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追放された用済み聖女ですが、辺境の最強竜騎士に拾われて絶品料理で胃袋と心を掴んだら、常軌を逸した溺愛が始まりました。  作者: 黒崎隼人


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第5章「王命を砕く辺境の守護者、そして溶け合う二つの体温」

 叩きつけられる雪の礫が、逃げ惑う使者たちの豪華な絹の外套を容赦なく濡らし、重くしていく。

 砦の正門から外へと転がり出た小太りの男は、雪まみれの地面に這いつくばりながら、無様に足掻いていた。

 背後には、彼を護衛するはずの銀の甲冑の騎士たちが、震える手で剣の柄を握りしめたまま、一歩も動けずにいる。

 彼らの視線の先には、漆黒の大剣を提げ、ゆっくりと雪原に歩み出てくるクロードの姿があった。

 ザクッ、ザクッと、長靴が深い雪を踏みしめる音が響く。

 その足音が一つ響くたびに、周囲の気温がさらに数度下がったような錯覚に陥る。

 使者の男は恐怖に顔を引きつらせ、鼻水と涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、裏返った声で喚き散らした。


「き、貴様ら、ただで済むと思うなよ! 王の使いに剣を向けたのだ、明日にでも討伐軍が派遣されるぞ! この砦ごと、跡形もなく消し飛ぶがいい!」


 強がりとは裏腹に、男の歯の根は激しく打ち合い、カチカチと惨めな音を立てている。

 クロードは歩みを止めず、男を見下ろす位置まで来ると、鼻で短く息を吐いた。

 その吐息は白く濁ることもなく、ただ鋭い冷気として空気に溶け込んでいく。


「討伐軍だと。好きにしろ。だが、王都の温室で育った兵どもが、この魔の山嶺を越えられると思うか」


 クロードの声は低く、吹雪の音を切り裂いて真っ直ぐに使者の鼓膜を打った。

 彼は大剣の切っ先を雪面に突き立て、柄に両手を重ねて寄りかかる。


「それに、法を破っているのは貴様らの方だ」

「な、何を馬鹿な! 我々は王命を帯びて……」

「王命であれば、何をしても許されるとでも? 辺境法第三条を忘れたわけではあるまい」


 冷酷な響きを持った言葉が、使者の反論を叩き潰す。


「国境を預かる辺境伯は、その領地内におけるすべての生命、財産、および事象に対する絶対の管轄権を有する。王命であっても、辺境の守護に重大な支障をきたすと判断した場合、辺境伯はこれを拒否、排除する権利を持つ」


 すらすらと紡がれる法の条文に、使者の顔色がいよいよ土気色に変わった。

 クロードは唇の端をわずかに歪め、凍てつく視線を男に突き刺す。


「アカリはこの砦に必要不可欠な人材だ。彼女を失えば、負傷した騎士の死亡率は跳ね上がり、ひいては国境防衛線が崩壊する。貴様らは、国を魔物に明け渡したいらしいな」

「そ、そんな屁理屈が通用すると思っているのか!」

「屁理屈ではない。事実だ。さらに言おうか。貴様らは、何の罪もない民を力ずくで拉致し、勝手に無能の烙印を押し、この死の雪原に丸腰で遺棄した。これは王国法における過失なき民への意図的な殺戮未遂に該当する」


 男の喉がヒュッと鳴った。

 銀の甲冑の騎士たちも、互いの顔を見合わせ、目に見えて動揺し始めている。

 彼らもまた、自分たちが手を貸した行為の異常さに、今更ながら気づいたのだ。


「罪を重ねた挙げ句、自らの失敗を隠蔽するために、彼女に力の泥棒という濡れ衣を着せて連れ戻そうとした。その醜悪な思惑、俺の目から隠し通せると思ったか」


 クロードの言葉は、氷の刃となって使者の肺腑をえぐり続ける。

 反論の余地など、最初から一欠片も存在しなかった。

 王都の権威を笠に着ていた彼らの足元は、辺境の過酷な現実と、法理を兼ね備えた最強の武力の前では、あまりにも脆く崩れ去る。


「二度と、俺の領土でその汚い口を開くな。次にアカリを脅かそうとする者がいれば、王の首であっても俺が落とす」


 クロードが発した殺気が、物理的な重さを持って使者たちにのしかかった。

 その瞬間、砦の屋根から、巨大な影が飛び立った。

 吹雪の空を覆い隠すほどの、漆黒の翼。

 ルルが、本来の巨大な竜の姿で空に舞い上がり、耳を劈くような咆哮を上げたのだ。

 大気が激しく震え、雪煙が竜巻のように巻き上がる。

 圧倒的な幻獣の威容を前に、使者たちは完全に正気を失った。


「ひ、ひぃぃぃぃっ!」


 小太りの男は立ち上がることもできず、雪の上を這いずるようにして待機していた馬車へと逃げ込んだ。

 騎士たちも武器を放り出し、我先にと馬車に飛び乗る。

 御者が狂ったように鞭を振るい、馬車は雪を跳ね上げながら、逃げるように南の空へと消えていった。

 後に残されたのは、深く刻まれた車輪の跡と、猛り狂う風の音だけ。

 クロードは静かに大剣を引き抜くと、一振りして雪を払い、背中の鞘へと納めた。

 金属が擦れ合う冷たい音が、雪原に短く響く。

 空からゆっくりと舞い降りてきたルルは、地面に足をつく直前にポンと白い煙を上げ、いつもの手のひらサイズのもふもふの姿に戻った。

 クロードはその白い毛玉を拾い上げ、肩に乗せると、ゆっくりと砦の扉へと振り返った。


◆ ◆ ◆


 砦の食堂は、しんとした静寂に包まれていた。

 残された騎士たちは、息を呑んで外の様子を窺っていたが、クロードが戻ってきたのを見ると、一斉に歓声を上げた。


「団長、最高です! あんな豚ども、二度とこの砦の敷居を跨がせませんよ!」

「アカリさんは俺たちの宝だ。王都なんかに渡してたまるか!」


 屈強な男たちが拳を突き上げ、アカリの周りを取り囲んで口々に叫ぶ。

 彼らの瞳には、少しの迷いも恐怖もない。

 王都を敵に回すという事態の深刻さよりも、アカリを守り抜いたという歓喜が上回っていた。

 アカリは彼らの温かい言葉に胸を詰まらせ、何度も深く頭を下げた。


「皆さん、本当に……ありがとうございます」


 涙声で礼を言うアカリの前に、クロードが歩み寄る。

 彼は騎士たちを鋭い一瞥で黙らせると、アカリの腕を静かに掴んだ。


「アカリ。少し来い」


 有無を言わさぬ低い声。

 クロードはそのままアカリを引っ張り、食堂を後にして奥の廊下へと歩き出した。

 ルルも気を利かせたのか、茶髪の青年騎士の頭の上に飛び乗り、二人を追おうとはしなかった。

 石造りの廊下は暗く、燭台の炎が二人の影を長く伸ばしている。

 アカリの腕を掴むクロードの手は、力強いが、決して痛みを感じさせない絶妙な力加減だった。

 彼から漂う外気の冷たさと、微かなミントの香りが、アカリの鼻腔をくすぐる。

 やがてクロードは、自らの執務室兼私室の扉を開け、アカリを中へと促した。

 部屋の中には暖炉の火が赤々と燃えており、冷え切った空気をじんわりと温めている。

 重厚なマホガニーの机と、使い込まれた革張りの椅子。

 壁には彼が愛用する武具が整然と並べられ、無駄な装飾は一切ない、彼らしい部屋だった。

 扉が重い音を立てて閉ざされると、部屋の中は暖炉のはぜる音だけになった。

 クロードは扉を背にして立ち、アカリをじっと見つめている。

 その青い瞳は、先ほどまでの冷酷な氷の刃とは違い、ひどく熱を帯びて揺らいでいた。


「……怖かったか」


 ぽつりとこぼれ落ちた声は、意外なほどに掠れていた。

 アカリは小さく首を振る。


「いいえ。クロードさんが……助けてくれたから」


 アカリは両手を胸の前でぎゅっと握りしめた。

 まだ心臓がバクバクと音を立てて暴れている。

 それは恐怖からではない。

 彼が自分のために、どれほどのものを投げ打ってくれたかを理解しているからだ。


「でも、よかったんですか。私なんかを庇って、国を敵に回すようなことになってしまって……」

「私なんか、と言うな」


 クロードが鋭く言葉を遮り、一歩、アカリへと近づいた。

 長靴が絨毯を踏む音が、ひどく重く響く。


「俺は、辺境の守りについたその日から、国のためではなく、俺の部下たちのために剣を振るってきた。王都の豚どもがどうなろうと知ったことではない。だが……」


 彼はもう一歩、距離を詰める。

 見上げるほどの長身がアカリの眼前に迫り、暖炉の光を背にした彼の影が、アカリをすっぽりと包み込んだ。


「お前を失うことだけは、耐えられないと思った」


 絞り出すような、ひどく不器用な告白。

 クロードの大きな手が持ち上がり、アカリの頬をそっと包み込んだ。

 剣ダコのある硬い指先が、雪のように白い肌を、ガラス細工に触れるように優しく撫でる。

 その指先は、微かに震えていた。


「あの豚どもがお前を見下した時、俺の中で何かが切れた。お前を傷つける者すべてを、肉片すら残さず消し去ってやりたいという衝動が湧き上がった」


 クロードの顔が近づく。

 彼の熱い吐息が、アカリの前髪を揺らした。


「俺は、自分がこれほど醜い感情を持っているとは知らなかった。お前をこの砦の奥深くに閉じ込め、誰の目にも触れさせたくない。俺のためだけに笑い、俺のためだけに飯を作れと、そう縛り付けたくなる」


 その言葉は、恐ろしいほどの独占欲に満ちていた。

 だが、その声の底にあるのは、アカリを誰よりも大切に想う、狂おしいほどの情熱。

 過去に誰からも必要とされず、ゴミのように捨てられた自分を、これほどまでに激しく求めてくれる人がいる。

 胸の奥から熱いものがこみ上げ、アカリの瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。


「泣いているのか」


 クロードが顔をしかめ、親指でアカリの涙を乱暴に拭う。


「俺が怖がらせたのなら、謝る。だが、前言を撤回する気はない」

「違うんです……。怖くない、です」


 アカリは首を横に振り、涙で視界をぼやませながら、クロードの胸元を両手でぎゅっと掴んだ。

 厚い胸板越しに、彼の激しい心拍が手のひらに伝わってくる。


「嬉しいんです。私を、見つけてくれて。必要だと言ってくれて……」


 声が震え、上手く言葉にならない。

 それでも、伝えなければならない。

 彼がくれた熱に、どうしようもなく惹かれている自分の気持ちを。


「私、ここにいたいです。クロードさんの傍で、ずっと……温かいスープを作りたい。あなたを、癒やしたい……っ」


 その言葉を聞いた瞬間、クロードの喉仏が大きく動いた。

 彼は低くうめくように息を吐き出すと、アカリの細い腰に腕を回し、力強く引き寄せた。

 足が床から浮き上がるほどに抱きしめられ、アカリの顔が彼の首筋に押し付けられる。


「っ……クロード、さん……」

「二度と、逃がさないぞ」


 耳元で囁かれた声は、甘く、鼓膜を溶かすような熱を持っていた。

 クロードの腕の力がさらに強まり、二人の体温が衣服越しに混ざり合う。

 彼の匂い、体温、心臓の音。

 そのすべてが、アカリの五感を支配していく。

 クロードが少しだけ身を離し、アカリの顔をのぞき込んだ。

 青い瞳に、暖炉の炎がチロチロと映り込んでいる。

 その視線が、アカリの目から、鼻筋を通り、震える唇へとゆっくりと降りていく。

 彼が何をしようとしているのか、分かった。

 アカリは逃げることなく、ゆっくりと瞼を閉じた。

 触れただけの、羽のようなキスだった。

 不器用で、ひどく慎重な唇の重なり。

 だが、そこから伝わってくる熱量は凄まじく、アカリのつま先から頭の頂までを、甘い痺れで満たしていった。

 唇が離れると、クロードはアカリの額に自分の額をこつんと当てた。

 互いの呼吸が混ざり合い、熱を帯びた空気が二人の間を行き来する。


「お前の飯も美味いが……お前自身の方が、よほど毒だな」


 クロードが微かに口角を上げて笑う。

 その笑顔は、かつて砦の騎士たちが恐れていた氷の死神の面影など微塵もなく、ただ愛する女を前にして自制心を失いかけている、一人の男の顔だった。


「私、美味しくないですよ……」


 顔を真っ赤にしてうつむくアカリの顎を、クロードの指がすくい上げる。


「それは、俺が味見をしてから決めることだ」


 再び、今度は先ほどよりも深く、重いキスが降ってきた。

 角度を変え、何度も唇をついばまれる。

 アカリの体が力なく崩れ落ちそうになるのを、クロードの強靭な腕がしっかりと支えている。

 息が詰まり、思考が白く溶けていく。

 暖炉の火の温かさよりも、彼から伝わる熱の方が、はるかにアカリの体を焦がしていた。

 どれほどの時間が経っただろうか。

 ようやく唇が離されると、アカリは肩で息をしながら、クロードの胸に顔を埋めた。

 心臓が破裂しそうなほどうるさい。

 クロードはアカリの背中を優しく撫でながら、低く甘い声で囁いた。


「お前の居場所は、ここだ。王都の連中が何を企もうと、俺が全て叩き潰す。お前はただ、俺の腕の中で笑っていればいい」


 その不器用な約束は、アカリにとってどんな魔法よりも心強いものだった。

 冷たい雪山に捨てられ、死を覚悟したあの日。

 絶望の淵で見つけたのは、冷徹に見えて誰よりも温かい、不器用な竜騎士だった。


「はい……私、クロードさんの傍から離れません」


 アカリは彼の広い背中に腕を回し、その体温を確かめるように強く抱きしめ返した。

 窓の外では、依然として猛烈な吹雪が荒れ狂っている。

 しかし、分厚い石壁に守られたこの部屋の中だけは、外の寒さが嘘のように穏やかで、甘い熱気に満たされていた。

 王都との決別。

 それは、辺境での穏やかなスローライフの、本当の始まりを意味していた。

 アカリの作る温かい料理と、クロードの絶対的な庇護。

 二つの異なる力が重なり合い、雪に閉ざされた最前線の砦は、誰にも侵すことのできない、世界で最も安全で幸福な場所へと変わっていく。

 互いの体温に寄り添いながら、アカリはゆっくりと目を閉じた。

 もう、冷たい石の床も、凍えるような吹雪も怖くない。

 彼がいる限り、私の日常は、どこまでも温かく、甘く続いていくのだから。

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