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【番外編】第1話 聖女の独白 後編

 告白が失敗した後、魔界への旅路ではイレーナは少し気まずかった。いつもアロンの隣を歩いていたのに、なるべく避けるようになってしまった。それに、彼に話しかけられると緊張して声が上ずってしまう。

 そんな彼女を見て察したのか、ロビンもオーレンドルフも変に気を使ってやたら優しい言葉を掛けてくるし、ナグは逆に普通にしようとしすぎて空回っていた。イレーナをいつもみたいにアロンの隣に座らせようとしてくるし、「イレーナは良い女だな!」とアロンに聞こえるように言うのだ。空気を読むのは得意でも回すのは得意でないナグだった。イレーナはその気持ちは嬉しかったが、かえって虚しくなってしまった。

 

 そんな中で当事者であるアロンだけは普通だった。振ったことを忘れているのかと聞きたくなるくらい、イレーナに対していつも通りだった。そのせいで自分は異性として見られていないのだ、とイレーナは知らしめられたような気がした。

 

 しかし、魔界に入ると戦況も悪化し、そんなことを考える余裕は無くなった。幸いなことにイレーナも他の仲間たちも切り替えは早い。それから二年間近く、イレーナたちは過酷な魔界の旅を続けた。


 そして、やっとのことで魔王を倒した。長年魔族の侵略に苦しんでいた大陸はこれで救われたのだ。

 だが、魔王はアロンの胸に大きな傷と、酷い呪いを残していった。アロンの傷が治らないと判明したとき、イレーナは誰よりも取り乱した。


 勇者の仲間たちはひたすらアロンが助かる道を探しながら王国へ帰路についた。魔王や魔族たちの妨害を受け、六年以上かけた行きの旅路とは違い、王国への帰路は一年もかからなかった。

 

 オーレンドルフの故郷である大帝国は魔術先進国であるから、そこで数か月滞在した。だが、どの魔導士も呪いを解析することはできなかった。期待していた分、イレーナは酷く裏切られた気持ちだった。


「ぜってぇ、帝国にいた方がいいって!なんかいい方法見つかるかも知んねぇだろ!?」

「いや、俺は帰る」


 大帝国を発つときも喧嘩になった。魔王の呪いを受けたアロンは大帝国で治療を模索することが一番の道だ。いつも楽観的な弓使いロビンですら、アロンに残るように声を荒げたが、アロンは頑として譲らなかった。

  

 挙句の果てには彼一人で王国に発とうとしたので、皆、アロンの容態が悪くなるのを覚悟の上で、国に帰ることにした。

 彼は何としてでも王国への帰還を急ぎたがった。その理由は分かっている。アロンは幼馴染に会いたいのだ。


 このまま故郷から遠く離れた帝国で治るか分からないまま残された時間を使ってしまうのが、二度と幼馴染に会えないまま終わるのが、彼にとっては恐ろしいことなのだと、誰もが理解した。


 だが、それでは余計にアロンの助かる道は狭まってしまう。誰かを救うためならどんな誇りも伝統も殴り捨てて、最善の道を選び続けていたアロンが、選ぶべきでない道を選んでしまう。イレーナにはアロンの判断を狂わせるチチェという存在が憎かった。


 大帝国を発つ際、魔導士オーレンドルフは国に残った。魔王の呪いに詳しい文献がないか調べると言っていた。だが、イレーナはその疲れ切った彼の顔を見て、単に衰弱していくアロンから逃げたいだけなんじゃないかと疑ってしまった。アロンの旅を始めから共に見守ってきた彼だからこそ、余計にイレーナは裏切られたような気持ちになってしまった。

 

「そろそろ休みましょ。本当に大事にして」

「大丈夫だ。それより先に進もう」

 

 無理して旅を続けたことで、アロンの容態は悪化した。胸の大きな傷からはどんどん壊死が広がり始めた。王国に着いたときにはバイコーンに乗っているのも、歩くのも、全てが苦痛なようだった。イレーナが常に側にいて、治癒魔法で緩和しないと、すぐに気絶してしまうほどだった。

 

 だから、王国の凱旋パレードなど悠長なものに参加しないで、すぐに王宮魔術院や神殿に行こうと言ったのだ。だが、アロンはそれも拒んだ。

 世間にはあくまで普通に勇者が帰ってきたのだと知らせたいようだった。

 アロンが止めるので、王にアロンの状態を知らせるのも王国に到着してからになってしまった。しかも、アロンはそのまま王都を通って故郷に帰るつもりのようだった。


 アロンは幼馴染に会わなくてはならないという、強い執念で持ちこたえていた。それだけ想ってもらえるチチェという幼馴染がイレーナには羨ましく、そして妬ましかった。


 ただ、運が良いのか悪いのか、王都の凱旋パレードでアロンは幼馴染と偶然再会した。アロンから聞いていた通り、彼女の髪は柔らかそうな栗毛だった。魔術が得意だったから魔術師になっているだろうとアロンは言っていたが、それは予想以上だった。彼女は濃紺の、王宮魔術師のローブを纏っていた。


「——二度と近づくな」

 

 イレーナが駆けつけたとき、アロンは彼女を突き飛ばしていた。敵と対峙しているかと見間違えるほど殺気に満ちた眼差し。あれだけ幼馴染を想っていた彼とは思えないほど、彼は彼女のことを拒絶していた。悪魔にでも憑りつかれたのかとイレーナは思ったが、彼は正常だった。

 

 あんなにアロンが幼馴染に会いたがっていたのは、想いを伝えるためではなかった。最後に彼女を突き放して、幼馴染から自分の存在を消そうとしていたのだ。

 

 実際に、彼の幼馴染はアロンに拒絶されたことで衝撃を受けていたようだった。アロンに突き飛ばされたときの、この世の終わりかのような顔。アロンとの絆を信じ切っていた目だった。


(当然よ……)


 イレーナは彼女のそんな表情を見て少しだけ胸がすく思いがした。彼女のせいでどれだけアロンが苦しむ羽目になっているのか、知りもしない。しかも、これは王宮に着いてから知ったことではあったが、彼女は自分が勇者の幼馴染であると吹聴し、自慢していたそうだ。


 彼女は一度拒絶されたのに、図々しくも、何度も何度もアロンに絡んでくる。その度に、アロンは無言で拒絶の意を示していたというのに、めげる様子もない。


 イレーナにとって敵わない強敵だと思っていた彼女は、なんとも身勝手な娘に見えた。彼女がアロンに拒絶されてショックを受ける様子を見る度、イレーナは心の底で悦ぶ自分がいるのを感じていた。そんな自分を嫌悪するときもあったが、彼女を憎む気持ちは無くせなかった。


(お願いだから自分のことを大切にして)

 

 イレーナは彼女の膝で眠るアロンの髪を撫でる。二人は王宮内の小さな森にあるガゼボに腰かけていた。限界を迎えて気絶してしまったアロンをイレーナは自身の膝を枕に横たわらせていた。

 人も少ないこの森の中なら、誰かに見られる心配もない。鎧も解除して、アロンはただ普通の青年のように眠っていた。

 

 日が暮れかけているこの時間は、あたり一帯が、薄く明るく、薄く暗い。薄橙色と桃色が混ざりあった神秘的な景色。その光の中で見えるアロンの横顔は、本当に綺麗だった。

 

 寝ておけと言っているのに、彼は何度も王宮に出向く。その度に勇者ファンに囲まれ、それを見つけた幼馴染に突撃される。そして、彼女を見つけた瞬間に無言で逃げる。これも彼は彼女に嫌われるためだ、とはいうけれど本当にそれだけだとは思わなかった。

 

 ただ、彼が本気で彼女に嫌われようとしていることは事実だった。だから、それに加担するようにイレーナは彼の恋人の振りをすることを提案した。

 アロンは素直に頷いた。それはアロンが幼馴染に嫌われたい、という気持ちに沿ったものでもあるが、イレーナにはいつか自分に振り向いてくれるんじゃないかと、淡い期待もあった。

 

 イレーナはアロンが死ぬなんてことは信じていなかった。きっと今までのようになんとかなる。いや、なんとかする。

 そして、彼を呪いから救ったときに、自分に振り向いてもらいたかった。


 だが、どんな方法を試しても、頼みの綱だった王宮魔術院の協力があっても、呪いは解けなかった。ただ、焦りだけが募っていった。

 その頃には当のアロンも、死を覚悟しているのが見て取れた。

 

(どうすればいいの……どうしたらアロンは助かるの)


 イレーナは消えかかる彼の命を繋ぐために連日彼に付き添っていた。次第に心も体も消耗していった。どんな魔術師にも、治癒師にも、アロンの呪いを解くことはできなかった。ロビンもナグも明るい表情でいながら、静かに絶望を受け入れ始めているようなのが分かった。


「私がアロンに呪いをかけました!」


 刻々とアロンの死が近づいている。そんな時に彼を救ったのは、彼の幼馴染だった。彼女は魔王の呪いが祝福であると突き止め、その祝福を彼女自身の呪いで相殺してしまった。そんな突拍子もない発想に驚くと同時にそれが祝福であると気づかなかった自分の不甲斐なさにも打ちのめされた。

 呪いと違って、祝福の構造はまだ理解されていない。ただ、それを言い訳にすることなんてできなかった。ずっと側にいた自分には気づけなかったことを、彼の幼馴染は一瞬で見抜いてしまった。


(でも、なんだっていいわ)


 そう。なんだっていい、彼が助かったのだから。その事実だけが嬉しかった。あれだけ憎く思っていた幼馴染のことも、女神様よりも尊い人に見えた。そして、同時に彼女に敵わないと思ってしまった。


 彼を生かしたのも、救ったのも、彼の幼馴染だったのだ。彼の隣はとっくに埋まっていて、決まっていた。


 結局、アロンがイレーナのことを異性として見てくれたことは一度も無かったように思う。




 魔王の祝福が解けた後、幼馴染の呪いの影響でアロンと彼女は身体の一部がくっついたまま一か月を過ごした。彼女の呪いを相殺するためにイレーナも全力を出したが、魔術院院長が予想した通り一か月は残ってしまった。それも彼女に負けたような気がして少し悔しかったことは誰にも言っていない。


 

 

 そして一か月が経つと、彼はまた勇者としての活動を再開した。助けを求める者がいれば、アロンは仲間を引き連れて旅をする。そして、当然イレーナもアロンに呼ばれた。

 

「よぉ、久しぶり」

 

 アロンは待ち合わせ場所にやってきたイレーナを見ると、笑顔で手を挙げた。彼は女神の鎧に聖剣を携えて、王宮の門で仲間たちを待っていた。イレーナは彼と会うのはちょうど一か月ぶりだった。幼馴染の呪いを相殺させるべく祝福を掛けたときが最後に会ったときだ。それ以降は、イレーナが二人から距離を取っていたこともあって会っていない。


「……久しぶり。元気そうでよかったわ」

「ああ、おかげさまでな」

 

 アロンは少し気恥ずかしそうに笑った。

 久しぶりに見るその笑顔は、共に旅をしていた時より随分と柔らかくなっていた。勇者としての重圧から解き放たれたおかげか、それともずっと会いたかった幼馴染と一か月も側にいれたからだろうか……。

 

 イレーナは心がチクりと痛んだような気がした。今さら女々しいと、自分のことが嗤えてくる。

 彼女の内心は露知らず、アロンは彼女に笑いかける。

 

「今回の旅も頼りにしてる。よろしくな、イレーナ」


 そんな彼が少し憎たらしくて、イレーナは思わず口を開いてしまった。


「振った相手にまたよろしくなんて、酷いわね」


 自分でも意地悪なことを言ってしまったと思った。イレーナは気まずさを感じて口をつぐんだ。恐る恐る彼の反応を見る。

 だが、彼はただ首を傾げているだけだった。

 

「……俺は」


 嫌味を言われたというのに、アロンは少しも不快そうな顔をしていなかった。それどころか、目をつぶって真剣そうになにやら考え出した。

 暫く考えたあと、アロンは口を開いた。


「俺は……イレーナは頼りになるやつだと思ってる」


 イレーナは唖然とした。頼りになるだなんて、いきなり何を言っているのか。


「最初に言ってくれただろ、俺のこと守るって」

「……そうだったかしら」


 イレーナは彼と初めて会ったときのことを思い出す。随分可愛らしい勇者が来たと思って、守らねばと決意した記憶はある。だが、それをなんて伝えたかは忘れてしまった。


「言ったよ。イレーナがそう言ってくれたのが嬉しかった」


首を傾げる彼女にアロンは困ったように笑った。


「俺はさ、本当は怖かったんだよ、勇者に選ばれたこと。だからよく覚えてる」


 怖かったなんて、アロンの口から初めて聞いた。ずっと、旅の間もアロンは弱音を吐いたりしなかったし、平気なものだと思っていた。驚いている彼女に、アロンは笑いかけた。

 

「実際に、何度も守ってくれただろ?」


 純粋に、心から嬉しそうなアロンだった。

 何度も守ってくれたと言うが、イレーナも回数なんて分からない。何度も守ったし、守られた。そんなこといちいち数えきれないくらいにお互い守り合ってここまで来た。

 

「だから、お前のことは信頼してるし、大切な仲間だと思ってる」


 アロンは清々しいくらいの笑顔でそう言った。


「俺は振ったとか振られたとか、関係なく今後も仲間でいたいと思うんだが、イレーナは違うか?」


 イレーナはアロンの言葉に目を伏せる。

 

「本当に、酷い人……」

「そうか?」


 アロンは不思議そうにそう聞く。本当に酷い。自分の幼馴染は鈍感だのなんだの言っていたが、アロンも似たようなものなのではないだろうか。


「そう言われて私が嬉しくない訳がないの、分かるでしょ?」 


 イレーナは顔を上げて真っすぐにアロンを見た。怒ったような表情で、でもどこか笑ってしまっていた。上がりたくもないのに、口角が勝手に上がってしまう。

 彼女の表情を見て、アロンは頷いた。

 

「ああ、イレーナは褒めればすぐ図に乗る」


 イレーナはバシッと彼の背中を叩いた。思ったより強く叩いてしまったのか、アロンは呻いた。治ったばかりの傷に響いたようだ。


「おーい!アロンー!イレーナー!」


 少し遠くから二人を呼ぶ声がした。弓使いのロビンと斧使いのナグが旅装束姿で駆けてくる。


「あいつらも来たみたいだな」


 アロンは遠目で二人を確認すると満足そうだった。今回の旅にも仲間が全員揃う。今は帝国にいるオーレンドルフも途中で合流する予定なのだ。


 魔王討伐が終われば、もう彼と関われる機会なんてないと思っていた。でも、そんなことは無かった。これからもアロンは勇者だし、イレーナたちは仲間なのだ。


 イレーナは拳を固めると、アロンの腕を軽く叩いた。


「いいわよ。今回もあなたのこと守ってあげる」


 イレーナを見て、アロンは嬉しそうに笑った。彼も拳を固めると、イレーナの拳に軽く当てた。

 

「ああ、任せた」

 


 七年前、勇者アロンと聖女イレーナはこの王宮の門から、長い長い旅への第一歩を踏み出した。


 そして今日もまた、この場所から二人は旅立つのだった。




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