第1話 勇者アロンの幼馴染
栗色の髪をした少女、チチェは唇を噛んで俯いていた。その瞳には涙が滲んでいる。
彼女は目の前にいる少年の腕を掴んでいた。腕を掴まれている少年は、眉を困りげに顰めている。
「チチェ…俺、絶対帰ってくるから」
少し長い黒髪に紅色の瞳。整った顔立ちの彼は一見少女のように見えるほど可愛らしい。
だがそんな華奢な彼は、彼には似合わない白銀の鎧を纏っていた。腰には彼が持つには大きな白金の剣が下げられている。
白銀の鎧は女神の鎧、白金の剣は女神の聖剣。魔王を倒すべく女神に選ばれ、聖剣を授けられた少年が今、その故郷の村から旅立つ瞬間だった。
周囲には旅立ちを見送る村人たちと、彼を迎えに来た王国の騎士たちが二人の様子をうかがっている。
少年はすぐに王都に向かわなくてはならない。王都には魔王討伐のために集められたメンバーが待っている。
そんな彼らと合流し、人間の国々に侵略を繰り返す魔王を打ち倒す。それが女神の祝福を受けた彼がするべき宿命なのだ。
だというのに、幼馴染の少女――チチェは彼を離そうとしない。何度引っ張っても、剥がそうとしても無駄なのだ。この勇者の幼馴染はどうにも強情であった。
少年はため息をついて、何度か迷ってから口を開いた。
「チチェはここで待っててほしい。それで…」
あくまで平然と伝えようとする表情の一方で、少年の耳が段々と赤くなっていく。
「お、俺…戻ってきたらお前に…」
二人を見守る大人たちはその微笑ましい様子を温かく見守っていた。
「お、お前に…伝えたいことがあるから!」
その目は真っすぐと少女を見つめていた。覚悟を持った瞳だった。
彼にはずっと少女に伝えたかった事がある。本当はもっと後、少女が少年をただの友達としてではなく、別の関係を意識してもらえるようになってから伝えたかったこと。
「だから、この村で、俺の帰りを…」
「嫌だ!」
チチェと呼ばれた少女はガバッと顔を上げると少年の言葉を遮って叫んだ。
「私も行く!」
「は?」
「私だって、魔術使えるもん!魔王倒せるもん!」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔でチチェは少年に迫る。
付いて行くと駄々をこねる彼女に、少年は呆れた顔を向けた。
「何言ってんだよ、無理に決まってんだろ」
「私も行くの!」
それでもチチェは引かなかった。
「私も行くのぉぉ!!」
彼女は少年に飛び掛かかった。そう、それはいつもの喧嘩の合図。少女の頑固な様子に、いつものごとく短気な少年の堪忍袋は切れた。
「いいから大人しく待ってろ!このアホ!!」
そしてチチェは投げ飛ばされた。
次にチチェが目を覚ました時は、彼女は自身のベットの中だった。外はとっくに暗くなり。少年はすでに村を旅立っていた。
大好きな幼馴染に置いていかれたことを理解した彼女は、誰もいない外に向かって叫んだ。
「アロンのバカぁぁぁぁぁ!」
勇者アロンとその幼馴染チチェ。この二人の再会は勇者が魔王討伐を終えるまでの七年間、一度も叶うことはなかった。
「ついに、凱旋!!凱旋!!見事、魔王を打ち倒した勇者アロン!!勇者アロンが帰ってくるよぉ!!」
王都の噴水広場で号外売りの少年が大声で号外をばら撒いている。通り中には人々があふれ、皆笑顔で言葉を交わしていた。
それもそのはず。勇者アロンが七年の旅を経て魔王を打ち倒し、ついに今日、王都への凱旋を果たすのだ。
王都中がお祭り状態。凱旋パレードのために王都を貫く大通りには、多くの出店と勇者の瞳と同じ紅色の飾りでいっぱいだ。
「ほらほら、そこの王宮魔術師のお姉さん!!お姉さんにも号外だよぉ!!イケメン勇者の絵姿載ってるよぉ!!」
号外売りの少年は、王宮魔術師のローブを着た女性に号外を渡した。
彼女は被っていたフードを外すとしげしげと号外に描かれた勇者アロンの絵を眺めた。
彼女のフードから現れた姿は至って平凡で、栗毛色の長い髪に、翠の目、少し不健康そうな白い肌。特に特徴のないどこにでもいるような見た目の彼女がフードを被っているのは、魔術師であるが故。
呪いや魔術という穢れを扱うが故に、魔術師たちはフードを被ってその陰気臭さを隠すのだ。
しかし、今日という勇者凱旋の祝いの日にフードを外したところで誰も文句は言わない。
「ふーん。まぁまぁ、ってところだね。アロンはもっと細身だよ」
勇者アロンとして絵姿に描かれているのは黒髪に紅色の瞳をした、体格のいい精悍な男性の姿。それは、彼女の記憶にある細身で中性的な少年だった彼とは少し違う。
「そのご様子?勇者様を直接見たことがあるんですか?」
号外売りの少年は胸元からメモを取り出すと、興味津々に女性魔術師に詰め寄った。
今や勇者アロンは全国民の注目の的。勇者たちの旅の様子は彼らの立ち寄った街の新聞社や吟遊詩人たちによって国中に瞬く間に伝わる。
そして、彼らの物語に飢えた国民たちは新しい勇者たちのエピソードを今か今かと待っている。
この少年も記者を目指す身、勇者アロンを見たことがある人物との遭遇チャンスを逃しはしないのだ
目を輝かせて見上げる少年に、その魔術師は機嫌が良くなったようで意気揚々と話し出した。
「見たことある、だけじゃないよ。なんといっても、勇者アロンは私の幼馴染なんだから!!」
「どええええ!?!?!?」
栗毛の魔術師――チチェ・ブラウン。勇者アロンと故郷を同じくし、七年前に激動の別れを経験した彼女は胸を張ってそう宣言した。
「なんだ、なんだ」
「勇者の幼馴染だってよ」
「すげぇ!!」
号外売りの少年の驚いた声に、街行く人々が振り返り、騒ぎ出す。チチェはその様子にどこか誇らしげな様子だった。
「勇者様の幼馴染……!あの有名な!!」
「お会いできて光栄だぁ!!一度、お話してみたかったんです!!」
「サインください!!」
号外売りの少年に続き、あっという間にチチェの周りは人々でもみくちゃになる。
そう、勇者の幼馴染のチチェ・ブラウンは有名人だ。なにせ、みんな大好き勇者アロンの過去の姿を知っている人間なのだ。
彼女の情報提供により、王国の勇者ファンたちは勇者アロンが小さい頃は周囲からチビ助アロンと呼ばれていたことも、にんじんが嫌いだったことも知っている。
彼らの反応を見て、彼女は鼻の穴を膨らませて満足そうにニヤニヤした。
「ふふふふ。そんなに、アロンの話が聞きたい?そうだね、そしたら、アロンが木刀で熊を退治した時の話とか……」
「しません」
「ぐえ」
チチェのフードが引っ張られる。フードを引っ張ったのは同じく王宮魔術師のローブを纏った亜麻色髪の女性だった。
チチェより背が低いので下からチチェのフードを引っ張っている。首が締まったチチェはカエルが潰れたような声を上げた。
「何やってるんですか先輩。早く王宮に行かないと院長に怒られますよ。勇者様の話はいい加減にしてくだい」
チチェを先輩と呼ぶ彼女はもう一度チチェのフードを引っ張ぱると、そのままずるずるとチチェを連行していった。
王宮内の最東にある王宮魔術院。そこが、チチェ達の仕事場だ。休日の朝から院長に呼び出された二人は、院長室の扉を開く。
「遅いぞ、ブラウン!」
扉を開くと飛んできたのは叱咤の声。チチェにはよく聞きなれた声だ。
「えぇ、シュルツ院長。なんで私だけ」
「当然だ」
院長机に座っているのは、銀の長髪を流した美しい男性だ。チチェ達の紺色のローブとは違い、白に空色の涼し気なローブを着ている。
彼は王宮魔術師の総代表であるシュルツ院長。見た目は二十代前半ほどに見えるが、19歳のチチェより二回りも上という年齢詐欺師だ。
美肌の秘訣は質のいい睡眠と食事。両方欠けがちな魔術師たちはよく彼に叱られている。エマとはよく美容用品の話で盛り上がっているようであるが、チチェにはよく分からない。
「どうせまた勇者様の自慢話でもして、道草食ってきたんだろう」
シュルツは見た目に合わない低い声でチチェを問い詰める。
「自慢ではないです。布教です。勇者アロンの成し遂げた伝説は余すことなく伝えないとですから」
だが、シュルツの剣幕に怯むことなくチチェは胸を張った。
「それより、聞きました?この度の凱旋の途中でも、またアロンは一つ村を救ったそうなのですが、そこがまた……」
「ああ、もういい。止めろ」
早口で勇者の功績を語ろうとしたチチェをシュルツは止めた。
チチェが熱狂的勇者ファンであることなど今に始まった訳ではない。勇者アロンが魔族に勝利する度に、職場で騒ぎまくっているし、チチェの仕事机は勇者グッズ(非公式)のもので溢れている。
正直、他の魔術師たちからはウザがられているとこも知っているが、幼馴染が凄すぎるのだ。誇らしく思うのも仕方ない、とチチェは一人勝手に納得している。
反省の色が見えない彼女を一瞬睨むが、院長は諦めたように椅子に座り直した。
勇者の話を遮られ、喋り足らないチチェの横でエマが眠たげにシュルツに話しかけた。
「それで、エマと先輩に用事ってなんですか?非番なのにミミちゃんに叩き起こされて来たんですけど」
エマはあくびをしながら、院長室の止まり木で眠っているミミズクを羨ましそうに見る。女子寮までエマとチチェを起こしに行った後、もう一度戻って来て寝ているようだった。
「私だってこんな朝早くからミミを飛ばせたくなかったさ」
シュルツ院長は肩をすくめる。
「我らが王より、内密の依頼だ。今日、呪いに詳しい魔術師を急ぎ寄こしてくれ、とのことだ。詳細については伏せられているから私にも分からん」
「呪術関係ですか……私も得意ですけど、先輩一人いれば充分じゃないですか。この前二級に上がったばかりだし」
エマは頬を膨らませた。
王宮魔術師には、一級から三級の階級がある。級が上がるごとに重要な仕事が振られるようになる。
シュルツ院長は当然、一級。大抵の王宮魔術師はエマのように三級だ。
そしてこの前、チチェは実績を認められて二級に上がったばかり。19歳で二級への上がりはそれなりに優秀な類ではある。
勇者の幼馴染なのだから、これくらい当然、と無駄に誇っているチチェだった。
「ブラウンがいればいいのは、そうなんだが」
シュルツ院長はチチェの方を見る。彼女は胸に手を当てて王国の最高敬礼をすると恭しく頭を下げた。
「王宮魔術師二級、チチェ・ブラウン。この度は我らが王より拝命いたしました任務。謹んでお断りいたします」
「ほらな」
院長は呆れた目で彼女を見ていたが、チチェは顔を上げると拳を握って力説した。
「私が今日という日の非番を勝ち取るために、どれだけの苦労をしたかお判りでしょう!?命令というなら、有給休暇を申請し労働者の権利を主張します」
今日はなんといっても勇者の凱旋パレード。パレードに向けて魔術的な警戒のために多くの魔術師が駆り出されている。その中でもチチェが非番を手に入れたのは、他の魔術師たちの欠勤を埋めたり、ゴマを擦ったり事前に頑張ってきた由縁だ。今さら仕事ですと言われてもうなずけない。
「勇者アロンの凱旋の瞬間を観るためにも、今日は絶対休みます。院長だろうが、王だろうが、女神だろうが、誰に何を言われようと休みます」
「不敬だぞ」
目を輝か揺るぎないチチェの表情に院長は眉間の皺を深く刻み、ため息をついた。
「こうなると思ったからな。他に呪術に詳しい者は皆、パレード警備のために出払っている。エマ、代わりに頼めるか?」
「エマ、のんびりしたかったんですけど……」
エマは可愛らしく唇を尖らせた。しかし、その後ろでチチェが彼女の首筋に指を突きつけた。
「……お願いできるよね?」
ニコリと笑うチチェの目は笑っていなかった。エマはチチェの指のひんやりとした感触に飛び跳ねた。その顔は顔面蒼白である。
「はい!エマ、出勤します!」
エマは宣言する。チチェが彼女の首から指を離すと、ホッと胸を撫で下ろした。
魔術師は触れた相手に呪いをかけることが出来る。何がなんでも非番でいたいチチェに逆らっては何をされるか分からない。普段はニコニコ優しい癖して、チチェは一度我儘を言い出すと止まらないのだ。それをよく分かっているエマはガクガクと頷いた。
「フフフフ、いい子」
「後輩を脅すな」
「ぐは」
チチェが恐ろしい顔で笑っていると、院長が拳骨を落とした。




