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第8話 近寄らないで

「アロン!」


 ある時は、庭園で。


「アロン!!」


 また、ある時は剣の練習場で。


「アロン!!!」


 そのまた、ある時は大図書館で。


「アロンー!!!」


 更に、そのまた、ある時は……。


(くっ……また、逃げられた……!)


 チチェは広々とした回廊の真ん中で膝をついた。すれ違う人々が不審な目で彼女を見ていく。

 

 今は昼の休憩の時間なので、回廊にも、中庭にも人が多い。

 だが、チチェは彼らの目を気にすることなく、肩で息をしながら、アロンが去っていった回廊の先を睨みつけた。


 あれから数日、チチェは王宮内でアロンを見かける度に、彼との接触を試みた。


 何としてでもアロンに謝りたいのだが、彼はチチェを見つけると怪訝な顔をして、光の速さで消える。

 流石、神々に祝福されし勇者だ。チチェが身体強化魔術を駆使して追いかけても一度も追いつけなかった。


 チチェは自身に掛けていた魔術を解除すると、回廊の柱にもたれかかって座り込んだ。

 全速力で走ったので汗はダクダク、心臓もバクバクだ。


 それでも今回は今までよりも長く、アロンに追いつけた。連日の追いかけっこに疲れているのかアロンも段々と逃げるのが遅くなっているように感じた。


(あと、少しで捕まえられそう……!)


 チチェの目標が謝ることから、勇者アロンの確保に移り変わってきていた。

 だが、最近はどうも王宮内で見かけることが少なくなってきている、チチェに懲り懲りして客室に引きこもっているのかもしれない。


(ちょっとくらい、話してくれたって……)


 アロンが王都に凱旋してからの一週間、チチェはパレード以降、一言も話せていない。

 馬鹿げたことをしてアロンに睨まれるのは、幼い頃から慣れているが、時折彼の近くにいる他の勇者メンバーから数奇な目で見られるのは少し心苦しかった。

 

 特に聖女イレーナは常に彼の側にいて、名前を叫びまくるチチェを怪訝そうに見ていた。

 憧れの英雄たちの前で恥ずかしいことをしている自覚はあるのだが、ここで諦めるチチェではないのだ。


 だが、一方で、王宮内でのチチェの評判は身の程知らず、自己中女だの底に来ている。勇者様に大声で呼びかけた挙句、その瞬間に勇者様は消えてしまっているのだから。


 この前も、王宮魔術師の品格を堕とすな、とシュルツ院長に叱られた。

 正直、魔術師なんて、胡散臭い、陰気臭いだのなんだのと散々悪口を言われているのだから、これ以上落ちる品格もないと思うのだが……。


 しかし、これ以上目立って、周囲に迷惑をかける訳にもいかない、チチェとしてはこんな追いかけっこ止めて早く謝ってしまいたい。


 これだけ拒絶されていようと、アロンはただ怒って意地を張って、喋りたがらないのだと、チチェは信じていた。きちんと謝ればきっと、昔みたいに仲良しに戻ってくれるのだと。


(次こそ……)


「少し、いいかしら」


 チチェが顔を上げると、そこには白髪の美しい女性がチチェを見下ろしていた。


「イ、イレーナ様!……っ!」


 チチェは驚きのあまり、頭をゴンと後ろの柱にぶつけてしまう。


 そこにいたのは聖女イレーナだった。白と金を基調としたキトンのドレスをまとっている。あまりの神々しさに、チチェは目を瞬かせた。


「驚かせて、ごめんなさい」


 頭をぶつけたチチェにイレーナは申し訳ない、と頭を下げた。その仕草は精錬されていて、惚れ惚れしてしまう。


「いや!これしき!なんでもありませんよ!」


 ズキズキと主張してくる後頭部を無視して、チチェは慌てて立ち上がった。

 チチェは手を振って、平気なことを示すが、イレーナが優しくその手を取る。


「《治癒せよ》」


 そっとイレーナがつぶやくと、チチェの全身に爽やかな風が駆け巡った。あまりの心地よさにチチェは全身の力が抜けていくような気がした。


「これで、痛くないかしら」

「は、はい!とても、痛くないです!」


 ぶつけた後頭部どころか、幼い頃、魔犬に襲われてできた腕の古傷も全部消えている。


(こ、これが、聖女イレーナ様の治癒魔法……!)


 チチェは噂に聞いていたその魔法を体験し、恐れおののいた。

 

 聖女と魔術師がそれぞれ使う、祝福と呪い、魔法と魔術は反発しお互いの効果を打ち消す性質がある。


 だから魔術が身に沁みついている魔術師に聖女の治癒魔法は聞きにくいのだが、チチェにここまでの魔法をかけることができる聖女イレーナの能力は随一と言えるだろう。


 それに、魔術師が使う治癒魔術は身体の治癒能力を無理やり引き出すようなものであるから、かけられた側はごっそり体力を持っていかれて疲弊する。


 だが、聖女たちの使う治癒魔法は体力が取られるどころか、気力体力、共に満たされるし、なにより心地良い。これだったら、ずっとかけていてほしいくらいだ。


「チチェ・ブラウンさんであっているかしら」

「は、はい!チチェ・ブラウンです」


 ずっと吟遊詩人や新聞などからしか知らなかった英雄が目の前にいる。チチェは緊張でドギマギしてしまった。


 イレーナの琥珀色の瞳がチチェの瞳をじっと見ていた。

 こうして並ぶと、チチェの方が少しだけ高い。


 こんなに繊細で美しい女性がアロンと七年も魔王討伐へ旅をしていたのだ。その過酷さを思うと、尊敬しかない。


「……とても、伝えにくいのだけれど……」


 イレーナはチチェから目を外すと、目を伏せながら気まずそうに告げた。


「これ以上、アロンに付きまとわないでほしいの……」


 それは切実に願う声だった。


「……そ、それは、その…ご迷惑をおかけしております」


 チチェは言い淀んだ。ついに、勇者の仲間からクレームが入ってしまった。

 あれだけ騒いでいたのだから、文句を言われることくらい覚悟していたのに、いざ言われてしまうといたたまれない気持ちになった。


「一度、アロンとお話させていただくことはできないでしょうか。私がしてしまったことを謝りたくて……」


 しかし、そこで分かりましたと言ってしまう訳にもいかない。チチェは申し訳なく思いながらお願いをしてみる。


 アロンには逃げられてしまうが、聖女イレーナを通してなら会わせてもらえないだろうか、とチチェは思った。イレーナからのお願いであればアロンも、聞いてくれるのではないか。


 しかし、イレーナは首を振った。


「確かに彼はそのことに関して怒ってはいたけれど、謝罪はいらないと言っていたわ」

「やっぱり……でも、直接一度……」


 謝罪はいらない。そんなことをしたら、チチェは謝れなくなってしまう。アロンに許してもらえなくなってしまうではないか。

 それでもなお、会わせてくれと伝えるチチェに、イレーナは目を伏せたまま気まずそうに首を振るだけだ。


「……彼はもう会わないと言っていた」


 イレーナの意思は固く、チチェの願いはかないそうになかった。だが、チチェは何度も食い下がる。


「……幼馴染ということで、そこをなんと……」

「迷惑だと言っているの!」


 イレーナは叫んだ。


「もう彼に関わらないで!」


 目を伏せたまま、苦しそうに彼女は震える拳を強く握りしめていた。お淑やかなイレーナが大きな声を出したことに、チチェは驚いた。


 昼休憩でにぎわっていた回廊に彼女の声が響き渡り、周囲の人々が二人に注目する。


「ご、ごめんなさい……強く言いすぎてしまった」


 イレーナも自分が叫んでしまったことに驚いているようだった。恥じるように謝罪をしたが、その目には絶対に引かないという確固たる意志がうかがえた。


「い、いえ……私もその、しつこくしてしまって……」


 そもそもチチェが悪いのだ。イレーナが何度も首を横に振っていたのに、諦めなかったチチェが悪い。


「私とアロンは恋人なの」


 イレーナはこぼれるようにそう告げた。チチェは一瞬、頭が混乱した。


 今この瞬間に勇者の恋人大論争に終止符が打たれた。


 勇者アロンの恋人は聖女イレーナである。その妄想は何度もしてきたというのに、なぜかすぐに理解すること

ができなかった。


 頭が麻痺したようだった。


「…そ、それは…お幸せになってください……」


 チチェは、自分が何を言っているのかもわからず、ただ出てきた言葉を口にした。

 きちんと声にならなかった、かすれて、蚊がなくみたいな声だった。


 イレーナはチチェの言葉は聞こえていないようで、辛そうな顔で続けた。


「だから、嫌なの。彼に馴れ馴れしくされるのは」


 イレーナは自身の腕を強く握り絞めて振り絞るようにそう言った。


「……それを分かっていて、彼もあなたと距離を置こうとしてくれている」


 震える声だった。チチェに伝えるのが申し訳ないかのように、それでも伝えなくてはならないという意思の元に。


「自分でも、ひどいことを言っているのは分かっているわ。それでももう、彼に近づかないでほしいの」


 チチェは何も言えなかった。イレーナは顔を上げると黙ったままのチチェに真剣な目を向ける。


「お願いしてもいいかしら……」


 チチェはその琥珀色の目に釘付けになる。


「……わ、分かりました」


 チチェはただうなずいた。頷くほかになかった。


「ありがとう」


 イレーナは微笑まなかった。泣きそうな顔でチチェに感謝を告げた。


「ごめんなさい」


 そしてその一言だけを残して、イレーナは去っていった。




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