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夢現


     6


 雨の日は、苦手だ。

 なんとなく身体がだるくなるし、気持ちも憂鬱になる。

 それが、月兎であるせいか、それとも他の理由なのかは、わからない。

 ただ窓をつたう雫を見ていると、ほんの少しだけ、癒されるような気持ちになる。

 理由は、うまく言葉にできないけれど。

「ごめん、遅くなって」

 葉子が教室に来ると、まどかは顔をあげる。

 申し訳なさそうに、手を合わせるのが見えた。

「ううん、お疲れさま」

 一緒に帰る約束をしていて、彼女の用事が済むのを待っていたのだ。

 葉子が近づいてくると、荷物を手に取る。

「先に帰ってても、よかったんだよ」

 時田くんとか、と、葉子は彼の席に目をやった。

 まどかはやや、複雑そうな顔をしつつ、同じように見た。

 時田とまどかが復縁したらしい、というのは、これもまた、あっという間に広まった。

 一番喜んでくれたのが葉子で、クラスの女子たちもほっとしているようだった。

 実際にはちょっと違う。だがこれ以上、本当のことを言う必要もない気がして、まどかはそのままにしてある。

「今日は葉子と一緒に帰りたかったから」

 まどかも荷物を持った。

「それはうれしいけど」

 教室を出て、昇降口へ向かう。

 傘をさして、外に出た。

 窓の次は、傘だ。

 雫がつたっていく。

「ここのところ、雨が多いね」

「ホント、なんか嫌になっちゃう」

 身体がきしむ気がした。

 ゆっくり、歩いていく。

「でもよかった」

 門を出たところで、葉子が言った。

「まどかと時田くんが、またつきあうことになって」

 思えば葉子は、最初からそんなことを言っていた。

 時田の気持ちを見抜いていたのだ。

 なぜわかったのか。

 まどかはそう尋ねると、

「んーなんとなく、かな」

 葉子はあっけらかんと答える。

「時田くん、いつもあんまり感情を表に出さないでしょ。だからこそ、まどかと一緒の時がわかりやすかったっていうか」

 じゃあ、もしかして、と思う。

 自分の気持ちも、見抜かれているのではないか、と。

 まどかは一度、立ち止まった。

 すると葉子はつられるように足を止める。

「どうしたの?」

「あのね、葉子」

「ん?」

「時田とのこと――その」

 葉子は首をかしげながら、まどかの言葉を待つ。

 なんて言ったらいいんだろう。

 あの時の言葉を、そのまま伝えたらいいんだろうか。

「……あたしは、その……好きかどうかはまだわかんないって、でも時田の気持ちには応えたいって思うって言ったら、ああいう形になったていうか……」

「うん」

「だからええっと、何が言いたいのかというと……」

「――うん、知ってる。っていうか、なんとなくわかってた」

 葉子の声色は、やさしかった。

「そんなに急に、白黒はっきりつけなくたっていいと思うよ。人間なんだし」

 傘を少しだけ、傾ける。

「言葉にできない気持ちって、やっぱりあるから」

 葉子の言葉が、染みていく。

 同時に、引っかかることがあった。


 ――人間なんだし。


 今日、本当に話したかったのは、その事だ。

 葉子には、伝えておきたかった。

 自分が、人ではないということ。

 宇佐神の月兎であるということ。

 そうしたい、と、宇佐神と彼方には告げた。

 時田と、一応きちんとつきあう形になったことも。

 そうなれば、隠しておくのは難しいかもしれない。

 それについて、彼方はあまりいい顔をしなかったが、宇佐神は構わないと言ってくれた。

 そしてまどかは自分から、ある条件を提示したのだ。


 ――もし、彼らがあたしを受けいれてくれなかったら。


「あのね、葉子」

 話がある、と、まどかは素直に口にする。

「ん? 何?」

「ええっと、その……」

 時田とのことよりも、こっちのほうが緊張する。

 なんて言ったらいいか、なんて伝えたらいいかわからない。

「あたし、あたしね……」


 ――人間じゃないの。


 そう言いかけたところで、身体が反応した。

 いつもの、あれだ。

 ぶるぶると震え、まどかはごめん、と一言告げて背を向ける。

 なんだろう、と思った。

 いつもと、違う。

 まどかはわけがわからないまま、とにかく家へ急いだ。

 雨に濡れるのも、構わずに。


 駆けこむように家に着くと、その身を受けとめてくれたのは、彼方だった。

「――まどか、大丈夫か?」

 身体が震え、冷たくなっていくのがわかる。

 すぐに宇佐神が来て、

「まどか、ちょっとごめんよ」

 額にそっと手をかざす。

 あっという間にうさぎの姿に戻った。

「少し、体調を崩したみたいだね。この天気じゃ無理もない。こっちの姿のほうが、回復が早いだろう」

 うさぎに戻ったまどかを、宇佐神は寝室へ運ぶ。

 布団をかけて、頭をなでてくれた。

「ゆっくり眠るといい」

 おやすみ、と一言添えられると、意識がもうろうとしてくる。

 まどかはその感覚に逆らうことなく、目を閉じた。


 水の中に、いるようだった。

 こぽこぽと音がするようで、時折見えるのは、昔の記憶だ。

 まだ、月兎になる前の。

 まだ、幼かった頃の。

 まだ、寂しかった頃の。

 まだ、辛くて仕方がなかった頃の。

 物心ついた時には、まどかは母親と二人だった。

 小さなアパートに二人で住み、母はいつも、優しかったことを覚えている。

 見た目も中身も普通。

 決して目立つことはなく、淡々と日々を過ごしていた。

 ある日のことだった。

 急に、母がいなくなったのだ。

 理由は、わからない。

 わかりたくもない。

 ただただ、寂しかった。

 母がいなくなって、まどかは施設に引き取られることになった。

 アパートを離れる日は雨で、ビニール傘の向こうに、部屋のドアが見えたことを覚えている。

 そのまま大人に連れられて、施設へ向かった。

 寂しくて、辛くて、泣いてばかりだった。

 施設でも馴染めなくて、ある日突然、帰りたくなった。

 あのアパートに。

 一人で必死になって、そこに向かって。

 途中で、道に迷ったのだ。

 そこは山道の付近で、近くに神社があった。

 まどかはお願いしたのだ。


 ――お母さんとまた、暮らせますように。


 その後だった。

 まどかが、車にひかれたのは。


 だれかに、頭をなでられているような気がした。

 とてもとても優しい手。

 温かい手。

 宇佐神か、それとも彼方か。

 とにかく気持ちがよくて、ずっとそうしていてほしかった。

 うっすら、目を開ける。

 暗がりで、あまりよくわからない。

 ただ、いいにおいがした。

 知っているにおい。

 ふわりと鼻をくすぐる、におい。


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