偽物
懐中電灯を照らしながら、廊下を歩いていく。
日が暮れると、なんとなく、空気の色が濃くなるように感じられる。
そのせいだろうか。
足音が、やけに響く気がした。
「時田を呼んだのって、葉子だったの?」
まどかと葉子は二人身を寄せ合って、足もとを確認する。
ぼんやりとした灯が、気まぐれにくるくると動いた。
「うん」
葉子が頷いて、まどかを見る。
校舎の一階から二階、三階に上がり、科学室にある缶を取ってくる。
一組一個。それがルールだ。
「時田くん、一応彼氏でしょう。私だけじゃ彼女たちのこと、どうにかできるとも思えないし」
「そんなに気を遣わなくてもいいのに」
階段に足をかけると、そこだけ音がちがって聞こえる。
「まどかはそう言うだろうってわかってたから、黙ってたの。でもこれじゃあ、あんまり意味なかったかな」
肩を落とす葉子に、まどかは笑みを向けた。
音がしない。
そのことはあえて、気にとめないことにする。
「……ありがとね。時田はともかく、葉子が心配してくれたことがうれしい」
まどかの言葉に、葉子は顔をあげる。
「そうかな」
「うん。そっちのほうが何倍も、ね」
にやけてしまいそうなくらいだった。
葉子が苦笑する。
「そこまで言われると、ちょっと時田くんに悪い気がする。彼、けっこうまどかのこと心配してから」
「……そう?」
無関心ではないことは、わかる。
けれど特別関心があるかといえば、微妙なところだ。
契約は続行すると決めたものの、自分たちの関係は、なんていうか、とても曖昧だ。
まどか自身、自分の気持ちがよくわからない、という思いが強い。
だからこそ、今のところ一緒にいることを選んでいる。
「そうだよ」
葉子が一歩だけ、前に出る。
まどかはふと、足を止めた。
「私から見て――だけど、彼はまどかのこと、好きだと思う」
まさか、と、まどかが言いかけた時だった。
空気がよりいっそう、色濃くなるのがわかる。
白くぼんやりとしたものが、葉子の背中に現れ、触れた。
身体が強ばり、鳥肌が立った。
一瞬だけ、空気が途切れる。
「――葉子っ」
とっさに、まどかは腕をつかもうとした。
けれど遅かったのか、周りは一気に霧のようなものに包まれる。
白く白く、霞がかって見えない状態だ。
目を細めても、それは変わらない。
まどかは呼吸を調え、目を閉じた。
――大丈夫、大丈夫だ。
何かあれば、宇佐神や彼方がいる。
自分は、一人じゃない。
もう、あの頃とはちがうのだ。
まどかは、ゆっくりと目を開けた。
徐々に、霧が晴れていく。
うっすら、人影が見えた。
「――おまえ、何やってんの?」
現れたのは、時田だった。
「……あ」
まどかは声をもらす。じんわり、額が汗でぬれていた。
「あ、葉子。葉子は?」
「佐々木なら下に降りていったけど」
階段を指さされて、まどかは力が抜けていくのがわかった。
「おれも相手が先に帰っちまって。おまえまだ科学室行ってないんだろ」
「え、あ、うん」
一組一つ、缶を持ち帰る決まりだ。
「じゃあ取りに行こうぜ」
時田は階段をのぼる。まどかも足をかけようとしたその時、自然と言葉が出た。
「――あんた、だれ?」
背中を向けた時田が、ゆっくりとふり返る。
「はあ? 何言ってんだよ」
時田は顔をしかめる。まどかは表情を変えずに続けた。
「――時田じゃない。それはわかる」
相手はじっと、まどかを見た。
「……なんで?」
何が違うのか、と、聞きたいんだろう。
まどかは首し傾げつつ、
「……なんとなく」
胸の内を、素直に話した。
「探せば、多分他にもあるんだろうけど」
まどかは軽く笑う。けれどすぐに真顔になって、
「――本物はどこ? 目的は何?」
まっすぐ、相手を見据えた。
「おやおや、お嬢さん。ずいぶんとぶしつけだなあ」
時田は手すりに寄りかかり、腕を組む。
ここは本物に似せている、と、まどかは思った。
「あたしにしては、礼儀正しいほうなんだけど」
笑い方、仕草、声。
でも、やっぱり違うのだ。
そして違う、ということに、気持ち悪さのようなものを覚える。
うまく説明できないが、違うと感じるものがあるのだ。
「仮にも彼氏だろ。もう少し戸惑ってもよくないか?」
どうやら、こちらの事情は知っているらしい。
「だって、本当に仮、だもの」
言っていて、なんとなく落ちつかなくなる。
まちがったことは、何一つ言っていない。
けれど、なんだろう。
少しだけ、居心地が悪い。
「ふうん、なるほど、ね」
だからか、と、相手は納得したように頷いた。
それから階段をおりて、まどかを見つめる。
「だったらさ、おれとつきあわない?」
一瞬、何を言っているのかわからなくて、まどかは動きを止める。
「は?」
そう口にするのが精一杯だった。
「――だって君、人間じゃないみたいだし」
急に声が、口調が変わる。
息を、のんだ。
まどかは一度身を引こうとした。
けれど一瞬遅れて、再び霧のようなものに包まれる。
「――下がれ」
声が、響いた。
静かで、けれどその場を、霧を晴らすような音だった。
よく知っているもの。
安心できるもの。
気がつけば、まどかはその場にすわりこんでいた。すぐそばにいたのは、彼方だ。
「間一髪ってとこか」
「……彼方」
見えるのは、宇佐神の背中だった。
よく知っているもの。
そして、安心できるもの。
「……宇佐神さま」
本来なら、主を前に出してはいけない。けれど、身体がうまく動かなかった。
「そのまま、じっとしていて」
主にそう言われたら、従うしかない。
唇を噛みたい気持ちを、なんとかこらえつつ、まどかはそのまま、様子を伺っていた。
「う……」
思わずそう言いかけたとたん、霧が再び濃くる。応じるように相手の姿が見えなくなった。
宇佐神が手を軽くあげると、霧が徐々に晴れていく。
だがその先に、相手はいなかった。
「――残念。逃げられちゃったね」
宇佐神がふり向いて、肩をすくめる。
「宇佐神さま、今のは――」
今度は、声が出た。
「人間ではないよ。でもまだ、判別がつかない」
幽霊か、それともまた別のものか。
心当たりがあるのだろうか。宇佐神のまなざしが、一瞬鋭くなる。
「どちらにしても、面倒なことに変わりはないね」
宇佐神は息をつき、それからまどかに触れた。
「動けるかい?」
「……大丈夫です。それよりも」
気になることがあった。
むしろずっと、気になっていた。
まどかの心中を察したように、今度は彼方が答えてくれる。
「――二人なら、外に連れ出してある。大丈夫だ」
それを聞くと、すぐに立ちあがって、校舎を出て行った。
自分でも驚くほど、何も考えることができなかった。
外に出ると、校舎に寄りかかるようにして、時田と葉子がいる。
まだ気を失っているようで、まどかはじっと、二人の顔をのぞきこんだ。。
「……葉子、大丈夫?」
声をかけると、葉子はわずかに顔をしかめる。
「あ……」
まぶたを開けると、目が合う。額をおさえて、ゆっくりと身体を起こした。
「あれ、私、どうしてたの?」
「ええっと……」
なんて答えたらいいのか迷う。
まさか、本当のことを話すわけにもいかない。
「……るせー」
まどかがどもっていると、今度は時田が顔をしかめた。忘れてた、と思いつつ、とりあえず声をかける。
「時田、大丈夫?」
葉子と同じように目が合った。
けれど、なんだろう。
じっと見つめられて、なんとなく逸らしてしまう。
「あ、まどか。もしかして缶、取ってきてくれたの?」
後ろをふり向くと、ジュースの缶が二つ、ならんでいた。
覚えはない。
けれど、そこにあるということは――気配からして、宇佐神と彼方だった。
「まあ、ね」
まどかは一つ、缶を時田に渡す。それからふと気になって尋ねた。
「そういえば時田、あんたの連れは?」
「あーーなんか急に戻るって言い出して」
結局、一人で科学室まで向かったそうだ。
それを聞いて、まどかはほっと胸をなでおろす。
「まあ、でもこれで、条件は満たしたわけだし、堂々と帰れるわよね」
葉子がほっとしたように、そして得意げに言った。
「あ、そっか」
まどかは気がついたように頷く。
とたんに、
「あ――時田くん」
かん高い声が響いた。
クラスの女子だ。
まどかも葉子も、つられるようにして目を向けた。
「うげっ」
時田が顔をしかめる。
そのまま立ちあがった。
「おれ、帰るわ。これ渡しといて」
まどかのほうに缶を放り投げて、裏口のほうへ走っていった。
「あ、ちょっと」
まどかは受け取ったものの、また面倒なことになる気がして、眉を寄せた。
おかげで、気がつかなかったのだ。
ある人物の視線に。
葉子と駅で別れると、宇佐神と彼方がひょっこり姿を現す。
「いいね、青春だね」
「……まあ、いい子、だよなあ」
二人の言葉に、まどかはなんだか気恥ずかしくなって、肩をすくめた。
けれどすぐに、お腹のあたりをおさえる。
「彼方、何か買って帰ろうよ」
「夕食の準備はしてきたぞ」
「それも食べたいけど」
そういう感じじゃない。
言葉にするより先に、立ち止まったのは和菓子屋だった。
「ああ、そういうこと」
「いいですよね、宇佐神さま」
「もちろんだとも」
そこでどらやきを3つ、買ってもらう。
家に着くと、居間でお茶を飲む。
どらやきをそれぞれ、口に入れながら、
「それにしてもあれは、なんだったんでしょうね」
ふいに彼方が言った。
まどかはちらりと宇佐神のことを見た。
すると目が合う。
「まどかはどう思う?」
尋ねられて、考えた。
姿形、その時の気配、感覚を思い出してみる。
「……宇佐神さまは、人間ではない、と仰ってました。けれどあたしは、なぜか人のような気配も感じられて」
うまく説明できない。
ただ、感じただけだ。
「もしかしたら彼は、おまえと同じなのかもしれないね」
宇佐神の言葉に、まどかは首をかしげる。
「――半分人であり、半分人ではない」
その半分が何なのか、まだはっきりしないけどね、と、宇佐神はどらやきを半分にして口する。
「でも人である部分は、まどか。おまえにだったら、触れられるんじゃないかな」
宇佐神がどらやきを割った手で、まどかの頭をなでた。
――人である部分。
まどかの中で、その言葉が響く。
ふと、自分の手を見た。
彼方から半分、そして宇佐神から半分、まどかの手のひらに、そっとのせられた。




