魔導師オーギュスティン4
臨時で準備した部屋に向かう廊下で、サキトは軽やかな足取りで前を進みながらオーギュにアストレーゼンの事を何度も質問していた。前に一度訪ねて以来、すっかり気に入ったようだ。
中でもスティレンの事をひたすら聞きたがるので、聞いているヒタカは複雑な気持ちに陥っていた。それを見て、サキトの腕の中に居るベルキューズは、この王子様は何気にデリカシーが無いなと思う。魔法で幻影を見せた時から、ヒタカの心の中の大半を占領している事にベルキューズは気が付いていた。しかし、その相手はそんな彼の気持ちを全く汲み取らず、別の人間の事を気にしているばかり。
対するヒタカといえば、その年齢と体格に不釣り合いな位の引っ込み思案。面白いが、見ていてもどかしさを覚えそうだ。
来賓用の客室の扉の前で、ヒタカはイルマリネに「せ、先輩」と声をかけた。サキトとオーギュの話を聞いていたイルマリネは、後輩の呼び掛けに「ん?」と返す。
「あの、俺詰所に戻って事務作業片してきます」
「珍しいね、残してるなんて」
イルマリネは頭を下げるヒタカにいいよと許可を与えた。彼は頭を上げてサキトに「サキト様」と主人にも礼をする。
「すみません、片付いたらまた向かいます」
しっかり片付かせてきてよ、と少しばかり膨れ、サキトは従者を見上げて「早く来てよね」とさも一緒に居たいかのように言う。ベルキューズはこのガキは本当に罪作りな奴だと思っていた。
オーギュにも挨拶し、行ってきますと言い残してヒタカはその場から去っていく。彼の後ろ姿を見送りながら、オーギュは「彼は以前お会いした時より、とても頼もしくなりましたね」と褒めた。
「ん?クロスレイの事?」
「ええ。前は新人らしく、緊張しっぱなしの表情の印象が強くて。今は少し、剣士らしい顔になった気がします」
「うふふ」
自分の従者への褒め言葉を貰い、サキトは嬉しそうに微笑む。
「クロスレイは真面目な性格だから。傍に置くには丁度いいんだ」
「おや…聞き捨てならないですね、サキト様。私はいつでもあなたのお傍で使える用意は出来ていますが」
冗談っぽくイルマリネがサキトに言うと、彼は困った顔をしながら「イルマリネは口うるさいもん」と返した。
「先生みたいでずっと勉強してる気分になっちゃうよ」
オーギュはつい吹き出した。
イルマリネが部屋の扉を開けながらオーギュに「どうぞ」と中へ案内する。礼をしながらオーギュは豪華な家具や調度品が揃えられた室内へ足を踏み入れ、その後にサキトとイルマリネも続いた。
初めてシャンクレイスの城内、そして来賓用の客室に入ったオーギュは周囲を見回し、その豪奢過ぎる中身に驚きを隠せずにいた。家具は白で統一され、金具は金色や銀色を取り入れた高級感溢れるデザインに、カーペットの生地も傷みにくく柔らかな素材。大きな円卓テーブルの上には、急遽用意されたとは思えないフルーツの盛り合わせに数種類の飲み物、存分に冷えたグラスが置かれている。
壁にはシャンクレイスの街を一望した風景画が銀縁の額に収まっていた。オーギュはつい「素晴らしい」と感嘆の声を上げる。
「いきなり押し掛けた形だったのに、ここまでして頂けるなんて」
「いえ…こちら側からお願いして無理矢理呼び寄せてしまって、至らない点がございましたら遠慮なく申し付けて下さい。良いように運ばせて頂きますので」
オーギュは穏やかな声で十分ですよとイルマリネに言った。却って悪い気がする。一人で使うには、あまりにも広すぎる。
「ええっと…では、早速魔書を見せて頂いても構いませんか?」
彼の言葉に、サキトはベルキューズを「うん!」と押し付ける。
国の世継ぎらしく貫禄の含む顔を見せるかと思えば、無邪気な子供のような表情をするサキトから、オーギュは古びた蔵書を受け取った。初対面の際には、あまりにもしっかりと自分の意見を述べて的確な指示をしていた事に驚いたものだ。
イルマリネは部屋の扉の横で待機していた。もし何かサキトが用意して欲しいものがあれば、すぐに準備に走る為だ。他の脳筋の護衛剣士より、彼は理解できる柔軟性を持っていた。
「イルマリネ!」
サキトが、待機していた彼に話しかける。はっと我に返るイルマリネは、「はい」と返した。小さな君主は彼に近付くと、手を取って引っ張ってきた。
「君も魔法関係に詳しいでしょ?折角だから近くで見てようよ」
「えっ!で、ですが」
「魔書の補修なんて滅多に無いんだから。ほら、早く!」
自分が参加してもいいのだろうかと戸惑うイルマリネを、サキトは背後からぐいぐいと押してくる。テーブルに広げられるオーギュの私物を、イルマリネは珍しそうにして眺めているのを見て、サキトはやっぱり興味あったんじゃないと笑った。
一応、魔法剣士の端くれですから…と照れ臭そうな彼は、勧められるまま椅子に腰をかける。
ベルキューズを真ん中に広げ、オーギュは「さて」と意気込む。
「ほとんど、ロシュ様から借りたものですがやってみましょう」
「え?ロシュ殿の物なの?」
「補修、修繕はあの人の得意技ですよ。古くて薄れた写真ですら、きちんと復元できますからね、あの人は。ロシュ様みたいにはなりませんが、魔法関係ならどうにかなりますから」
「二人でなら完璧になりそうだねぇ」
「ふふ。…今はリシェの事でさめざめと泣いてますから、居てもお荷物になるだけです」
サキトはイルマリネと顔を見合わせた。あのロシュが白騎士の事で泣くとは、一体どういう状況なのだろう。
『頼むぜぇ、色男!』
「ふふ…お任せ下さい」
オーギュは野草を擦ったすり鉢と水を取り、魔書を準備して貰ったガラスのケースに入れた後、始めますねと告げる。そして修復の為の魔法の詠唱を開始した。




