願うこと
助けないと。私が助けないと!
ポツポツと雨が降り始めた中、再び全力で走り始めた夕夏の胸の中には、悠馬を助けたいという気持ちしかなかった。
自分じゃダメだ。悠馬よりも弱い夕夏が助けに入ったところで、結果は変わらない。
悠馬くんを殺されたくない。悠馬くんとまだ一緒にいたい。悠馬くんと話したい。
悪羅から感じる恐怖よりも先に、悠馬への想いが先行した夕夏は、辺りを見回しながら声をあげる。
「誰か居ませんか!助けてください!お願いします!悠馬くんが!」
1つの隣の大通りへと出た夕夏は悲鳴にも近い叫び声を上げながら、雨の降る道路を走る。
「誰か!誰か居ませんか!?」
時刻はすでに22時を回って居て、生徒が出歩かない時間帯。
加えていうなら、ここはオフィス街であって、学生の寮からは少し離れている上に、交番も遠い。
当然、そんなオフィス街の中を歩いている生徒や大人などいるはずもなく、夕夏の叫びは、ビルに吸収されて、虚しく消えていく。
しかし、夕夏は諦めない。
大好きな人を助けるために、次は自分が悠馬を守るために、雨で濡れる道路を走る夕夏は、オフィス街から抜けて助けを呼ぼうとする。
どうして?なんで人がいないの?
叫び続ける夕夏は、今が補導時間を過ぎていることなどすっかり忘れ、人がいないことに苛立ちを覚えながら走る。
「誰か!!!誰でもいいから!いたら返事してよ!!」
どこに行っても人気はない。動物すらいない。
徐々に強くなる雨足の中、夕夏は恐怖を感じながら、泣き叫んだ。
「誰か!!悠馬くんを助けてください!」
このままだと、絶対に悠馬くんが殺されちゃう。
それだけは絶対にやだ。
初めて好きになれた。初めて愛せた相手をなくすなんて、絶対に嫌だ。
「なら、一緒に死ねば全て解決じゃない?」
助けを求める夕夏のもとに、ようやく聞こえて来る声。
しかし夕夏は、喜ぶというよりも、苦しそうな表情を浮かべて、足がもつれ地面へと倒れ込んだ。
ドシャッという音と共に、夕夏の着ていた白い洋服に泥が染み、顔も泥だらけになる。
膝からは擦りむき血が流れ、綺麗だった肌はボロボロで、顔もぐしゃぐしゃだ。
そんな中で夕夏は、自身の耳から聞こえてきた声の主を探しながら、頭を抱えた。
頭が痛い。まるで頭をかち割られたような、視界が歪んでくるほどの痛みだ。
ふらふらと立ち上がり、油絵のようにドロドロと溶けていく景色を見た夕夏は、それでも声を上げ続ける。
頭が痛いなんてどうでもいい。先ずは助けを呼ぶことが最優先だ。
「助けなんて来ないでしょう?これだけ探しても、人っ子ひとりいないこの島で、助けが来ると、お前は本気で思ってるのか?」
夕夏の耳に聞こえて来る声。
しかし、夕夏の周りには誰もいない。
そもそも、この声は夕夏にしか聞こえていないのだ。
自分の頭に直接問いかけて来る声。それは天照のものでもなければ、聞き覚えのある声でもない。
「うるさい!黙っててよ!貴女は誰!?」
口を開けばマイナス発言。
一緒に死ね、助けは来ないなどという言葉を並べる声に苛立った夕夏は、声を荒げながら再び地面へと転ぶ。
「お前の好きな奴は、時期に死ぬ。ならばお前が殺して、一生自分のものにした方がいいんじゃないのか?大変だろ?いつもいい子ちゃんでいるのは。対価としてあの男を殺したって、誰もお前に何も言わねえよ」
「うるさい!黙れ!」
ひとり道端で叫ぶ夕夏の姿は、まさに頭のおかしくなってしまった女子そのものだ。
頭の割れるような痛みを堪えながら、這いつくばるようにして助けを呼びに行こうとする夕夏の表情は、結界事件の時よりもはるかに歪み、そして苦しそうだった。
「殺せ。殺せ。それが嫌なら一緒に死ぬべきだ。そうだろ?手の届かないところに行く前に、自分のものにしよう?お前には欲がなさすぎる。欲しいものは他人から奪って、殺して、踏みつけてでも手にしなくちゃいけないんだよ」
「黙れ!黙れ!お前が死ね!」
耳元で囁かれるような、奇妙な声。
それに限界がきた夕夏は、耳を塞ぎ、地面に頭を叩きつけると、その場で項垂れる。
「誰か…助けてよ…なんで誰も助けてくれないの…なんで誰もいないの…お願いだから助けてよ…」
派手に転んだせいか、夕夏の足からはかなりの出血が見られる。
普通の女子生徒であれば、泣き叫んで動けなくなるほどの量だ。
いつも綺麗な容姿、汚れひとつない服を着ている夕夏からしてみると、今の泥だらけの薄汚れた姿というのは、想像もできないものだろう。
頭の激痛と、足の痛みで動けなくなってしまった夕夏は、雨足が強くなる中泣きながらその場で助けを求める。
「美哉坂。お前、こんなところで何してる?」
「っ…!」
不意に聞こえた声。
夕夏が顔を上げると、そこに居たのは、傘をさしながら立ってい2人の人物だった。
そして片方の人物は、夕夏もよく知る人物。
第1高校の1年Aクラスを担任する千松鏡花だ。
鏡花は異能を使い、周りに暗示をかけているものの、実際は総帥秘書という地位につき、総帥がいない場合な日本支部を取り仕切る立場にある極めて高位の実力と、そして知能を持った人物だ。
そして鏡花の隣にいる仮面の男。
今年度より日本支部でと配属になったこの男の名は、死神。
不気味な道化のような仮面をつけて立っているその姿は、通常の夜道で遭遇するとお化けを見たと泣き叫ぶほどのレベルだ。
彼も鏡花と同じく、日本支部でかなり上に位置する役職を得ている。
日本支部冠位・覚者、道化の死神。
現在世界に7人しかいないと言われる覚者の1人で、異能王から直々に冠をもらい、その役職に座す人物。
実力的には、総帥と異能王の間、つまりは異能王の次に強いとされる位置にいるのが、この男だ。
そんな2人が、何の運命か、夕夏の目の前に現れた。
もちろん夕夏は、鏡花が実は総帥秘書であることや、死神が冠位であることは知らないのだが、それでも、学生と遭遇するよりは、大人と遭遇した方が安心感が増す。
「先生…!先生!助けてください…!悠馬くんが…悠馬くんが!」
鏡花がしゃがみ込み、夕夏へと傘を差し出すと、彼女は傘のことなど無視して、鏡花へとしがみつく。
今まで抑えていた不安を吐き出すように号泣する夕夏。
彼女を抱きかかえた鏡花は、教師というよりも、お姉さんという表現が似合う態勢で、夕夏の背中をさする。
「落ち着いて話せ。何があった?ゆっくりでいい。状況を説明してくれれば、あとは私たちが何とかする」
「悠馬くんが…Aクラスの…暁悠馬くんが…悪羅と戦ってました…助けてください!」
ゆっくりと、吐き出すように悠馬のピンチを告げた夕夏は、鏡花の肩を強く握りしめながら、嗚咽を堪える。
「…!!悪羅が…」
「どの辺だ?俺が何とかしよう」
「突き当たりを…右に曲がった大通りです」
「待て!お前1人で行かせるわけにはいかない。相手は異能王すら殺す力を持っている人物だぞ?いくらお前が強いと言えど、1対1で悪羅と事を構えるのは、厳しいだろう」
夕夏の情報を頼りに、傘を夕夏の横に置いた死神は、隣の大通りへと向かおうとする。
そんな死神を止めたのは、鏡花だった。
冠位・覚者の死神。彼が冠を手にするキッカケとなった出来事は、全ての総帥たち、冠位たちに衝撃を与えた。
異能王の王城の前に、国際指名手配犯たちの生首を並べ、そして冠位にしろと言ってきたのだ。
当然のことだが、そんな得体のしれない奴を世界の中心近くにおけるはずもなく、異能王直轄の護衛部隊、戦乙女が戦闘。
そして全員が無力化され、異能王と互角に戦い、実力を認められて冠位となったと聞いた。
しかし、そんな死神でも、異能王を殺せる輩との戦いはギリギリのものとなるだろう。
そう判断した鏡花は、夕夏に傘を握らせると、死神に続こうとする。
「お前の仕事は何だ?忘れるな。その女の護衛だろ?俺の仕事がこの島の統括。島の不手際は全て俺の不手際だ。お前は自分の仕事を遂行しろ。俺は俺の仕事を遂行する」
「っ…本気か?本気なら止めはしないが…」
鏡花の申し出を断った死神は、彼女にひらひらと手を振ると、その場を後にする。
「先生…私も…連れてってください」
死神が立ち去ると同時に、顔を上げた夕夏は、悠馬のことが気になるのか、連れて言って欲しいと申し出る。
「悪いが、ダメだ。それをすると怒られるからな。夕夏、眠れ」
「せんせ…」
ダメだと言っても言うことを聞きそうにない夕夏を、異能を用いて眠らせた鏡花は、眠っている彼女をおんぶすると、セントラルタワーを目指して歩き始めた。
「死神。武運を祈る」
***
「ゆっかいだな〜ゆっかいだな〜」
かなり雨が強くなり、地面には水たまりができている中、傘もささずにバシャバシャと飛び跳ねる黒髪の男、悪羅百鬼は、血を流しながら動かない悠馬を見下ろして、満足そうに距離を取り始める。
「帰ろうかな?」
今日は特に事を構える気のなかった悪羅だが、悠馬と戦い、それなりに満足したのか、異能島から立ち去ろうとする。
そんな中で、悪羅は上空から現れた黒い影に、気づかなかった。いや、気づけなかった。
悪羅の真上、つまりはビルから飛び降りてきた黒い影は、悪羅の腕を斬り落とす。
「った〜…今日は次から次へと、襲われるな〜。異能島って、かなり物騒だったりする?」
「フフ…物騒なわけじゃない。ただ、犯罪者には容赦しない島なんだよ。ここは」
悠馬に襲われ、そして死神に襲われた悪羅は、まるで自分が悪いことをしていないのに突然襲われたかのように話し、おどけて見せる。
「ところで悪羅百鬼。キサマは今日、此処に何をしにきたんだ?人殺し?気まぐれか?それとも純粋に異能祭の観戦?」
「そりゃあもちろん、最後者でしょ。楽しかったよ〜、みんな俺のことに気づかないんだもん!平和っていいね!」
死神へと数本のナイフを投げた悪羅は、自分が観戦に来たと告げる。
そのナイフを全て受け止めて見せた死神は、悠馬が使用していた鳴神を使用すると、雷を纏いながら悪羅へとナイフを投げ返す。
「平和から最もかけ離れた男の発言とは思えないな。だが残念だったな。此処にきた時点でお前の敗北は決定している」
「はあ?そんなわけねえだろ?ふざけてんのかお前」
別に虚勢でも、ふざけているわけでもない。
死神という人間の異能は、他人とは比較にならないほどの種類、そして火力を誇っている。
まず、異能と言われて真っ先に思い浮かぶのは、6大属性。炎、氷、雷、風、聖、闇。その6つの全てを死神は使用できる。
その上、彼はその6大属性全てにおいて覚者というとんでもない異能の持ち主で、他にも連太郎の保有する聴覚強化や、加奈の保有する千里眼なども使いこなす、とんでも異能力者なのだ。
そんな彼が、万に1つも負けるということはないだろう。
それが、相手が悪羅であったとしても、だ。
「すぐにわかるさ。お前と俺の実力差は」
「そう?でも負けるとは思えないなぁ…そもそも、俺はこの場で戦う気はない」
死神の煽りに乗りそうな様子だった悪羅は、冷静さを取り戻したのか踏み止まると、死神から距離を取り、撤退しようとする。
「ならば此処で無抵抗のまま自首しろ。それができないなら斬り刻むまでだ」
「あははは…酷いなぁ君。君、友達いないでしょ?性格歪んでるもん」
「お前には言われたくないな」
一歩後ずさった悪羅に容赦なく斬りかかった死神は、自身の振るった刀の刀身が空中を舞っていることに気づき、後方へと飛ぶ。
「っ…闇か」
「そうそう。俺の闇は、この世界に生きるどの人間よりも欲深く、そして憎悪を溜め込んでいる。君がどんな異能を使ってこようが、俺はこの闇1つでその全てを消してみせよう」
悪羅の異能。
それは死神の予想よりも遥かに異常なものだった。
万物を飲み込み、無に還す。
その領域に至っている闇の異能など、聞いたこともないし見たこともなかった。
覚者でしか辿り着いていない領域に立っている悪羅の脅威を再認識した死神は、黒い渦の中に消えていく悪羅へと氷のナイフを投げつける。
「次会うときは、どちらかが死ぬ時だね。それじゃあ、またいつか」
勝ち誇ったように逃げていく悪羅。
その光景を見ていた死神は、舌打ちをすると、背後で血を流しながら倒れている悠馬へと近づく。
「さすがはシヴァの結界。即死量のダメージを負っても、見事に再生してみせたか」
悠馬の服に空いている穴と、そこから流れ出た後の血液を目にした死神は、彼の再生能力に関心をしながら、めんどくさそうに悠馬を抱きかかえる。
「十河か間宮。聞こえているか?悪いが少し野暮用ができてしまった。話し合いに遅れるが了承してくれ」
悠馬を抱えた死神は、理事会のメンバーである十河と間宮に一方的に話を告げると、耳につけていた無線をオフにして、その場を立ち去った。




