……じゃあ、一緒にいようか?」


「……え?」


ぽかんと開いた口、目を見開いたときに額に寄った皺。

衝撃を受けてるのが丸わかり。

私だって、自分が何を言いたかったのかよくわからなかった。

励ましでも、無関心でもない。

じゃあ何なんだろう。


「いや、違う、そういう意味じゃなくて……

私にもよくわからない」

ため息をついて、うつむいた。


きっと彼女が聞きたかった言葉じゃない。

そもそも、返事を期待してたわけじゃないのかもしれない。

ママだったら、きっとただ抱きしめてた。

私は……ただ、本当に感じたことを口にしただけ。たぶん。


「いい……の?」


小さな、怯えたような声。


私はこくりと頷いた。


毛布の上で自分の足のシルエットを眺めていると、

暗闇に慣れた目に、小さくて細いものが浮かび上がった。


小指だった。


ルイザが、そっと差し出していた。


ゆっくり、ためらいがちに顔を向ける。

彼女の顔に、笑みが浮かんでいた。

あまりに唐突で、子どものように無邪気で、

私の口が自然と小さく開いた。


私も小指を立てて、ゆっくりと手を伸ばす。

でも、絡めるんじゃなくて、

先っぽと先っぽを、そっと触れ合わせた。


脆くて、でも確かに本物。

そんな約束。

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