真意
一番好きな花は、桜だった。
宇佐神と最初に出会ったことを思い出すし、ながめていると、なんだかしあわせな気持ちになる。
その桜が今、自分の身体に散りばめられていた。
袖から、裾まで。
藍色に、うっすら――まるで夜桜のように。
とても、美しい。
まどかは素直にそう思った。
同時に、ほんの少しだけ、胸のあたりが不安になる。
しずくのように、ぽつりと落ちていく。
知らない何かを、徐々に知っていくような感覚だ。
「――よし、着付け完了」
彼方が満足げに息をつく。
結いあげられた髪は、いつもと違う。そのせいか、違う人間になったかのようだ。
「うん、かわいいね」
となりで見ていた宇佐神も、にっこりと微笑んだ。
「そう、ですか?」
まどかは袖を持って、一周する。
後ろ姿を、鏡で見た。
普段はわからない、自分の姿。
やはり少しだけ、不安になる。
「よく似合ってる」
「かわいい、かわいい」
二人があまりに褒めるので、だんだん照れくさくなってきた。
まどかが顔を俯けると、
「さて、じゃあ出かけようか」
宇佐神の手が、ふわりと頭をなでる。
ああ、この手だけは変わらない。
そのことに、ほっとしている自分がいる。
けれど少しだけ、物足りないように思うのは、どうしてだろう。
三人で家を出ると、ちらほら、すでに人影た見える。
「この後をついていけばいいのかい?」
宇佐神が尋ねると、彼方は、
「悩むほどの道のりじゃないですよ」
と、苦笑する。
花火大会は、家から歩いて十分ほどの土手で見られるという。
「まあ、迷子になる心配は――ないか」
宇佐神とまどかの顔を見比べて言った。
「いいねえ、迷子」
宇佐神の声が弾んだ。彼方はあわてて、
「やめてください。あなたが言うと冗談にならない」
その言葉を聞いて、今度はまどかが苦笑した。
「おお、やってるやってる」
土手に着いて、宇佐神が最初に反応を示したのは、人でもなく、まだあげられていない花火でもない。
出店だった。
ずらりと、立ちならんでいる。
これだけの数は、ふたりにとって、もちろんまどかも初めてだ。
社にいた頃も、祭りはあったものの、ここまでではなかった。
「端から行こうか、彼方」
「……仰せのままに」
半分あきれつつ、人混みの中をかきわけていく。
一番の目的は、やっぱりこれなのだ。
迷子ーーなんて話はまるでなかったのように。
まどかはふと、あたりを見まわした。
もしかしたら、と思ったのだ。
「りんご飴に、大判焼き、それから綿菓子」
けれどそれはすぐに、彼方と宇佐神にかき消されてしまう。
「しかたない、か」
まどかはぽつりとつぶやいた。
ふたりとも、そしてまどかも、とにかくあまいものに目がないのだ。
しかも、初めてのものばかり。
まどかも一緒に、楽しむことにした。
あかいもの、まるいもの、ふわふわしているもの。
みんな色とりどりだ。
それは出店の品物だけではない。
人も、行き交う人間の表情も、そんなふうに感じる。
何かに似ているなあ、と、まどかはぼんやり思う。
あかくて、まるくて、ふわふわしている。
浮き足立つような感覚。
りんご飴をなめていると、宇佐神が言った。
「……まるで、恋心のようだね」
急な言葉に、まどかはまばたきをくり返す。
首を傾げたものの、宇佐神と視線が合わなかった。
「ねえ、まどか」
宇佐神が空を見あげたまま、尋ねる。
「恋心とは一体、どこから来るものなんだろうね」
静かな、声だった。
「恋心、ですか?」
まどかはやや、手を止めて考える。
言葉を胸の内で反芻した。
「そう。前に恋には、人の数だけ正解がある、と言っただろう」
確かに、と、まどかは頷いた。
「だとしたらその元になる心は、一体どこからやってくるのかーーおまえを見ていると、ふとそんなことを思うのだよ」
まどかは再び、りんご飴を食べる。
そして、かじった。
花火はまだ、始まらない。
けれどもうすぐ時間なのか、さっきよりも人が増えてきている。
その中で、見知った後ろ姿を見かけた。
――胸の奥が、痛くなる。
それはゆっくり、流れるようにして、人の中にとけていく。
「……それは、あたしが恋をしている、という意味ですか?」
まどかはもう一度、宇佐神のことを見た。
今度は、目が合った。
いや、している。
しているはずなのだ。
となりにいる、この人に。
けれど一方で、時田が言っていたことも気にかかっていた。
――それって、恋愛対象?
宇佐神は最初から、家族だった。
一緒にいると安心して、何もかもゆだねられる気がした。
一方、時田はどうだろう。
一緒にいても、ちっとも心は休まらない。
それどころか、乱されることが多い。
けれど、と思う。
あのまっすぐな瞳に、まなざしに、応えたいと思う自分もいる。
例えそれが、許されないことだとしても。
「……あたしが、恋をしているかどうか、あたしにもわかりません。ただ」
時田とは、あれ以来話をしていない。
席替えになったこともあって、顔を合わせることもなくなった。
「ただ?」
「恋心は、どこからかやってくるものではなく、もしかしたらすでにあるもの、なのかもしれません」
最初から、だれしも持っているもの。
あるものに、気がつくこと。
なぜそう思うのか、まどか自身もわからない。
ただ、思うだけだ。
「それが、まどかの答えかい?」
まどかは頷くことなく、宇佐神を見る。
それから、りんご飴を渡した。
「――あげます」
食べかけだ。
にこにこしながら、まどかは差し出す。
宇佐神はそれを受け取ると、
「……いっておいで」
まどかの背中を、軽くたたいた。
人混みから抜けると、まどかは走った。
どこだろう。
どこにいるんだろう。
一度立ち止まり、深呼吸をする。
大丈夫。
わかるはずだ。
いつも感じていたあの気配を、探せばいい。
そう思った瞬間だった。
「――林原?」
ふり向くと、そこには時田がいた。
とたんに、まどかは動けなくなった。
「あ――やっぱおまえも来てたんだ」
時田がいつものように頭をかくと、まどかは口を開こうとした。
何か、何か言わなければ。
そう思った瞬間、足もとがぐらりと揺れる。
「――おい」
時田があわてて手を差し出した。
そして、視線を下へとずらしていく。
「……切れてんな、それ」
まどかも同じように、視線を送った。
下駄の鼻緒だった。
なんとかバランスを取って立っていると、時田が背を向けて、しゃがみこむ。
「ん」
一瞬、何を言ってるのか、何がしたいのか、まどかにはわからなかった。
「ほら、早くおぶされよ」
「え……」
「それじゃあ歩けないだろ」
座れるところまで、連れていってやる、と、時田は続ける。
まどかは迷っていた。
けれど結局、再び身体のバランスを崩し、結果的におぶられる形となる。
「ぐえ」
勢いあまって、のしかかってしまったが、時田の声は無視した。
近くにあったお寺の境内へ、時田はまどかをおろす。
「今直してやるから、ちょっと待ってろ」
時田がまどかの足から下駄を外す。
浴衣と同じように、彼方が用意してくれたものだった。
「おまえ今日、だれと来てんの?」
視線を下に向けたまま、時田が言った。
「えっと……家族」
「例の奴?」
「……とまあ、もう一人」
「ふうん」
「あんたは?」
「おれ? おれは来るつもりなかったんだけど、散歩ついでに寄っただけ」
「ふうん」
そこで、会話が途切れる。
時田は黙々と手を動かしている。
それをまどかは、ぼんやりと見ていた。
「……なあ、さっき」
ふと、時田が手を止めた。
まどかは首をかしげる。
「いや、さっき、何か言おうとしたのかと思って」
暗がりにも関わらず、時田はちゃんと見ていたようだった。
そして今も、まどかのことを見ている。
「好き」なのか。
そう問われれば、なんとなく頷くことができるだろう。
でもそれが「恋」なのか。
そう問われると、頷いていいのかどうか、わからない。
まどかは唇を結んだ。
もし、これが恋なのだとしたら、自分は元の姿に戻るのではないか。
けれど今、身体に変化はない。
だとしたらやはり、恋ではない、ということか。
「んじゃ、先におれの話していいか?」
「え?」
「やっぱもう一回、おれとつきあってほしいんだけど」
まどかはまばたきをくり返す。
「今度は学校だけじゃなく、外でも彼女として」
「な、んで?」
途切れ途切れに、そう発するのが精一杯だった。
「あきらめきれねえから」
はっきりと、時田は口にする。
そんな彼を見て、まどかはふいに浮かんだことを尋ねた。
「……あんた、そもそもなんであたしのことが好きなの?」
「なんでって……理由なんてあるかよ」
「じゃあ、いつから好きなの?」
尋ねると、時田は一瞬、目を逸らす。
それから、照れくさそうに言った。
「――一目惚れ」
「は?」
まどかはゆっくり、自分の熱が落ちついてくのがわかる。
一目惚れ、というのはその名のとおり、一目惚れ、ということで。
「え、じゃあ、他の男子と一緒ってこと?」
思っていることを、つい口に出してしまった。
「ーー違う」
時田は再びこちらを向いて、まどかを見る。
そのまなざしは真剣だったものの、まどかは息をついた。
「何が違うの?」
「……よくわかんねえけど。見目で選ぶんだったら、別に他の女でもいいわけだし」
確かに、そうだ。
彼は学校一のモテ男。
女子からの誘いは事欠かないだろう。
だとしたら、何なのか。
もしかしたら、彼自身もそれを知りたいのかもしれない。
「――できた」
時田が鼻緒を直し、まどかに履かせてくれる。
気のせいだろうか。
先程よりも履き心地がいいように思える。
「返事は別に、急いでねえから」
ついでに、立たせてくれた。
「ただおれがそうしたいっていうのを、言っておこうと思っただけで」
一度、背を向ける。
時田の背中は、案外小さく、けれど温かかった。
宇佐神とは、まるで違う。
でもまどかは、その背中が嫌いではない。
応えたいとも思う。
だから、口を開いた。
自分の精一杯を、伝えるために。




