親父のこと
おれは親父のせいで大学を中退した。
親父はおれが大学1年の時に失踪した。いや、関西の大学だったから1回生と呼んでいたんだったか。とにかく6年ほど前のことだ。
親父はもともと、おれが中学の頃から東京に単身赴任していて、年に数回しか帰ってはこなかった。仕事好きというよりは、あまり家族に興味のない人間だったようだ。
お袋がどう思っていたかは知らない。親父は家にお金を入れていたので、生活に困ることはなかった。
高校時代のおれは大して勉強しなかったが、運良く関西の私学に受かったので、その頃から一人暮らしをしていた。高柳市という、愛知でも田舎のほうから出てきたおれには都会生活が新鮮だった。好きな時間に起きて、ゲームしたりネット見たり、自転車でふらっと遠出して深夜営業のレストランで文庫本を読んだりしていた。ほぼ昼夜逆転生活だったので、よく寝過ごして講義をサボっていた。
「お父さんがいなくなった!」
弟から電話があった時もおれはファミレスにいた。説明は今ひとつ要領を得なかったが、とにかく切迫した様子だったので実家に帰ってみた。そこで、親父がもう1か月以上会社に来ていないこと、お袋が見に行ったマンションの部屋ももぬけの殻だったことを知った。
お袋と弟にとっては大きなショックだったようだ。おれは何となく、東京で知り合った女と駆け落ちしたのかなと思っていた。お袋が憔悴して寝込んでしまったので、しばらく実家で家事手伝いみたいなことをしながら親父の帰りを待った。警察に捜索願というのも出した。
結局、3か月たっても親父は帰ってこなかった。お袋が起きられるようになったので、おれは大学に戻ろうと思って関西へ飛んだ。そこで、郵便受けに授業料の督促通知を見つけた。どうやら学費は親父が振り込んでくれていたらしい。それが止まったのだ。支払期限は過ぎていた。
おれは大学を辞めることにした。学務課に掛け合えば放校処分にはならずに済むこともあるらしいのだが、もともとろくに単位も取っておらず、大学に友人もいなかったので、何となく続ける気力がなくなってしまったのだ。
表向きは、実家に金銭的負担をかけたくないからということにした。実際、お袋は専業主婦だったので、親父の給与がなくなって家計は苦しそうだった。お袋はパートを始めた。おれも関西でアルバイトに就いた。
アルバイト生活は、学生の頃よりさらに気楽だった。工場や清掃の仕事をよくやった。深夜の時給が良かったのでまた昼夜逆転生活になった。収入の何割かは実家に仕送りしたのであまり余裕はなかったが、他人とコミュニケーションを取らずに済む生活はおれの性に合っていた。
毎日、仕事が終わると割引の弁当を買って帰り、文庫本の代わりに無料で読めるなろう小説を楽しんだ。親父も日本のどこかで、こうやって他人と関わらない生活をしているのかなと思った。
2年もたつと、お袋も親父のことをあきらめてしまったようだ。弟の大学進学を機に、高柳の家を手放して名古屋に引っ越してしまった。フルタイムの仕事も見つけたようだ。弟が奨学金を取れたので、「もうお兄ちゃんも仕送りはしなくていいよ」と言われてしまった。何もやることがなくなった。
おれはバイトを減らし、さらにぼーっと日々を送るようになった。暇な時はやはりなろう小説を読んで、今の自分とは異なる生活を夢見たりもした。そして、目的もなくこんな自堕落に生きていて良いのだろうかと、時々悩んだ。
そんな生活を2年続けた後、おれは高柳市に帰ることにした。勝手を知った土地で、真人間として生まれ変わろうと思ったのだ。地元なら彼女だって見つかるかもしれない。やる気もなく人間関係もなく希薄に生きていたら、そのうちおやじのように社会からフッと消えてしまうような気がした。地に足をつけるべきだと思ったのだ。
実家はもうなかったが、都会よりはるかに家賃の安いアパートが見つかった。仕事は、地元の本屋に雇ってもらった。小学生の頃よく通った店だ。そのうち正社員になれるという話だった。本の開梱や返品作業など力仕事を主に担当した。レジ打ちも覚えた。半年と少し、真面目に働いた。
しかし、その本屋はつぶれてしまった。リアル書店はどこも不景気だ。とりわけ田舎町じゃ採算が取れなくなったのだろう。当たり前だ。当のおれだって、都会で本を買わずにスマホでなろう小説ばかり読んでいたのだから。仕方がない。時代の流れだ。お店に恨みはない。
だが、その後はまた、不規則なアルバイト生活に戻ってしまった。やる気も失ってしまった。都会に戻れるだけの貯金もなく、ときどき短期の仕事をちょこちょこやって、何とか生活していた。とはいえここ1か月は完全に無職だった。そもそも働き口が少ないのだ。
……。
…………。
つい自分のことばかり書いてしまった。
こうして文字にすると分かる。別に親父は悪くなかったな。大学をやめたのも無職なのも、ぜんぶおれ自身のせいだ。
むしろ、どうせ若い女と駆け落ちしたか仕事から逃げたのだろうと思っていた親父のほうが、このデスゲームの中で命を張って戦っていたわけだ。アラフィフだったのに鎧なんか着ちゃって、生真面目にな。もしかしたら家族のもとヘ必死で帰ろうとしていたのかもしれない。不倫を疑ったりして悪かったな。
きっと親父も、おれと同じように、ある日いきなり誘拐されてここに連れてこられたんだろう。死んでしまったとはいえ、このことはお袋や弟に伝えないといけない。
おれは白骨化した親父の姿をスマホで撮影した。遺体を撮るのは不謹慎な気もするが、いつかここを脱出できたら、せめて写真だけでも家族に見せてやろう。
止まった腕時計と濡れた財布はおれが持っていこう。貴重な遺品だ。腐らずに残ったこと、おれの手に渡ったことは奇跡とも言える。もちろん剣も有効に使わせてもらう。他にも持っていけるものはないだろうか。
ジーンズの右ポケットにも何か入っているようだ。これは……金属製の水筒だな。スキットルというやつか。ステンレス製なのだろう、ほとんど錆びていない。蓋を開けてみると、強いアルコールの匂いがする。ウイスキーか何かか? おれはほとんど酒は飲まないし長年森に放置されたものを口にする気にもならないが、宝箱とペットボトル以外に容器があるのは助かるな。ありがたく貰っていこう。
「他にはもうないか?」
遺体を少し持ち上げてみる。
「あっ……」
尻ポケットに、赤い携帯電話番号が入っていた。スマホではなく二つ折りのやつだ。だいぶ湿っている。電源は……さすがに入らないな。しかし妙に軽い。裏ブタを開けてみて分かった。バッテリーが抜いてあるんだ。オヤジがやったのか? 運営の仕業か?
「って、これSDカードじゃん」
バッテリー収納部の内側に、カードがささったままだ。さっきまで密閉されていたので汚れておらず、まだ読み込めそうにも見える。この携帯も持っていこう。親父の写真や動画が入ってるかもしれない。
サイフと腕時計と携帯をレジ袋に入れ、丁寧に巻いて紐で縛っておく。袋の中に残っていたエビは、晩飯代わりに食べてしまった。スキットルと剣は親父を真似して身に着ける。親父の代わりに、おれはちゃんと生き伸びてやる。クソ運営め。
……。
もう日が暮れかけている。今夜はここで火を焚いて親父と過ごそう。通夜の代わりだ。明日になったら墓を作ってやろう。




