29 感動のガラス窓
ともかくベッドに横になることにする。まだ起きていて日記の続きを読みたい気もしたが、シェリーヌ姫に遅くまで起きている習慣がなかったのなら変に思われてしまう。ここは我慢して明日に回すことにした。
書斎の鍵を閉め、【レニエーロ見聞録】を手にベッドに入る。だが、すぐにサイドテーブルに置かれた燭台の灯り程度では暗くて本なんか読めないことに気がついた。
『うっ、無理だ。もう寝よ』
諦めて布団に潜り込み目を瞑ると、緊張が解けドッと疲れが出てきたのか、急に眠気が襲ってきた。
『そういえば、こんなに早い時間に眠れるなんて何年ぶりかなぁ? ここ数ヶ月、仕事が忙しくて朝のジョギングさえできなかったもんなぁ。……お姫様って走ったらだめなのかな?』
そんなことを考えながらいつしか眠りに落ちていった。
朝方、トイレに行きたくて目が覚める。昨日の事は全て夢ってこともなく、カーテンから洩れる光で仄明るい見慣れぬ豪華な部屋に思わずため息が洩れる。
『やっぱり、現実かぁ』
ベッドから降り、トイレに向かう。
『でもよかったよね。とりあえずおまるじゃなくて』
しかも、オリヴィアの説明によると、地下水路に落ち、地形の起伏を利用して街外の川まで流れていくらしい。うまくできている。ちょっと川下の人たちのことを考えると気の毒な気がするが。仕方ないんだろうな、この時代。
『いや、きっと少々のことでは問題にならないぐらい大きな川なんだ……ってことにしよう。明日、地図を見せてもらうのが怖いが』
でも、以前読んだ本だと、中世の城のトイレって建物の端に出っ張って作られ、穴からそのままストンと下の堀に落下させていただけらしい。それよりは、随分とましだ。たとえトイレットペーパーの代わりが古い布だったとしても、葉っぱや木のへらとかじゃない分ましだし。
用を済ませ部屋に戻ると、外の景色が見たくてカーテンを開けた。そして、窓を見てつい感動の声をあげてしまった。
「うわっ、ロンデル窓だ!」
歴史の資料で読んだことはあったけど、ここで実物を見られるとは。瓶の底みたいな丸いガラスがびっしりと並んでいる。クラウン法とかいう、吹きガラスを遠心力を利用して円盤状にした板ガラスで、中央から外側へと薄くなっている。中央にはポンテ竿の跡もしっかりついている。
『こういう技術の発展も地球と同じ段階を踏んでいくんだな』
この先数百年かけて、「手吹き円筒法 」や「鋳造法」から「フルコール法」「コルバーン法」そして「フロート法」と発展して、大きな板ガラスが作られていくようになるのだろう。
「そして、これがその最初の段階のガラスかぁ」
円盤の形に職人の苦労が伺われ、指先でそっと触れる。なんだか、しみじみと感動してしまう。
『それに、思っていたよりずっと窓が大きいな。これは防御最優先で作られた時代よりは、快適さも考慮できる余裕ができているってことだよね』
どうやら貴族の反乱や周辺国から攻められる可能性は少ないと見てよさそうだ。きっと、帝国とその同盟国という形で安定しているのだろう。それに、窓にガラスがあるということは冬場も窓からの隙間風は防げるわけだ。
「よかったね」
誰に言うともなく、まあ、この城の皆にという感じで呟いた。
「で、肝心の外の景色。このガラスじゃほとんど見えない」
そう文句を言いながら窓を開け……すぐにまた閉めた。
「寒っ!」
なんか昨日よりグーンと寒くなっているんだけど。まだ夜が明けたばかりみたいだし、夜着しか着てないしで、一瞬で震えがきてしまった。
『うっ、ガウンが欲しい』
日が昇って少し時間が経ったらたぶんましになるはずだ。外の景色はそれからにすることにして、とりあえず体を温める為に再びベッドに潜り込んだ。ちなみに、ベッドの掛け布団の上にちゃんとガウンが置いてあった。
『なんだ、あったじゃん』
自分のうっかりぶりに苦笑しながら、布団の中で手を擦り合わせる。
「しかし、ここ、やっぱり気候的にも地球の北ヨーロッパに近いみたいだよね。だったら、冬は絶対日本より寒いぞ」
やばい。はっきり言って私はめちゃくちゃ寒がりだ。セントラルヒーティングなしの世界でどうやって冬を生き延びたらいいんだ? 暖炉の前からずっと動かないってわけにもいかないし。どこかのコビトカバ似の妖精さんみたいにベッドでの冬眠もできない。
本音を言えば今すぐ、遅くとも冬になるまでに帰りたい。だが、もし帰れなかった場合……正直、考えたくはないんだが、今はそんな悠長なことを言っていられないな。何もしないでいて、ガタガタ震えながら自分の無策を後悔したくはない。念の為、差し迫る冬に向かって防寒対策は練っておかないと。
うーん、まずは部屋での食事の時とか用に、炬燵が欲しいな。確かスペインにもブラセロっていう炬燵があったはず。だったら、こっちでもダイニングテーブル式炬燵があっても問題ないよね。熱源は木炭でいいだろう。これだけ広い部屋なら一酸化炭素中毒の危険も少なさそうだし。
あと、湯たんぽとカイロは必需品だけど、あるのかな? なかったら作ってもらわないと。湯たんぽは陶器のカップやお皿があったから、陶器製が作れるはずだ。蓋用にコルクあるといいんだけど。なかったら木でどうにか。カイロは……確か木炭や桐の灰とかを金属容器の中で燃焼させて……いや、曖昧な知識で服の中に燃やす物作って入れるのは怖い。これはやめておこう。とりあえず、温石や塩温石でいいか。冬のドレスにはそれが入るポケットを数箇所付けてもらって……。
なんだか、考えないといけないことが思ったより多い気がしてきた。食料問題もだけど、歯ブラシに防寒対策も切実だ。
『そういえば、あの壁のタペストリーも、確か冬場部屋の熱を逃がさないようにする防寒の意味もあったって読んだことあるなぁ』
ぼんやりとタペストリーを眺めながらそんなことを考えていると、オリヴィアとエディア、マルトが控えの間から出、ベッド横まで来て声をかけてきた。
「おはようございます、姫様。ご入浴の準備ができておりますが、いかがなさりますか?」
『おっ、お風呂!』
「おはよう。ええ、もちろん入ります」
お湯を用意するのも大変だったろうし、冷めてしまう前にと、すぐに起き上がりベッドから降りる。
バスタブ、金だらい、木桶、まさかの五右衛門風呂。
『なんでもいいけど、しっかり浸かれるお風呂がいいなぁ』




