船上にて
澄み渡る空。青く輝く海。爽やかな風。
悠馬は今、その三拍子が揃った奇跡の空間にいる。
日本支部が保有する10隻の豪華客船のうちの1つ。その船に乗り込んだ第1異能高等学校の生徒達は、束の間の休息を楽しんでいた。
先ずはこの豪華客船の説明からしていくとしよう。この豪華客船の全長は300メートル。中には大きなパーティー会場や、バー、巨大なお風呂に、有名な作家のための書斎、客室などが完備されている。そして甲板にはプールやビーチチェアなどが用意され、学生に使用が許されているとは思えないほどのクオリティだ。
普通に乗るなら、数百〜数千万円を覚悟しなければならない。
そんな船を、学生のために貸し出しているのだから、日本支部がどれだけ学生を支援したいのかがひしひしと伝わってくる。
まあ、そんなことはどうでもいいんだけど。
日本支部が何を望んでいるかなど全く興味のない悠馬は、甲板の手すりを掴み、海を眺めていた。
「気持ちいい…」
5月が始まって間もないというのに、ギラギラと照りつける太陽が船の甲板を、ほんのりと熱したホットプレートのように温めている。
5月でこれだけ暖かいのだから、夏場は地獄になること間違いなしだ。
太陽が照りつけてはいるものの、幸いなことに風が吹いているため、体感温度的にはそこまで高くない。
加えて言うならば、悠馬は自身の異能で上がりきった体温を下げることが可能だ。
そんな悠馬は、わざわざ太陽を避ける必要性がないため、こうして最適な温度で、心地よい風に吹かれながら黄昏ていた。
周りを行き交う、二、三年生の先輩達の賑やかな声。片手にはジュースを手にしている生徒や、フルーツを手にしている生徒の姿も見える。
勿論、無料なわけではない。一律200円という極めて安い値段がつけられているが、本来であれば4桁を超える値段がつけられるような商品である。
それを知っている先輩達は、ここぞと言わんばかりに飲み食いし、楽しんでいるご様子だ。
制服の生徒もいれば、体操着の生徒や、海パン、ビキニ姿の生徒達もチラホラと見える。
ここから合宿先までは3時間ほどかかる為、それまでとことん遊び倒す気なのだろう。
大はしゃぎで駆け回る生徒達を見ながら、悠馬はゆっくりとした時間を過ごすはずだった。
そう、コイツらが来るまでは。
「はぁ…はぁ…やっと見つけたぜ!悠馬!ちょっと付き合え!」
「ごめん、俺は心に決めた人がいるから付き合えない」
船に乗り込んでから、30分ほどが経過した頃だった。早く到着した生徒から入場ゲートで荷物を渡し、乗船という形だった為、本日顔を合わせるのは初だ。
黒髪の小柄な男子生徒、桶狭間通は、お願いがあるのか、それとも急ぎの用事でもあるのか、大きく息を切らして悠馬の前へと現れた。
「告白じゃねえよ!俺様は男には興味ねえんだ!」
面倒ごとに巻き込まれそうだと察した悠馬が冷たく遇らうと、通は怒鳴りながらズカズカと近づいて来る。
「なんだよ…」
至近距離まで近づいてきた通。背後には、ものすごく疲れた表情をした八神が見える。
おそらく通が暴走しないように引き止めていたのだろう、なにもかも諦めたような瞳で、通を見ている。
「女湯覗こうぜ!」
「却下」
ロクでもない話をされるのだと思っていた悠馬は、あらかじめ言おうとしていた言葉を告げる。
「ビビってるんだろ!お前も八神も!」
コイツは本当に、とんでもない馬鹿だ。
普通に考えればわかるだろう。ここはどこにでもあるような普通の宿泊施設ではなく、国が保有する最高レベルの豪華客船。
その豪華客船の浴場が、簡単に覗けるとは思えないし、警備だってかなり厳重なものになっているはずだ。
加えて言うならば、人通りも多いのに、そんな中堂々と女湯の前でウロウロとしているだけでもかなり怪しいし、そんな行動を取っていると、合宿が終わる頃には変態という噂が流れているに違いない。
「お前さ、退学なったらどうするの?」
「たい…」
コイツは覗きが100パーセント成功すると思っていたようだ。
悠馬が一番現実的な単語を出してきたことにより、我に返った様子で、口をぽかんと開けている。
「いや、流石に覗きくらいで退学には…」
「覗きがバレた後も、今と変わらない生活が送れると思うか?」
「うぐっ…」
「通、これだけは言っとくが、俺らは今、日本支部が敷いたレールの上に乗ってるんだ。このまま行けば可愛い女の子ともお付き合いできるだろう。でもお前は今、目先の欲でそのレールから脱線しそうな動きをしてるんだ。わかるよな?お前なら」
悠馬が肩を叩くと、通はハッ!とした顔で、辺りを見回した。
「可愛い女の子とお付き合い…」
女風呂を覗きに行かなければ、近いうちに可愛い女の子とお付き合いができるかもしれない。その可能性を知ってしまった通は、まるで賢者のような笑みを浮かべ、背後にいた八神へと振り返った。
「なぁ、八神。俺は風呂は覗かないよ。未来の嫁の為にも、な」
この光景だけ見たら、まるで八神が覗こうとしているみたいだ。
通はいいことを言っているつもりだろうが、元々は全部お前がやろうとしていた事だというのを、忘れないでいただきたい。
「んじゃあ俺はプールで先輩のビキニを見て来るぜ!」
だめだコイツ。悠馬の忠告を聞いて、少しは大人しくなるのかと思っていたが、ちっとも反省も理解もしていないようだ。
両手を上げて走り出した通を冷ややかな目で見た悠馬と八神は、彼が見えなくなるまでその眼差しをやめなかった。
「八神、お前も大変だな」
「まあ…アイツ、イベント事になると暴走するから勘弁してほしい」
確かに、いつもの通は、突然女子便所観に行こうぜ!なんて言わないしな。
今さっきの女子風呂覗こうぜ発言は、それに近い発言だったと思う。
「ははは…八神はビキニ興味ないのか?」
「はあ!?」
不意な発言。八神も、まさか悠馬がそんな質問をして来るとは思っていなかったのだろう、驚いた表情で悠馬を見つめている。
「いや、正直な話、俺は少し気になるからさ。女子風呂も、ビキニも」
「そりゃあまあ、気になるけどさ?」
どうやら2人とも、通に同調したい気持ちもほんの少しだけあったようだ。
だが自制心や常識的なことを考えて、2人は通の事を止めた。
「だよなぁ、男は何であんな布でドキッとするんだろうな」
「はは、確かに。悠馬は行かないのか?プール」
「行かないかな。特に泳ぎたいわけでもないし、どうしてもビキニが見たいわけでもないからな。それに、どうせこの船が合宿先に着いたら地獄のようなトレーニングが待ってるんだろ?なのにわざわざ、疲労するようなことはしたくないな」
合宿という単語にキツイというイメージしか浮かばなかった悠馬は、八神にそう告げて、手すりから身を乗り出してだらーんと脱力する。
「ああ、毎年泣く生徒もいるって聞いた事がある」
「うっわ、行きたくない気分になってきたわー」
2人がそんな日常会話を行なっている、真っ最中。2人の会話は、辺りの生徒たちの不穏な雰囲気で中断させられた。
先ほどまでのキャッキャウフフの声ではなく、誰かを警戒するような、ザワザワと聞こえてくる、恐怖、怯えと言った感情の混ざった声。
振り返った先には、真っ赤な髪の色をした男子生徒が歩いていた。
学年は1年生のマークだというのに、男子の先輩たちも少し距離をとって、目を合わせないように歩いているのがわかる。
身長は悠馬よりも5センチほど高いのだろうか?体格にも恵まれた、物理的な喧嘩でもかなり強そうな見た目だ。
「おい、悠馬。あれが南雲だ」
「へぇ、噂通りの雰囲気だな」
南雲が歩くと、道が開くと言っても過言ではないような、そんな景色が広がっている。
先輩たちも、噂を知ってのことか、それとも噂に尾ひれがつきすぎて、更なる噂になっているのか。
先輩としての威厳か、それとも平和的に道を譲るかで、平和的な方法を選んでいる。
「オイ」
まるで卒業式の花道のように、綺麗に開いた道の中を歩く南雲は、悠馬たちの真正面までくると、ゆっくりと2人を見て、声をあげた。
それと同時に、道を開けていた女子生徒たちは、南雲の圧に耐えきれなかったのか、そそくさと道を開け、悠馬と八神、そして南雲の間には誰もいない空間が出来上がる。
「い、行こうぜ」
「ああ、ここに居たらやばそうだし…」
「あれで1年かよ、今年の1年はやべえな」
自分たちが絡まれなかった事を良しとしてか、悠馬や八神の事を心配する声は一切なく、離れていく生徒たち。
触らぬ神に祟りなし、余計なことはせずに逃げるに限るという事だろう。
「なにか用?」
ゆっくりと近づいてくる南雲に、ほんの少しだけ身構える八神と悠馬。
「ここら辺で金髪のアメリカ人を見なかったか?レストランに飯を食いにいく約束をしてたんだが見当たらなくてな」
そんな2人に対して飛んできた言葉は、意外なものだった。
てっきりお前ら調子に乗ってそうだからとりあえず殴る的なノリだと思っていたのに、飛んできたのは人を見なかったか?という質問。
八神と悠馬は顔を見合わせると、お互いに首を傾げ、南雲の方を向いて再び首を傾げた。
「さぁ?見なかったけど」
「俺も見てない。見たら何か伝えておこうか?」
「そうか。いや、それには及ばねえ。流石の方向音痴でも、船の中だ。待ってればいずれ現れるだろうさ。それじゃあ」
成果がなかった為か、そのままその場を後にする南雲。片手で手を振りながら、悠馬と八神に一度軽く頭を下げた様子を見るからに、噂ほどの悪人のようには見えなかった。
「今のはマジでビビったわ〜、俺殴られると思った」
「確かに、噂だけしか知らないから焦ったな」
噂通りなら、いきなり殴られてもおかしくないと思っていたが、やはりあの噂には尾ひれがついているようだ。
案外礼儀正しかった南雲の背中を見送った悠馬と八神は、人気のなくなった甲板の上で、ホッとため息を吐いた。
「実はあの噂も嘘って可能性もあるよな」
「ああ。友達を探してるみたいだったし、俺らが思ってるような奴じゃないのかもな」
実際身に覚えのない噂を広められていた悠馬からすると、南雲には同情せざるを得ない。
何をしでかして停学になったのかは知らないが、停学が明けると変な噂が学校中に流れ、距離を置かれているのだから、悠馬よりも酷い状況にあると言ってもいいだろう。
「はーあ。なんか疲れたし、俺は部屋でも借りて休むかなぁ。悠馬はどうするんだ?」
通の暴走を食い止めるために必死に走り回り、南雲に話しかけられて変な気を遣った八神は、かなり疲れた様子だ。
「俺は少し調べたいものがあるから、書斎でも借りようかな」
「そっか。それじゃあ、また後でな」
「ああ。また後で」
調べ物があると言って、キーボードを打つように指をカタカタと動かしてみせた悠馬を見た八神は、少しだけ笑うと、手を振りながら室内へと去って行く。
その光景を手を振りながら見送った悠馬は、八神が見えなくなると、ポケットから携帯端末を取り出して、船内の書斎の空き状況を確認する。
「おお、すごい」
見事に全部空いている。
当然のことだが、こんな豪華客船に乗っておいて、その楽しい時間を1人しか入れない書斎で過ごす、ということはあまり考えられないようだ。
ついでに、普通の客室が8割近く埋まっているのも確認した悠馬は、メッセージを開くと、1つの連絡先に向けてメッセージを打ち始めた。
あまり手馴れていないのか、タイピングが若干遅い。
普通の学生だったら、片手で簡単に打ち終わるものを、わざわざ両手を扱い打ち終えた悠馬は、満足げな表情を浮かべて、送信ボタンをタップした。
「よし!」
ちゃんと文字を打てた。そう満足する悠馬は、御察しの通り、機械慣れしていない。
パソコンなんて小学校の時にほんの少し触れたくらいだし、パソコンのキーボードで文字を打つのなんて、大嫌いである。
だからと言ってそこまで時間がかかる訳ではない。ただ、ほかの学生と比べると、両手で文字を打つのが独特というか、何というか…
満足そうにしている悠馬が片手に持っている携帯端末は、すぐに返信が返ってきたのか、メッセージを受け取った音が高らかに鳴り響く。
その通知を見て、満足そうな笑みを浮かべた悠馬は、書斎を借りる申請を携帯端末から送信すると、船内へと向かう。
これから始まるのは、この合宿を、合宿の先にある異能祭を、なにをして過ごすのかを決める、重要な会議なのだ。




