理知の魔書20
魔法に惑わされたままのヒタカの足元が揺れ、床が突出する。わあ!と座り込んだ彼は、上に上がっていく感覚を覚えた。視界が少しずつ開けていくのを感じる。
「しばらくそのまま動かないでいて!聞こえる!?クロスレーイ!分かったら返事して!」
遠ざかるサキトの声に、ヒタカは「はい、サキト様!」と大声で返した。きっと何か得策があるのだろう。呑気な性格のヒタカは、幻惑に惑わされた状態だったのでサキトの邪魔だから寄せろという発言を聞いていなかった。ある意味、幸運だ。
上から降ってきた声を聞いたサキトは、「さてと」と魔書に向き直った。
「早く捕まえなきゃね」
自分から動く事があまりないが、サキトはどうしても魔書が欲しかった。欲しい物は、とにかく手に入れたい。ふわりと魔法で浮かぶと、彼は魔書に向かっていく。
『お前だけでもいけるかな?』
「あまり馬鹿にっ、しないでよねっ!!」
宙を舞う魔書にハリセンを叩き込む。ひらりと回避し、サキトの周りを小馬鹿にするように『ほれほれ』と挑発した。ちいっ、と王子らしくない舌打ちをする。
前を横切りながら魔書は遅いぞぉ、と笑った。苛立つ彼はハリセンを振るう。顔に似合わぬ短気っぷりに、魔書は余裕の笑い声を上げていた。
『お前には魔法は効かないみたいだからな。ガキのくせにいい魔力持ちやがって』
ハリセンの攻撃をひらりひらりと避けながらサキトを翻弄していく。稀に現れる柱に飛び乗ると、ふんと鼻を鳴らした。
「魔力が無いと君の主人になれないもん!」
『まーだそんな事言ってんのか。お前なんかに俺を扱うなんて無理無理!』
サキトは周りにあった魔力の瘴気が薄くなってきたのを確認した。魔書に感付かれないように小さく詠唱し、魔力無効の結界を少しずつ作っていく。
「どうかなあ」
間に会話を挟む。
「僕ね、人を騙すのが得意なんだよ」
『はぁん?』
突然何を言い出すのだろう。魔書はページをぱらぱらと捲りながらサキトの話の続きを待つ。しばらくして、彼は異変に気付いた。
…自分の周りを取り囲む圧迫感に。
『あ!…おい!』
「うふふ。遅いよー」
魔封じの結界が張られていた。結界から離れる為に飛び出そうとしたが、魔法で作られた壁にぶつかってしまう。ぎゃっ、と声が出た。
呻き、サキトに『おいこら!』と叫ぶ。
『姑息な手を使いやがって!!』
しかし彼の姿が見えない。文句を言ってやろうと、壁の中を探し回る。完全に拘束された形になる魔書。立場が逆になった。
一方のサキトは、魔書を捕らえたのを確認しながら上昇する。自分の従者の傍へ静かに移動し、幻覚魔法の効果が失いかけている彼に近付く。
「クロスレイ」
「は、はい!サキト様!」
「もう見えるよね?」
少しの曇りが気になる位で、後は大丈夫だ。ヒタカは返事を返すと、サキトは彼の背後から腕を伸ばし軽く抱きついた。やはりこの主は大胆だ。
ひゃあ!と大きな身体をびくりと硬直させる。反応を見ながら、サキトはヒタカの耳元で静かに囁いた。
「チャンスだよ、クロスレイ」
「へ…」
「僕が君をこのまま魔法で抱えて近くまで降りる。魔書の近くまで行ったら離すから、網であいつを捕まえて?」
「は、はい!ですが俺、重いと思いますが…」
どう考えても無茶過ぎないだろうか。いいから、とサキトはヒタカに抱き着きブロックから離れる。浮かぶ概念が無いヒタカは、つい情けない悲鳴を放った。
「う…重っ」
やはりサキトの小さな体型に、ヒタカの大きすぎる身体の重みを支えるのはきついものがあった。魔法で軽減されたとしても、よろよろと不安定だ。
うっ、くう…とヒタカを支えながら背後で呻くサキト。
「ひええ…!」
足元をぶらつかせるヒタカに、動かないでと注意する。
「し、しかしサキト様っ」
「何を食べたらこんなに重くなるのっ…!!」
魔書が見えてきた。サキトはもういいやと呟くと、下降していくブロックに目を向けた。彼はヒタカをそこへ着地させると、すぐに「行っといで!!」とハリセンを振り上げる。
背中をバシーン!!と叩きつけられ、ヒタカはわあああ!!と悲鳴を上げてブロックから落ちていった。
「クロスレイ、網!!」
「ひゃあああっい!!」
落下しながら虫取り網を構えた。結界の中の魔書は、上から降ってきた大男にようやく気付く。
「あぁあああああ!!!」
網と叫ぶ巨体。魔書はその危機迫った様子に動きを止めてしまった。
『!?』
ヒタカは網を勢い良く魔書へ振るった。ぼすん!と網の中が重みを増したのを感じ、網を伏せ地面に着地すると、確認の為に網に視線を向ける。
その後を追うサキト。ヒタカの持つ虫取り網の中にあった魔書に、ぱあっと表情を明るくした。
「良くやったね、クロスレイ!」
「はい…でも、ちょっと怖かったです…」
高い場所から落ちる瞬間に身震いし、ヒタカは苦笑する。




